番蝶サクラ
妖精の個人データの中に妙な項目があることには気付いていた。肉体の鮮度。成長期待値。出荷予定時期。全ての情報をつなげると、ここは、妖精保護区ではなく妖精養殖工場。
心が折られる。頭が真っ白になる。自分を支える何もかもが失われたような感覚。マフィアがヤバい、国が腐っている、これならまだ耐えられた。元より悪だと思っていたし期待していないからだ。だが、番蝶サクラとなると話は変わってくる。彼女は妖精アイドルだ。アイドルとして皆の幸せを願い、コンサートでは喜ばせ、慈善活動にも積極的。人と妖精の友好を願い、誰からも好かれるように振舞っていた。単にやさしいだけでなく、時には妖精のみの社会を望む保守層から「裏切り者」と呼ばれ命を狙われることもあったが、脅しに負けず友好を願い続ける芯の強さもあった。多くの人は、力を自慢し、持たざる者をイジメ、あざ笑うのに。人より強い妖精はそのようなことをしない。人ではないからこそ持ちえる真に優しい心。本物のヒーロー。本物のアイドル。そう信じていた。彼女はユースケにとって希望だったのだ。彼女ならきっと世界をよくしてくれると信じていた。だからこそ物欲のないユースケは稼いだ金を全て彼女につぎ込んでいた。彼女が世界を変えていく、その助けに自分がなれるという矮小な喜びを噛み締めながら。だが、それは幻想だった。番蝶サクラの正体は我欲で妖精を食らう悪魔。コンサートでの姿は、虚構だったのだ。
ハッとするユースケ。そう言えばネットで番蝶サクラを貶す書き込みを見たことがある。「サクラは妖精を食ってる」だの「やつの正体はいかれた殺人者」だの。荒らしの戯言だと思っていた。陰謀論だと思っていた。だが、やつらは事実を知っていたのか。つながっていくピースとピース。案外サクラの正体に気付き戦っている人は多いのかもしれない。そう言えば、サクラを「裏切り者と」呼び戦う妖精の中に、元々人間との友好を願っていた者達もいた。実は友好を願うからこそ妖精を殺すサクラを裏切り者と呼んでいたのだろうか。となると、自分はサクラを支援することで、真に勇敢な彼等を邪魔していたことに。何ということだ。
押し寄せる絶望と罪悪感。思考が纏まらない。動くことができない。荒い息と心臓の鼓動だけが妙に大きく聞こえる。
ユースケはふとんにくるまりまぶたを下ろす。夢であってくれ。目覚めたら家の中で、全て元通りになってくれ。空しい妄念に一縷の望みを託す。だが、眠れない。興奮し切った頭はユースケに休息を許さない。そして何時間も過ぎていく。
「ユーちゃんおはよー。起きてるぅー?」
とうとう達也が帰ってきてしまった。いつもの軽い口調。これもまたユースケを油断させ利用し食らい尽くすための手段だったのだろうか。何もかもが剥き出しの敵意に見えてしまう。
「す、すみません。昨日徹夜で頑張ったもので、今日は仕事できないかもしれません」
「あっ、そうなんだ。お疲れだねー」
実際は寝ればまた動ける。だが、極大の悪意に晒されてもう仕事をしたくない。悪の手伝いはできない。だが、自分が悪事に気付いたとバレたら殺されるだろう。自分の真意を隠したまま、仕事をしないまま、この島から抜け出す。その方法を考えなければならない。
「で、どこまで進んだの?」
「プログラムは全部確認しました。おかしい所はありませんでした」
これは本当だ。ディープラーニングは正常に機能していた。
「早っ。優秀だねえユーちゃん。じゃあやっぱ機械がダメなのかな」
「そうかもしれません」
これは本音ではない。きっと機械も正しく動いている。問題はおそらく、妖精の中で起こっている。彼等は不思議な力を持っている。人間の敵意、養殖工場という場所で訪れる絶望の未来を予知しているのかもしれない。
「オーケー。そんじゃあ今日はぐっすり寝てさ、明日から機械の動きを全部チェックしてくれないかな。壊れていたら機械屋を呼ぶから」
