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丸間友花.二

 自宅に遊びに来いと言われている。小学生の頃は男子の家だろうが女子の家だろうが構わずお邪魔したけれど、中学生になってからはもっぱら同性の家ばかりで、異性の家へ遊びに行くことはなくなっていた。中二にもなると、異性の家で何をして遊べばいいのかが逆にわからなくなってしまう。まあ俺が遊ぶ異性といえば丸間友花くらいのものなので、小学校時代の思い出を踏襲すれば間違いないだろう。


 部活が休みである日曜の午前九時に約束をしている。九時って早すぎて丸間家全体に迷惑がかからないのかなと心配になるが、この約束自体、週の頭に出た話だし、友花の家族も心積もりはできているんだろう。


 木田家を出て、少し歩き、丸間家のチャイムを鳴らす。同じ町内なのですぐに到着する。幼馴染みの中でもかなり近所な方だ、俺達は。


 だいぶ久しぶりだし、中学二年生にもなってしまっているのでかなり気恥ずかしかったのだが、昔と変わらない雰囲気で丸間のお母さんが出迎えてくれる。

「あら拓ちゃん。おはよう。いらっしゃい」


 俺は頭を下げる。「おはようございます」


「いつもありがとう。友花は二階の部屋におるさけ。友花の部屋、覚えとる?場所」


「はい、大丈夫です。お邪魔します」


 丸間家だと、俺は友花の部屋かトイレぐらいしか間取りを知らない。その記憶だけが鮮明なので位置を間違えることはないだろう。俺は靴を脱ぎ、上がらせていただく。すぐに階段があるので、上り、一番奥の部屋へ向かう。記憶が曖昧でも問題なかった。『友花』っていう表札がかかっている。これは小学校のときに図工で作ったヤツだったと思う。ウチにもある。俺の部屋にはかかっていないが。


 ノックをしても返事がないので、もうそのままドアを開けて中に入る。どうせそんなマナーなんて不要だろう。


 部屋にはベッドが置いてあり、そこで友花が居眠りしている。体操着みたいなシンプルなシャツにジャージ姿。こいつ、これ、パジャマじゃないのか? 俺は一応人様の家にお邪魔するからと服装にも気を遣ったというのに。すぐさま叩き起こしてやろうかなとも思うが、今の内に部屋のチェックをおこなう。パッと見、小学校時代の友花の部屋と変わりない。ベッドがあり、勉強机があり、タンスがあり、本棚があり、テレビがある。普通だ。昔はわけのわからないオモチャや漫画が床に散乱していたけれど、今日は片付いている。俺が来るから片付けたのか、中学生になったから床にばら撒いておくのはやめたのか。それから匂いは……これも俺の記憶が正しければ、昔はいかにも人んちっていう匂いがしていたけど、今日は何か違う香りがする。甘いまではいかないけども、もう少し成分を強めたら甘ったるくなりそうな、そんなほのかな香りが漂っている、気がする。


 それから……とさらに部屋を見回そうとしていると、

「私は無視なん?」

 と声がする。目を向けると友花が起きていて、つまらなさそうに俺を眺めている。


「起きとったんかいや」嘘寝かよ。


「どんな反応するんかなと思って」


「部屋チェック終わったらベッドから引きずり落とすつもりやったわ。お前それパジャマじゃねえん?」


「部屋着や」

 友花がベッドを降りる。

「拓郎こそ、なんや?それ。中途半端にオシャレして……」


「うるせえわ」

 一応手持ちの中で一番まともな服装で来たんじゃ。吟味すんなや。

「……九時に約束したのにまだ寝とるんかと思ったわ。紛らわしい格好しやがって」


 友花はあまりにも自宅感、くつろぎ感の高い格好で、招かれた俺としては居心地が悪い。けれどまあ、出会い頭のやり取りで気持ちは少し上向きになれた。これから遊ぶぞ!という心持ちにはなれた。


