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冴原悠希.#3

 友人関係がゴタゴタしていてちょうどちょっと孤立してしまっているタイミングで、最悪にも修学旅行がやって来る。少し前までは仲間内で修学旅行中にやりたいことなんかをワイワイ話し合って期待に胸を膨らませていたのだけれど、今はただただ行きたくなかった。一人ぼっちの修学旅行ほどむなしいものはない。そんなものに参加するぐらいなら俺一人で補習とかの方が遥かにマシだった。だって、何をすればいい? 誰といればいい? 夜のホテルの部屋とかもマジでやることがない。やることがない以前に居場所がない。俺は修学旅行で、自分がいかに孤独かだけを学んで帰らなければならないのか? 中学校生活最大のイベントが最低のトラウマになりそうだった。


 しかし幸いにも……いや、そんな言葉じゃ表しきれないほどだが、思いがけず超幸福なことに、俺はかろうじて一人ぼっちの修学旅行を過ごさずに済みそうだった。


 クラスメイトに冴原悠希という女子がいて、そいつは俺達の学年の中でもっとも勢力のあるきらびやかなグループのメンバーなのだが、三年一組には他にそのメンバーがいないため、メチャクチャ浮いていた。他の女子もそのキラキラグループのメンバーである冴原には声をかけづらい、かけることができないようで、冴原の方もプライドがあるのかなんなのか、他の女子グループには混ざろうとしなかった。


 他の女子に媚びるくらいだったら無関係の男子の方がまだマシだと判断したのか、冴原は目的地行きの特急に乗り込む際、「木田くん」と声をかけてくる。

「隣の席座らん?」


 二組と三組はなぜか次の特急に乗るため、電車内で冴原が他のメンバーと合流することはできないのだ。たぶん、一台の特急で学年全員分の座席を確保できなかったんだと思う。それで分散して移動することになったんだろう。どうせクラスごとに観光スケジュールが微妙に違うので、移動時にバラバラになっても不自由はしない。それより驚くべきなのは、冴原が俺のぼっちを把握していたことだ。よく見ている。そんな、男子間のいざこざなんて女子にはわからないはずだろうに、気付いたのだ。察したのだ。あるいは、冴原のグループのメンバーにはヤンチャな男子も何人かいるのだが、そいつらが情報をキャッチしていて冴原に流したのかもしれない。


 俺はクラスメイトが唖然として見守る中、冴原と特急の座席に並んで座る。もちろん俺の仲間だった奴らも驚きを隠せていない。どうだ。俺は冴原悠希みたいなメチャクチャ格が高い女子と修学旅行を楽しむんだぜ?頭が高い!今さら俺のところへ来ても冴原は分けてやらないぞ!と内心思うけど、俺も俺でびっくりしている。まあ俺は孤立していたから声もかけやすかっただろうけれど、俺でいいの?と思ってしまう。俺なんかと二人でいたら、冴原の冴原としての価値が下がってしまう気がする。でも冴原的には、他の女子グループに紛れ込んだり一人ぼっちでいるよりも価値の下落を抑えられると考えたんだろう。そうだ、一人ぼっち。一人ぼっちは本気で惨めだからな。本気で悲しい。たしかに、仲間が誰もいないのだという恥を晒すくらいなら誰でもいいから適当な奴と連れ立っていた方が面目を保てるのかな。


 座席に着くや否や、冴原がカバンからお菓子を取り出して俺にくれる。チョコレート。

「はい、食べるやろ?」


 受けとる。

「ありがとう」


「んふふ」とチョコを食べつつ笑いながら、冴原は窓の外を見遣る。


 俺の方もぼっち旅を回避できてラッキーなんだけど、旅仲間が冴原悠希だという点で自然と警戒してしまう。ヤンチャなグループの女子なのだ。何を考えているかわからない。他の中学校のヤンキーと抗争をおっ始めたという噂も聞く。女子なのに殴る蹴るのケンカもやってしまうのだ。


 けれど、冴原の顔は綺麗なもんだった。ケンカで出来たような傷もないし、なんならニキビとかそういう類いのものすらなくてツヤツヤの焼き物みたいだった。すごい。女子の横顔なんてまじまじと見つめるのは初めてだけど、やっぱり女子って男子とは違う。当たり前だけども。普通に可愛いと思ってしまう。まあそれは冴原の横顔だからってのもあるんだろうが。勢力のあるグループには可愛い子が多い。


