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偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【三章】
13/36

血の跡

 君の血に塗れた剣を持ちながら僕は駆ける。

 塔を降りて倒れているはずの君を探す。

 歩き去った君の身体から落ちているはずの血の跡を探す。

 けれど、どれだけ見回しても夜の闇は君の存在を完全に覆い隠していた。


「カミラ!」


 僕は君を呼んだ。

 心の内にあるものが何か分からないまま。

 悲鳴と怒声が聞こえる。

 最早誰のものかも分からないほどに混ざってしまったものが。


「カミラ!」


 子供のように泣きそうになりながら叫びながら僕は走る。

 もし君が生きていたなら避難をするであろう城の方へ。


 逃げ惑う人々が僕にぶつかる。

 そこかしこで叫び声が聞こえる。

 血にまみれた貴人が、兵士が、使用人が貴賤問わずに事切れている。


 地獄のような光景で僕は走り続ける中で僕は奇妙なことに気づく。

 剣を、槍を、メイスを持ちながら人々を殺している兵士達の鎧に刻まれた紋章。

 それは内乱を起こしているはずの僕の家のものではない。

 父の内乱には幾つかの家が共謀していることは僕も察していた。

 だが、あの見慣れた紋章は……。


「見つけたぞ! ローレン!」


 突如、名前を呼ばれる。

 振り返ると三人の兵士が僕の方へ向かって来る。

 怒声と共に刃を振り上げて。


 死が見えた。

 僕の死ではない。

 兵士の死だ。

 驚くほどあっさりと僕は人を殺した。

 僕自らの手で人を殺すのは初めてだった。


「ガキが!」


 残った二人が怒声と共にさらに襲い掛かる。

 しかし、まるで剣が吸い込まれるように一人の急所に刺さる。

 初めての経験であるのに淀みない動きが出来る。

 それはきっと、僕の内にあるどうしようもない想いと後悔が怒りという形で溢れ出たからだろう。


「ひっ!」


 最後の一人が悲鳴をあげて固まる。

 僕は剣を構えたまま兵士の鎧につけられた紋章を見つめる。

 間違いない。

 この紋章は君の家のものだ。


「答えろ。貴様達は何をしている?」


 兵士は震えたまま槍を向ける。

 だが、それは戦いの姿勢ではなく虚勢だけの構えだ。


「反乱か。貴様達の主が考えそうなことだ」


 吐き捨てるように言って僕は距離を詰め、構えた槍ごと兵士の利き腕を斬り落す。

 悲鳴をあげる兵士の残った腕をさらに斬り上げる。

 両腕を失った兵士は付け根だけの腕を芋虫のように動かしながら叫んだ。


「待って! 頼む! 待ってくれ! 俺は命令されただけだ! だから命だけは……」


 答え合わせとなる命乞いを無視して兵士の首を刎ねる。

 状況の整理が出来た。


「僕らは出し抜かれたのか」


 父が反乱を起こす前に君の家が反乱を起こした。

 いや、だが何故?