 実は二日前に俺はフラれている。もちろん友花にじゃない。前々から気になる女子がいたので勇気を振りしぼって告白してみたのだが、ものの一瞬でお断りされてしまった。駆け引きも猶予もなく淡々と終わった。え、あ、そんな感じなんだ?すみませんという気持ちに俺の方がなるくらいだった。いや、付き合うことになったらこれからどんなことを話そうかな?何して遊ぼうかな?などと事前にメチャクチャシミュレーションしていただけに呆気なさすぎた。なんとなくいけそうという根拠のない膨張した自信もすぐさましぼんでしまった。だけどまあそんなもんだよな、と納得している俺もいる。告白なんて、フラれて当たり前だ。そんな、俺が気になっている女子が都合よく俺のことを気にしているはずない。俺だって、あまり知らない女子から告白されたらお断りしてしまうだろう。困ってしまう。


 はい。もういい。今日は遊ぶ。遊んで忘れる。俺は遊ぶ気満々だ。

「何するんや?」


「何したい?」と友花に反問される。


「いや、お前が呼んだんやろが」

 お前んちで何をするかを俺に決めさすな。

「なんかするつもりで呼んだんやろうが」


「ほしたらゲームするか」

 友花は膝立ちでテレビの前まで移動し、ラックからゲーム機を引っ張り出す。携帯ゲーム機じゃなくて据え置きのヤツ。


「最新のやん。お前そんなもんも持っとるんか。ゲーマーやん」


「ゲーマーじゃないい」


「オタクやん」


「失礼やなあ」

 自分に対して失礼なのかオタクに対して失礼なのか。

「ほら、やろうさ」


「俺、このゲーム機でやったことないしなあ」


「大丈夫や。そんなに変わらん」


 プレイするのは俺が小学校低学年のときから既にあるレースゲームの最新作。まあこれならわかる。勝手も同じだろう。でも、わざわざ最先端のゲーム機を買って、やるゲームが昔からあるどこか懐かしいタイトルとはな。


 とはいえ、グラフィックは進化していて迫力がある。進化しすぎていて画面が騒がしすぎるくらいだった。自分がどこを走っているのかも判然としない。慣れるまでに時間がかかりそうだったが、友花は当然慣れ親しんでいるため、余裕で俺を負かしてくる。くそ、友花なんて下手くそなイメージしかなかったのに、知らない内にそこそこやるようになりやがって。俺は中学に上がってからはあまりゲームをしなくなったけれど、友花はけっこうやっていそうな雰囲気だった。呼吸も少なにコントローラーを捌いている。


「なんか喋れや」

 と俺はゲーム外での妨害行為を始める。

「大会じゃねえんやぞ。友達と遊んどるんやから喋りながらせえや」


 友花が画面を見つめたまま「ゲームは真剣にやらないかんのや」と言う。


「ゲーマーやん」


「ゲーマーじゃないい」


「おっと、マシンが接触したー!」と実況ふうに言いながら俺は半身を友花にぶつける。画面の外の話である。小柄な友花は簡単に吹き飛ばされてコントローラーを取り零す。


「何するんやって」


「勝負はテレビ画面の中だけでおこなわれとるんじゃないんやぞ」


「よーしわかった。いいんやな?」


 友花はコントローラーを持ちなおし、マシンを再発進させつつも俺に体当たりしてくる。俺に密着したまま体を傾け体重をかけてくる。


「いい度胸やな、おめえぇ」


 友花ぐらい容易く跳ね返せる。俺は体重をかけてきている友花を真っ向から押しやるべく体を倒す。が、それを読んでいたのか、友花はすっとコントローラーを持ったまま立ち上がり俺をかわすと、勢い余って転がった俺にうつ伏せ気味のボディプレスをかけてくる。


「降参しねや、拓郎~」


「お前画面見てないやろ」


「拓郎がリタイアさえすれば私の勝ちなんや。画面見んでも、ここで拓郎潰せば私の勝ちや」


「お前なあ……」

 って最初に画面外の戦いを始めたのは俺だけど。それにしても友花が近い。顔の位置が近いし、体は……もう何がどうなっているのかわからないぐらいもつれている。そんな気がするくらいに俺達はぎゅうぎゅうになっている。


