丸間友花.Ⅲ
桃岡高校に進学して一ヶ月、丸間友花のことが気になって仕方なくなる。通学中も、授業中も、休み時間に友達と駄弁っているときも、帰宅してからもずっと気になる。どれもこれも友花が別の高校へ進学することとなり、姿が見えなくなってしまったせいだ。俺と友花は小三のときに話すようになり、なんだかんだ中学卒業までの六年間ずっといっしょにいた。友花は特別面白い奴でもないし気の利く奴でもないし可愛くもないけど、嫌よ嫌よもって別に嫌ではなかったけど、六年間もいっしょにいればそりゃあかけがえもなくなる。いや、たぶん違う。少しでも嫌だったら六年間は共にできない。それもベッタリな位置関係で。だからたぶん、かけがえのない存在になったわけじゃなくて、もともとの相性がよかったんだと思う、俺と友花は。それに気がついたのは高校に入って友花がいなくなってしまったあとだった。
もちろん連絡を取ることはできる。自宅も近いので訪問することだってできる。でもできない。しがたい。友花はガラリと変わった環境に必死に順応しようとしている最中かもしれないし、あるいは早くも高校生活をエンジョイしていて手が離せない状態かもしれない。友花の方から連絡がないのも、その予感の後押しとなっている。いついかなるときにも俺にベッタリだった友花からコンタクトがないのだ。俺の方から仕掛けるわけにもいかない。別に一度くらいメールしてみたって問題ない気もするけど、しない。とりあえずはしない。
でも気になるのだ。何をしていても友花の顔が浮かぶし、ぼんやりしていると友花とのこれまでの思い出がダイジェストで頭に流れ込んでくる。俺のこの変化も、友花に連絡がしがたい理由のひとつだ。俺は友花が好きなんだろうか? それとも、今までずっと手近にあったものがなくなって、喪失感に苛まれているだけなんだろうか? もしくはもっともっと単純に、親しい友達と離れてしまい寂しいだけなんだろうか? わからない。だけどとにかくもどかしいし、イライラして落ち着かない。この気持ちに整理がつくまでは、友花と連絡を取るにしても自分のスタンスを決められない。
ある朝、登校の支度をしていて、ふと二階の自室の窓から外を見遣ると、ちょうど友花が自転車で通学している姿を目撃する。久しぶりの友花。相変わらず小柄だったしショートヘアだったけど、それを見とめた俺の心持ちだけが以前と違う。なんか、心臓をぎゅっと握られた気になり、ふっと息を吐かされる。でも、そうだ……と俺は気付く。友花の家は近所なので、注意さえ払っていれば友花が登下校する際には姿を確認ことができるのだ。少なくとも、住所も知らない誰かの動向を探ろうとするよりも遥かにやりやすい。
そうして窓の外を気にする生活を始めると、俺自身もそうなのだが、友花も毎日だいたい同じ時刻に家を出て同じ時刻に家へ帰ってくるということがわかった。出発時刻がわかったということは、こっそりついて行くことも可能というわけだ。別々の高校だけれど途中まで行き先は同じなので、友花がどの道をどんなふうに自転車で走っているのかをおおよそ見守ることができる。友花は待ち合わせをしている気配もなく、一人で通学しているようだった。高校で新しく友達はできたんだろうか? 下校時のリサーチもできればより詳しくわかると思うんだけど、学校が別だとやはり下校時のリサーチはちょっと難易度が上がる。
自転車通学する友花を、後方からバレないよう追走する日々が続く。いっしょに登校すればいいじゃないかと自分でも思うが、やはりどんな顔をして声をかければいいのかがわからない。それに、こうやってこっそりと眺めているのも、それはそれで楽しい。妙な緊張感があり、高揚感もある。もしも万が一バレてしまったときはいっしょに登校することにしよう。いいきっかけになる。
友花のことは夢でもよく見る。昔の思い出が再構築されたような内容だったり、支離滅裂だったりもするけれど、そんな中にときおり淫らな場面も出てきたりするようになる。桃岡高校のブレザーを着た友花と放課後の教室で始めてしまう夢も見た。だいたい舞台は学校になる。そこで俺はいつも、見たことのない友花の裸を見る。
