作戦会議
ヴァーランスは、上層、中層、下層、地上、と大まかに分けられている。
上層には領主の屋敷があり、中層には店やヴァーランス焼きの工房兼店などが建ち並び、下層には主に住宅が建ち並んでいる。地上はエバン畑と例の修道院がある。
先に偵察に行っていたベルベットからシャン経由で、塔の上でアンジェリカの手らしきものが見えた、と情報が入ったため、乗り込むことが決定した。
クルトはヘルツ、ベルベットを含んだ少数の人数を率いて、修道院がよく見える下層の空き家に向かっていた。
少人数とはいえ、一気に動いたら住民たちに不安を植え付けてしまう。バラバラに向かい、空き家で落ち合うことになった。
クルトはヘルツと、一緒に行動していた。
いつも通りに振る舞おうとしているのだが、内心の焦りと怒りが滲み出ているせいか、いつもなら声を掛けてくる住民に遠巻きに見つめられている。
「クルト様、これだとバラバラに行動した意味がございません」
「す、すまない」
素直に謝るが、滲み出ているものは抑えきれていない。ヘルツは軽く溜め息をついた。
「無言で通るのも怪しまれますし、他愛もない話をしながら向かいましょうか」
「そう、だな」
その方が気を紛らわせるかもしれない。
クルトは少しだけ考え込む。
「他愛のない話……そういえば、道路の件なんだが、外灯を付けるのはどうだろうか? 今はあの人、他の発明に夢中だから今すぐは無理だが、今の開発が済んだら、外灯を作るように誘導できないものか」
「仕事の話は、他愛のない話ではありませんよ」
「だが、他に話が思い付かない……」
「仕事中毒も考え物ですね。他になにかありませんか?」
「今度、エバン畑の視察に行きたい」
「それも仕事の話ですね」
ずばっと言うヘルツに、クルトは困った風に眉を顰めた。
「他愛のない話というのは、意図的にやると案外難しいな……昔はけっこう出来ていたんだが」
子供の頃は、他愛のない話を当たり前のようにしていたものだが、あの出来事があってから、そんな話をする回数も減った。グレーウェンベルク家の養子になってからは、勉強内容や領主の仕事の件で話すばっかりであまり他愛のない話をしていなかった気がする。
彼女が来てから、他愛のない話も増えてきたのだが、意識的に出来るようには出来ない。
「仕事の話でもいいのですので、話しながら行きましょうか」
ヘルツが促し、クルトが頷く。
その後、仕事の話がかえって良かったのか、誰にも怪しまれることもなく例の空き家に着けた。この空き家には屋上があり、そこから修道院を見下ろすことができる。空き家に入り、屋上へ向かうと、先に着いていたベルベットがいた。
「あ、クルト様と師匠ぅ」
クルトとヘルツに気付いて、ベルベットは一礼した。
「外の見張りはいるか?」
「三人ほど。正面に二人、裏口方に一人ですねぇ。裏から行きますかぁ?」
「塔にも見張り番がいる可能性もあります。アンジェリカ様が塔の頂上に閉じ込められているのなら、尚更高いでしょう。そこから、全体を見下ろしている可能性もあります。塔の見張りが正面に意識を向くよう、二方向から攻めましょうか」
「陽動作戦か」
クルトの言葉に、ヘルツが頷く。
「はい。まず正面から攻めて、裏口の見張り番が正面に加勢している間に、別の部隊が裏口から侵入します。アンジェリカ様を救出する部隊ですね。見張り番が裏口から離れない場合は、こっそり仕留めましょう」
こっそり、と言いながら、手元を動かしているヘルツを、二人は半眼で見据える。ヘルツの袖口には、吹き矢が隠れているのを、クルトもベルベットも知っているのだ。
「親玉に見つかった時は?」
「どのみち避けて通れない道です。応戦はするつもりで。もちろん、アンジェリカ様を救出するのが第一です」
ヘルツがにっこりと笑う。
「では、陽動部隊を率いるのはベルベット。出来るか?」
「こっそりするよりも、突撃するのが性に合っているのでぇ、問題ないですよぉ」
「では、頼む」
「はい!」
ベルベットがにんまりと笑う。そのすぐ後、ベルベットが不安げな表情を浮かべ、塔に振り返った。
「でもぉ、アンジェリカ様、大丈夫ですかねぇ?」
「おや。ベルベットは、アンジェリカ様が不安で震えているんじゃないか、と思っているのですか?」
すると、ベルベットからぷっと笑い声が零れた。
「アンジェリカ様に限って、それはないですよぉ。あの人が焦ったり、不安がっているところ、見たことないですしぃ。むしろ、あらあら、としか思っていなさそうですしぃ」
「それなのに、どうして不安なのですか?」
「だってぇ、あの人、生きる気全くないじゃないですかぁ」
ベルベットは屋上の塀に凭れたまま、言い続ける。
「自殺はしないと思うんですけどぉ、殺されかけても無抵抗のまま殺されるのを受け入れそうじゃないですかぁ?」
クルトははっとなって、塔を見据える。
そういえば、フクバラの時がそうだった。フクバラ王が彼女に剣を振り下ろした時、彼女は目を細めて、淡々とそれを受け入れようとしていた。
クルトは目をぎゅっと閉じる。
こちらの世界に来て、健康体になった、と言った彼女の横顔が脳裏に蘇る。
全然嬉しそうではなかった。むしろ、疎ましく思っているように見えた。
彼女は、生きたくなかったのだろうか。生きても意味が無いと、思っていたのだろうか。
もしかして、あちらにいた時も、そう思っていたのだろうか。
(だとしても、俺は……)
目をゆっくり開ける。クルトがやること、やりたいことは決まっている。
「あ、そうだぁ」
ベルベットが声を軽く張り上げて、ポーチを取り出す。ポーチを開けると、ひょこっとラルが顔を出した。
「ラル? どうして連れてきたんだ?」
「塔の上にアンジェリカ様がいるのを見て、連絡手段としてこの子使えないかなぁと、思いましてぇ。アンジェリカ様のところに行く? って聞いたら、さささっとポーチの中に入ってきましたよぉ」
「ラルは賢いですなぁ。ベルベット、お見事です」
「えっへん!」
ヘルツに褒められて、ベルベットが胸を張った。
「さて、ラルに手紙を持って行かせたとしても、相手に見られても大丈夫なように工夫をしないと」
「共通の暗号があればいいんですけどねぇ」
グレーウェンベルク家の暗号はあるが、アンジェリカはそれを知らない。悩むベルベットを一瞥して、クルトが小さく呟いた。
「……俺が手紙を書こう」
ヘルツとベルベットがクルトを注視する。
「なにかアンジェリカ様には分かる、暗号があるんですかぁ?」
「ああ」
「では、こちらを」
ベルベットが手紙一式と持ち運び用の羽ペン、ラルに背負わせるための小さな筒をクルトに渡す。
クルトはそれを受け取って、屋内にあった机へと移動した。




