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中編

近衛騎士団に入団するにあたり、わたしは訓練の邪魔にならないように髪を短く切ろうとした。


ところが、お父様やリリーたち侍女が「短髪で王族との婚約式に出るおつもりですか!?」と断固として反対し、わたしの目につくところの刃物という刃物をすべて隠してしまったため、仕方なく銀髪をぎゅうぎゅうに編み込んで茶髪のカツラを被るという妥協案にせざるを得なかった。


かくしてわたしは、ハイドランジア辺境伯爵家の親戚筋として「シーウェル・ハイドランジア」を名乗り、ワイリーグ殿下が団長を務める近衛騎士団に入団した。


王城の北側にある騎士団の訓練場の門をくぐった途端、目に飛び込んできたのは、上品な身なりの貴族子弟たちだった。さすが近衛騎士団というべきか、練習着ですら平民よりもはるかに上質のつややかな布地で仕立てているとは。


長い剣を優雅に構えて素振りをしている見目麗しい貴公子たちは、むさくるしいハイドランジア領軍の船乗りたちとはずいぶん様子が違っていた。わたしは「訓練だし汚れるから」と質素な服装でやってきたのだけれど、これはあきらかに浮いている。


世話役の副団長に紹介され、「よろしくおねがいします」と挨拶したわたしの姿を見て、貴公子たちは「ふーん」と馬鹿にしたように笑った。


「へえ、辺境の田舎者か。海賊と“遊んでた”んだって?」


「騎士見習いというけど、そっちじゃ貴族といってもレベルが違うだろう?」


「てか、こんな成りで訓練について来れるのかよ。お前何歳だ?」


小馬鹿にした口調で、彼らに比べて明らかに細身で背の低いわたしを見下ろしてくる。


「……はい、14歳です。よろしくお願いします」


睨み返したい気持ちをぐっと堪え、控えめに頭を下げて歩みを進める。同い年の男性に比べて低い背丈を考慮して年齢を偽ったけれど、違和感は持たれていないようだった。


荷物を運ぶわたしの背中に「いつまでもつことやら」なんて囁き声が投げつけられたけど、この程度の嫌味、海賊の襲撃に比べれば可愛らしいくらいだ。


そして始まった騎士団の訓練。わたしを“辺境の田舎者”扱いしていた貴族の子弟たちも、自分たちより小柄で田舎臭い新参者が想像以上にタフだと知ると、目に見えて態度が変わり始めた。


なにしろ腕立て伏せから長距離走から、さらに剣の素振りに至るまで、わたしがへこたれる様子がまったくないものだから、周囲の騎士見習いたちも「おい、あいつ全然息が上がってないぞ?」とざわつきだす。


そのうちの一人が、わたしの肩をぽんと叩いて驚いたように言ってきた。


「シーウェル、お前、背も低いし華奢そうなのに、どうしてそんなに動けるんだ? どんな訓練してた?」


(そりゃあそうですよ、海軍の訓練はもっと厳しいんですから!)


内心でそう言い返しながらも、顔はあくまで“謙虚で素直な新人”を装って首を振る。


「いえ、別に大したことは……。僕の領地では海賊対策が忙しいんで、自然と体力がついちゃったんです」


「海賊? ああ、ハイドランジア辺境伯領って海の近くだったな……」


と、そこへ先ほどわたしをさんざん侮ってきた貴族子弟が、めんどくさそうな声を出す。


「でもまあ、所詮は田舎の兵士の寄せ集めだろ? 中央の騎士とはレベルが違うって」


「……そ、そうかもしれませんね……」


小馬鹿にした口調にややイラッときたものの、ここで言い返すわけにはいかない。わたしの目的はあくまで、ワイリーグ殿下とお近づきになり、ハイドランジアの実情を知っていただくこと。今は黙々と実績を積んで、殿下とお話しできる機会を待たなくては。


それに、周囲の騎士見習いの人たちを見たところ、剣の稽古はまだそこまで練度を高めていないようだ。となれば、わたしに剣の腕がある程度あることが分かれば、あからさまに馬鹿にされることも減るだろう。脳筋の集まる軍とは「そういうところ」だとわたしはよく理解していた。


