仮面
僕と君の家は共に王国でも有数の大領主だった。
いや。
僕らが生まれた頃であれば単純な力は主である王家よりも強大であったかもしれない。
兵士の数や武器の質は言うに及ばず、怪しげな魔術や古代の技術、時には人間ならざる者達との交流さえも厭わなかったから。
そのくせ僕らの家は白々しくも吹聴していた。
「我らは王国の誇り高き剣あるいは砕けぬ盾」
もしかしたら僕らが知らないだけで、かつては本当にそうだったのかもしれない。
しかし、今はもう見る影もない。
政争の果て両家の手は既に血に塗れていた。
当主である互いの父は最早子供残せないほどに歳をとり、僕と君は互いに『最後の後継者』として見做されていた。
それはつまり僕と君が一方を滅び尽くすまで続く戦いの次代の人間であるという意味でもあった。
「どちらが有利だと思う?」
演奏が小休止となった舞踏会。
人々の歓談の声が煩わしく響く中、人目を離れた位置へと父に連れられた僕は質問される。
「もちろん、僕達の家です」
「それは何故だ?」
迂闊な返事を父が咎めた。
僕は兵や武器の質や集められた魔法や古代の技術、そして人外の者達との交流を理由として挙げたがそれらは父の張り手と共に否定された。
「愚か者が。それは奴の家とて同じだ」
「では互角だと?」
叩かれた左頬の痛みに耐えながら問うと父は首を振った。
「お前は男、奴は女だ。この意味は分かるか?」
「はい。僕の方が力は強……」
再び叩かれる。
父は苛立ちながら言った。
「違う。奴の腹は一つしかないがお前の種は星の数ほど蒔ける。女に子供を産ませ続けろ。こちらに十人居れば奴が一人殺しても残りは九人だ。対してこちらはあの女を殺せばそれで終わりだ」
精通をしていないどころか異性への興味さえも曖昧でありながらも僕はどうにか頷いた。
「ではこちらが有利なのですね」
「今のままならな」
直後、父の視線は舞踏会の主役である王の方へと向いたので僕は悟った。
彼女の腹は一つしかないが、ならばその中に王を入れてしまえ良い。
三十代半ばとなる王は好色家として有名だった。
多くの妻や妾を持つだけではなく気に入ればどのような女にでも手を出す。
それはつまり女であるだけで王に気に入られる可能性があると言う事でもある。
「寵愛を受けるだけでも厄介だが形ばかりでも妃になってしまえば殺すのには相当骨が折れる」
故に殺せる時に殺す。
いや、殺さねばならないのだ。
「奴はきっと売女のように男に媚び、喘ぎ、喜ばせる事を学ぶだろう。いや、それ以外の知識も技術も必要ない。まったく、汚らわしい一族だ」
吐き捨てるように父が言った直後。
「ローレン様」
君がただ一人で僕と父の前へ歩いてきた。
君の父親や護衛はおろか控えの者さえも付けずに。
無防備なまま君は歩いてきた。
まるで命を差し出すように。
事実、僕は君の命を奪うことはできた。
この舞踏会の中で手段さえ選ばないなら、だが。
つまり、君には殺されない確信と自信があったんだ。
「次のダンス。お付き合いいただけませんか?」
「喜んで」
出し抜かれるわけにはいかない。
そう思った僕はほとんど反射に近い速度で返事をして君の手を取る。
侮られるわけにはいかない。
だからこそ僕は父の顔さえ見ることもしなかった。
君が微笑むので僕も微笑み返す。
これは仮面だ。
僕らの真意を覆って隠す、自分にしか外せない仮面。
「行きましょう。ここでは狭いですから」
「はい。ローレン様」
僕らが歩き出すと舞踏会の参加者たちは笑い声を漏らす。
他の参加者達にはこの光景は微笑ましいものとして映っているだろう。
いや、そう映さねばならないのだ。
それが互いの家が受け継いできた歴史を背負うということなのだから。
君の手を引きながら僕は考える。
君が何故ここまで無防備を晒しているのかを。
まるで殺されても良いと言わんばかりの態度をとる理由を。
すぐに一つの可能性に思い至る。
君の家には既に『予備』あるいは『本命』の後継者が生まれているのではないか、と。
「ローレン様」
曲の始まりと共に君が僕にしか聞こえない声で囁く。
「当家にはもう女の腹にさえ父の血を引く者は残っておりません」
「カミラ様?」
「私以外には」
僕らの身体が音楽に釣られて動く。
僕は君の言葉を待ったまま。
「私が死ねば当家の敗け」
「何を仰っているのですか?」
次代の人間として育てられた僕らは淀みなく踊る。
互いにしか聞こえない声で器用に会話をしながら。
「分かりませんか?」
そう問われた途端。
僕の足に強い痛みが走る。
君の靴が思い切り踏みつけたのだ。
「今。あんたに私を殺すことが出来るかと聞いているの」
君が自分にしか外せない仮面を外した。
垣間見た君の本当の顔に僕は告げた。
「殺す事は出来ません」
僕の仮面は外さないまま。
「ですが」
君を握る手に力を籠める。
君の顔が歪んだ。
覚悟していたよりもずっと痛かったのだろう。
「痛めつけることは出来ます」
力を少しずつ緩める。
あまり傷跡が残っても厄介だ。
「お上手ですね」
「ダンスはまだ途中ですよ。カミラ様」
「ええ。でもずっとこの時が続いてほしいくらいです」
「僕もそう思います」
僅かばかりの本心を交えた会話は曲が終わったために続くことはなく、やがて僕と君の体は離れた。
「あんたとは仲良くなれそうね。ローレン」
仮面を戻そうとする君に僕は告げた。
精一杯語気を強めて。
「俺もそう思うよ。カミラ」
あえて仮面を外し君に見せつけるように。
僕と君は自分以外の誰も知らない仮面の下を共に見つめ、そして。
「ありがとうございました。ローレン様」
「こちらこそ。カミラ様」
再び仮面を被った。
子供のまま大人を真似た僕らを舞踏会の人々は無邪気に囃すばかりだった。