やがて、登下校のリサーチだけでは満足できず、夜、俺は丸間家の敷地内にふらりと足を運んでしまっている。ここまですると法に背くことにもなりかねないが、迷惑をかけるわけではないからセーフだということにして、俺はこっそりと夜の丸間家を外から覗く。当たり前だけど、カーテンや磨りガラスで中はほとんど見えない。でもお風呂場の位置はわかった。特定の時間にだけ明かりがつき、シャワーのような水音が木霊す部屋。俺は友花が入浴しそうな時間にそこへ張りつき、姿こそ全然見えないものの、音を聞いて友花の動作を夢想して楽しむ。窓越しに気配を悟られたら一貫の終わりだと鼓動を高鳴らせながらも、俺の下半身は熱い痛みを発していた。だがさすがにやばい。俺は何をしているんだろうと冷静になる瞬間もある。そもそもお風呂場にいるのが確実に友花だという保証はない。友花のお父さんかもしれない。そう考えるとバカバカしくなる。
バカバカしくなりながらもなかなかやめられない。今現在の俺が友花に注げる熱意は、こうして友花のあとをこっそりつけることだけなのだ。友花の家に接近して友花を身近に感じることだけなのだ。俺と友花を繋ぐ唯一のか細い線。
七月、下校中の友花の背中を眺めながら自転車を走らせていると、「ちょうちょうちょう、あんたあんた」と背後から声をかけられる。
夏服になって涼しげな友花の背中を見られなくなってしまったじゃないか。俺は仕方なく自転車を停め、振り返る。
「……なに?」
同じく自転車に乗っていたそいつは、友花と同じデザインの制服を着た……男子生徒だ。俺が停車したのを見とめて、自身も自転車を停める。自転車から降りる。
「あんたさ、丸間さんのことストーキングしとらん?」
「は? ストーキング?」
なに?それ。
男子生徒が改めて質してくる。
「あんたストーカーじゃないんか」
「はは。なんでじゃいや」
いきなりストーカー呼ばわり。驚くよりも笑ってしまう。
「ストーカーって、俺が誰のストーカーやって言うんじゃ」
「やから、丸間さんのことストーキングしとるやろ?って」
「するか。アホか。何を言うとるんや」
「しとるやん。行きも帰りも、丸間さんのあとつけて」
「友花のこと見とるだけやん」
「それをストーカーって言うんやろ」
「言わんわ」
見守っているだけだ。何も変なことはしていない。
「俺は友花の幼馴染みやぞ。なんで俺が友花のストーカーにならないかんのじゃ。意味わからんわ」
俺に警戒をしつつ、男子生徒が言う。
「……丸間さんのこと好きなんやろ?」
「別に好きじゃないよ」
好きかどうかは不明だ。どっちにしろ得体の知れないお前にはノーコメントだ。
「お前こそなんなんやって。いきなり失礼なこと言いやがって」
衝撃的なことを告げられる。
「俺は丸間さんの彼氏や」
「…………」
俺はマジで言葉を失う。言葉どころか、心も失いそうになる。友花に彼氏? 嘘だろ。あの、他人に興味なさそうな、けっこう人見知りをする、あの丸間友花に? え、こんな男が? 俺は目の前の男子生徒を見据える。こんな、冴えない風貌のひょろっと痩せた奴が? 高校に入学して三ヶ月だかで俺から友花を奪ったのか? いや……
「嘘つけや。知らんと思って適当なこと言いやがって。お前がストーカーなんじゃねえんか? なんで俺が友花のあとをつけとるってことをお前が知っとるんじゃいや。お前も友花のあとをつけとったからじゃねえんか」
「丸間さんから相談を受けとったからや」
男子生徒は堂々と言う。
「やからあんたが丸間さんちの庭に、夜、忍び込んどったのも知っとるぞ」
「…………」
マジか。こいつがそれを知っていることよりも、友花がそれを知っていたことの方が恐ろしい。とっくにバレていたのだ。
「丸間さんは『やめて』って言っとる。あんたのこと怖がっとる。やから今日は俺からも言いに来たんや。ストーカーをやめれってな」
