告白と鬼ごっこ
▼登場人物紹介(最上段が今回の視点人物)
馳悠吾 : 高校二年生。久々原愛紗季が心配で彼氏を作らせようとするが、友達の明松宗助に「悠吾がなったら?」と言われて意識しだした。
久々原愛紗希 : いつも明るく華やかで元気。悩み事とは無縁そうに見える。馳いわく時速七〇〇キロの壁に迫られている人。
時任栞里 : 愛紗季の親友。馳にいつもいらない知識を与えては観察している。
明松宗助 : みんなの友達。見た目はわりとチャラい。ファンタジーが好き。栞里ひとすじ。演劇部。
--------20210125-------- 初投稿
春と夏とが出会うと、空が泣くのだと父に教えられた。一年ぶりの再会だからか、それともケンカをするからかは、わからないとも。
道着や制服が濡れるので、雨はあまり好きでなかった。それでも悲しみで泣いているより、嬉しくて泣いている方が許せると思い、夏と春は夫婦に違いないのだと思っている。そうなると秋は春と夏が離れ離れになってしまって空いてしまったから、アキなのだ……と勝手に思っている。
馳悠吾に詩的なセンスがあるとしたなら、父親の影響だろう。ただ、悠吾にとって詩的表現は普通のことで、自分の思考がロマンティックと思ったことがない。
一方、不愛想で超然としている彼が、ふと詩的な表現をするのを意外だと捉える人は多い。悠吾は知らないが、それは隣で傘をさして歩いている久々原も多分に漏れなかった。だからこそ悠吾の誕生日に彼女は詩集を送ってきたのだろう。
今日はたまたま道場の改装工事が入り、剣道部は休み。ちょうど向かう駅が一緒だった久々原と同じタイミングで学校を出た。一年の頃にいつも遊んでいたのだから、別個に帰るという選択肢もなかった。
というのは嘘である。改装工事は事実だが、この日に入ることを悠吾は先月から知っていたし、わざわざ久々原と二人で帰るタイミングを計ったのだ。狙った結果になったのは偶然が味方してくれた……と思っている。
事実は違う。久々原も思うところがあり、この展開を望んでいた。されど、そのことを悠吾が知るすべなどない。双方ともラッキーと思っているが、お互いが望んだことであるから、こうなったのは当たり前なのであった。
そんな二人は、道路沿いの歩道を帰る。もう少し狭ければ相合傘の可能性もあったが、言い出すきっかけもなく縦列下校という、みじめな結果になっていただろう。二人が並ぶくらいに幅があったことは僥倖であった。通行の邪魔にならないよう、常に前方、後方に気を付けながらゆっくりと歩く。
「久々原は新しいクラス、どんな感じだ?」
「うんー。馴染めてきたかな? さすがにみんながいないとちょっと寂しいけど。馳くんはどう? みんなに怖がられてない?」
笑みを含んだ声に、少しだけ呼吸が止まった。
「あー……教室で竹刀は振ってないから、さすがに大丈夫だと思う」
「それねー」
彼女の小さいけれど細くて長い指が悠吾の方を指さした。
少しだけ恥ずかしい思い出だ。悠吾は高校に入ってすぐ剣道部に入ったはいいが、しばらく朝練がなくて力を持て余していた。道場も監督者がいないせいか空いていない。家はマンションであるし、学校の外で竹刀を振っていると目立ってしょうがない。そこで教室に早めに行って竹刀を振るという暴挙に出たのだ。しかも三本同時である。
結果、クラスメイトが入るに入れず困るという事案が発生。久々原もその一人であったらしい。すでに仲良くなっていた宗助が止めに入ってくれたおかげで事なき(?)を得たのだが、しばらく変な人だと思われ、特に女子から怖がられた。事案後、赤面するでもなく、いつもの怒ったような表情で授業を受けていたせいもあるだろう。
「馳くんってちょっと変わってるけど、すごくいい人だもんね。誤解されたらもったいない」
無邪気な言葉であったが、少しだけ警戒してしまう。
――いい人だもんね。
これは恋人としての脈がない常套句のひとつ。たしか時任がそう言っていた。だとしたら、これからやろうとしていることは――付き合ってみないかと、持ちかけることは、いささか勇み足ではないのか?
