冴原悠希.2
六時間目の授業を居眠りで過ごした冴原は帰りのガイダンスもそのまま眠り続け、机に広げた両腕に顔を埋めた体勢で放課後を迎える。ヒエラルキー上位の冴原は、居眠りごときではもう教師に注意されることすらない。俺としては教師にはしっかり職務をまっとうして冴原を叩き起こしてほしかった。冴原が起きていない授業はつまらない。
もはや学校へ授業を受けに来ているのか冴原と喋りに来ているのかわからないようなモチベーションだった。いや、わかるか。冴原と喋るために学校へ来て授業を受けているのだ。冴原に会いたい。しかし、勉強は嫌いなのに授業を受けることに対するモチベーションが高いなんていう変な生徒は俺くらいのもんだろう。授業中でないと冴原とは話せない。授業以外の時間を冴原は仲良しグループと過ごすからだ。俺はなんとかして、冴原の時間をもう少しだけ俺に割かせたい。もうちょっとだけ俺に意識を向けさせたい。わがままを言うならずっと俺といっしょにいてほしい。仲良しグループなんて脱退してフリーになってほしい。
これが『好き』だという感情だってことにはすぐ気付いた。わあ、これが、これがかあ……と感慨深くなる前に、俺は胸が苦しくなる。ああこれが『胸が苦しい』ってヤツね、と俺は今まで言葉としてしか知らなかった恋煩いを実感する。なんか胸の奥の触りようがないところに生暖かい重たい空気が溜まって、抜けることもなく少しずつ少しずつ膨張しているような感覚。ツラい。吐き出してしまいたい。でも吐き出し方がわからずモヤモヤしてしまう。好きなのだ。俺は、冴原悠希が。
ガイダンスを終えた担任が教室から出ていくと、生徒達もぼちぼち部活動へ向かう準備を始める。俺もそうしなければいけないが、もうしばらく冴原の寝顔を見ていたくて、席を立てない。冴原の顔は腕の枕に埋まっているけど、少しだけこちらに傾いていて、左目や左頬、唇の端なんかがちょっと見える。猫のような目を見開いて活き活きと喋っている冴原の方が好きだけど、普段はそんなにまじまじと見つめることなんてできないので、こうして目を閉じていてくれると助かる。可愛い。肩へと流れる艶やかな髪も綺麗。そして胸。ちょうど見える。眠っている冴原と机の引き出し部分に空間が出来ており、ちょうど冴原の胸部が見える。別に巨乳じゃない。でも膨らんでいて、膨らみがわかって、俺は女子の膨らみで人生初ドキドキをする。男子はおっぱいが好きっつって、別にすべての男子が好きなわけじゃねえよ決めつけんなやと思っていたけど、いや、好きな子のおっぱいが嫌いな男子はいないよ。何かわからないがいい。大きさとかじゃない。冴原が付けているそのおっぱいが愛しいのだ。冴原の持ち物であるそのおっぱいに惹かれるのだ。そんなことは冴原本人には力説できないけれど。蹴られる。でもひょっとしたら、グループのメンバーとはそういう少しエロい話もしたりするんだろうか? 遠慮なくなんでもかんでも言い合ったりするんだろうか? 羨ましい……というよりは悔しい。悔しいというよりは腹立たしい。逆恨みだけど、恋ってそういうもんな気がする。障害になりそうなものすべてが憎い。
このままずっと冴原を眺め続けて暗くなったら下校したい気分だけど、部活へ行かなければならない。冴原のことも起こさないといけない。いつまでも眠らせておくわけにはいかないだろう。それにいずれグループのメンバーが冴原を呼びに来るかもしれないし、それだったら俺が冴原を起こしてやりたい。と思っていると、冴原がうっすら目を開ける。小さく息を吐き、「んーー」と唸る。眠り姫が目を覚ました!と反射的に思ってしまうほど絵になる。俺は冴原に夢中で感情がいちいち大きくなりがちだ。
けれど、気持ちとは裏腹に「起きたか」と平坦に言ってみせる。
冴原はまだ眠たそうに目を細めている。「……メッチャ寝たわ。おはよ」
「おはよ」
辺りはしんとしていて、俺と冴原の声だけが響く。あれ? 見ると、教室内は捌けていて残っている生徒は俺達二人のみだった。え、けっこういいシチュエーションじゃね?