「降参しねや。ほら」

 友花が軽い体で圧してくる。


 軽量級の友花なんて一揺すりで逆転だが、男としてここは単純なパワーで押し返してはいけないと思い、別の方法を探る。探っていると、特に見たくもなかった友花の胸が目に入る。うつ伏せになっているので、シャツの襟元に空間が出来、そこから生の胸が見えてしまっているのだ。友花の胸なんて男子と変わらない平たさだけど、先端のぽちぽちだけが男子と少し違っていて妙に生々しい。俺は目を逸らすけれど、友花は気付いていないようで引き続きグイグイ圧迫してくる。胸も引き続きモロ見え。見たくないのに見てしまう俺も我ながら嫌で、何も気にしてないアピールをするべく、「お前、おっぱい見えとるんじゃ」とストレートに告げる。


 友花は目を丸くし、攻撃をやめ、「スケベ」と言う。


「スケベじゃねえわ。なんもスケベな気持ちにならんわ。チラチラ見せてきやがって。お前、ちゃんとブラジャー着けれや」


「ブラジャーなんて持っとらんわ」


「は?」なんでよ?


「胸ないやろが、私」


「あ、ははっ。そうか」

 膨らんでない胸にブラジャーはいらないのか。

「いやでもなんかあるやろ。胸見えんようにせえや」


「見ればいいやん」と友花が再度攻撃を仕掛けてくる。

「見たいんやろ?」


「見たくねえわ」

 巨乳なら話は別だが。友花程度の胸なら俺の体にもある。興味ない。友花なんて女子の内に入らない。

「服着れや」


「着とるよ。人を裸ん坊みたいに……」


「いや、なんかちゃんとした服着れや。そんなヨレヨレのシャツ着て友達を家に呼ぶなや」


「なんの服着ればいいんや」


「いちいち俺に訊くなや。好きな服着ればいいやん」


 友花は動きを止め、「わかった」と頷く。

「着替えるしこっち見んといて」


「それは見られたくないんか」

 胸はいいのにか?


「見たら殺すよ」


「見んて。はよ着替えれ」


 その間、俺はゲームを再開させて時間を潰す。とりあえずコントローラーを置いた友花に勝っておくか。


 衣擦れの音を聞きながらマシンを走らせていると友花が「もういいよ」と言う。


 見ると、真っ黒なフリフリのワンピースみたいなものに身を包んだ友花がベッドの上に立っている。俺は泡を吹きそうになる。なんか、漫画とかでときどき見かける可愛らしい服装……なのだが、実際に目の当たりにすると、しかも着用しているのが友花だと、なんだか壮絶だ。リアクションに困る。ツッコミ待ち?

「……次はどのコースで遊ぶう?」


 ゲームの世界に没頭しようとすると、「無視せんといてま」と叱られる。

「服。着たんやけど」


「うん、よかったわ。服着てくれて」


「いや、裸ん坊じゃないってば」

 友花は不愉快そうに頬を膨らませる。

「この服どうけ? 苦手?」


「…………」

 苦手?って言われると、「まあ別に。いいんじゃない?」と返してしまう俺がいる。


「可愛いやろ?」

 このリボンがどうだのレースがどうだのと解説しているが、俺の耳にはあまり入ってこない。情報を処理しきれない。


 せめてもの親切心で「そういうの好きなん?」と訊いてやる。


「うん」と友花は嬉しそうに頷く。

「可愛いやろ?」


「それはさっきも聞いたけど」


「ゴスロリっていうヤツや。私好きなんや」


「ふうん……」

 メッチャ意外。友花にこんな女子っぽい趣味があったなんて。同性とは遊ばず俺達男子にくっついてきてばかりいるから、ゲームみたいな、そういう趣味しかないものと思い込んでいた。

「……それ、高そうやな。そういうのどこで買うんや?」


「釜沢とかやな。県外へ買いに行くときもあるけど」


「うえ~~」

 友花のお母さん大変だな。

「オタクやな」


「オタクじゃないって」

 友花は少し品を作る。

「可愛いやろ?」


 何回訊くんだよ。何がなんでも可愛いって言わせたいみたいだった。まあなんだろう、友花は背も低いし体の線も細いし、やけに様になっているってのは間違いないかもしれない。ちょっと怖いというか不気味って感じもあるけど。

