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偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【五章】
22/36

あの夜の下

 夜。

 私は部屋に戻り椅子に座って月が照らす塔を一つ見つめていた。

 かつて幽霊が住むなどと言われていた塔は未だに誰も近づかない。

 いや、私が近づかせていないのだ。

 形ばかりとは言え与えられた女王の権限で。

 あの塔を見ているとあなたの事ばかり思い出す。

 殺し合う運命の下に生まれ常に憎んでいた。

 そのくせに誰よりも親しい友達と思ってしまったあなたのことを。


 下腹の辺りを軽く撫でながら思い出す。

 あなたにつけられた傷はとうの昔に癒えてしまったけれど。

 ここに触れていると過去のことをまざまざと思い出せる気がする。


 今にして思えばお互いに本当に子供だったと思う。

 いや、仕掛けたのは私だから私の方が子供だろうか。

 いずれにせよ、あなたは私の挑発に乗り試合場で戦い、煽り合いと試合のどちらでも勝利をした。

 私が敗北した晩、父があなたのつけた傷を見て激怒する。


『馬鹿が! 何故わざわざ要らぬ挑発をした!』


 父は私を殴ったりしたことは一度もなかった。

 傷がつけばつくだけ王の寵愛が向く可能性が低くなるからだ。


『お前はただ王の子を孕むことだけを考えればいい! お前にはそれ以外の価値はないのだぞ!?』


 代わりに言葉を刃にして好きなだけ私を切り裂いた。

 男児として生まれなかった私に対しての怒りをぶつけ続けた。

 それを仕方ないことと思い私は受け入れた。

 自分が男児として生まれていれば発生しえない問題であるのは明らかだったから。


 そう理解していつつも私自身にもプライドはある。

 敗けっぱなしは癪だったから私は翌日に王の寵愛を背景にあなたと戦い勝利した。

 悔しそうに俯いているあなたを見て溜飲が下がると同時に。

 あなたは私と鏡映しのように似通った立場に居るのを否応もなしに理解した。


 直接伝えたことは一度としてなかったけれど。

 結末が同じ試合にあなたが気長に付き合ってくれたことを私は本当に感謝していた。

 互いの存在だけを認識していれば良いあの時間だけは私は自分の役目から解放されていたと思う。


 あの時間があったから私は耐えられた。

 目を背けたくなるような王の醜悪な姿にも。

 耳に水が這うような不快感を伴う声にも。

 鼻が落ちてしまいそうになるほどの臭いにも。

 肌に虫が這うようなおぞましい感触を伴う指にも。


 互いを罵倒しあいながら全力で打ち込み合い、互いの持つ怒りをぶつけられる事が出来るあの時間のおかげで私は耐え抜くことが出来た。


 拒絶したい相手の肌と自分の肌が触れるあの気味の悪さ。

 出来る限り離れたいのに自ら近づかなければならない無力感。

 いや、それどころか演技をしなければならない。

 相手のために。


 ねえ。

 あなたの苦しみはきっと誰よりも私が分かっていたと思う。

 いや、そうであってほしいと私は思わずにいられない。

 だって、私はあなたのお陰でどうにか生きていけたのだから。



 だからこそ。

 私はあの晩を忘れない。

 私の父とあなたの父が偶然にも共に反乱を起こした夜を。


 初日の式が終わった。

 私は王のベッドの上でほとんど裸に近い姿で横になっていた。

 直に王がやってくる。

 そうなれば普段と同じく役目を果たすだけ。

 諦めに近い思いを持ちながら天井を見つめていると扉が開いた。


 現れたのは父だった。

 困惑しながら身を起こす。

 確かに私は王の妻となり、父も広い意味で王の親族となったと言える。

 しかしながら王の寝室にまで侵入してくるのは流石に無礼が極まっている。


 そう動揺する私に父は意気揚々と言った。


『この血を見ろ、カミラ』


 父は私に親指程の大きさを持つ小瓶を見せる。

 中身は血に満たされており、訝しむ私に対して父は告げた。


『これは夜の王の血だ』

『夜の王?』

『あぁ、偉大なる夜とも呼ばれる王の血だ。この血を飲んだ者は夜の民となる』


 私が問うと父は不気味に笑う。

 その笑みを見て私は父の顔が若返っていることにようやく気づいた。

 混乱する私に対して父は夜の民について語る。

 不老とさえ言える寿命に、不死と形容されるほどの頑丈な肉体、さらには一瞬で傷が治るような再生力。

 日光にさえ当たらなければ死にはしないという、正しく人外の力と言える存在。


『この力があれば王家どころかこの王国さえも支配出来るぞ。何せ人間からの攻撃など効きもしないほどに強靭な体を持てるのだから』


 そう語る父の目は既に狂気に満ちていた。

 相手にしてはいけない。