「やべ」
頭が働いてきたらしい冴原が急に声を漏らし顔を上げる。
「いま何時や?」
「あ? まだ全然……四時前や。ガイダンス終わったとこ。寝とったし知らんやろうけど」
と喋りながら俺は異様に鼓動が高鳴る。放課後の教室で二人きりになっている。なんかすごい。完全にイメージでしかないんだけど、なんか青春って感じがする。
俺が感じている空気感に反して、冴原は何やら焦っている。
「木田、ちょっといっしょに来てや」
「え、は? どこに?」唐突だな。
「えっと、トイレ……?」
なんで疑問形なんだよ。
「男女で連れションかいや。そんなことあるう?」
「あは」と笑うが冴原はなんだか忙しない。
「行こうさ、木田」
「や、ちょう待って」
俺はここから動きたくないんだけど。俺はもう少しだけこの青春感に浸っていたい。静かな教室で二人きりなんて滅多にない。どうせもうしばらくしたら誰か来てしまうに違いないんだし。俺と冴原以外の二年生全員が早くももう部活の方へ行ってしまったなんてありえない。残りわずかな奇跡を俺はここで味わっていたいよ。
でも冴原も冴原で教室を出たそう。
「ほら、行くよ、木田」と俺の手首を引っ張る。
「いや、もう少しだけここで話しとろうさ」
手首を掴まれたお返しに、俺も反対の手で冴原の手を握り制止をかける。
「あっちでも話せるやん……」
と言いながらも、俺の顔を見遣り、なんかあきらめたのか冴原はその場に屈む。俺は席に着いたまま微動だにせず、目の前で屈んだ冴原の手を握り続けている。
あれ?あれ?あれ?あれ?と思いながらも、見えない壁に背中を押されるように、俺は「好きなんやけど」と告白してしまっている。やっば。マジ?と自分でも思うんだけど、今を逃したら次はもうなさそうっていう強迫感が俺を急き立てている……なんて分析する間もなく俺は言ってしまっている。誰かの手が口の中に入ってきて、その言葉を引っ掴んで引っこ抜いていったみたいだった。
冴原はぼーっとしている。口が半開きになっている。
「へ……?」
聞こえていたとは思う。
「好きなんやけど。俺、冴原のこと」
「…………」
冴原は呆然としながらも、嬉しそうでもあり悲しそうでもあり憂鬱そうでもあり楽しそうでもある、得体の知れない表情を浮かべる。つまり、なに? ダメそう? いや、よく考えたらヒエラルキー最上位の女子に対して告白しているわけだからな。冴原はただの女子じゃない。俺なんかの気持ちに応えたら格が下がる。
「……好きって、どういう意味?」
こんな告白は不発に終わるだろうと悟りながらも俺は「付き合いたいっつー意味に決まっとるやん」と勢いのまま続行している。折れない。というか気分が舞い上がってわけがわからなくなっている。
どちらかというと現状、冴原の方が気弱に見える。
「本気なん?」
「本気や。こんな嘘つくかいや」
「……そうやな。ごめん」
「え、フラれた?」
「あは」と冴原が困り顔をする。
「ちゃうちゃう。そうじゃなくって……」
わざわざ本気かどうか確かめてごめんってことか。
「本気や。すごい好きやわ。本当に」
普段の会話じゃ絶対に言わないようなことをとんでもない熱量で言ってしまっている……と恥ずかしくなるが、冴原の顔が燃えるように赤くなってくれたおかげで自我を保つことができた。
「あ、う、う、あーー……」
冴原は悩ましげに呻いたあとで「うーーーん……」とまたひとしきり唸る。
いろんなことを考えているように見える。かなり迷っているみたいだ。
「えっと……返事は明日とかでもいいよ」
「あーー、いや」
冴原は俺の前で屈んだまま、俺の両手ともを握る。
「あたしも好きや」
「…………」
俺は何も言えない。静かに息を呑むばかりだ。だけど、次第に冴原の言葉が耳を通り抜け、脳に届く。心に響く。
「うおぉ……マジ?」
冴原がこくりと頷く。「マジや」
「やっべえ」
小声で静かにおののく。こんなことってあるのか? 初恋が一瞬で実ってしまった。あまりに上手くいきすぎて逆に冷静になる。だけどそんな冷静さは、あとからあとから込み上げてくる喜びですぐに霧散してしまう。
「え、本当になん? 嬉しすぎるんやけど」
冴原が顔を伏せる。「恥ずかしい」
「なんで冴原が恥ずかしがるんや」
「いや、なんかすごい……木田、あたしのこと好きなん?」
「メッチャ好きや」
言うの慣れてきた。冴原が恥じらっているからなおさらに。普段は強気なのに、こういう一面もあるわけね。
「恥ずかしがっとるのも可愛いわ。ますます好きになってもた」
「バカじゃねえんか、おめえ」