「……人形みたいやね」


「ほか」

 友花は俺の感想を気に入ったらしく「ありがとう」とはにかむ。


「…………」

 うーん、違和感。パジャマみたいな部屋着から一転ゴスロリだからな。頭がおかしくなりそう。

「……その格好でゲームするんか?」


「何する?」


「ちょっと疲れたし、いったん休憩にして漫画でも読むか」

 友達の家に来て漫画ってのも味気ないが、ゲームだって疲れるほどプレイできたので満足だ。


「私は何しとればいいん?」


「お前も漫画読めや」

 俺は本棚の物色を始める。少年漫画は知っているものばかりなので、ここでしか読めない少女漫画でも読むか。適当に。


「私はもう読んだのばっかりや」


「読み返すと新鮮かもしれんぞ」


「今は漫画って気分じゃないわ」


「ほしたら違うことするか?」

 俺は既に少女漫画を手に取っているが。


「いいよいいよ。漫画読みねや」


「ほうか。よーし。かたじけない」

 この自由な感じ、いいね。

「……やっぱり、よく知らん女子よりも友花の方がいいわ」


 付き合ったって、付き合ったあとのことをいちいち考えなければいけない相手なんて、面倒だよな。どうせ喋るか遊ぶかぐらいしかすることなんてないんだから、だったら友花で充分だ。友花の方が断然楽だ。服装は変だけど。でも、あの子だってもしかしたら俺が知らないだけで変な趣味を持っているかもしれない。


友花は耳聡く俺のつぶやきを聞いていて「何が?」と尋ねてくる。

「何の話?」


「あー?」

 言おうか一瞬迷うが、別に問題ないと判断して言う。

「先日、気になっとった女子にコクったけど、フラれた」


「はあ?」と友花は意外にも声を上げる。「誰?」


「いや、言ってもわからんやろ」


「わかるわ。誰」


「なんでわかると思うんじゃ。冴原っていう子や」


「え、へえー」

 可笑しそうなリアクション。

「拓郎には釣り合わんやろ」


「うっせえな。お前知っとるん?冴原のこと」


「知っとるわ。目立っとるし。綺麗やし」


「ふうん……」

 知ってるのか。友花は同性と仲良くしたがらないので、女子の顔と名前は一致していないものだと思っていたが。知っているのなら教えなければよかった。なんか恥ずかしい。情けない。


「拓郎とは住む世界が違う人や」


「ああ?」

 うるさいよ。告白するときに世界の住所なんか確認しないんだよ。恋ってそういうもんだろ? 知らないけど。


「ほんでフラれたし私と遊ぶことにしたんか?」


「や、今日の予定はフラれる前からあったさけ。別にそういうんじゃねえよ」


「え、ほしたらさー、もしもフラれんかったらどうなっとったん? 冴原さんと付き合うクセに私んちにも遊びに来るつもりやったん?」


「ほしたらお前との約束はキャンセルじゃ」


「は? 最低~」


 友花が思った以上に顔をしかめたので、「嘘や」と言う。

「お前は友達やん。冴原と付き合っとったって、別に遊んだって構わんやろ」


「私が冴原さんやったら嫌やな。彼氏が他の女と遊んどったら」


「別にいいって。お前女子枠じゃないやん」


「…………」


「『他の女』じゃなくって友達やし。平気やって」


「……まあ拓郎は冴原さんと付き合ってないけどね。フラれたし」


「うっさ」


「いけるかもしれんと思っとったのが逆にすごいわ。拓郎なんて相手にされんよ。向こうは拓郎の名前すら知らんだんじゃない?」


「…………」

 けっこう言うじゃんか。攻撃力が高すぎて俺は黙らされてしまう。でもたしかにその可能性はなくもない。俺は冴原とほとんど言葉を交わしたことがないにも関わらず、なぜか好きになり、なぜか行けそうな気になって告白したのだ。そして案の定、取りつく島もなくフラれたのだ。はは。もう女子なんてしばらくお腹いっぱいです。