 そう理解した私は微笑みながら答えた。


『素晴らしい話です。しかしながら、私達はもう勝利いたしました。今や、血による戦いを行わなくてもよろしいのではありませんか?』

『分かっていないな、カミラ。この素晴らしき力を解放する舞台が欲しいと俺は言っているんだ』

『舞台、ですか』


 私はちらりと辺りを見回しようやく気づく。

 王妃の父と言えど王族の寝室に入ろうとしたならば必ず止められる。

 だが、父は止めらないままにここに来たのだ。

 つまりそれは既に警備がまともに機能していないということになる。


『カミラ、よく聞け。お前もこの血を飲め』

『何故ですか?』


 私の問いを父は無視して歩み寄るとそのまま私を押さえつける。


『今すぐに飲め』

『な、なぜですか?』


 問い返したが無意味だと分かっていた。

 父は理由を答える気はない。

 求めているのは私が無抵抗に血を飲むことだけだ。


『夜の王の血は貴重なんだ。喜んで飲み干せ』


 抵抗する私の口を開かせると小瓶を開いて中の血を流し込む。

 吐き出そうとする私の口を塞ぎ無理矢理飲み込ませる。

 私が飲み干したのを見届けると父は私から離れて笑う。


『さて、どうなる』

『ど、どうなる? どういうことですか?」


 吐き出すのを諦めた私は父を睨み返す。

 確証はないが確信はあった。

 きっと、私は今すぐにでもこの場で死なないと最悪な事が起きる、と。


『偉大なる夜が残した血には幾つか種類があってな。お前が飲んだものは通常のものとは違うのだ』

『通常とは違う……?』

『あぁ。血に詳しい配下共から聞いたのだ。この血は飲むべきではない、とな。だから、自分で飲むわけにはいかなかったのだが、かと言って飲ませるのに丁度良い相手も居ない』

『それで、私に、ですか?』


 私の問いに父は頷く。


『良いアイデアだろう?』


 笑顔のままに。

 その顔に苛立ちながら私は起き上がる。


『夫に言いつけますよ』

『もう死んでるぞ』

『……でしょうね』


 特に驚きもせずに受け入れる。

 そして。


『悪いけれど、望むものは見せられません』


 言うが早く私は窓から飛び降りた。

 せめてもの抵抗。

 そう思っていたのに垣間見た父の顔は驚くほどに穏やかだった。

 きっと、もう私には興味などなかったのだろう。


 もう死ねる。

 そう思って清々すらしていたのに落ちた先で私はあなたに出会った。




『一先ずこんな騒がしいところはごめんだ。行くぞ』


 あなたはそう言って私をあの塔に連れて行ってくれた。


『綺麗ね』

『そうか? 俺には何も見えないが』


 私の言葉に対するあなたの返事で悟る。

 自分がもう人ではなくなりつつあることを。

 そう。

 あの夜の下にありながら、私には全てが見えていたのだ。

 城の形も、庭の花も、歩いている人達の顔だって。


 父は夜の民は日光を浴びれば死んでしまうと言っていた。

 そして、この場所は直に父の反乱によって地獄に変わる。


 だから、あなたを逃がそうとした。


『ローレン、お願い。何かが起こる前に。今すぐに』


 あなたをこの地獄で死なせたくない。

 世界で唯一、私を本当に理解してくれるあなたを。


 日が昇れば夜の民と化した私は死ぬ。

 だけど、私が生きている内ならば王妃としての権限を辛うじて持っている。

 それに父の娘である私の言葉ならば、父の兵士達も多少は命令を聞く可能性があるはず。


 だから、最善なのは私を連れてこの王城を抜け出すことなんだ。

 仮に私が朝日で死のうとも、その時にはあなたは全てから解放されているということでもある。


『私を攫ってよ。誰も追いかけて来れないほど遠い場所に。私を連れていってよ』


 ……。

 本当に。

 そうだろうか?

 本当にそう思っていたのだろうか?


 私は過去の回想を打ち切る。

 いつの間にか下腹を撫でていた手は止まっていた。


 脳裏に浮かぶ光景。

 共に逃げた世界。


「馬鹿みたい」


 強引に断ち切って私は立ち上がる。


 苛立ちが胸に停滞する。

 その解消法はいつだって一つだ。


 私は部屋を出る。


「カミラ様?」


 護衛が問いかける。


「散歩してくるだけだから気にしないで」

「しかし、お一人では……」

「絶対についてこないで。絶対に」


 護衛はびくりと震えて頷いた。

 彼は良く知っているのだ。

 私が『絶対』を二度言う時は必ず従わないといけないということを。


 護衛を伴わずに歩く私を見て兵士や衛兵は無言で目を逸らす。

 彼らもまた知っている。

 私が共をつけずに歩く意味を。


 夜の中に私の足音が静かに響き続けた。

 向かう先は。

 あの塔。



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