だが、好きで好きでしょうがなくて、どうしても付き合って欲しいというわけではない。……ではない? よくわからないが、ともかく冗談のように言ってみればいいのだ。
断られたら「まぁ、だよな」と流せばいい。それだけの話だ。
と、さすがの悠吾もこのときばかりは緊張していた。初の公式試合以来の緊張であった。心臓は早素振りのとき以上に早鐘を打ち、胸からも首からも口からも飛び出しそうな勢いである。
雨の雑音があるにも関わらず、心拍音は久々原に届いてしまいそうで、だからと言って不自然に距離を取れば会話もままならず、しかし、変に近づきすぎれば体が爆散してしまいそうで。
深い呼吸をしてひと匙分の落ち着きを取り戻す。
「いい人かどうかはわからないぞ」
そして意味がなさそうな抵抗を試みた。
「えー、ぜったいいい人だよー。保証してあげる!」
馳悠吾、十七歳。世界には人を傷つける保証が存在するのだと知る。
しかし、彼女に悪気はない。いい人というのは単純に受け取れば誉め言葉だ。悪い人間よりもよっぽどいい。たしかに世の中は悪い方、暴力的な方がモテる、という話がある。それはDNAに刻まれた狩猟本能や生存への意志が関係しているのだろう。
悠吾は剣道で勝利と敗北を知っている。ゆえに他人を蹴落とすこと、蹴落とされることの表裏を知っていた。もちろん剣道をやっている分には勝つことを目標としているが、本質的には勝敗よりも自分を錬磨する方に重きを置いている。勝敗は……いや、試合の良い内容は自分を磨いたことの証である。結果として勝つことが多いだけで、それ自体は他者より優れていることを証明するものではない。他人は自分の鏡であり、いつでも先生だ。そう考えるからこそ、できるならば誰もが傷つかない世界の方がいいと思っている。
「久々原も、いい人だぞ」
「そう? どこらへんが?」
「誕生日にプレゼントをくれるところとか」
「気に入ってくれた?」
「まだ途中までだが、面白い。父さんみたいだ」
「お父さんみたい?」
「ああ、うん。なんていうか言い回しというか、考え方というか……」
「へぇ……お父さん、詩人なの?」
「さぁ? たんなる消防士だと思うが……」
「そうなんだ。消防士なんだ。すごいねー!」
心なしか、笑顔に違和感を覚えた。空元気? 彼女の毒が滲み出した?
気のせいかもしれない。悠吾は気を取り直して自分のカバンから、白い小包を取り出す。
「あの、これ。お返しっていったらおかしいが……誕生日、おめでとう」
パッと久々原の表情が明るくなる。
「ありがとー! 知っててくれたんだ?」
「去年は知らなくて用意できなかったしな」
「それはわたしもだから、おあいこ様でしょうよー。開けていい?」
「気を付けて」
「大丈夫。こうみえてけっこう器用」
久々原は立ち止まると傘を脇に挟みながら白い包みをあける。中身はリードディフューザーだ。アロマ用品で、香油の入った瓶に棒を差すと香りが広がる。瓶は縦長で香水瓶という感じのものだ。香りを広げるための棒は黒いラタン材。
「え、かわいいー! ありがとう! 高くなかった?」
「そんなにはしない。それよりも、アロマは大丈夫だったか? 香りがきついのが苦手だったら、別のを考える」
「ううん。嬉しい。ありがとう! やっぱいい人だね!」
割と心に刺さる。時任が余計なことを言っていなければ、ここまで気にすることもなかったろう。この展開を読んでの伏線なら時任はエスパーに違いない。逆恨みはよそうと思うが、気になってしょうがない。
もしかすると久々原も『いい人』とたくさん言われたら同じ気持ちになるのではないかと悠吾は考えた。そうすれば控えてくれるかも。しかし、久々原は時任の言葉を知らないだろう。その上、純粋というよりも天然と呼ぶのがふさわしい女子であるため、試みは失敗に終わる可能性の方が高い。予想が頭をかすめたにも関わらず、悠吾は気づいて欲しいという一心で実行に移した。
「そうやって喜んでくれるから久々原もいい人だ」
「お、いい人返し」
イメージに近い反応に内心ガッツポーズをした。
「他にはいいとこあるの?」
と、思ったが、純粋に喜んでいるようだ。
やはり久々原の中では単に褒めているつもりらしい。それはそれで少し心がむず痒くなる……はずなのだが、元来の鈍さがソレを打ち消してしまう。結果、久々原の「いい人」はどういう意味なのか理解できず、混乱だけが残った。
悠吾は混乱部分を早々に切り捨て、久々原の質問に真摯に応えることにした。
「俺にも気軽に話しかけてくれるところとか」
「ふむふむ」
「話を聞いた上で偏るんじゃなくて、ちゃんともう一方のことを考えている公平さとか」
「う、うんうん」
「笑顔で、みんなを明るくするところとか」
「え、おっ……う……」
急に久々原が俯いた。悠吾は不思議に思ったが続ける。