で。案の定、わたしの剣さばきを見て、周囲の視線がさらに熱を帯びた。


「おい、なんだあの新入り!」


「打撃は軽いが……動きが異様に早いな」


「見習いの中でも別格だぞ。……すでに軍歴があるのか?」


「ハイドランジアでは、どんな訓練を……」


正規の騎士たちの間から上がったその声に、わたしは「計画通り」と心の中で拳を握った。長年、船の上で鍛えたバランス感覚と実戦仕様の動きは、地上でもちゃんと通用するらしい。


わたしがそんな具合に騎士団内でじわじわと注目を集め始めた頃、公務の合間に訓練場へ姿を見せるようになったのが、他でもないワイリーグ殿下だ。


ある日、わたしがひとり素振りをしていたら、ふっと視線を感じた。見れば殿下がこちらをじっと見ていて、思わず背筋が伸びる。次の瞬間、声をかけられた。


「君、新入りの……シーウェル・ハイドランジアと言ったな。ハイドランジア辺境伯家とは親戚のようだが、どんな縁なのか?」


はい、とまずは膝を折ろうとして「そういえば男装してた!」と気付き、誤魔化すためにそのまま地面に片膝をついて平民の最敬礼のポーズで頭を下げる。


「ああいや、目礼だけでいい。訓練場では王族に対しての敬礼は免除されているんだ。立ちなさい」


「はい、ありがとうございます。……僕はハイドランジア辺境伯家の遠縁にあたります。領主の皆様には、良くしていただいてます」


確かお父様に書いてもらった推薦書には「先代辺境伯の四男の息子」という絶妙にふんわりした経歴が記されていたと思う。曖昧に誤魔化してそう答えると、殿下は少し目を伏せて、ふと思い出したように笑った。


「そうか。ハイドランジア辺境伯家のシーリーン嬢という令嬢と、この間の舞踏会で踊ったのだが……」


(覚えていてくれた……!)


心の中で思わずテンションが上がる。男装のまま「それ、わたしですよ!」と言いたくなるのを必死でこらえつつ、なんとか平静を装う。


「そうでしたか。……シーリーン様とは、ときどき海軍の訓練でご一緒しております。親しくお話をしていただくこともあります」


適当に言葉をにごすと、殿下は「そうか」と納得したようなそぶりで唇を結んだ。何を考えているかまでは読み取れないけど、少なくとも悪い印象ではなさそう。ホッと胸をなでおろしつつ、なんだかくすぐったい気分になった。


それからというもの、公務の合間を見計らっては殿下が訓練場に顔を出すことが増えた。しかも来るたびに、わたしと何かしら会話をしていくのだ。


「シーウェル、今日の走り込みもまだ余裕がありそうだな。ハイドランジアの人間は、やはり鍛え方が違うようだ」


「はい、まだ大丈夫です。海賊を相手にしていると、嫌でも体力がつくんです」


「君の年齢でその体力か。実にすばらしい」


殿下はわたしの答えに真剣な目つきで頷いている。こうして殿下にじっと見られると、なんだかシャキッと気が引き締まる。王子様のオーラはさすがだ。


あるとき殿下は、興味深そうにこんなことを尋ねてきた。


「そういえば、ハイドランジア領の軍の話ばかりを聞いていたが……土地柄はどのようなところだろうか。辺境伯はどうやって地域振興をしているんだ? 海賊対策にはかなりの資金が必要だろう」


思わず笑顔になった。こうして殿下がハイドランジアのことに関心を寄せてくれる――まさに狙い通り!


「そうですね、領主様は商用の造船業と、陸での輸送業に力をいれておられます。輸送には馬力の強い馬が必要ですから、丘陵地では馬の育成を奨励してまして、ハイドランジアの馬は近隣の領地でも評判なんです。冬は季節風が厳しいし海賊対策が大変ですが、春や夏は本当に穏やかで、果物や魚も美味しい、良いところですよ。海賊さえ来なければ、本当に暮らしやすい土地なんです」


一気に話したわたしを見て、殿下は「なるほど」と感心したように頷いた。すいと腕が伸びてきて、ぽんと優しく肩に手を置かれる。


「シーウェルは、故郷が大好きなのだな」


にこりと飾りのない笑顔を向けられて、心臓が跳ねた。


(うわあ、王子様の満面の笑み、眩しすぎる……はっ、今は男装中だわ。どうか顔が赤くなりませんように……!)