 ぼーっとしていると、「ん」と言われる。

「どしたんや? もう電車酔い? まだ走り出しとらんけど。あはは」


「はは」と俺も笑っておく。

「いや、違くて……えっと、冴原さんって俺と喋ったことほぼないよね?」


「ないよね。あは。やから修学旅行ではいっぱい喋ろうさ」


「え、あ、うん……」

 なんかコミュニケーション力高そうだなと思う。俺は逆におどおどしてしまうよ。


「なにい? 緊張しとる? 可愛いぜ?木田くん」


「いや、緊張っていうか……」

 なんだろう。顔は綺麗だしヤンキーだしほぼ初対面みたいな感じだし、俺はどういうスタンスでいればいいのか決めかねているのだ。


「なんか変なこと考えとるやろ?」

 冗談っぽくジトッと見られる。

「でも、木田くんが考えとるよりもあたしは普通の女子やから。ホントに普通の女子や。やから恐がらんといて」


 別に本心を見抜かれたというわけでもないのに俺はドキリとする。

「恐がってなんて、ないよ」


「ほんならよかったあ」


 冴原は安心したふうに脱力する。顔が俺の方に傾いてくる。スカートから伸びる足をパタパタさせている。足も綺麗。なんというか、ただ細いだけじゃなくて、太股から足先にかけて、ほどよい肉を纏いながらも徐々に細くなっていく感じが美しい。ガリガリなのともポッチャリなのとも違う。


 あれ? これ、俺マジですごいんじゃない?と改めて思う。学年で格もある可愛い女子と二人きりで修学旅行って、なんだかんだで天は人を見離さない。中学三年生、十四歳にして、俺にとうとう何かが起きるかもしれない。そんな期待感と共に特急が走り出したのだが、今の今まで特急はまだ走り出してすらいなかったのだ。それでここまでのドキドキ感、ワクワク感って、この修学旅行、逆の意味で精神が持たないかもしれない。


 特急に揺られながら冴原が訊いてくる。

「木田くんて、高校どうするん?」


「え、行くよ」と俺は返す。


「あは。行くのはわかっとるよ。あ、あー、あたしが高校行けんと思って、あたしのレベルに合わせて言ったんか?」


「いやいや、違うって」

 でもたしかに、それはあるか? 言われてみると、冴原は高校なんて行きそうにないような雰囲気もある。それを無意識で感じていて『俺は行くよ』と答えたってのはありえるかもしれない。


「どこの高校狙い?」


「うーん……できたら桃岡かなあ」

 普通の進学校。中の上レベルくらいか。


「あー、いいやんね、桃岡。あたしも桃岡、行けたら行きたいんやけどなあ」


「へえ……けっこう成績いいんやね、冴原さん」


「またバカにしたやろー」と言われる。

「あたしのこと頭悪いって思っとるよね?」


「いや、桃岡はそこそこ成績ないと行けんし、冴原さんも成績優秀なんやろうなあと思っただけやって」

 それはさすがに嘘だったが。


「まああたしはバカやけどな実際」

 開きなおる冴原。

「二年の期末の数学も、八点やったしね」


 マジかよ。

 俺は顔に出さず「苦手科目でも五十点ぐらいあるといいかもね」と言っておく。


「やー無理。まあ桃岡は家から近いさけ、通えたらいいなーっていうぐらいなんやけど」


「そうやね。婿鵜からは一番近い高校やもんね」


「あたしには、案山子高校がお似合いかな。あそこもまあまあ近いしな」


「冴原さんは大学行くつもりなん?」


「え、なんで?」


「いや、志望校が進学校ばっかりやから」

 案山子高校は正直いろいろと微妙だが、少なくとも実業系の学校じゃない。


「ああ……わからん。大学なんて考えたことなかったけど、あたしでも入れる大学ってあるんけ? 就職するんやったら違う高校にした方がいい?」


 冴原はあんまり何もわかっていないようで口をぽかーんと開けながら俺に質問してくる。ちょっとバカっぽい表情。でもそれも、冴原が浮かべていると妙に様になって可愛い。


「工業高校とか商業高校やったら卒業後に全員絶対ではないやろうけど、就職させてもらえるようになっとるはずやよ。その高校と繋がりのある企業は調べといた方がいいと思うけど」


