はじまりの一週間
▼登場人物紹介(最上段が今回の視点人物)
馳悠吾 : 高校二年生。久々原愛紗季に告白したが本気の鬼ごっこをしようと言われて困惑中。
久々原愛紗希 : いつも明るく華やかで元気。逃亡中。
明松宗助 : みんなの友達。見た目はわりとチャラい。悠吾のよき相談相手。
馳隆之介 : 馳悠吾の父。消防士。いらない知識が豊富。
--------20210507-------- 初投稿
馳悠吾の朝は早い。いつも暗い内に起き、着替えて軽いランニングに出る。それは努力でなく、惰性であったが周囲の評価は高い。
彼をよく知る人物、父の隆之介はこう語る。
「これで野球とか、サッカーの方なら億万長者チャレンジもあっただろうに……残念」
そんな父とは朝食が一緒になることが多い。基本的には一日おきだ。消防署は二交代制という出勤形態をとっているらしく、その都合らしい。
一方で妹と弟は一時間ほど遅いので、ほとんど朝は顔を合わさなかった。
「悠吾。みろ、この玉子焼き。色にムラがない。一流だぞ。一流」
父は母の褒めポイントを常に探し、なぜか息子に報告をする。
息子である悠吾は大げさに関心を示さない。
ただ、口に含んだ玉子焼きはぷりぷりふわふわとしており、ほのかに暖かく、熱いほどの白米と相性が格段に良い。大根おろしと醤油もつけると、さらにパワーアップする。ジューシーだ。たしかに料亭に出ていても不思議ではない。感心はせずにいられなかった。
「なんだ悠吾。反抗期か?」
どうやら返事がないことに父は不満を覚えたらしい。
悠吾は咀嚼していたものを呑みこむと口を開いた。
「食べてるときに喋ると行儀が悪いって言ったのは、父さんだと思う」
「悠吾、いいか。大人ってのは臨機応変ってのが求められる生き物なんだ。感じろ。考えるな! 叩けよ、されば開かれん! はやく大人になるんだぞ」
相変わらず適当なことを言う人だなと思うが、嫌いではない。
「大人を極めるより、拳法を極められそうだ」
「拳法も大人も同じってことよ。基礎を大事にして、練習を繰り返して、先の先を読んで、間合いを取って、相手の弱点さがして。まぁ、ちょっと違うのは弱点を突くんじゃなくて、サポートするってとこだな。比較優位、役割分担、支え合いってわけだ」
ときおり父はわからない言葉を織り交ぜてくる。本当に職業は消防士なのか? 実はクイズ王か雑学王で、知識をひけらかしてお金を稼いでいるのではないかと思う場面が多い。
「ひかくゆうい?」
「経済用語だな。いろんなことが得意な人――仮にAくんがいたとしよう。そいつは多才でも体はひとつなんだから、できることは限られてるだろ? だから、一番得意なことを任せて、他はAくんに勝てなくても比較的、上手い奴に任せるんだ。これで社会が回ってる。大人拳法、一の型って感じだな」
ほあっちょー、びしっびしっ、と効果音を口でつけながら父は虚空を指先でつつきまくっている。
母はキッチンからやってくると、なにかを悟ったような表情で優しく父の様子を見つめた。
前回は「喋ってばっかいないで、ちゃんと食べてください」と怒っていたが、今日に限っては無言である。ひたすらにほほ笑んでいる。
父はピタリと動きを止めてから姿勢を正し、食事に戻った。その様子は食事と一心不乱に真剣勝負をしているかのごとしであった。
「やればできるじゃん」
母は一言だけ告げるとキッチンに戻った。悠吾はヒエラルキーという形のないものを親から教えられた。
弁当を受け取ると悠吾は自転車で学校へ向かう。電車を使うのは雨の日くらいだった。坂道も多いため電動自転車を買おうかと言ってくれたが、鍛錬のためにと普通の自転車を買ってもらった。
その足で一時間はやく学校に着くと、道場へ行き素振りを始める。先輩がいつも数人くるので、混ぜてもらい防具を着けて打ち合いもした。終わると汗の問題があるので、アルコールティッシュで拭いたり、互いに消臭スプレーをかけあった。
そして授業が始まり、癖のように久々原の姿を探してしまった。
――けっきょく、あの件はどうなったんだろう?