「気を使えるところとか。この間も踊り場に飾ってあった花を直してただろう。少し花が大きかったから、誰かがひっかけそうだと、後で気づいた。そういうところをしっかり見てるのは、すごいと思う」
心なしか、顔が背けられている気がする。が、気にせず続ける。褒めるべきところだと思うからだった。
「他にも新垣が体調わるいのにいち早く気づいてたりだとか、弁当たべてたときに、ティッシュが欲しいと思った瞬間に出してくれたりだとか。びっくりしたな、そういえば。どうしてわかったんだ?」
久々原は完全に顔を背け、掌をこちらに向けていた。
「どうした」
「ちょ、ちょっとまってね……」
実は堂々とした誉め言葉の数々に、恥ずかしさで死にそうなのだが、鈍さの極みである悠吾はまったく、かけらも、微塵も気づかないでいる。
「うん? まぁ、いいが……まだあるぞ」
「ぃぇぇ!? ちょ、ちょっとまとう! まとう馳くん!」
いかに鈍い悠吾といえども、さすがに赤面して苦笑いのようなものを浮かべる表情には違和感を覚えた。大人しく待つことにする。
久々原が深呼吸をし、ぼそりと「人の気も知らないで」と呟いたが、雨音と車の通過音が遮って悠吾の耳には届かない。
「そういえば、久々原は付き合いもいいな。試してみたいと言ったことはやってみようって返してくれるし、面白いと薦めた漫画や小説なんかは必ず読んでくれるし。全力なところもいい。個人的には運動会や文化祭のはしゃぎっぷりがみんなに伝染して、盛り上がったと思う。そういうムードメーカーな感じもいい人だな」
「なぜ止めないのかなぁ!?」
「えっ、いや、すまん、褒められるところは褒めるべきかと思って……」
「うー、ううーん、ま、まぁ、それ自体は間違いじゃないけど、も、もう充分でござります……」
「そんな風に気取ってない言葉遣いや、自然体でいるところもいいな」
「も、もういいよ、馳くんはいい人じゃなかったよ、イジメの域だよ……」
ここにきて「いい人」を脱却できた。もう意味がないような気もするが、それはそれで嬉しい気がした。
「……それは……喜んでいいのか、悲しんでいいのか……」
「悲しむべきところじゃないかな!?」
「たしかに?」
久々原は少し落ち着いたのか、くすりと笑い、話を続けた。
「でも、馳くんだって、そうやって人をちゃんと観てるじゃない。やっぱいい人だな」
またいい人と言われた。その反発心もあった。けれど、人を観ているところ、というワードに引っ張られたのも事実だ。
悠吾の口は自然に、それでいて少し意地悪に質問を投げかけた。
「なぁ。久々原は、なんで『世界の終わりがやってくるのを眺めている』ような表情をするんだ?」
久々原が立ち止まって悠吾をまっすぐに見た。
悠吾も半歩先に立ち止まり、久々原の方を向いた。
しばらく世界には雨の音しかなかった。
一台の車が過ぎ去り、やっと久々原が重たい口を開く。
「そんな、顔、してるかな?」
「間違ってたら、なんか申し訳ないけど、俺にはそう見える」
久々原は黙って俯いてしまう。
悠吾は深呼吸をする。鼓動は早くなる一方であったが、頭の中は整理され、次になにを言うべきかがわかるようになった。
「だから、正直、久々原が心配なんだ。誰かが傍にいてやらないと、どこかに行ってしまいそうで」
あえて「消えてしまいそうで」という言葉は飲みこむ。口に出せば、本当に久々原が消えてしまいそうだったから。
それでも、久々原には少し怖い雰囲気がにじんだ。早く繋ぎ止めなければ。その一心が悠吾の言葉を後押しする。
「だから、俺に傍にいさせてくれないか。その、付き合うという、やつなんだが……」
返事はない。一台、二台と車が通りすぎる。
「く、久々原……?」
悠吾が少しだけ近づくと、久々原は少し驚いたように身をはねた。
表情が見える。
彼女は、泣いていた。それでいて、笑顔のようで、苦笑いのようで、顔を赤くして、青くして、とても複雑な表情だった。
慌てたように涙だけふくと、顔を見せないためか悠吾を追い抜いて先に立った。
「う、嬉しいかも! わたし……も、わたし……わたしは……」
「だ、大丈夫か?」
つい心配で声をかけてしまう。
久々原は再び小さく弾ける。悠吾を横目でちらりと見た。それだけでも涙と困惑とが読み取れた。
「え、え、え、あっ、えっ、恋人、恋人っ! わ、わたし、恋人ができたら本気で鬼ごっこしてみたかったんだじゃあ今からスタート百数えて!」
と、叫んで久々原は一目散に逃げていった。
「えっ、いち……に……?」
それは付き合うということなのか、それとも誤魔化されたのか、拒絶だったのか。
よくわからなかったが、とりあえず悠吾の目の前から久々原はあっと言う間に消えてしまった。
続きます_( _´ω`)_