「は、はい。僕の自慢のふるさとです」


「君がそんな風に言う土地だ。いつか実際にこの目で確かめたい」


「ほ、本当ですか!?」


嬉しさに声が上ずりかけるわたし。その勢いで“実はわたしこそその領地の娘なんです”とバラしそうになるのを踏みとどまり、飲み込む。男装してここまで情報を売り込んでるんだから、あともう一押しで殿下を“辺境伯領に好意的”にできるかもしれない。


「王族として、国の隅々にまで目を行き届かせることは大切だからな。とはいえ、一番興味があるのはハイドランジア海軍の訓練法なのだが」


快活な笑みを浮かべる殿下の横顔に、わたしは思わず胸がグッと高鳴るのを感じた。


(殿下がハイドランジア海軍を評価し、訓練法にまで興味を持ってくださるなんて……なんという誉れ!)


まさか“脳筋同士”がこんな形で通じ合うなんて……人生ってわからない。


殿下とわたしのちょっとしたおしゃべりが増えると同時に、周りの騎士団員たちが「なんで殿下はあの田舎者を気にかけるんだ?」と騒ぎ始めた。やっかみ半分の冷たい視線もあったけど、海賊退治と比べたら屁でもない。


それに、訓練時間が終わったらさっさと帰宅してしまう騎士団の人たちは気づいていないのかもしれないが、遅い時間にワイリーグ殿下が訓練場に立ち寄ることがあるのだ。


わたしは訓練が終わったあとも追加の素振りや走り込みをしていたため、時折、公務が終わった後に訓練場に立ち寄るワイリーグ殿下とも一緒に素振りをしたり、時には軽く打ち合いの相手を務める機会もあった。


「シーウェルの太刀筋は、独特だな」


「ええ……“騎士の剣”とは違うと、よく言われます」


「だが実践向きだ。剣の師は?」


「特定の師についたことはありません。教えを受けた人というなら、ハイドランジア海軍の皆でしょうか」


「なるほど。剣の教え方も違うのだな」


わたしから見れば、王子様とこんな雑談ができる日が来るなんて夢のよう。脳筋同士で剣を交えつつ語り合ってると、まるで戦友やライバルのような親近感すら覚えてしまう。


「船上でも剣の稽古はできるのか?」


「はい、甲板に余裕があれば。風や潮の流れを読むのも、いい訓練になりますよ」


殿下が小声で「面白そうだな……」とつぶやいたのが聞こえて、わたしの心の中には小さな達成感が芽生えた。そう、その調子でハイドランジア領に興味を持ってもらえれば、作戦大成功なのだ。


こうして“シーウェル”として暮らすわたしは、しっかりとハイドランジアの魅力を殿下に伝え続けている。もちろん海賊に襲われるリスクは深刻だけど、それさえなければ豊かな資源と温暖な気候、そして頼もしい海軍の守りがあるのが辺境伯領だ。


ワイリーグ殿下もわたしの話を聞くたびに、何やら興味を示してくれ、男装潜入作戦は今のところ順調そのもの。このまま殿下が「ハイドランジアっていい土地だな。婿入りしても悪くないかも」なんて思ってくれたら、軍備増強の道も開けるし、王家と辺境伯家の繋がりもスムーズに進むはず。


「よーし、もっと頑張らなくちゃ!」


わたしは訓練の合間に木剣を握りしめ、誰にも聞こえないくらい小声で気合いを入れる。辺境で海賊と戦い続けてきたわたしだからこそ、殿下を動かせるかもしれない。そんな確信があるから、騎士団員のやっかみも苦にならないのだ。


――こうしてシーウェルであるわたしの、ちょっぴりスリリングな男装生活は続いていく。大丈夫、作戦成功は目の前……たぶんね。


+++++


季節が移ろい、男装生活にもだいぶ慣れてきたころ、王城で「夏の舞踏会が催される」という知らせが入った。本来なら、近衛騎士団で「シーウェル」として暮らすわたしには無縁のはずが、王妃様がまたしてもシーリーン名義で招待してくださったのだ。


「こんな二重生活、ややこしくて仕方ない……」とぼやきながらも、ワイリーグ殿下とまた踊れるかもしれないと思うと、心がそわそわしてしまう。


こうしてわたしは、前日に騎士団の訓練を終えたその足で王都の辺境伯邸に戻り、徹夜で肌や髪のお手入れをしてからドレスに着替えることに。訓練で疲れた体にリリーたちのオイルマッサージが染み入り、なんだか途中の記憶がないが、目を覚ました時にはわたしの肌も髪もツヤツヤぴかぴかになっていた。侍女ってすごい。