冴原が顔を上げるけど、相変わらず真っ赤で、少し涙目で、弱々しい。
「からかうなや」
「からかっとらんよ。本当なんや。全部」
冴原のどの面も好きなのだ。
主導権は俺にあるらしく、冴原はおろおろしっぱなしだ。こういうのも珍しい状況かもしれない。
「……あたしも好き」
「大好きや」
「あたしも大好き」
「本当にかあ?」
からかうなって言われるとちょっとからかいたい。
「授業中にしか喋ってくれんで、休み時間になるとはどっか行ってまうのにか?」
「それは……あたしにも人付き合いがあるんや」
「休み時間よりも授業が待ち遠しい奴なんてこの学校には俺しかおらんのじゃねえ?」
俺がおどけて笑うと、冴原も少し笑う。立ち上がり、俺の手を握ったまま、俺の唇にキスしてくる。え。びっくりして固まっている間に冴原の唇は離れてしまう。一瞬の接触。感触もあまりわからないまま、瞬く間に終わってしまった。しかもこの余韻から察するに、冴原の唇は俺の唇の中心を捉えていない。たぶん俺の唇の端くらいにキスしてきている。
消えゆくキスの感触を逃さないよう集中していると、冴原が俺から手を離す。
「帰ろうさ」
「え、あの、キス」と俺は我ながら判然としないことを言う。
「嫌やった?」
「や、全然。いいんやけど」
「ほしたらもう帰ろうさ」
「いや、俺、部活や」
「そやったな」と冴原は笑う。
「ほしたら部活行きねや。あたしは帰るさけ」
「あの、キス……」
「あはは。なんや? 恥ずかしいんやけど」
「もっかいだけ……」
「嫌やわ」
「…………」
「また今度な」
『また今度』。
「ってことは付き合ってくれるってこと?」
「えー、嫌や」
「…………」
「嘘やあ」
「……付き合える?」
「えるよ。好きやって言ったやん」
「……ありがとう?」
「ありがとうなんか? よろしくお願いしますとかじゃないん?」
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
お互いに頭を下げ合い、一息つく。「ふう」
「なんや?」と冴原。
もう既にカバンを掴み、廊下の方に足を向けている。
どっと疲れた。汗掻いた。でも「嬉しい」
「木田はいいんな、ホントに」
冴原は微笑む。細めた両目で俺を見つめる。
「可愛い」
「男子に『可愛い』は禁句です」
「ほんなこと言っても可愛いもんな。可愛い。好きや」
「…………」
俺が照れていると、今度こそ本当に冴原は帰ろうとする。
「あたし帰るな? また明日な」
「あ、夜、メールしてもいい?」
「いいよ」
で、奇跡的な二人の時間が終わり、俺と冴原は恋人同士になった。ただ、それで何かが変わるかというと、ほとんど何も変わらなかった。授業中に話す内容は付き合う前と同じような他愛もないものだし、相変わらず休み時間になると人付き合いをしに冴原は消えるし、恋人らしい甘い一時が生まれる気配もなかった。唯一の変化は、ときどき、冴原の気が向いたときに、人気のない場所でキスをしてもらえることぐらいか。しかし俺は現状には満足していない。恋人がするようなことをもっとしたい。デート……は部活があるし田舎だし中学生だしなかなか難しいけれど、なんとかキスより先に進みたい。キスの先? 具体的にはよくわからないんだけど、冴原を抱きしめたい。冴原の体をいろいろ触りたい。足とか胸とかお尻とか。冴原の裸も見たい。正直、一度冴原のお尻を触ろうとしたとき思いきり蹴られたので、以後、俺は恐ろしくて何も要求できずにいる。でも、とりあえずはそれでいいかなとも思う。冴原といっしょにいられるだけで、付き合っているという関係でいられるだけで、楽しいし嬉しい。この先時間はまだまだあるし、今までと違うことをするのはもう少しあとでも構わない。また奇跡的な時間が訪れて、俺達のステップアップを後押ししてくれるかもしれないし。それを待とう。
が、やって来るのは地獄の時間だ。ある日の昼休みにトイレへ行くと、ちょうど冴原のグループの男子一人とすれ違う。名前は知らないけれど冴原と親しいってことだけは知っている。しかしおそらく、向こうは俺のことなど知りもしないだろうからスルーさせてもらう。目も合わせず無言ですれ違う。
「木田く~ん」
思いがけず呼ばれた。俺の名前まで知っているとは。
「…………」
俺は冴原以外の上流階級には興味がない。黙って振り返る。
そいつの顔には笑みが浮かんでいるが、楽しそうとか嬉しそうとか、そういう感じじゃない。そういえば冴原は俺と付き合っていることを誰かに話したんだろうか? 俺は特に誰にも報告していないが、冴原はそういうわけにもいかないんじゃないか?