「ストーカーじゃねえ」
「ストーカーじゃなくてもいいわ。とにかく丸間さんに近づかんといてや」
「近づいとらんよ」
「自転車であとをつけたり、丸間さんちに勝手に入り込もうとするのをやめろって言っとんじゃ!」
いきなり怒鳴って牽制しようとしてきやがる。うるせえ。
「お前は彼氏かなんか知らんけど、友花と一番仲いいのは俺なんじゃ。調子に乗んなや」
「関係ない話するなや。ストーカーをやめろって言っとんじゃ」
「ストーカーじゃ……」
ねえよ!って言おうとしたのだが、先回りされて「自転車で追いかけたり不法侵入するのをやめろっつーんじゃ!この犯罪者!」とキツい言葉の一撃を浴びせかけられる。
「黙れや!」
俺は男子生徒の自転車ごとそいつを蹴り倒す。陸上部だったのだ、脚力にはそこそこ自信がある。果たして、男子生徒は自転車の下敷きになって地面に伏す。チャンスとばかりに俺はそいつを踏み潰しまくる。
「死ねや! お前、友花をどんなふうに騙したんや! 友花はお前みてえなのは見向きもせんはずなんじゃ! 汚ぇ手ぇ使いやがって!ボケ!」
男子生徒はうつ伏せになりながらも抵抗する。
「おいやめれや! あんた桃岡高校やろ? 退学んなるぞ!そんなことしとると」
「退学なんか恐くねえわ!」
男子生徒をさらに足蹴にしていると、死に損ないから核爆弾を落とされる。
「丸間さんと向き合うのは恐いクセにか!?」
マジでぶちギレた!
「ぶっ殺す!」
別に友花と向き合うのが恐かったわけじゃない。友花の新生活を邪魔したくなくて接触しなかっただけだ。俺は友花に会いたくても我慢していたのに、友花の方は俺を捨て置いて彼氏なんぞを作って、挙げ句には俺へと差し向けてきやがった。なんだよ?そりゃ。
男子生徒がメチャクチャ鼻血を出して泣いている。
「やめれや……人殺し」
「こんなんで死ぬかいや」
鼻血が出ているだけだろ。
「おい、俺は友花のことあきらめんさけな。明日からも登下校、友花のことを見守るわ。ほんで二度とおめえみたいなクソ虫がつかんようにするさけ。俺は何も変わらんぞ? 明日からも俺は俺のままや」
「……あんた、おかしいわ。もう狂っとるやん。病院行けや」
「はは。病院行くのはお前や。頭ん中から友花の記憶消してもらえや。ほしたらこんな痛い思い、もうせんで済むぞ」
俺は言い置いて、自転車に乗って立ち去る。車道を走っていた車のドライバー達はこちらの争いに気付いただろうか? でも俺が攻撃開始したときにも咎める者は誰もいなかったし、見えていなかったのか、あるいはたまたまちょうど交通がなかったんだろう。田舎の道だからな。まあ見られていようがいまいが構わない。そういうことを心配するような心境じゃ既にない。俺は気がついた。やはり俺には友花がいないといけない。友花は俺のものだし、他の誰にも与えたくない。ましてや虫のような野郎なんぞには。あんな害虫に友花が笑いかけていたのかもしれないと想像すると、それだけで頸動脈が膨張してのたうち回り、至るところから次々と破裂しそうになる。
帰宅して別に何もせず、夜中になったので自室で眠っていると、パシャン、と小気味良い音がして再び起こされる。ベッドから体を起こすと、まだ夜のままだった。就寝後すぐに起こされたのか、しばらく睡眠を摂取してから起こされたのか、頭がぼんやりしていてまだ上手く判断できない。パシャン、とまた音が鳴る。窓の方からだ。窓に何か、小石のようなものがぶつけられて音が鳴ったのだ。俺はベッドを降りて窓の外を確認する……と、ああ、すばらしい。下に友花がいる。真夜中で真っ暗でも、頭がぼんやりしていてもわかる。見える。友花が小石を投げて俺を起こしたのだ。俺の部屋の間取りは把握しているんだろうし。
俺は窓を開けて友花に声をかける。
「久しぶり」
「久しぶりじゃねえわ」と友花。何やら怒っている。
「あんた、自分が今日なにしたかわかっとるんか?」
「何が?」
あ、クソ虫を踏んだんだった。
「なんにもしとらんよ」
「あんた最低やわ。そんなことする人じゃないと思っとったのに」
