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毎日三枚小説『さよならを知る前に』

作者: 都梅数多

 さよならを知る前に伝えたい事がある。

僕はそう一行目に書いた。届く事のない彼女にあてた手紙だ。実際に彼女がいなくなってからもう数日が過ぎた。

別になんの事もない。会社に行っていつも通りに仕事を終えて帰るだけの日課だ。

「ねえ、もしもさあ、明日私が死ぬとしたらあなた何がしたい?」

 土曜の夜中に腕枕の中で彼女が言った言葉。彼女は本能で自分の死を感じとっていたのだろうか?僕はその時眠気が襲い。彼女にいい加減な返事をした。

「わかんねえ。もしそうなら君が好きな所へ連れて行きたい」

「じゃあ海かな?しかも綺麗な海」

「よくわからないな。海なんて今まで行った事もないし、」

「明日さあ、海、行けないかな?なんかどうしても行きたくなってきた」

「面倒くさい。しかも今、冬だぞ。確かに明日は休みだけど、ライブのチケット買ってあるじゃん」

「ねえ、どうしてもお願い。誕生日とクリスマスプレゼントの前借りでもいい」

「東京湾ならすぐにいけるよ。もう今日は寝よう」

 体の重たい僕は眠りについた。


 朝起きて、彼女の様子をうかがうと彼女はなんの事なく着替えていた。目玉焼きを焼く音がする。サラダ油を弾いて黄身が震えていた。

「今日はやけに寒いな」

 あまりに寒すぎたため僕は嫌でも目が覚めた。

「今日どうするんだ?」

「やっぱり海はいいよ。行った所でさドライブとなると機嫌悪くなるから」

 ニットワンピースにアーノルドパーマーのPコート彼女一番のお気に入りを着込んで化粧を始める彼女。朝食でご飯を用意するのはいつも僕の仕事だ。

 僕は卵の火加減を調節し、家にあった残り野菜でコンソメスープを作った。

「ジュン君のコンソメスープは美味しいね」

 彼女はいつもそう言う。別に美味しいとも思わないし、特別とも思わない。単純な味だ。ただ体は温まる。彼女はそれを両手で持ちゆっくり飲んだ。

 外に出掛けると雪が降っていた。僕は電車が遅れているだろうとため息をついたが彼女はそれを楽しんでいた。

「初雪だね」

「ああ」

 彼女が単純な物に単純な反応を見せるのは久しい事だった。付き合いたての頃はそれこそ何一つとっても彼女は不思議がったり面白がったりした。特別な感情を共有して特別な時間を共有している感覚があった。でもいつのまにか僕には素直に子供みたいに単純な事に単純な気持ちをぶつける事が出来なくなっていた。

 電車に乗って向かったのは新宿の西口。モザイク通りを通ってみるとクリスマスの装飾が施されていた。

 雪で滑る家族づれを見て彼女は笑いご機嫌に服を選んだ。昼はルミネの上のイタリア料理の店。同僚のお薦めの店だ。

食べ終わると街をぶらぶらしてプリクラを撮って色々見る。予定通りに物事は進み、彼女とのデートも夕暮れを迎える。

 僕はその日指輪を渡すつもりだった。指輪を渡すためにディナーも取ってあった。モザイク通りには電飾が煌びやかにならび、同じ様なカップル達がそれぞれ盛り上がっていた。ここを進めばあとはディナーを頼むだけだった。そんな時彼女は僕の予定を遮った。

「ちょっとトイレ行ってくる」

 なんだよそれ。

「夕ご飯の店で行けばいいじゃん」

 僕はムキになって言うと彼女の機嫌も悪くなった。

「ちょっとだから待っててよ」

 僕は仕方無くモザイク通りで立ち往生した。ほかの幸せそうなカップルをみながらボーとした。彼女が戻ってきたのは10ぐらい後だった。

「ごめんトイレ混んでて」

「だからいったじゃん。店のトイレ行けばいいって」

「実はそれなんだけどさ、今からやっぱ海行こう!東京湾でいいからさ」

 僕は首を振った。

「もう予約もしてあるんだよ。それを今更」

「お願い。どうしても見ておきたいの」

 彼女はどうしてもひきさがらなかった。仕方無いなと僕は首を振り、駅に向かった。ゆりかもめに乗って有明に向かう。電車の中でも彼女とは一切話しをしなかった。

「ごめんなさい」

 家族連れでごった返す中で彼女は言った。僕も同じ事を言いたかった。こんな事なら最初から海に行くべきだったんだ。彼女の求めているものは他の女性と同じじゃないし、僕は本で読んだ一般論を考えていただけだったんだ。夕日が海に沈んでいく。有明に付いた頃にはもう夕日は暮れかかっていた。

 東京の海を見るなんて初めてだった。堤防に打ち寄せるゆったりした波は音もなく、カモメも声も無くあるのは貨物船用の大きなクレーンばかりだ。キリンのような長い首で船の到着を待っていた。

「人は死んだら土に帰るっていうじゃない?」

 彼女は夕日を見ながら言った。

「でも私は違う。人は海から上がり進化して今の姿ある。知ってる?お腹の中のあかちゃんて最初は魚の形で次は両生類、それで段々人の形になって生まれてくるの」

「知らなかったよ」

 感慨もなく海を眺めながら僕は言った。

「だから人は死んだら海に帰る。そんな気がするんだよね」

 とても指輪を渡せるような気持ちにはならなかった。彼女はなんか暗いし、こんな場所じゃ渡したくなかった。

 でも彼女は海が闇に溶けるまでずっと眺めているだけだった。


 僕は手紙をほったらかしにしてとりあえずコーヒーを作った。今日も酷く寒い。新年を迎えた元旦でテレビは馬鹿みたいに盛り上がっていたけど、僕は駅伝を見る気にもならず、かといってお雑煮を作る気もなかった。窓の外には今日も雪が降っていた。

 あの日の帰り、雪で滑った車に彼女は轢かれた。今考えると彼女は自分の死を判っていたのだろうか?彼女は内蔵を強くうち、僕と最後の会話をすることなくこの世を去った。あの日海に出掛けていたらそうはならなかったのだろうか?東京湾を見に行かなければどうにかなっていたのだろうか、僕にはわからない。

 珈琲豆を煎り僕はそれを挽く。湯を豆に掛けてコタツに入る。耳が寒いと思って彼女のお気に入りの帽子を被ると涙が出て来た。コツンと音がした。アパートのポストに手紙が入った音。

 喪中だと言うのに書いてきた奴がいたようだった。僕は玄関に向かい手紙を取った。

 でもそれは『年賀』と書かれたクリスマスカードだった。

 消印はあの日、新宿区の消印だからきっとあの日に書いたのだろう。トイレに行くって嘘をついて。

『さよならを知る前にあなたに伝えたい事がある。そうでしょうジュン君?』

 クリスマスカードの表紙にはそう書いてあった。僕はそれを見て驚いた。きっと彼女は海の中でじっと僕を呼んでいる。

僕はマフラーをもってジャンバーを着る。遠い海。凄く遠い海。僕は車のキーと財布を持って雪の中にでていった。


 


 

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