 俺が気落ちしたのを見て取ったのか、「漫画読みねや」と友花が話を終わらせ漫画を勧めてくる。読もう。


 少女漫画。多くの少年漫画とは異なり、ストーリーは恋愛に寄っている。友花がこんなものを愛読するのが摩訶不思議だ。恋愛なんかに興味なさそうだし、男にも興味なさそうなのに。意味をわかって読んでいるんだろうか? 一度問い質してみたくなる。……うお、エロ。キスシーンだけでも居心地が悪くなってしまう俺なのに、そんな、胸を揉んだり首筋を舐めたりするシーンを見せられた日には、どんな顔して友花を見ればいいのかわからなくなってしまう。友花もこれを読んだんだよな? 少年漫画だとファンタジックに描かれる男女のシーンが、少女漫画だと完全にリアルだ。


 そうか、と俺は思う。女子と付き合うことになった場合、こういう、キスやハグみたいなものが二人の中に取り込まれることになるのか……と俺は今この瞬間ようやく気付く。ただ駄弁ったり遊んでいるだけじゃ恋人同士とは言えず、好きな相手とはスキンシップを取らなくちゃいけないのだ。わあ。キスの存在はもちろん知っていた。でもあまりに神秘的なイメージがあって、自分に当て嵌めることができないでいた。まあ、何度も言うけど、フラれた俺が悩まなくちゃいけない事柄ではないんだが。


 漫画に集中していると、不意に背後から「拓郎が好きそうなシーンや」と声がする。


 漫画に食い入りすぎていてビクッとなる。俺はあぐらを掻いて少女漫画を読んでおり、それを後ろから友花が覗き込んでいる。開かれているページでは、クールなイケメンが主人公の女子を押し倒している。


「全然好きじゃないわ」

 と俺は否定する。マジで。読んでいるだけで居たたまれなくなる。耐性なさすぎ?

「好きなのはお前やろ?」


 言い返してやったのに反応がない。首を捻って背後を見遣ると、友花は漫画じゃなく俺の方を見つめている。神妙な、何かを思い詰めているような、あるいは逆に一切なにも考えていないかのような、どうともいえない表情の友花に、俺も反応ができなくなる。そうしていると、友花の顔がふっと前に出てきて、俺がまばたきしている間に唇同士が触れ合う。お、お、え、なに? なんじゃいや!?と声を上げるつもりでいたのに、得体の知れない空気が俺を締めつけて身動きを許さない。友花が俺の正面に周り、両肩に手を置いて再びキスしてくる。唇がふわりと潰れる。でも俺の唇は薄くてそんなにふわふわしていない。だからこれは友花の唇だ。眼前でアップになっている友花の唇を凝視すると、さもありなんって感じでぷっくり膨らんでいる。唇の形状も人それぞれだ、と俺は学ぶともなく学ぶ。友花の唇は丸っこくてぷりっとしていて、それでいて硬そうではなくて、少し濡れているように光っていて……と観察することで平常心を取り戻そうとしていたら三度目のキスが来る。


 ようやく反射的に声が出る。

「お前は何がしたいんじゃいや」


 友花はどうしたいか答えず「拓郎もしたいやろ?」とだけ言う。


 俺は別にしたくない。友花なんかとキスして何が嬉しいんだ。友花なんて俺にとっては男友達と変わりない。と頭では思いながら、どう考えても男の持ち物じゃない可憐な唇の感触にクラクラしている。


 友花がじっと見つめてくる。睨まれているわけではないのだけど、俺はヘビを前にしたカエルのように固まってしまう。友花は何がしたいんだ? キス? いろいろ試したい? それとも俺をからかいたいのか? でも自分からキスしといて、それで俺をからかうだなんて、そんなのからかいとして成立してないよな? だとしたらやっぱり、漫画に影響されて大人ぶりたくなったのかもしれない。


 キスって友達同士でもオッケーなのか? 俺が好きな人とするはずだったファーストキスはあっさり友花に奪われてしまったんだけど、そういうのってそれほど重要じゃないんだろうか? けれど、こんなキスの何がいいんだろう。俺を苛むクラクラは、突然始まったこの展開に対する戸惑いや疑問なのかもしれない。この展開の価値がわからない……と俺は思いながらも友花にキスを一回、自分から返してしまう。練習だ。好きな人とするときに混乱してしまわないように練習しておこう、ということにする。


