死は願い
一般的に創作物に登場する人物の知性は、作者を越える事が無いと言われている。そして作者が経験した事のない事象を書き連ね、情景として表現する事は現実的ではないと考えられている。
だが多くの主人公は死んでゆく。
貴方は死んだ事があるだろうか。今この文字を読む事が出来ている貴方も、私もまだ体験した事がない。それにも拘らず多くの者は死んでゆく。物語の冒頭で、あらすじで、呆気なく簡単に、そう簡単に。
命ある者の最期の瞬間、誰もが迎える結末。そのエンディングを素晴らしい形で締め括る為に、我々も生きているはずだ。
だが『死』は好まれる。
本来忌むべきものであり、憎むべきものであるにも拘らず、壊される為に生まれた創造物が壊れる為に壊されてゆく。無慈悲なまでに平等であり、貴賎も尊卑も関係ないにも拘らず、正義の名の下に悪と断定された者は斬り捨てられてゆく。
愛する者がこの世から消えた時、我々は実在しない神様に乞うのだ。願わくば極楽浄土にて一切の苦痛なく、心穏やかに過ごして欲しいと。
そうあれかしと。
信念を持つ者が自分の為ではなく、誰かの為に命を賭して戦う姿は我々の心を揺り動かす。願わくば勝利と笑顔でもって迎えられるべきだと。
そうであって欲しいと。
この息苦しい世界において、死は救済であり希望なのだろう。
実際、誰も戻って来ていない事を考えると、天国という場所は本当に良い所に違いない。神様と仏様があの手この手で楽しませてくれるのだろう。きっと蓮のステージの上で歌って踊ってくれるに違いない。
いつか私も行ってみたいものだ。
まずはゴミ拾いから始めてみようか。