などと考えていると「木田くん、そろそろ悠希を返してくれんけ?」と言われる。
ユウキってなんだっけ?と一瞬思考停止するが、冴原のことじゃないか。『返す』ってどういうこと?
「は?」
ヒエラルキー最上位の相手に対して訝しげにして見せる俺。だって、これは間違いなくフレンドリーな接触じゃない。冴原に関連する俺へのなんらかの牽制だ。
「いい加減悠希のこと解放してやってくれや。木田くんがどういうつもりなんかは知らんけど、悠希の方は別に好きで付き合っとるわけじゃないさけ」
「は?」
さっきからそれしか言えない。俺は混乱している。そんなわけない。冴原は俺のことを好きだと言ってくれて、実際にキスもしてくれた。それが何回も何日も続いているんだから、明らかにこいつの発言の方が偽り、勘違いだ。でも逆に、だからこそ、的外れすぎるからこそ、何か深い意図が隠されていそうな気になる。
「悠希はおめえのことなんか好きじゃねえんやからさっさと別れろっつっとんじゃ!」
いきなり怒鳴りやがって。俺はビクッとなるが、それでようやくスイッチが入り言葉を返せるようになる。
「おめえに何がわかるんじゃいや。冴原が言うんやったらわかるけど。おめえは関係ねえやろが。引っ込んどれやボケ」
思いもよらない反撃だったのか、そいつは少したじろぐが、一呼吸置き、再びヘラヘラ笑う。
「悠希は罰ゲームでお前にコクっただけやぞ。お前が好きやからコクったわけじゃなくて、俺らに無理矢理コクらされただけなんじゃ。わかったか?ボケが」
「ああん?」
いや、告白したのは俺からだし、俺の告白に対して冴原はきちんと返事をしてくれたのだ。こいつの言っていることは事実と全然噛み合っていない。間違いだらけだ……と頭ではわかっていながらも言い合いがヒートアップしてきているから俺もだんだんと攻撃的になってくる。とりあえず殴るか!
っていうところで冴原が割って入ってくる。
「ちょうあんたら何しとるんやって!」
俺達の言い合いを目撃した誰かが呼びに行ったのかもしれない。
「ちょう冴原、友達の教育はしっかりしといてや」
「悠希、もうこんなのの相手せんくていいから、さっさと捨てて戻ってこいや。何しとるんじゃ」
冴原はまだ状況が掴めていないのか、「いや……はあ?」とあたふたしている。
俺はクソボケに言ってやる。
「おめえ、冴原のこと好きなんか?」
クソボケが虚勢の笑みを張りつけて返してくる。
「罰ゲームでコクられただけなのに調子ん乗っとるなや。勘違い野郎が」
バカが。何が罰ゲームだよ、と思っていると、冴原が「おめえ、木田にその話したんか?」とクソボケに対して声を荒らげる。
「なに言っとんじゃ。殺すぞ」
ん? え? なに? 冴原のそのリアクションから察するに、罰ゲームってのは実在するものなの? あ、この間のカラオケのときの? え、じゃあ冴原は罰ゲームで俺に告白してきたのか? いや、違うって。告白したのは俺の方だ。いやいや、でももしも冴原の『オッケー』が罰ゲームによって強制されたものだとしたら? え、もしかして、あのとき、本当は冴原の方から告白するつもりでいたけど、俺が先に告白したから罰ゲームが台無しになって、冴原はそれを避けるために、罰ゲームを遂行するために俺の告白にオッケーしてみせたのか? え、それならありえなくはないかも?
