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偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【三章】
12/36

夜の下

 中庭を通り抜け、城の影に隠れ、そして時折すれ違う人間の隣を堂々と歩く。

 女王の捜索に必死な彼らは僕が連れている女が他ならぬ女王であるなんて気づきもしない。

 僕と君は歩き続ける。


 庭師がろくに手入れをしていない場所を身を屈めて通り、平時では怠惰な兵士達の休憩所となっている物陰を横切り、そして今では幽霊が居るなどと冗談が囁かれている塔の階段を登る。


「わぁ……」


 塔を登り切った後に現れた夜の世界に君は感嘆の声を漏らす。


「あまりそちらに行くなよ。崩れかかっていて危険だ」

「そういえば何年か前にどこだったかの息女が足を滑らせて大怪我したって聞いた気がする」

「俺は止めたんだぞ」

「へえ」


 君は僕へ振り返って寂しげに笑った。


「よく来るんだ。ここ」

「まさか」


 後に続くはずの言葉が声になっていなかった。

 必死に否定する姿を君に見せたくなかったから。

 何故、見せたくないのかも分からないまま。


「まぁ、いいや」


 くすりと君は笑う。

 まるで僕よりも僕の気持ちを理解していると言わんばかりに。

 僕は君の視線から逃れるように微かに顔を背ける。

 そんな僕に君は近づき肘で軽く僕の横腹をつついた。


「それであんたは私をこんな所に連れてきてどうするわけ?」

「さあな。それはお前が決めることじゃないか?」


 そう言って僕は君からさらに逃れようと夜の下に広がる世界を見つめた。

 だが、月星や城内の明かりはあっても昼に比べればあまりにも暗い。

 毎日を過ごすこの城でさえ僕の目にはほとんど何も映らなかった。


 しかし。

 君は言った。


「綺麗ね」

「そうか? 俺には何も見えないが」

「そう? 私には全部見える。城の形も、庭に咲く花も、歩いている人たちの顔も全部」


 君は言葉を一度切る。

 冷たい夜の風が僕らの間にある熱を微かに冷ました。


「女の子ならきっとここに来れば喜ぶんでしょうね」

「お前は喜ばないのか?」

「どうだろ? 私は女王だから分かんない」


 君は酔っていた。

 だから僕の体に身を預ける程に無防備だった。


 僕は君にあてられた。

 だから君の身体に軽く触れていた。


「ねえ、ローレン。あんた、誰かを愛したことはあるの?」

「あると思うか?」

「そうよね。ごめん。変なこと聞いて」


 僕は君が見つめるほうを見つめていた。

 何も見えなかったけれど、君と同じものを見たいと思っていた。


「あんたはさ。これからどうするの?」


 僕と君はもう仮面など被っていなかった。

 被る意味も意義もないとさえ感じた。

 それなのに僕は君の問いに何も答えられなかった。

 君がこんなにも近くに来てくれたのに。


「カミラ」

「なに?」

「お前こそこれからどうするんだ?」

「さぁ? 諦めて女王になるしかないんじゃない? そもそもさ。それが自分の運命だって分かっていたんだから」


 言葉に詰まる。

 そうだ。

 君はずっと運命のために生きていた。

 諦めて運命に引きずられ続けていた僕と違い、君は受け入れて運命に向かって歩いていた。


「まぁ、正直に言うと。こうなる前にあんたに殺されると思っていたんだけどね」

「何を馬鹿なことを。俺にお前を殺す機会など……」

「言い訳ばっかり。あんたはその気になればいつでも私を殺せたじゃない」

「……その後の当家の立ち位置はどうなる? 簡単に言ってくれる」

「だからなに? 私があんたなら私の事なんてもっと前に殺していた。だって、それがあんたの運命じゃない。あんたは難しいことを考えずに私を殺してれば良かったの。それが何で出来なかったの? ねえ、答えてよ」


 君は僕の目を挑むように見つめた。

 身体は前よりも僕に近い。


「それにさ。仮に全部あんたの言う通りだったとしてもさ」


 動いたとさえ思えないほどに細やかな一歩を踏み出して君は言う。


「何で今、あんたは私を殺さないの?」


 君が動いたから僕の手は既に君の身体から離れていた。

 距離は先ほどよりずっと近くなったのに。


「今しかないよ。きっと」


 分からない。

 何も分からなかった。


「ローレン、お願い。何かが起こる前に。今すぐに」


 君の頬に涙が伝う。


「私を攫ってよ。誰も追いかけて来れないほど遠い場所に。私を連れていってよ」


 僕はどうにか君の涙を手で拭う。

 君は自分の肌に僕が触れることに僅かな抵抗もしなかった。


 運命を受け入れて歩いていた君。

 運命を諦めて引きずられていた僕。

 形は違えど運命に翻弄されていた僕らは。

 この瞬間だけ、運命に背いた。


 そして僕らは共に運命から罰せられた。


 僕が両手を広げ君を抱きしめようとした刹那。

 君が僕の方へさらに近づき僕の胸に飛び込もうとした刹那。


 凄まじい音が世界を揺らした。

 直後に剣と剣がぶつかり合う音が響き、あらゆる場所に魔力が満ちる。

 鳴りやまない暴力の音に叫び。

 呆然とする僕に対し、君はどこか寂し気に笑う。


「逃げられなかったね」


 君は僕を突き飛ばす。

 あまりにも弱い拒絶の力。

 それでも僕はよろけてしまう。


 そして。

 君の身体には魔力が満ちる。


「ローレン様」


 君はもう仮面を被っていた。


「剣を構えた方が良いのでは? 試合場でないので手加減は出来ませんよ」


 何も握られていなかったはずの君の手には剣があった。

 魔力を集結させて形作ったのだろう。

 僕もまた剣を構える。


「黙れ、売女。お前が実力で俺に勝てた事なんて一度でもあったか?」


 君は早かった。

 僕よりも。


 防御が間に合わない。

 焼かれるような痛みが片腕に走る。

 信じたくないほどに強い拒絶。

 僕はもう手加減をする余裕などなかった。


 態勢を立て直し全力の一撃を君に放つ。

 引き裂かれて二つになってもおかしくない一撃は君の身体を走り、君の全身から血が噴き出す。


 それでも君は死ななかった。

 痛みで叫びながら僕を睨みつける。

 しかし、何かを言う力まではない。


 動けるはずもない重傷。

 いや、そもそも二つになってもおかしくない傷なのに。

 君はそのまま踵を返すと塔から身を投げるようにして飛び降りた。


「カミラ!」


 僕は剣を落としながらも君を見下ろす。


 しかし、君はそこにはもう居なかった。

 地面と落下した音さえもなく。

 君はもう姿を消していた。

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