「ふうん。木田くんは大学?」


「俺は大学……やけど、何学部に入りたいかとか将来なにがしたいかとかは、俺も全然決まっとらんよ」


 大学進学だって、そうした方がいいような気がするし、親も勧めてくるし、一応そう決めているだけだ。俺も冴原とそんなに変わらない。大学に行くことを決めてしまうことで、その先の未来への思案をとりあえず誤魔化しているだけだ。


「あたしも大学行こうかなあ」


「うん。そう思うんならそれでいいんじゃない? 大学にもいろんなランクがあるし。冴原さんが行ける大学もあると思うよ」


「あ、やっぱあたしのことバカやと思っとるー」


「あ」

 やべ。素で口走ってた。

「あ、いや、それに短大とか専門学校とかもあるし」


「それフォローになっとらんから」って言いながらも冴原は笑っていて楽しそうだ。


 たしかに、イメージよりも普通の子だな、と思った。でもやっぱり言い知れぬオーラみたいなものはあって、ただ可愛いからそう感じるだけなのかもしれないけど、なんだか特別に見えることに変わりはない。


 俺は冴原を笑わせている。ボケて笑いを取っているのではないけど、冴原が楽しそうにしてくれているのはなんとなくわかる。今まで男子と、それからごく少数の女子と言葉を交わしてきたけれど、俺の言葉でこんなに楽しそうにしてくれた相手はいただろうか? 俺は冴原と波長が合っているのかもしれない、と嬉しくなってくる。冴原も絶対に感じているはずだ。もしかしたら、前々から俺と話してみたくて、この修学旅行に乗じたって線もありえなくはないかもしれない。おいおい。いや、ここは冷静になろう。舞い上がっちゃいけない。


 特急が鷹座駅に到着し、ここからはバスでの移動。バスの座席も俺と冴原は隣同士。これはもう優越感。並んで座っていれば肩もぶつかるし、髪の毛の香りだって漂ってくる。俺はちょっと変わったことがあるとドキドキしてしまって大変なのだが、冴原は余裕っぽくてニコニコ明るく笑うばかりだ。まぶしい。こんな太陽に出会えたんだから、仲間外れ上等。俺はより大切なものを手に入れたよ。ってところで俺は冴原の好きな人が気になりだす。冴原にも好きな人はいるはず。ちなみに俺にはいなかった。可愛いなと思ったり、いい感じだなと思ったりする、いわゆる『気になる人』は何人かいたけれど、好きとなるとまた違った。それにその『気になる人』だって、自分の手が届く範囲のランク帯の女子から選出したにすぎないので、何が言いたいかというと、冴原悠希っていう選択肢が昨日以前の俺には一切なかったのだった。冴原悠希なんて自分とは関わりのない存在だと見なしていたから、そもそも評価すらしていなかった。無論、手が届きかねないとなると、現金な俺は意見を変える。一日どころか半日足らずで安直だとは思うけど、俺は冴原悠希を好きになってしまう。可愛いし人当たりもいい。女子全般のイメージって、なんとなく、男子に対してそんなにたくさん喋ってくるって感じじゃない。だからいっしょにいてもつまらなそうだなーと思うのだが、冴原は自分のグループに男子も含んでいるだけあって俺にさえ愛想がいい。いっしょにいて楽しい。でも、だからこそ冴原はグループ内の男子に片想いしているのかもしれない、と俺は危機感を強くする。探りたい。そして俺にチャンスがあるのかどうかも見極めたい。


 鷹座の有名な広い庭に到着して散策していると、タイムリーにも「木田くんって好きな人おるん?」と冴原が訊いてくる。


 俺はバッと顔を上げて冴原を見る。タイムリーだがいきなりすぎて焦る。俺の内心がなんらかの動作に表れていて悟られてしまったんじゃないかと不安になる。このタイミングで好きな人か。庭の見学なんてやってられないよな。辺りを見回すとたしかに誰も芸術的な庭なんて見ておらず、ただただ談笑している。学校の休み時間を別の場所で取っているだけに思えてくる。


 どう答えようか考えて、でも修学旅行の解放感になんとなく押される形で「おるよ」と俺は言っている。それは冴原だよっていう感じと、それは冴原じゃないよっていう感じ、両方を醸し出しつつ。どう届いているだろう?


 わからない。冴原は「誰や?」とストレートに回答を要求する。すんなり訊けちゃうところが冴原らしい。


「それは教えれんよ」

 修学旅行で解放されていたとしてもそこまで口は緩くならない。


「そりゃそうやよな」


『そりゃそうやよな』が、『そんな大事なこと簡単に言えないよね』という意味なのか、『あたしのこと好きなんだから教えられなくて当然だよね』という意味なのか、判断できない。俺、興奮しすぎて深読みしすぎてる?


