決勝戦-3
イリヤは毎朝、同じ夢を見て目を覚す。
血を零したように真っ赤に染まる空と、肉の焦げる臭いを撒き散らす黒煙。
見慣れた景色はとうに破壊され、見知った顔は皆原型を残さず骸と化し、赤黒く染まったいくつもの塊がごろごろと転がっていた。しかしその中でも無傷でーーー汚れひとつない彼女だけが異質な雰囲気を纏っていた。
絶望、虚無、怒り、激しい憎しみ。それぞれが脳内でぐちゃぐちゃにかき混ざって思考がうまくまとまらない。
何故、自分だけ生きているのか。自分だけが生き残ってしまったのか。
否、違う。
自分だけが生かされてしまった。
たった独り、家族を失い、親しい友人を失い、国を失い、彼女にはもう何も残っていない。あるのは一方的に与えられた、今の彼女にとっては強大すぎる魔力と不必要な命。
「……あ……ああっ……」
その意味を理解した時、彼女の中から激しい絶望の炎が湧き上がり、それはやがて周囲を覆い焼き尽くした。
「ああああああああっ!」
全てを飲み込んだ炎は瓦礫や遺体、母親だったものでさえ砂塵と化した。止めたいのに、これ以上壊したくないのに、もう何も失いたくないのにーーー自分の意思とは裏腹にとめどなく自身から発せられる炎は黒煙を上げて灰に変えていく。
やめて、もう何も失いたくないの。どうして、どうして止まらないの、どうやって止めれば良いのーーー……ッ!
ーーーッはぁ!自分の悲鳴で目を覚まし飛び跳ねるように上体を起こす。他人にも聞かれてしまいそうなほど心臓が激しく暴れて、肺は上手く息を吸い込んではくれない。
しばらくしてようやく落ち着きを取り戻した頃、汗ばんで額に張り付く鬱陶しい前髪をかきあげ、また嫌な夢を見たとため息を吐いた。ベッドの上で体を縮こまらせ、膝を抱えてそこに顔を埋める。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちたがもはや気にも留めなかった。
「もう……嫌だ。誰か助けて……」
その悲鳴は誰かに掬われることもなく、静寂な部屋に溶けていった。
◆◇◆
イリヤとルイスは開戦時から激しい攻防を繰り返していた。互いに一歩も譲らず、一切の隙を晒さない。アラーナの呪縛魔法がイリヤの足元に展開されるが、それもすぐさま察知してイリヤは捕まらなかった。
「本当、勘のいいこと!」
行動を読んで、先回りをして魔法を展開しているのにどうも隙を見せない。アラーナの表情には隠しきれない苛立ちが滲み出ていた。
対するイリヤはそんな苛立ち僧侶の気も知れず、目の前の剣士に全神経を集中させた。
ルイスの軌道は全て読める。二時の方向に右足を踏み込み剣を振り下ろす。その剣を返して今度は斬り上げて。そしてそのあと十二時の方向に左足を踏み込んだら大振りの薙ぎ払い。
ーーー全部知っている。かつて幾度となく剣を交えて稽古をつけてもらった、剣の師である彼の癖は決別してからも少しも変わっていない。
あの頃毎日のように稽古をつけてもらい、飽きもせず何時間と手合わせをし、基礎体力をつけるために険しい山道を走って登ったこともあった。
……私が勇者になったばかりの頃、剣を握ったこともなくましてや魔物を見たことすらない私に、一から剣術の基礎を教えてくれた人。嫌な顔ひとつせず、何度も素振りや筋トレに付き合ってくれた優しい冒険者。
一体いつから君は変わってしまったの?私は悲しいよ、ルイス。
ルイスだけではない。カミラやアラーナ、ジョアンナだって変わってしまった。カミラは魔法の基礎から応用、自分の身を守る方法まで教えてくれたし、アラーナは稽古や依頼で怪我した時にどんな小さな傷でも完璧に治してくれた。ジョアンナは魔物を討伐するとき、後方に立って悪い動きを指摘してくれたし、イリヤのミスを助けてくれたこともあった。本当に、本当に優しいひとたちだったのだ。
なのに、どうして。
初戦に当たったランドルから「どこでその剣術を身に着けたのか」と問われた際、心臓が嫌に音を立てた。彼女にとってそれは大切な思い出で、しかし思い出の主役たちによって歪められ、汚されたものだ。