クソボケが冴原に言う。
「だって、お前がいつまでも罰ゲーム続けとるからいかんのやが。もう罰ゲームは終了でいいさけ、そんなカスみてえな奴はさっさと捨ててまえや」
俺は「カスはおめえじゃ。クソが」と口を挟むがクソボケにも冴原にも無視される。
冴原はクソボケをまっすぐ睨んだままだ。「おめえはなんでそんなこと言うんやって。いちいち口出してくんな」
冴原とクソボケは言い合いを続けるが、冴原が罰ゲームを否定することはない……ということは……。まあ、おかしな展開ではあったのだ。俺のような普通階級が冴原と付き合えるってのは。それじゃあ冴原の最上位としての面目が立たないというか、貴族がプラスチックの宝石の指輪をしているようなもんじゃないか。恥もいいところだ。
俺は二人に「わかったわかった。ごめん。俺が悪かったわ。俺が失せるってことで、俺に免じて全部チャラにしてや。ケンカせんといてや。ごめん」
と言い置き、トイレから離れる。そのまま階段を下り、一階へ行き、中庭に出て石段に座る。
くだらね~~。マジか。いっそ笑えてしまう、と思いながら俺は泣いてしまう。ダサすぎる。しかも上流階級に歯向かったから今日から俺は下等生物扱いだろう。最悪だ。すごいイジメられそう。しかも冴原本人からも嫌がらせを受けたりするのかもしれない。それはメチャクチャ心に効く。
中学校って退学できるのかどうかを考えていると、冴原が探しに来る。
「木田!」
座り込んでいる俺に冴原が抱きついてくる、というか、しがみついてくる。おお、初ハグ、と思うけど高揚感はもうない。
「なんじゃいや。もういいって」
「ごめん」
「いや、いいって。罰ゲームやったんやろう?」
「ええ? や、たしかに『木田にコクれ』っていう罰ゲームはあったけど、あんたからやが、コクったの」
「やから、俺に先にコクられて罰ゲームがおじゃんになってもうたさけ代わりに告白にオッケーしたんやろ?」
「いや、違うって」
「違わんやん。別に俺のこと好きじゃねえんやし」
「なんでやって。好きやって」
「…………」
信じたい。けど、疑心暗鬼になっている俺もいる。
「……罰ゲームのことも俺知らんだし」
「そんなんわざわざ木田に言うわけないやん」
「だいたい、じゃあ俺がコクらんだら冴原はあのとき俺にコクっとったんか?」
「…………」
冴原は少し考えるようにしてから「コクっとったんじゃないい?罰ゲームやったし」と答える。
「ほして俺がオーケーしたらどうするつもりやったん? 罰ゲームって、冴原の友達らがこっそり見とる前でするつもりやったんやろ?本当は」
「…………」
冴原はさっきより長い時間黙り、「わからん」とか細い声で言う。
「木田は断ると思っとったさけ……」
「まあいいわ」
何がいいのかわからないけど俺は区切る。
「とにかく、冴原がちゃんとしてくれんかったからあのクソボケが事情を知らんままに俺にちょっかいかけてきたんやな」
「ごめん」
「ううん、もういいよ」
俺は立ち上がる。冴原がちょっとくっついてきているけどやんわりと振り払う。
冴原がついてくる。「許してくれるう……?」
「別に最初から許さんなんて思ってないよ」
「……これからどうなるん?」
「何が」
「あたしらの関係」
「や、普通にもう終わりなんじゃないん? 俺はあんなクソボケに二度と絡まれたくないもん」
「あたしが絶対手出しさせんよ、そんなん」
「うん、できたらしつけといてほしいわ」
「あたしは木田のことホントに好きやよ」
俺はそのまま逃げるように中庭をあとにする。バカだ。俺バカすぎ、と思いながらも自分の一度発露してしまった感情を引っ込められず、なんか気取ったフリをしてしまう。っていうか拗ねてるだけだ、こんなの。罰ゲームのことを冴原が話してくれなかったから嫌な気分になって、仕返しをしているだけじゃないか。冴原は罰ゲームの話なんて取るに足らないと思ったから言わなかったんだろう。でも俺としてはそれを付き合い始めた直後に教えておいてもらいたかった。そうしたら、あんなクソボケから的外れなマウントを取られることもなかったのだ。あのとき、俺は普通に冴原を疑った。ああやっぱりそういう感じだったのかと思ってしまった。もうそれで致命傷だったのだ。でもだからって、いま冴原が嫌いになったかというと、なるわけない。好きに決まっている。好きだけど、好きな分だけ全然素直になれない。反発しまくってしまう。冴原なんてシカトして中庭に置き去りにしたいと思ってしまう。思ってしまいながらも、冴原には追いかけてきてほしいとも思ってしまう。
けっきょく冴原は追いかけてこず、午後からの授業中にも喋りかけてこず、夜にメールだけが届く。
『私の頭が回らなかったせいで傷つけてしまってごめんなさい。私も自分が憎いです。私としても、今のままでは木田くんといっしょにはいられないので、別れましょう。本当にごめんなさい』
俺は別れたくなかったけれど、そう主張する段階は既に過ぎ去っている。嫌な気分でヒートアップした余熱にも浮かされて、俺は返信すらしない。バカだなとしか思わない。