彼女がゴディバを買った理由(わけ)
2011年のバレンタインデー記念に書いた番外編です。今年のバレンタインデーは終わってしまいましたが気にせず投稿することにします。
バレンタインデーの晩 仕事を終えた貞子が疲れた顔で帰宅する。
「ただいま、タブ」
「お帰りなさい、貞子。義理チョコの配布は無事終わりましたか?」
「うん」
タブ、期待に満ちた目で貞子を見つめる。
「なによ?」
「義理ではないチョコはどうされましたか?」
「そんなモノ、買ってないわよ」
タブ、肩を落とす。
「そうですか」
「嘘だって。ほら」
貞子、美しく包装された小箱を紙袋から取り出すとタブに手渡す。
「……お金もないのにこのような高級チョコレートを私に買ってくれたのですか?」
「やっぱり本命だからね」
タブ、貞子に抱きつく。
「嬉しいです、貞子」
「はいはい、そんなにくっつかないでよ。疲れたから座らせて」
貞子、ソファに腰掛けると郵便物に目を通す。
「改造屋さんから春の新作カタログが届いてるわ」
「何のカタログですか?」
「セクサロイドの改造用パーツだって」
貞子、カタログを袋から出すとぱらぱらとページをめくる。
「やっぱり趣味の世界なだけあって、どれも高いのね。……ねえ、これどうだろう?」
タブ、貞子の隣に座るとカタログを覗き込む。
「……猫の耳に見えますね」
「うん。いいと思わない?」
「これを私の頭にくっつけるというのですか?」
「かわいいでしょ? やっぱりピンク色がいいかなあ」
「嫌です。せめてこっちの縞々模様にしてください。あ、水玉もいいですね。おや、おそろいの尻尾もありますよ」
「……冗談で言ったんだけど。欲しいの?」
「え?」
貞子、さらにページをめくる。
「顔を赤くして何を見ているのですか?」
「なんにも見てないわよ」
「……さてはイヤラしいパーツを見て興奮していますね」
「してないってば」
「もしかして私のボディにご不満がありますか?」
「……別に」
「貞子? 言いたいことがあったらはっきりと言ってくださいよ」
貞子、目をそらす。
「だってお金がないんだもん。買いたくても買えないでしょ? パーツ代だけじゃなくて改造費もかかるのよ。言うだけ無駄だわ」
貞子、タブの顔を見て笑い出す。
「冗談だってば。タブにはすごく満足してるよ」
タブ、疑わしそうに貞子を見る。
「本当でしょうね?」
「本当よ。タブって見た目だけは完璧だもん」
「見た目だけですか」
「うん。見た目だけは凄く格好いい」
貞子、カタログをテーブルの上に置くと、タブにキスする。
「さ、チョコレート食べようか。ワイン出してよ。少し残ってたでしょ?」
「三ヶ月前に開けたやつですか? もう酸化してお酢になってると思いますが」
「ワインビネガーだと思えばいいでしょ」
「貞子はワインビネガーで晩酌をするのですか?」
「大切なのは雰囲気なの」
貞子、ワインをグラスに注ぐとチョコレートの包みを開く。
「ああ! それは私にくれたものではないのですか?」
「だってタブは食べれないでしょ? 私が食べるから奮発してゴディバにしたの」
「そういうことでしたか」
「そういうことだったのよ」
「……食べられなくてもそこに飾って毎日眺めようと思っていたのです」
「じゃ、箱と包装紙だけ取っておいてあげるわ」
貞子、チョコレートを口に放り込む。
「うわ、おいしい。タブも食べられればいいのにね。一度試してみれば?」
「無茶を言わないでください」
貞子、食べながらカタログのページをめくる。
「あ、ほら。これを取り付ければモノが食べられるんだって。『恋人との晩餐をリアルに演出してみませんか』って書いてある。どうなってるんだろう?」
タブ、製品の写真を覗き込む。
「口内で咀嚼された食べ物がこのチューブを通って強化ラテックス製の『胃袋』に溜まるのですね。『胃袋』は毎回取り出して水洗いしなければ細菌の繁殖の原因になると書かれています」
「やめてよ。気持ち悪くなっちゃった」
「それはお酢を飲まれているせいではないですか?」
「そんな気もしないではないわね」
タブ、貞子の足元に落ちていた紙切れを拾い上げる。
「あれ?」
「どうしたの?」
「ゴディバのレシートです。チョコレートをもう一箱、買ったのですか? 16粒入り? 私にくれたのは4粒入りですね」
タブ、貞子を見つめる。
「……貞子?」
貞子、黙ったままタブから目をそらす。
「誰かにあげたのですか?」
「……うん」
「そうですか……」
タブ、貞子の肩を抱く。
「いいんですよ。私は所詮人形です。どれだけ貞子を想っていてもホンモノの男性の代わりにはなれません。ドケチで万年金欠の貞子が『ゴディバ トリュフ アソートメント16粒入り』を贈りたくなるほどの素敵な方なのでしたら私は潔く身を引きます」
「何を勘違いしてるのよ? うちの部署には男の人がたくさんいるから、みんなで分けてくださいね、って箱ごと渡したの。その方が人数分買うよりも安上がりでしょ?」
「本当ですか?」
「そんな嘘つかないわよ」
「それならどうして困ったような顔をしたのですか?」
「だって、タブにセコい女だと思われたら嫌だから」
「そう思われるのが嫌なら、お酢を飲むのをやめたらどうなのですか」
「慣れてくると悪くないわよ」
タブ、貞子を見つめる。
「ねえ、貞子」
「なに?」
「バレンタインデーというのはもっとロマンチックなものだと思っていました」
「私もよ。昔は素敵なレストランに連れてって貰ったり、夜景を見にドライブしたりしたなあ。まさか毎年おかしな人形と過ごす事になるとは思わなかったわ」
「今日は私と貞子が相思相愛になって初めてのバレンタインデーですよ。毎年という表現は適切ではありませんね」
「でも、これからもタブはここにいるんでしょ? それなら毎年一緒じゃないの」
「……貞子」
「何よ?」
「貞子は冷たいフリをしていても愛情一杯なのですね」
「まあね」
タブ、貞子を抱き寄せてキスする。
「貞子、愛してます」
「私も愛してる。でも、いくら愛があってもお金がなきゃやっていけないから、今度タブが壊れたらそこの椅子に座らせて飾っておくね」
「うぃーん」
「嘘だってば。信じたの?」
「嘘にしては現実味がありすぎるのです。でもね、貞子……」
タブ、貞子の顔を覗きこむ。
「人形というのはいつかは壊れるものなのですよ。もしそのような事態になったら、毎年2月14日には私のことを思い出してチョコレートを供えてもらえますか?」
凍りついたように黙り込んだ貞子を見て、タブがにっこりと笑う。
「今のは冗談ですよ。こまめに修理をすれば貞子と同じぐらいは長持ちすると改造屋さんが言っておられました」
「タブの馬鹿」
「貞子が調子に乗りすぎるからこういうことになるのです」
タブ、涙目の貞子を抱き寄せる。
「さあ、貞子。『いのち短し恋せよおとめ』と先人達も口ずさんでおります。先の心配をするよりは、今宵、年に一度のバレンタインデーを楽しもうではないですか」
- Happy Valentine's Day! -