 友花は目を細めて、「拓郎、口開いて」と判然としない要求をしてくる。


「は?」


 と言うや否や、またもやキスされるが、今度は友花の舌が俺の口内に入ってくる。びっくりしすぎて口が開いたままになる。そうしていると、今の内にとばかりに友花の舌がせわしなく動いて、俺の歯や歯茎を舐め回す。なんか貧血になりそう。口の中って、唾液とかもあってぼんやり曖昧な感覚なのに、異物が入り込んできた瞬間に鋭敏になるよな。友花の舌の存在感に、俺の歯は一律で緊迫する。さらに無防備を晒していると、友花の舌が俺の舌を探り当てて接触してくる。あー、と思う。本当に、あーとしか思えない。これってなんなんだろう? この、舌と舌の触れ合い。これって変態的な何かなんだろうか? 異常なおこないなんだろうか?と不安になっていると、舌を抜いた友花が「大人のキスやよ」と教えてくる。


 これが噂の……とはならない。キスさえもファンタジーだった俺には大人のキスなんて禁断のエリアだ。キスには子供や大人があるらしい。


 友花ごときにいいようにされているのが悔しいのに、俺は一転攻勢には出られない。友花の気迫がすごすぎて、俺は声も出せない。知らない行為にびびっているのもある。もっとやりたいから黙って受け身でいる……ということはありえない。


 さっき漫画で見たように友花が俺の首筋を舐めながら服を脱がそうとしてきたときにはさすがに恐くなって「ちょう待ってや」と制止をかける。

「何をするんじゃいや」


「…………」

 友花は別に激しく動いてもいないのに息が荒い。

「嫌あ?拓郎」


 迷ったが、ストレートに「嫌や」と答えておく。


「でも拓郎も私のこと抱っこしとるやん」


 言われて見ると、たしかに俺の両腕は友花の腰辺りに回っているが、そんなのその辺りに回すしかなかったから回しただけで、意思が伴っていない。

「たまたまや」


「……キスしてもいいよ」


「いや、いい」


「拓郎もしたいやろ? なんでもしていいよ。友達やし大丈夫やって」


「やめようさ、友花」


 俺が諭すように言うと、それで友花は目が覚めたのか、徐々に紅潮していき、ぼわっと点火、赤面する。「ううう……最悪や」


「……お前は何がしたかったんやって」


「ごめん。忘れてや」

 友花はゴスロリのままベッドに潜り込んでしまう。

「ごめん。ごめん。ごめん」


「いや、別にいいんやけど……」


 ちょっと恐かったのは内緒だが、どう見ても俺の方が優勢になってきたので弱気は覆い隠す。なんか、友花の方がいろんな物事を知っていそうで、逆に俺はちょっと初心すぎる気がして、もしかすると俺はここでもうちょっと友花に応えるべきだったんじゃないのか?とわけもわからずそう思うのだが、無知なのでどうしようもない。なんというか、この世にはそういう流れのようなものがあって、今さっきの雰囲気は間違いなくそういう流れだったんだけど、俺が子供すぎたせいで上手く乗れなかったみたいな悔いが残る。いや、友花ともっとキスがしたかったとかじゃなくて、普通の男子だったら普通に流れに乗るところを、普通以下の田舎者だったから乗れなかったみたいな、及ばなさを感じているのだ。必然的にそうなるはずだったところを台無しにしてしまった感覚。わかるだろうか?


 ちなみに友花は恥じらい続けて一週間口を利いてくれなかったが、俺が「大丈夫やってそんなの気にすんなや俺は気にしとらんよ」と懸命にフォローし続けた甲斐あって、一週間を過ぎた辺りから再び次第に心を開いてくれ、少しずつではあるものの良好な関係へと修復していく兆しがある。やはり友花は友達で、友達には友達としての接し方がある。そして、これくらいの出来事で俺は友花を失いたくない。

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