イリヤの剣術は全てルイスから教わったものであり、彼女の師は間違いなくルイスである。そのルイスに裏切られ、追放され、命さえも軽んじられた。彼女をある絶望の中から連れ出してくれたのは間違いなく彼らで、彼女を絶望へと追いやったのもまた彼ら。
「どうした!剣が乱れてるぞ!」
「ッ!」
ルイスは一瞬の意識の乱れを突かれ、強烈な蹴りをイリヤの鳩尾に与える。その衝撃で体は後方に飛ばされ、一瞬呼吸が詰まり息がうまくできなくなった。この隙を絶対に逃さないと、ルイスは再び距離を詰め追撃を繰り出す。イリヤの意識が完全にルイスに移行した。それは時間にして瞬きひとつのほんの一瞬。その、わずかな隙をアラーナは見逃さなかった。アラーナの呪縛魔法がついにイリヤの両足を捉え彼女の動きを制限した。
「ルイス様今です!」
「よくやったアラーナ」
ルイスの剣が、イリヤの脳天を捉える。イリヤもそれを防ぐが、両足の動きを制限され上手く力を入れることができない。刃先がすぐ目の前に迫っており、腕力だけでルイスを押し返すことは無理だ。
「爆破!」
イリヤは自身とルイスとの間に爆破魔法を撃ちルイスを無理やり剥がした。至近距離で、なおかつ無防備に喰らったルイスは爆風で後方に飛ばされる。同じく無防備なイリヤもまともに爆破を受け、皮膚が焼けただれたが自分に治癒魔法をかけて綺麗に傷ひとつ残さず治した。
「自分の犠牲を恐れない……相変わらずだな、イリヤ」
彼の皮膚も爆風により大怪我を負っていたが、アラーナがすかさず治癒魔法を施した。みるみるうちにルイスの傷が治されあっという間に元の綺麗な肌に戻っていく。
「まさか至近距離で爆破を撃つとはな。まともな思考なら恐怖が勝つと思わないか」
「まともな思考、ね……」
ルイスの言う「まともな思考」が何を指すのかは知らないが、少なくともイリヤには自分が怪我を負うかもしれないと言う恐怖は持っていなかった。
「君の言う『まともな思考』が死への恐怖を指すのなら、私はもう死より恐ろしいことを知ってしまった」
ふたりの間を冷たい風が走った。イリヤの長い髪がなびき彼女の頬を優しく撫でる。
ルイスは少し黙ったあと一瞬でイリヤの目の前に移動した。だが何か攻撃を仕掛けるわけでもなく、顔を近付けじっと表情を観察するかのように覗き込み、ニヤリと嗤うだけだ。何もしてこないルイスにイリヤは訝しみ眉間に皺を寄せる。
そんなイリヤをお構いなしにそっと彼女にしか聞こえない僅かな声量で言った。
「———を消したことがそんなに怖かったのか?」
どくん、と心臓が大きく波打った。周りの歓声、仲間の戦闘音、風の音でさえ今の彼女には届かなかった。一切の静寂が彼女の脳を支配し、如何なる雑音を阻む。ただ例外でルイスの声だけが、余計に誇張され耳に届いて脳内で反響する。
「お前が自分でやったことだろ。なあ勇者サマ!」
ルイスは剣を振り上げイリヤの首を捉えた。躊躇いなく振り下ろされ、それをギリギリのところで受け止めるが、足の自由が効かず剣を握る手に力が入らず受け止めるのに精一杯だった。
「今だアラーナ!」
ルイスの声と共にアラーナは魔法が展開する。それはイリヤのちょうど頭上、尚かつルイスには当たらない絶妙な位置。
「聖なる槍!」
無数の光の矢が、今にもイリヤ目掛けて降り注ごうとする。すぐさま防御結界を張ろうとするが、その時。
「あ"ッ!」
突然、短い悲鳴の後アラーナが地面に倒れた。何が起こったのか理解する間もなく足元の呪縛魔法がパリンと音を立てて砕け散った。両足の自由を取り戻したイリヤはすぐさまルイスとの距離を取る。
「どうしたアラーナ!」
ルイスが叫ぶが返事がない。
「…………?アラーナ?」
もう一度呼ぶ。しかし先程と同じで返事がない。彼女は完全に意識を失っていた。
アラーナが地に伏せるその向こう。魔法銃をこちらに向ける頼もしい仲間ーーーセトの姿がそこにはあった。