それはこっちの台詞だ。友花があんな、知り合って三ヶ月程度の男を彼氏にするだなんて。そんな安い女じゃないと思っていた。でも、誰だってそうなんだとも思う。環境と状況次第だろ。どんな悪人だって環境によっては善行に走り出すかもしれないし、どんな聖人だって状況によっては罪を犯す。俺はそう思う。高校生の友花には俺という部品が足りていなかった。だからおかしくなってしまったのだ。けど、それならばこれから先、友花には全然まだまだ変われるチャンスがあるってことでもある。やり直せる。
俺は「今そっち行くから待っとって」と言う。
「いい」と拒否される。
「そこにおってや。近づいてこんといて」
「そんなこと言うなや」
俺は窓を開け、二階から下へ、飛び降りる。
「いたっ! いってー!」
着地の瞬間、俺の重みと地面にサンドイッチされて膝が悲鳴を上げる。潰れたか? 友花の来訪に興奮しすぎて咄嗟に無茶をしてしまった。そんな俺に駆け寄る素振りもない冷たい友花は、むしろ三歩、後退する。
「……近づいたら大声出すさけな?」
「わかったわかった。近づかんん」
俺は友花と久々に話せて嬉しいが、友花は刺々しい雰囲気を醸し出している。
「あんたのせいで彼氏にフラれたやろが。あんた、私の彼氏に何したんじゃ!」
「なんで俺のせいになるんやって。お前が粗相して愛想尽かされただけじゃねえんか?」
「ふざけんなや!」
約束通り近づいていないのに、しかし大声を出す友花。
「あんたみたいなのが付き纏っとるんやったら私とはやっぱり付き合えんって言われたんじゃ! あんたのせいやが」
「別にいいやん」
俺は鼻で笑ってやる。
「そんくらいで逃げ出すような奴やったんやから、早めにわかってよかったやん」
「最低な人間になってもうたんやな」
「お前こそ、彼氏をメッセンジャーに使うなや。彼氏はパシリじゃねえんやぞ」
「あれは……あんたのこと相談したら、そしたら話し合ってみてくれるって言うさけ……」
「俺のことわかっとったんか?」
「わかるわ」
そりゃそうか。あんな尾行、バレない方がおかしかったか?
「ほしたら、お前が直接言えばよかったんやん。『なんや?なんか用か?』って。それだけで済んだんじゃないんか?」
「…………」友花が息を呑む。
「わかっとって俺を無視しとったんやろ?」
「違う。……恐かったんやもん。なんで話しかけてこんと、黙ってついて来るんやろうって」
「恐いって、恐いことないやろが。だって俺やぞ?」
「恐いって。だっていつものあんたやったら普通に話しかけてくるやん」
「お前だってそうやん。そんなの、俺が先に話しかけるかお前が先に話しかけるか、どっちかしかないやん。そんで、そんなのどっちって決まっとったわけじゃないやろ?」
「……私の性格知っとるやろ。そんなふうに、あんま、積極的に話しかけんやん」
「やから俺から話しかけなダメやってか?」
なんだ?それは。
「お前の性格って……お前、図々しくも六年間俺にくっついとったクセに、よおそんなこと言えるんな。ほんでそのわりにはすぐさま彼氏作りやがって」
「……ごめん」
「ごめんって、別に俺はお前のこと好きなわけじゃないさけ謝らんでもいいんやけどさ」
言ってしまった。言ってしまった。思ってもない言葉を悔し紛れに吐いてしまった。っていうか、これって何の言い合いなんだ? 最初は友花の彼氏がどうたらっていう話だったはずなのに。俺は言っていることと思っていることがもうグチャグチャでどれが本心なのかよくわからなくなってしまっている。俺は友花が大事でいっしょにいたかったのか、それとも俺を省みなかった友花を実は憎んでいるのか、ただ寂しくて拗ねて自暴自棄になっているだけなのか……。
でもひとつだけたしかなことがある。外灯に照らし出されている友花の瞳にはもう俺は映っていなくて、これから俺は友花の人生から排斥されてしまうということ。
俺と友花の関係は、ここで決定的に終了してしまう。か細く繋がっていた最後の糸も、ここで切れる。