悠吾の頭の中には『付き合うのか問題』と『鬼ごっこはどうするの問題』のふたつがあった。鬼ごっこは冗談な気がする。しかし、冗談だとするなら『避けられた』と考えるべきで。そうであるなら恋人の話はご破算で。だが『恋人ができたら』と言っていたわけで……
考えていてもらちが明かない。
悠吾は昼休憩のときに、さくっとご飯を食べ終わると久々原のクラスへおもむいた。
が、いない。
クラスメイトに聞いても、どこにいるかわからない。
携帯は学校にいるときは使用禁止になっているため、直接連絡をとれない。もちろん、そこは大人よろしく臨機応変にするのが正解だと思うが、その『大人』の使い方は卑怯な気がしてはばかられた。
久々原は帰宅部なので帰るのが早い。部活に行くのを少し遅らせて探そう。そう決めたが、けっきょく見つからない。
不安を覚えながらも部活をすませた帰り道。
悠吾は気にかかったので、携帯を取り出して久々原にSNSメールを送った。
『今日、学校やすんでたのか?』
『行ってたよ?』
すぐに返事があった。即答である。
速度に驚きつつ、悠吾は続きをどう聞くべきか悩んだ。
ここで『この間のは本気なのか?』と聞くのも、久々原を追い詰めるような気がしたのだ。
事実、久々原はこの瞬間、ドキドキしていた。時任栞里と相談して、一番の懸念がこのタイミングであった。
どんな顔をして会えばいいのかわからないため、久々原は全力で逃げることを決めている。なにを聞かれても『捕まえてから』と強引に切り抜ける算段ではあるものの「一度、会ってちゃんと話がしたい」と言われたら断れる気がしないのである。
もちろん、悠吾はそんなことを知らない。しかし、理屈ではわからずとも、感じてはいた。まさに『考えるな、感じろ』の域であった。
結果、とにかく会ってからにしようと悠吾は考え『そうか、学校で久々原を見ない日が、なんだか珍しくて』とだけ返した。
これを受け取った久々原は、悠吾がしゅんと悲しんでいる大型犬のように思えて悶絶していたのだが、そうさせているのも自分だと気づき、同じようにしゅんとしていたことを悠吾は知る由もない。
久々原から返ってきたのは『ごめんね』の一言であった。
翌日、友達である明松宗助が昼休憩にやってきた。
「うーっす。どう? 久々原さんとちゃんとロミジュリできてる?」
宗助は空いていた悠吾の前の席にくると、いつものように椅子の背もたれを抱きかかえるような姿勢で座った。
「よくわからないが……まったく見ないな」
「ん? 見ないって?」
「言われたんだ。本気の鬼ごっこをしたいって」
「ちょっとなに言ってるかわからない。え、捕まったら死ぬ的な?」
本気の鬼ごっこの解釈が甘かった? 死にたくないから捕まらないよう、本気で隠れている?
「俺は、殺人犯に……」
やるのは自分。手が赤く染まっている。想像の中で、血だらけの久々原は「やられちゃった」と舌を出してお茶目に笑っている。
「いやいや、冗談だから。顔を青くしないの」
「あ、ああ、冗談。冗談な……」
しかし、悠吾の中で『本気の鬼ごっことは?』という主題が爆誕してしまったことは変えようのない事実であった。
「普通に考えて場所も時間も関係なく鬼ごっこするってことかな?」
それでいいのか。
「それでいいのかと言った顔をしないの。あと、エスパーかって顔も間に合ってるよ」
「そこまで読み切るとは……いつの間に宗助は大人拳法の使い手に……」
「ほあっちょー?」
宗助が悠吾の父とまったく同じジェスチャーをした。意外に一般常識なのだろうか?
「今度はなぜ、そんな難しそうな顔になるんだよ……」
「気にしないでくれ……ともかく、久々原は学校には来てるよな?」
「いるよ。普通に授業受けてる」
久々原と宗助は同じクラスだ。とうぜん見かけているはずだ。
「あー、でも、休憩時間は必ず教室を出てるような?」
「休憩時間に教室を出ている……」
悠吾が教室を訪ねてくることを警戒している?
