それでも、走り続ける
「けどねぇ、あっちに行くと、もうこっちには戻ってこれないよ」
老婆はそう言って、煙管を咥えた。
この老婆は、知る人と知る、占い師であり術者なのだという。怪しいことこの上ないが、探し物専門の占い師で、その的中率は百パーセント。しかし、金品ではない対価を支払うのだという。
その噂を聞いた時、小太郎は藁にも縋る思いで、その占い師の場所を探し求めた。そしてようやく、探し当てて、その占い師の家の門を潜ったのである。
老婆は、自分が来ることを分かっていたのか、小太郎を一瞥した第一声が、ようやく来たのかい遅かったねぇ、だった。
当然、これが初対面だった。
驚くことに、老婆は自分がここに来た理由も知っていた。そして、答えも。老婆には、なんでもお見通しだった。
老婆と自分がいる、この部屋は実に奇妙だった。
和室だ。部屋の脇には札が貼られている壺や、大きな招き猫など、よく分からないものが溢れかえっている。上座には、老婆が座っていて、その前に銅鏡ような鏡だけが置かれているだけで、脇に比べるとかなり片付いているようにも見える。
「二度と、ですか?」
「二度と、だねぇ。それが対価だ」
老婆は煙管を離し、ふぅ、と煙を吹き出す。
煙は空中に踊りながら、消えることなく、老婆と自分の周りに纏わり付いた。まるで、生きているようなそれに、小太郎は少し引き気味になる。
「ですが、俺は望んでそこに行きたいと思っています。それなのに、それが対価なのは割に合わないのでは?」
「割に合うんだよ、これが。若いねぇ」
老婆は皺くちゃの顔を歪ませた。
「その子を追うために、異世界へ行く。それがあんたの願いだ。これは間違ってないね?」
小太郎は頷いた。
小太郎の幼馴染みであり、初恋の人でもある、海野珊瑚が消えたのは七年前。彼女の祖父が亡くなった夜のことだった。
寝静まった夜中、突如、彼女の病室から強烈な光が溢れ、慌てた看護師が様子を見に行くと、彼女はベッドごと姿を消していた。
当初、看護師が寝ぼけていたのではないか、という疑問が上げられていたらしいが、強烈な光の目撃証言もあった上に、監視カメラにも映っていたことから、看護師の証言は真実であることが証明された。
なら、珊瑚はどこに消えてしまったのか。警察が捜索したのだが、結局見つからず、未解決事件として、処理されたのだという。時効である十年も経っていないのにだ。
人々は、神隠しにあったのだという。少女は長く生きられなくて、それを哀れんだ神様がお迎えにあがったのだと。
ふざけるな、と小太郎は怒りを滾らせた。
彼女の遺体も見ていないのに、まだ生きているかもしれないのに。
彼女が極端に身体が弱かったから、と諦めざるをえないという、空気に憤った。
彼女が十五歳まで生きている可能性が低かった、と知らされてからもその怒りは、埋火となって、今も燃えている。
いつかお金を貯めて、そのお金を使って、世界中探して彼女を見つけてやる。そう誓った。
だから、高校はバイトが許される高校にして、少しでも金を稼げる環境にした。
卒業してから情報を集めるとなると、遅いような気がして、出来る範囲で情報収集をした。
そして、この老婆の噂を聞きつけた。
老婆に、珊瑚の居場所を占ってもらうと、予想外の答えが返ってきたのだ。
『その子、今異世界にいるねぇ』
それを聞いた時、やはり占いは当てにならないのか、とか、この老婆イカれているんではないか、と思ったが、心の中では少し納得もしていた。
異世界に行ったのなら、どれだけ探しても見つからないはずだ。光と共に消えた理由もなんとなく察しがつく。
異世界に行く方法はないのか、と訊くと、老婆は、あるよ、と言った。そして、冒頭に至る。
「あっちに行ったとしても、その子が生きている保証はないよ」
「異世界にいるって言ったじゃないですか」
老婆は眇めた。
「身体はね。その身体が朽ちている可能性も、あるんだよ。それに、時間のこともある」
「時間?」
「あっちとこっちとじゃ、時間の流れが違うんだよ。正確な時差は、わたしでも分からん。あっちに行ったとしても、その子がその世界に来た時期が噛み合わないかもしれない。こっちにとっては七年間だとしても、あっちにとっては、半年後のことかもしれないし、十年後かもしれない。あるいは百年後なのかもしれない」
つまり、あっちに行ったとしても、あの子と会える可能性は奇跡に近いということなのか。
小太郎は俯く。
「それにね、言葉が通じない場合もあるだろうし、文明もこっちに比べたら発展していないかもしれない。ガスも水道もない。そんなところ、平和で何かと便利な時代を生きてきたあんたが耐えられるかい? え?
それだけじゃない。あんたは、家族と二度と会えなくなる。別に家族が嫌いなわけじゃないんだろ? 家族という庇護してくれる存在がいない、あんたは本当の独りぼっちになる。それこそ、心が壊れてしまうじゃないかい?」
老婆の言うとおり、家族のことは嫌いではない。兄のことは尊敬しているし、母は小言を言うが弁当の中身は自分の好みに合わせてくれるし、父は心の内は言ってくれないが、真実を言ってくれる。珊瑚が十五歳まで生きられない身体だったことを教えてくれたのは、父だった。
「あんたにとって、不利益になることが大きすぎる。だから、対価はそれでいいんだよ」
老婆がまた煙管を咥えて、煙を吐き出す。
「で、どうするんだい? それでも」
「行きます」
「これこれ。わたしの台詞を遮るんじゃないよ。というか、わたしの話、ちゃんと聞いていたかい?」
「聞いています。それでも、俺の決意は変わりません」
「その子が、他の人と添い遂げている可能性もあるけど?」
「それでも、行きます」
たとえ亡くなっていても、彼女を見つけ出す。それが小太郎にとっての生きる糧だった。
もし、他の人と添い遂げていたとしたら、彼女が生きていることを安心して、身を引く。
彼女が生きていたとしたら、傍にいる。
彼女が亡くなっていたのなら、墓を探し当て、毎日墓参りをする。
(決めたんだ、俺は)
あの時から、ずっと。
『ここに、いて』
あれは、彼女が高熱を出した時のことだった。お見舞いにいった時は元気だったのに、急に熱を出したのだ。
熱が移ったらいけないから、と母が自分を病室から追い出そうとしたら、彼女に袖を握られて、小声でそうお願いされた。
彼女は祖父に対しても、ねだらないことは知っていた。ささやかな願いも口にしなかった。たとえ、熱に浮かれてのお願いでも、自分を頼ってくれたのは、とても嬉しかった。
きっと、それが彼女の本心だったのだから。
あの時から、誓ったのだ。この子を一人にしない、と。
だから、答えはとうに決まっているのだ。
「薄情な子だねぇ」
老婆は、仕方ない、といわんばかりに溜め息を吐く。
その目は、何故かとても悲しげだった。