 とりあえず冴原の攻めから逃れるべく、お決まりの返しをしておく。

「冴原さんはおるん?」


「あたしかあ?」

 訊き返されることはないと思っていたのか、冴原は少し虚を衝かれたような反応をする。

「うーーん……おる、かなあ……?」


「…………」


 曖昧な答えだ。俺はまた自分にとって都合の良い読みをする。『今日できたばかりだから、それをはっきり好きな人だと言っていいのかな』。でもありえそうだ。だって、もともといるんだったら、別に『いる』とだけ答えればいいんだから。


「難しいわんね。木田くんは自分と違う次元で生きとる人を好きになったら、どうするう? 振り向かせようとする? あきらめる?」


「違う次元?」

 なに?それ。


「例えね、例え」


「よおわからんけど、俺は振り向かせたいと思うと思うよ」


「違う次元やから、好きの基準も全然違うかもしれん。そもそも好きなんてないかもしれん。それでもやるう?」


「やるよ」


 あ、これって、グループの勢力の格差のこと? 『次元が違う』って。まったく別のグループの中で生きてきて、見えている世界がお互いに異なってるってことの例え? だとしたら俺がここで前向きに言い放ったのは間違いじゃないはず。


「ふうん。ほっか」とだけ冴原は言う。


『やるよ』って言っといて、俺はやるんだろうか? 冴原に告白? やるなら修学旅行中しかない。修学旅行が終わったらいよいよ受験シーズン到来って感じで恋愛なんてやりづらくて仕方なくなってしまうし。この解放感を利用するしかない。でも、いつ仕掛ける? 一番いいのは、今、二人きりで散策できているこの瞬間だ。だけどムードがないし空気読めてないっぽくなってしまう。かといって、夜は会えるかわからない。男女の部屋はフロア単位で分けられて、加えて『行き来しないように』とあらかじめ注意されてしまっている。そこまで言うってことは実際に行き来を厳重に封じるつもりがあるってことだとも思う。どうしたもんか。いま告白して付き合えれば、修学旅行の残りの日程を恋人同士で消化できちゃうということにもなる。それは魅力的だ。


 いろいろ考えているけど、できない。全然勇気が湧かないし、声もかすれる。自分が告白している場面をまったく想像できない。人間は想像可能なものは百パーセント創造可能だと言われているが、しかし想像できないことは実行できない。知らんけど。とにかく俺は『冴原悠希に告白する』というプログラムを母親の腹の中に忘れてきたかのように無力だった。


 冴原との散策や移動は楽しかったけれど、けっきょく告白のチャンスを見出だすことはできず、一日目のホテルに到着してしまう。ここで初めて二組や三組と合流する。寝泊まりするフロアは、男子が二階で女子が四階とのことだった。ここではもうクラスは関係なく、男子と女子で分けられてしまう。部屋自体はクラスごとに分配されるけれど。


 さすがにホテル内で冴原といっしょにいるのは難しそうだ。消灯まではロビーなどで会うこともできるが、寝るときは別々になる。まあいっしょに寝るとなったらそれはそれで、ちょっとどうなってしまうかわかったもんじゃないが。


 冴原が他クラスの仲良しメンバーを見つける。

「お、いたいた」


「友達かあ」と俺。


「うん。ちょっと行ってくるわ」


「おう。いってらっしゃい」


 駆けていく冴原を見送る俺。ヤンチャそうな奴らの輪の中に飛び込んでいく冴原。あんな派手そうなグループの女子を彼女にしたくはないなあ、と普通だったら思うところなんだけど、冴原のいいところをたくさん知ってしまった今となっては、例え交友関係が派手でも付き合いたいと思ってしまう。冴原だけが欲しい。別に冴原の友人まで必ずついてくるというわけでもないので、付き合うことになってもなんとかなるはずだ。


 先生から部屋の鍵を受け取った奴らが順次、二階もしくは四階を目指し消えていく。ロビー内の人口が少しずつ減っていく。冴原と冴原のグループの奴らは……あれ? いない。ちょっと目を離した間に見失ってしまった。もう部屋へ行ってしまったのか? でも冴原は一組の女子の誰かといっしょな部屋に入らなくちゃいけないはずなので、あいつらに同行しても仕方がない。まあ先生にバレなければ別の部屋で一夜を明かすこともできなくはないが。いやいや、それよりだ。俺は? 冴原は俺がここで待っていることを忘れてしまったんだろうか? 俺のところに戻ってきても俺と同じ部屋へは行けないけれど、でもとりあえずいったんここで顔を合わせて、もうちょっと話して、夜どうするかとか明日どうするかとか、決めないと……あれ? マジで置いてかれた?