春の舞踏会とは違う色味で…と選んだ鮮やかな空色のドレスは、裾にフリルが多用されたふわっとしたデザイン。胸元と背中を覆うレースと二の腕を隠す袖のレースが綺麗なグラデーションになっている。


「久しぶりにドレスを着たけれど、やっぱり動きにくいなぁ……」


「シーリーン様、騎士団の練習着と比べてはなりませんわ。まあ、素晴らしい色あいのドレスですこと。真珠の髪飾りもよくお似合いです。……どうぞいってらっしゃいませ」


「ありがと、リリー。行ってくるわね」


リリーに宥められつつ鏡に映る自分を確認し、舞踏会へ向かう準備を整えた。


王城の大広間は前回とは雰囲気が変わり、夏らしい青と白を基調とした飾り付けが印象的だった。爽やかな芳香を放つ白い装花や、青地に白の刺繍が美しいテーブルクロス。まだ日が傾き始めたばかりの中庭への窓が開け放たれ、春の舞踏会よりも開放的な空気が広がっている。


春と同じくお父様にエスコートされ、わたしは大広間に足を踏み入れた。ちょうどお腹が空いていたので、可愛らしいプチケーキや一口サイズのサンドイッチが用意されている軽食テーブルに向かおうとしたのだが「着いて早々にがっつくのはやめなさい」とお父様に阻止されてしまった。


(むぅ……お腹が鳴ったらお父様のせいです)


憮然としつつお父様の挨拶回りに同行していたところ、遠目にワイリーグ殿下の姿が見える。なにやら落ち着きなく周囲を見回している様子に「誰かを探しているのかしら」と思った瞬間、本人と目が合った。パッと表情をやわらげた殿下が、わたしに向かってまっすぐ歩み寄ってくる。


「こんばんは、シーリーン嬢。来てくれてよかった。よろしければ……今宵も一曲、踊っていただけませんか?」


「は、はい。光栄です……!」


わたしはなぜか、前の舞踏会よりも少し緊張していた。まっすぐに私に向かって歩いてきたワイリーグ殿下の照れたような笑顔に、どこか落ち着かないような気分になる。


(昨日も訓練場でご一緒していた騎士見習いとダンスを踊るだなんて、殿下はまったく想像していないんだろうな……)


そんな複雑な思いを抱えつつも、わたしは再びワイリーグ殿下とダンスを踊ることになった。


最初の曲は、春の舞踏会よりもテンポの速いワルツ。軽快なリズムに合わせてステップを踏むたび、楽しくて気持ちがどんどん高揚してくる。


(難なく踊れる自分で良かった……ダンス講師だったお母様に大感謝ね)


ワイリーグ殿下は、さすが軍人と言うべきか、もともとの動きにキレがあるため、ダンスを踊るときでもワルツのターンが普通の人より僅かに早い。そのまま彼の動きに合わせると周囲よりも一拍早くターンを回り終えてしまうため、わたしは調整するために歩幅を大きく取りながら身を翻す。


動きに合わせてドレスの裾がふわりふわりと広がる。正直ドレスなんて動きにくくて苦手なのだけれど、幾重にも重なった薄い布がふわっと広がる様は、とても綺麗で好きだった。


「シーリーン嬢、相変わらず……華奢に見えてしっかり体幹ができている。実は、かなり踊れるのでは?」


殿下が悪戯っぽく微笑み、楽団に合図を送る。すると、ワルツを終えた楽団が次に演奏し始めたのは軽快なリズム。


(うわぁ、ラヴォルタですね……!)


周りの貴族たちが「えっ?」とざわめき始める。


ラヴォルタはあまりメジャーな舞曲ではない。なにしろダンスの難易度が高く、男性が何度も何度も女性を高くリフトしなくてはならないのだ。男性の筋力と女性のバランス感覚が求められるこの難曲は、本来は舞踏会の終盤、宴が盛り上がり多少の失敗も大目に見てもらえるような雰囲気になってから踊る曲だった。


(それを二曲目に踊るとは。殿下に何かお考えがあるのでしょうか?)


