あなたの声
声が落ちた。
自分が何を言っているのか分からなかった。
「何を言っている?」
尤もな問いだと思った。
いつものように皮肉を言って逃げるべきだと思った。
そうするのが最善だと分かっていた。
そう思っていた。
恥ずかしくてすぐに逃げたかった。
逃げるべきだって分かっていた。
だけど、足に根が生えたように動けない。
「ふざけたことを」
あなたの声が聞こえた。
自分の身体がびくりと震えた。
恐ろしくなり俯く。
その様を見たあなたは私を罵倒した。
堰を切ったように罵倒が続いた。
想像出来る範囲の言葉。
いつもなら皮肉一つを言って受け流す言葉が。
突き刺さる。
刃を通さない肌。
光でさえ溶けない体。
侮蔑や侮辱で折れない心。
あなたの言葉、一つ一つで。
何年も作り上げていた『自分』が崩壊していく。
自分でさえも分からない。
あるいは目を背けていた『私』が現れる。
痛みも、重みも、悪意もないと分かりきっているのに。
仮面の下にあるのは私自身。
そんな事は分かっていた。
それなのに。
なんで、かめんをはずしても。
わたし。
じぶんのことがわからないんだろう。
俯いた先に映る床に涙が落ちる。
雨のように。
あなたの発する言葉と共に。
落ちていく。
ごめんなさい。
目が滲む。
せめて、あなたの前から消えたいのに。
あしがうごかないの。
ほんとうに。
ほんとうに。
ごめんなさい。
言葉が止んだ。
同時に。
鎖の音が聞こえた。
指が触れた。
私の肩に。
びくりと震える。
かたかたと震えが止まらない。
「馬鹿が」
あなたの声が聞こえた。
「生娘でもあるまいに……この売女が」
売女。
吐き捨てるように言われたその言葉。
すぐに理解した。
これが。
最後のチャンスだって。
だから、私は。
いいかえさないと。
いつもみたいに。
そう思っていたのに。
私は震えるばかりで何も言えず、動けなかった。
私に触れていた指が固まる。
あなたの苛立ちを感じた。
あなたの困惑を感じた。
そして。
あなたの同情が触れてきた。
「ごめんなさい」
どうにか出せた言葉。
あとはもう声にならない。
言葉にならない。
「顔を上げろ」
身体が震える。
どうにか首を振る。
「上げろ」
聞いたこともない、あなたの冷たい声。
震えながらあげた目が目にしたあなたは。
今までに見たことがないほどに冷たい目をしていた。
純粋な憎悪の目。
私を軽蔑する目。
一度も見たことのない目。
理解する。
あなたが一度もこの目を私に向けた事がない理由を。
理解してしまう。
「ひっ……」
情けない悲鳴があがる。
自分がしてはいけないことをしたのだと悟る。
こんな目で。
こんな気持ちで。
あなたに私を見られたくなかった。
「下げるな」
「でも……」
「こっちを見ていろ」
怖かった。
だけど、あなたにさらに失望されたくなかった。
憎悪を抱かれたくなかった。
だから、あなたを見つめ返していた。
涙を流しながら。
重く。
暗い色。
あなたの目。
それが。
「馬鹿」
少し柔らかくなった。
少なくとも。
わたしは。
そうかんじた。
まちがいかもしれない。
「一度でも」
あなたがいう。
「売女のように振る舞ってみろ」
あなたがはう。
「その瞬間に舌を噛み切って死んでやる」
くさりが。
わたしとあなたをはばむ。
「あっ……」
「いい。自分でやる」
あなたのゆび。
わずかなまりょく。
「つかえたんだ」
「並みの人間以下だがな」
くさり。
あなたがちぎる。
じかんをかけて。
「どうして。にげなかったの?」
「敗者だから」
「ほんと?」
「あぁ」
「それだけ?」
あなたはこたえない。
こちらへくる。
ほそい。
わたしよりも。
「どうして。にげなかったの?」
「黙れ」
ほそいうでがわたしをひきよせる。
「どうして……」
「黙れ。やめるぞ」
ことばとともに。
こえがおちた。
あなたの。