 君が女王となった以上は少なくとも君の家はこんなに性急に動く必要はないはずでは……。


 直後。

 僕の脳裏に君の言葉が浮かんだ。


『ローレン、お願い。何かが起こる前に。今すぐに』


 君はこうなることを知っていたんだ。

 この地獄が訪れることを。


『私を攫ってよ。誰も追いかけて来れないほど遠い場所に。私を連れていってよ』


 高鳴る心臓に支配された頭は君を浮かべて離さない。

 君の声を。言葉を。表情を。身体を。

 まるで焼き付けられたかのように僕の脳は痛む。


「どの家が協力しているんだ!?」


 痛みから逃れるため僕は叫んだ。

 自分の心中の想いから逃げるために僕は世界へ叫ぶ。


「王に反乱をした愚か者どもは!」


 心にもない事を叫ぶ。

 舞台に立った道化のように。

 大領主の息子として相応しい役目を果たすために。

 僕は王の下に居る騎士の一人としての仮面を被り叫んだ。


「皆殺しだ! 殺し尽くしてやる!」


 思考は既に捨てていた。

 そうでなければ焼き付いていた君の顔のせいで、僕は全てを失ってしまうと理解していたから。


 王城の奥へ進む。

 逃げ惑う人々を押しのけ斃れた体を踏みつけ僕は前へ進む。

 一度となく襲われたがその全てを事も無げに斬り捨てる。


 強さには自信があった。

 だからこそ個人の強さなどでは状況を覆せないことを僕は知っていた。

 仮に一人で百の兵を殺すことが出来る強さがあろうとも百一人目には殺される。

 ではどうすればいいか。

 決まっている。

 千の兵士が戦う事を放棄して逃げる程に恐ろしい人間を演じれば良い。


 見開いた目で世界を睨みながら、襲い来る敵兵の血を浴びて全身を朱に染めて、右手には血が滴る剣を持ち左手には名前も知らない者の首を持つ。

 この姿を一目見た敵兵達は命のやり取りをする戦場であるにも関わらず一瞬石のように固まり息を飲む。

 そして僕にとってはその一瞬だけで十分だった。


 剣で首を刎ねれば終わる。

 槍で心臓を突けば終わる。

 矢で遠巻きに射れば終わる。

 そんな単純な事実に誰も気づかないままに死んでいく。


 演じることには自信があった。

 この王城で君と共に生きていたから。

 君以外の前では常に役割を演じていたから。

 君の前でしか僕は自分の仮面を外すことが出来なかったから。


「ちくしょう!」


 叫び、吠える。

 疲労を隠すための虚勢さえも他者を圧するために利用する。

 死んでしまえばこの奥にまで行けない。

 奥に行かなければ僕の被っている仮面が持つ役目を失ってしまう。

 そして仮面が脱げてしまえば僕はきっともう二度と生きていけないと思った。


 王の命なんてどうでもいい。

 出し抜かれた父の命だってどうでもいい。

 君の家が何故このタイミングで反乱を起こしたのかだってどうでもいい。

 全てがもうどうでもいい。

 今の僕に必要なのは役目だけだ。


 歩きながら僕は奇妙なことに気づく。

 進むにつれて転がる死体や散らばる武器に破壊の痕は激しくなっているのに夥しく広がっているはずの血の跡も臭いもほとんどが見当たらない。


 どういうことだ?

 混乱しながら歩く僕の身にさらに奇妙なことが起こる。

 僕の全身を濡らしていた血が段々と乾き消えていく。

 いや、違う。

 これはまるで吸われているかのようだ。

 僕はまるで導かれるようにして歩を進める。


 やがて辿り着く謁見の間。

 人々の死体と散らばる武器、崩壊が最も酷い場所。

 そしてどこよりも死体が散らばっているのに、あまりにも血のない空間。


 玉座の下に君の父が倒れ伏していた。


「ローレン……無事だったか」


 そして玉座に座るのは大怪我を負った僕の父。


「この戦場で。流石は私の息子だ」


 息も絶え絶えと言った様相だが既に父の身体の傷はゆっくりとだが癒えていくのが見えた。


「それにお前の身体を覆う血は全て他者のものか」


 言葉を失っていた僕に父は笑った。


「ありがたい。おかげで傷がまた少し癒えた」

「……一体何があったのですか?」

「察しているだろうが出し抜かれた。本来であればあっさりと事が終わるはずだったのだが」

「では、その傷も?」

「あぁ。こいつにやられた。流石は我が宿敵だと褒めておこうか」


 僕の父が君の父を褒めた。

 だが、それは相手がもう死んだが故に出た手向けの言葉だ。


「ローレン。流石の私も肝を冷やしたぞ。まさか、夜の民となったのが世界に自分以外に居るとは思わなかったからな」


 びくりと体が震えた。

 昼間のことを思い出す。

 僕が傷一つ付けられなかった父が息も絶え絶えになっている。

 その理由が今、分かった。


「では当家と同じく、この者も夜の民になる方法を知っていたと?」

「あぁ。だが、私の方がずっと血を吸っていた。おかげでどうにか勝てた」

「血を吸う……?」

「あぁ。夜の民は血を吸って力を高める。


 困惑する僕に父は頷き笑った。


「お前にも見せたかったぞ。私と宿敵の泥仕合を。王も、騎士も、兵士も……全てが私とこいつの餌だった。だが、そんな戦いを制したのは私だ」


 死体にまみれた謁見の間で父は高笑いをする。

 生きた人間ではなく、死んだ人間の下で悦に浸る父の姿は。


 正しく、人ではないものだった。



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