 でもよくよく考えたら、俺は『待つ』とは言ってないし、冴原も『戻ってくるから待ってて』とは言ってない。俺が勝手に、冴原はちょっと行って仲良しグループの奴らに挨拶して戻ってくる、と勘違いしているだけで、そうじゃないのかもしれない。冴原は戻ってくるつもりなどなく行ってしまっただけなのかもしれない。


 それでも俺は辛抱強く待つ。先生に「どうした?」と訊かれても「ちょっと友達を待ってるんです」と答えて頑なに待った。冴原は友人達に連れていかれて戻りづらい状況に陥っているだけかもしれないし、今日知った冴原の性格から察するに断りもなく俺を放置したりしないはずだ。俺は冴原を信用して待つ。


 来なかった。夕食の時間になってしまい、先生もさすがに「木田、そろそろ食堂行くぞ」と言い、俺を連れていく。先生といっしょに大広間の夕食会場へ行くと、そこにはもう冴原がいて、仲良しメンバーと普通に並んで座っていた。スプーンとフォークをチンチン鳴らして笑っていた。俺はびっくりするやら恥ずかしいやらでもう部屋に帰りたかったが、とりあえず気配を消して先生の隣で夕食を摂る。消え入りたかった。


 夕食後の自由時間にもロビーで冴原を待ったが、やっぱり冴原は来ない。これはもうダメだ、とかなり前から察しがついていたけれど、部屋に戻ってもハブられていて楽しくないので、ここで待機することにした。


 冴原にとって、俺は、時間を潰すためだけの相手だったのだ。仲間と合流してしまえば用済みで、顧みる価値もない奴だった。日中、俺と散策をして駄弁って笑っていた冴原は間違いなく冴原悠希だけど、今、俺の存在をすっかり忘れ去って仲間と騒いでいるであろう冴原も冴原悠希なのだ。どっちも冴原で、全部ひっくるめて冴原悠希なのだ。


 仲良しグループの輪の中で笑っていた冴原を思い返し、自分が全然場違いな登場人物だったことに気付く。冴原の物語に、俺は登場していなかった。たぶん、特急での移動からホテル到着までのエピソードは冴原の中ではないに等しいものだったんだろうと思う。暇潰し。描写する意味なし。


 俺は失望に塗れながら自分の部屋へ戻る。ロビー奥のトイレから冴原の声がかすかに聞こえたような気がしたけれど、今はもう逆に、冴原とは顔を合わせたくなかった。どんな顔をすればいいのか、っていうかどんな顔をしてしまうか自分でもわからない。


 翌日の散策はグループ別行動となり、選択によっては他クラスとも合流できるため、冴原が俺の前に現れることは端からなかった。いつものメンバーでバカ笑いしながら観光地を練り歩いているんだろう。


 途方に暮れて立ち尽くしていると、少し前まで友達だった男子がやって来て、俺に尋ねる。

「冴原とはもういいんか?」


 俺は「ああ、もういいんや」と答える。


「おめえが冴原と仲良くしだしたのにはびびったわ。もしかして昨晩、やった?冴原と」


「はは」

 反射的に笑わされてしまう。

「昨晩はロビーに一人でおったよ」


「ほうか」とそいつ。

「今日はいっしょに回るか? 昨日も声かけようと思ったのに、おめえ、冴原とベッタリやったさけな」


「あれは白昼夢みたいなもんやわ」


「は」と今度はそいつが短く笑う。

「……この間は悪かったわ」


「いや、俺も。ごめん」


 けっきょく、何事もなかったかのようにすべてがもとに戻る。俺と冴原の間には何も生まれなかったし、冴原はおなじみのグループ内でわちゃわちゃやっている。俺ももとのグループで以前のように当たり障りなく過ごす。


 あの一瞬の奇跡はなんだったんだろう?とときどき思う。ただ、振り返ってみても、肋骨の間を蛇がうねうね縫うみたいに泳いでいるかのようなうすら寒い感覚にしかならないため、俺はただただ目を閉じる。心を閉じる。あれは世界のバグだったんだと思うことにする。

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