「シーリーン嬢、この曲はご存知ですか?」


どこか挑むようにわたしの顔を覗き込む殿下に、にこりと微笑み返す。


「はい、父とよく踊っておりました!」


ダンス講師だったお母様にひととおりのダンスを叩き込まれたわたしは、ひときわこのラヴォルタが大好きだった。幼い頃、お父様にひょいと持ち上げられるのが楽しくて、何度も「一緒に踊って」とねだったことを思い出す。


(あのときは……お父様が頑張りすぎて腰を痛めてしまったのよね)


うふふ、と思い出し笑いをしてしまったわたしをどう思ったのか、ワイリーグ殿下は「それは楽しみだ」と唇の端を引き上げるように笑った。


(む。なんだか試されているみたいですね)


騎士団で打ち込みの鍛錬を積んでいる時に見せる表情に似ていたそれを、わたしはそう解釈した。お手並み拝見、ということなのかもしれない。


殿下と手を重ねて、リズムに合わせて跳ねるようなステップを踏む。すいと向かい合い、殿下の肩に手をかけると、ターンの勢いに乗せてぐいと体が持ち上げられた。


(高い……!)


わたしは両手を預け、勢いよく宙へ舞い上がる。周囲からは「おお……!」と感嘆の声が上がり、軽快なラヴォルタの旋律に大広間が包み込まれる。


背の高いワイリーグ殿下に持ち上げられたわたしの視界が、一瞬だけ殿下の頭よりも高くなった。大広間に咲いたドレスの花たち。こちらを見上げる人々の驚いたような感心したような顔。


コルセットの圧迫感なんて今は気にならない。殿下の腕に支えられている安心感と、跳ねるステップの楽しさで、頭がふわふわしてしまいそう。


「本当に、踊れるんだな……」


殿下は感心したようにわたしを見る。その瞳には驚きと嬉しさが混在していて、こっちまで嬉しくなってきた。


さすが軍人というべきか、殿下のリフトは安定感がある。ただ、上げ下ろしの高さがあるために、連続リフトだとスカートの裾が翻りすぎて少し不安になってしまう。


「……殿下、リフトのままターンしてみませんか?」


「ほう?」


わたしの提案に、彼はすぐさま反応して、わたしをリフトで縦抱きにしたままくるりくるりと大きくターンした。この方がスカートの裾が乱れにくい。変則的なアレンジに周囲からワッと歓声が上がる。


「ずいぶん体幹が良い。『よく踊っていた』というのは本当なのだね」


「殿下も。まるで空を飛んでいるようなリフトでしたわ」


ワイリーグ殿下が息を弾ませながら、わたしを見つめる。その瞳は驚きと、どこか嬉しそうな光が混じっていた。


曲が終わり、踊り終えたわたしたちは軽く息を整えながら、名残惜しそうに視線を交わす。空腹のままいきなり跳ね回ったものだから、さすがにわたしも疲れているが、楽しさがそれを上回っていた。


「やっぱりあなたは不思議な方だ……こんなリフトばかりの曲を軽々踊れるなんて、どうなってるんだろう」


鍛錬の後の「良い汗かいた!」とでもいうような笑顔を浮かべたワイリーグ殿下は、何かを言いかけてから少しだけ口をつぐむ。


「本当は、もう一曲ご一緒したいところですが……同じ相手と二曲以上踊るのはマナー違反とされていますから……残念です」


そう言って申し訳なさそうに目を伏せた。どうやら特定の令嬢に固執するように見えてしまうのは、王子としてよろしくないらしい。わたしもなんだか複雑な気分になるが、貴族社会のルールには逆らえない。


「わたしも、とても楽しかったです」


小さく肩をすくめてみせると、殿下は切なげな笑みを浮かべる。


(もう少し一緒に踊りたかったなぁ……)


仲良くなる一歩手前でブレーキをかけられたような、もどかしい形でダンスを終える。ホールに響く貴族たちの拍手が、やけに遠く感じられた。


踊り終わった殿下が去り際に、一瞬だけわたしの手をきゅっと握ってくれた。まるで「また近いうちに会いたい」と伝えるかのように。男装して騎士団で訓練しているわたしの姿なんて、きっと想像もしてないだろうに……。


(明日、どんな顔をして会えばいいんだろう。……ああでも、殿下はシーウェルがわたしだなんて思ってもいないんだろうな)


そう思うと、ちょっと笑えてしまう。けれど同時に、わたし自身も殿下のことを意識しすぎて、なんだか混乱している。ラヴォルタの余韻と殿下の笑顔が頭から離れず、わたしは夏の舞踏会の華やかな喧騒の中、しばし立ち尽くしていた。


お読みいただきありがとうございます。

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