それだと、会いに行ってもいないのは当然のことだ。悠吾も悠吾で律儀に授業が始まる前には自分の教室に帰っている。久々原もそれを見越して教室にギリギリまで戻っていない?
もし本当にそうなら会ってからちゃんと確かめる……は二十四時間鬼ごっこで勝利してから、という話になる。
――本気の鬼ごっこをするのかどうかを、本気の鬼ごっこに勝利してから確かめる?
鶏が先か卵が先か、の問題にそっくりだと思った。だが、たしかこの問題の答えは『鶏が先』だ。
鶏が生まれてくる卵の本質は、鶏以前のものの卵。その卵から生まれてきた鳥が後で鶏と呼ばれる変異種になる。鶏の卵は鶏が生むものこそ本物となる。だから『鶏が先』である。
つまり、本気の鬼ごっこをするという結論が先なのだ?
「あのさ、大丈夫? 目がぐるぐる回ってる感じだけど?」
宗助に話しかけられ、やっと正気を取り戻す。
「大丈夫、だ……いや、大丈夫なのか? 本気の鬼ごっこが、すでに始まっているっぽいぞ」
「ああ、うん、まぁ、話を聞いてたら、そんな感じだね?」
「本気で捕まえていいものなのか?」
「まぁ、久々原さんが望んでるから、いいんじゃない?」
「そうか……」
悠吾は、少しだけ悪い気がした。悠吾は体力に自信がある。普通の追いかけっこなら簡単に久々原を捕まえられるのだ。簡単に彼女の夢が終わってしまう。それに、あの小さな体を、腕を掴むと、壊れてしまうような気がしたからでもあった。
が、そんな考えは一週間後に打ち砕かれた。
本当に、まったく、全然、ちょっとも、少しも、髪の毛一本でさえ、久々原の姿を発見できなかったためである。
見事な隠遁ぶりに焦り始めたのは二日前。追いかけるどころか発見もままならないのは予想外だった。見かけたときに追いかければ良い、という甘い考えは吹き飛んだ。
二日間の全力捜査。それでも久々原を見つけられない。宗助によればちゃんと学校には来ているのだという。
まさか、学校という狭い空間で一秒たりとも見かけないとは。
久々原の本気度に改めて悠吾は不安になる。
部活を終えて帰ってから寝るまでの間、悠吾はずっと連絡をしてみるべきかどうか悩んだ。
本当は嫌われていて、とことん避けられているのではないか?
これは悠吾にとって大きな変化であった。本来、ネガティブな考え方は本流でない。それが久々原に会えないという状況が続いたため、心を大きく支配している。
久々原の存在がそれだけ大きく、重たいものになっているのだが、この体験も初めてである上に客観的に自分を見る余裕さえもなくしている。悠吾が自分の変化に気づくのは至難の業であった。
悠吾はベッドで大きな、とても大きなため息をついた。携帯を眺め、文字を入力しては消すという行為を三〇分は続けた。
そんなとき、当の久々原からSNSメールが届いた。
心臓が跳ねるのと同時に体を起こし、呼吸を止めながらメールを読んだ。
『あの、元気? ぜんぜん会ってないから、なんていうか気になって』
悠吾の返信は早かった。
『そうだな、一週間も見てないし、心配してる』
少しだけ時間が空いて『ごめんね、変なお願いだったね、やっぱりやめる?』と返ってきた。
やめるというのは、付き合うことか、それとも本気の鬼ごっこのことか。
両方のことの気がした。
それに、やめると久々原が笑うことさえやめる気がした。
『いや、やめたくない。ちょっと油断してた。本気でやる。捕まえられないどころか、姿も見てないのは悔しいし』
本音であった。久々原の返事は早く、明るい印象だった。
『そか。じゃあ、継続ってことで。いちおう、期限は夏休みに入るまで、でいいかな?』
『わかった。絶対に捕まえてみせる』
久々原のことだ。簡単には捕まえられないよと、返ってくるに違いない。
そう思っていたのに彼女からは『ありがと。おやすみ』と笑顔マークたっぷりの文面が送られてきた。
悠吾も思わず『ありがとう。おやすみ』と返し、その日は眠った。
久々の投稿でございました_(:3 」∠)_
まだ続きます。