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偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【三章】
11/36

束の間

 悲鳴が聞こえた。

 君を呼ぶ悲鳴が。

 夜の暗闇の中では飛び降りた君の姿など見えるはずもない。

 まして明かりがほとんど届かないこの中庭では。


 城内が(にわ)かに騒がしくなる。

 当然か。

 主役である女王が転落をしたのだから。


「あーあ……」


 心底うんざりしたような様子で息を漏らしながら君は今よりも深く影に沈む。

 最早、城から漏れる明かりや月星の光では君を見つけることはかなわない。


「どう責任を取ってくれるの? この状況」

「命を救ったのだから褒美でも貰いたい気分だが? 女王陛下」


 君を呼ぶ声に数えきれないほどの足音が響き渡る。

 事態が急速に変化していく中で未だ命が繋がっている君は明らかに途方に暮れていた。

 そんな君の姿を見つめながら僕の手は腰に掛けられている剣へとゆっくり向かう。


 君の命を奪うこれ以上ないチャンスだ。

 そう理解しているのに僕の手は岩が乗せられたように重い。

 きっと、その理由は天から飛び降りた君を見たからだろう。

 そうに違いないと僕は自分自身に言い聞かせていた。


「本当だったらもう何も考えなくて良かったのに」


 君はそう言って無気力に世界を眺めていた。

 そして僕はそんな君を知らぬ内に見つめていた。

 剣には遂に手が届かないまま。


「女王陛下!」


 石畳に音が響く。

 足音が近い。

 君が諦めたように目を閉じた。


 直後。

 僕は弾かれたように君を押し倒した。

 突然のことに君は微かに悲鳴をあげ同時に表情を恐怖に歪める。


「ローレン!?」

「静かに」


 震えながら怯える君に僕は努めて優しい声で言いながら、纏っていた上着を脱いで君の身体にかける。


「じっとしていて」


 無言のまま黙り込む君の表情を見つめ、少しした後に僕の背後から声がした。


「そこにいるのは誰か?」


 王の兵士だ。

 君を探しに来たんだろう。


「何の用だ?」


 そう言いながら僕は君に背を向けて立ち上がる。

 相対した兵士は上着を脱いだ僕の姿を見て眉を顰める。

 僕は今日ほど自分が放蕩息子と呼ばれていたことを感謝した日はなかった。


「取り込み中だ。何の用だ?」


 苛立ちを隠さない放蕩息子を演じながら僕は兵士に一歩近づく。

 僕の身体がさらに君を隠した。


「いえ。女王陛下が先ほど足を滑らせて転落をしたという話が……」

「そこでここを探しに来たと?」

「はい」


 あからさまに舌打ちをして僕は答えた。


「俺がここに居る時点でこの場所を探すのが間違いだって分かるだろ?」


 兵士は言葉を言い淀む。

 今回の君と王の結婚が何を意味するかなんてわざわざ語るまでもない。


「とっとと失せろ。それともなんだ? 俺にも探してほしいのか?」


 兵士は慌てて首を振り走り去る。

 滑稽にも君の名を呼びながら。

 その影が完全に消え去るのを確認してから僕は踵を返す。


「行ったぞ」


 君は僕の上着をしっかり掴んだまま伏せていたが僕の声を聞いて身を起こす。

 状況を理解出来ないという表情を隠し切れない君は問う。


「何で助けてくれたの?」


 言葉に詰まり理由を探す。

 君を助けてしまった理由を。

 (もっと)もらしいものが浮かんだ。

 はっきりと見えていた答えを押しのけて。


 父が内乱を起こすからだ。

 君の家も王家も、そして女王となった君の命さえも今日失われる。

 どうせ今夜全てが終わるのだ。

 ならば、せめて死に至る束の間だけでも好きに過ごせばいい。

 そう思った。

 そう思ったんだと僕は自分に言い聞かせていた。

 しかし、父が内乱を起こすなんて君に言えるはずもなく僕は無言のままだった。


「ま、あんたが何でこんなことをしたかなんてどうでもいいけど」


 何かを察したかのように君は言う。


「随分と手慣れているじゃない。流石は種馬ね」

「お前と違って経験は豊富だからな」


 吐き捨てるように僕が言うと君は肩を竦める。


「そ。それで経験豊富なローレン殿はこれからどうしてくれるわけ?」

「今すぐ兵士に突き出してもいいが」


 僕もまた肩を竦めて答えた。


「一先ずこんな騒がしいところはごめんだ。行くぞ」

「静かな場所へ連れてってくれるんだ?」


 君は無垢な少女のように笑って言った。

 僕は答え切れず無言で君に手を差し出すと君は素直に僕の手を掴んだ。


「あまり離れるなよ。俺と一緒に居れば皆が頭の弱い女と思って気にもしない」

「頼もしいわね、ローレン」

「黙っていられないのか? カミラ」


 お互いに軽口をたたき合いながら僕らは歩き出す。

 蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている城内を避けてひたすらに城壁の影を。

 時折、茶々を入れてくる君の声が心地良い。

 小馬鹿にしながら返事をする僕の心が体験をしたことがないほどに軽い。

 そして手の平から伝わる君の体温が心地良かった。


 一刻もしない内に地獄へと変わるこの王城。

 そんな世界に舞い降りた束の間の君との時間。


 あぁ。

 今にしても思う。

 僕はこの時間のおかげでその後、数十年にも及ぶ長い苦しみを耐えきれたのだ。


 声と音が響く城内の下。

 月明りさえも届かない世界を僕と君は歩き続けた。



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