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砂選集2

作者: 青埜 漠

『五月の空』 


ああ 五月の空は

どこまでも明るく

葉に散る陽が

水晶のように輝いている


こんな日は

どこへも出かけずに

目を開けたまま

眠っていたい

時が滑らかな風になって

私の上を渡って行く


どこかで花が薫っている

遠く鳥が鳴いている

私には何もない

あの頃と同じ


寂しくはない

哀しくもない

私は砂のように

穏やかだ


きっと形さえ

光のうちに拡散し

ほんとうに生きているのかどうか

自分にもわからなくなる


ゆっくりと

痩せた昼の月が沈み

部屋の隅では

抜け落ちた

色のない羽が

軽やかに

ただ舞っている



『つるつる』


なめらかで

つるつるしたのが一番だ

あらゆる凹凸から

摩擦は生じるのだから


髭を剃り

髪を押さえ

クリームをすりこめ

色のない服を着て

平らな靴を履き

爪は丁寧に切りそろえろ

同じことを話し

一定の速度で歩き

決まった角度で頭を下げろ


そうすれば

何もかもが

滞りなく進行し

隙間なくおさまるのだ

そこでは

無様にぶつかることはない

不愉快な傷が残ることもない


世界は

つるつるした微笑みに充ち

人々は

つるつるした平和を享受する

そして

いろいろなものが

私たちのつるつるした表面を

あっという間に

滑り落ちていくのだ



『地球という水槽』


傘を差した所為で

平らに区切られた景色は

まるで水槽のようだ

木も草も

通り過ぎる車も人も

ぬるい水に浸かって

ゆるやかに揺れている


そう

私という存在は

たとえば

誰かが口ずさんでいた歌や

昨日見た花の色と

無関係ではありえない


たとえ

どうにも相容れず

とうに道を分かったとしても

そんなことは もう

忘れてしまったにしても

心には 確実に

淡い窪みが残っている


私たちは

そうした毎日の

見えるものと見えないもの

出会ったものと出会わなかったものによって

できているのだ


ならば

あなたと言い

私と言っても

そこに明確な境界など

ないのではなかろうか


私たちは皆

ぼんやりと開いている


そうとは気づかないまま

地球という水槽の中

入り混じり

溶け出し

いっしょくたになって

向こう側へ回転していく



『夏至の夜』


沸騰する夜

禁忌を解かれた

微小な虫が

濃密な闇を破って

無数に漂い始める

黒々と光るその前翅よ


整った微笑みの下にもぐり込み

礼節と深慮の結節を

ことごとく噛み切り

固く編み上げられた形式を

地へと落としてゆく

その羽の唸りよ


ああ すでに

髪は逆立ち

爪は伸び

黄色く尖った歯の

獣が目覚め始めている

見えない尾を

振り立てて

さあ!


大地を覆う

蔓を引きちぎり

草を踏みしだけ

渡る青臭い風の

拭えない湿潤の

そのなかに身を浸し

踊れ

折れるほど手を打ち鳴らせ

もう言葉は意味をなさない

思うまま

この短い自由を

歓び吠えろ



『水をください』


一杯の水を


希望と 打算と

 妬みと 恨みと

怒りと 甘えと

 沽券と 執着と

後悔と 諦めと

 保身と 犠牲と

復讐と 感謝と

 高揚と 憔悴と

蹂躙と 懐柔と

 義務と 責任と

怠惰と 努力と

 慢心と 卑下と

偽りと 信頼と

 集合と 分離と

媚びと 差別と

 創造と 破壊と


ギチギチに充満し  

組み上がった

この世界に

そのわずかな隙間に

どうか

一杯の清涼な水を


凍てついた雪が

春風に解け

灼熱の大地の下を

ゆっくりと潜り

やがて湧き出す月の泉

北斗の柄杓で

そっと汲んで


何一つ

誰一人

欠けては成り立たない

堅牢な石垣のこの世界に

どうか

甘露な

水を一杯



『サモトラケのニケ』


振り返るな

怯えるな

なくしちゃいない

忘れてもない

君は何も失わない


これまでの何もかも全部

選んだものと

選ばなかったもの

変わったものと

変わらなかったもののすべてが

君を作ったのだ

君がそこにいるならば

それが証拠だ

全ては君の内にある


だから

誰もがそこに

広げた腕を見る

伸びやかな白い腕を見る

冷たく澄んだ瞳を

柔らかく編み上げた髪を

金色に飛び散る光を

硬く引き結んだ唇の

熟れた実の赤色を見る


風が吹いている

波が足元を洗う

乾いた日が肌を焼く

そして君は

首を上げる

羽ばたいて

まっすぐに

空と

海の

青のただなか



『オレンジな君』


オレンジを食べる君


世界は重いって

思ってる

つまらなそうに

オレンジをつまむ

どうしてこんなに

めんどくさいんだって

芳しい

溜息をつく


ほんとに

君ときたら

全身が

その果肉のように

ぷるぷるした可能性で

できてるってのに

太陽の色に

輝いてるってのに


そんなこと

ちっとも気づかずに

不安げに

窓の外を見やり

またオレンジを

口に入れる


君には

命がとほうもなく

長いんだろう

でもって

どうしようもなく

遠いんだろう


弾ける果汁を

宿題のように飲み下し

だから

おいしいとも感じないで

満たされることもなくて

なんか

すっぱかったって顔をして

汚れた指を舐めている


ああまったく

とびっきり

オレンジな君



『愛するということ』


知らなかった

愛というのは花なのだ


与えるものでも

求めるものでもなく

まして

争ったり

量ったり

することでもない

私の内側でゆっくりと育ち

ある時ふと咲くものなのだ


それは高い空に懸かる

月の光を集めたような

静かな花だ

露を纏い

柔らかく辺りを照らす


私は跪き

いつしか涙を流している

花の前で満たされている


この世界に

自分より大切なものがある

という幸福


ああ

これこそが

ずっと探していたもの

嘆き

諦め

否定したもの


私が生まれた意味だったのだ

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