「分かりました」
この監視室には物置部屋がついている。そこはユースケの寝室として宛がわれている。朝になると興奮していた頭もさすがに冷めてくる。途端に疲労が襲ってきる。ユースケは、物置部屋で横になると、ぐっすりと眠りについた。
達也は、そんなユースケを眺め、寂しそうに目を細める。が、次には何かを思いついたような笑顔になり、携帯を手に取った。
「あ、サクラ? ちょっと頼みがあってさあ」
達也は楽しそうに話をしながら部屋から出て行く。その姿を、天井の通気口から眺める何かがいた。小型の妖精だった。
ユースケの意識が浮上する。顔に柔らかいものが当たっている。記憶の彼方の懐かしい感覚。赤子の頃、母に抱かれていた時以来の肉感。
「ん? なんだこれ……」
目の前に大きな双房。まさかとは思うがアレか? 女性のアレか? まずいなあ、精神的ダメージが大きすぎて幻覚を見るようになってしまったのかもしれない。
「あら? 起きましたか?」
しかもだ。この声、寝起きの自分を覗くこの顔。番蝶サクラのものだ。かつて一番恋焦がれた顔、今は一番見たくないはずの顔。体勢的には、自分は番蝶サクラに膝枕されている。そして胸が自分の顔についたり離れたり。。
「よりによってこんな夢を見るとは。僕の頭、どうなってんだろう」
二度寝することに決めるユースケ。しかし、胸の感覚はしっかり記憶して置こうとか、邪念が混じる。
そこへ、笑い声が聞こえてくる。
「ぷぷぷぷぷ、もう我慢できない! ユーちゃんさいっこーっう!」
達也の爆笑する声。チャッチャラー、という音楽。ドッキリの定番。まさか、という思いで目を開けるユースケ。
「ま、ままままさか! ドッキリだったの!」
「ドッキリだいせいこーう!」
ドッキリ大成功の看板を持つ達也。反対の手には撮影するためのカメラ。動画投稿用の撮影なのだろうか。
「タ、タッツー! 動画はまずいって! ファンの人に知られたら、僕、殺されちゃう!」
「大丈夫大丈夫、ちゃんとモザイクかけるから」
そういう問題なのだろうか。よく分からない。
「ああーっ! くっそー! 本物のサクラさんならもっと堪能しとくんだったー!」
偽らざる思いである。自分が番蝶サクラの容姿を好んでいるという事実は変わらないのである。
「おっ、ユーちゃんそんなこと言っちゃうのー? ムッツリだったんだね!」
「いやいや、ムッツリじゃないでしょ! ファンクラブに入って、サクラさんが好きだってちゃんと言ってるじゃないですか!」
「うーん、それもそうなのかなあ?」
軽い調子で言う達也。昨日よりも笑い方が朗らかな気がする。あの妖精の食事の動画もひょっとしたらドッキリなのだろうか。仕込みにしては大掛かり過ぎる気がするが、そうであって欲しい。この場で確かめるのは恐くてできない。確かめない場合でも、下手な演技は命取りになる。今は達也のことを信じる。そして、仮初の友人との一時を楽しもう。
「実は前からサクラさんはこの施設を視察したいって言ってたんだ。だけど最近妖精達の具合がよくなくてね。でもさ、どうせならユーちゃんのいるうちにって思って、無理言って来てもらったんだ」
「そ、そうだったんだ。ありがとう達也さん」
達也は目を細めて首を振る。
「あ、ありがとうタッツー!」
「ふふっ。これくらい何てことはないさ! 俺達友達でしょ!」
そう、そういうことなのか。ユースケは理解した。達也は本当に自分のことを友達だと思っているのだろう。恐ろしい人間だとしても、自分に対しては友達として接してくれるのかもしれない。それがいいか悪いかは、分からないが。
「よーしユーちゃんが起きたことだし、早速視察に行きますか!」
「ふふっ。楽しみね」
番蝶サクラを達也が案内する。ユースケはシステム操作用のノートパソコンを持ち、近くを歩く。護衛には黒服多数。一行は妖精保護施設の深部へ進んでいく。