救急救命
「エリー!」
突然吐いたエリザベスにウィリアムが駆け寄る。
「ううううっ」
呼びかけにも激しく嘔吐を繰り返すばかりでエリザベスは身体を折るように蹲っている。
「毒を飲まされたんだろう」
カイルが駆け寄り病状を診断する。毒によって消化器系が痛めつけられ、腹部に激痛が走り、身体を折りたたむように蹲っている。
「ソファーに寝かせて。右半身を上に」
「分かったわ」
レナが前に出てきてエリザベスをソファーに寝かせる。
「でもどうして右半身を上に」
「胃袋から腸への通り道は右にあるんだ。腸の方へ毒が入るのを防ぐ。クッションを下半身のあたりに敷いて上半身を下げて」
カイルは指示を出すと、ゴメンね、と言いながらエリザベスの口に指を入れてみる。
エリザベスは咽せるが吐き出せない。筋肉が上手く働かず吐き出せないようだ。
「ゴム管を貰ってきてくれるか。それと植物油、ハーブ油でもヒマシ油でも良い。食用に使う油を」
「わかった」
「患者の状況は!」
ウィリアムが駆け出そうとしたとき白衣の人物が入って来た。
「ゼンメルワイス先生」
カイルが侍童をしていた時からの医師でカイルに医学を教えたのもゼンメルワイスだ。
「再会の挨拶は後じゃ! 患者の状況は?」
「毒物を飲み込んで激しく痛がっています。胃にゴム管を入れて胃洗浄を行って下さい」
「よし」
ゼンメルワイス医師は持ってきたカバンからゴム管を取り出してヒマシ油を先端に付け、エリザベスの口の中に入れて行く。
「数年前から妙な治療法を提案するガキだと思っていたのじゃが、これ程役に立つとは思わなかったわ」
「それはどうも」
転生前に航海士していた時、乗組員の一人が内緒で強い酒を持ち込み、こっそり酒盛りやった挙げ句、急性アルコール中毒となり船医の胃洗浄を受けた。その時助手として手伝ったのを覚えており、こちらの世界でも出来ないかと試しただけだ。
結果は良好。ゼンメルワイス医師に認めて貰えた。
今回もそのノウハウを使用することになった。
ゴム管を入れて行き、狙った長さになったところで胃に到達したことを空気を送って確認。管の端を身体より下げてサイフォンの原理で中の物を取り出す。続いて管を上に伸ばして漏斗と結合し、生理食塩水を入れて胃の中を洗浄し、再び下げて中身を出す。
出てくる中身が透明になれば、洗浄は完了。その後、炭を粉状にした物を生理食塩水と共に入れて残った毒を吸収させる。ついでにヒマシ油を微量入れて排便を促す。
「なんとか一命は取り留めたようじゃな」
全ての医療行為を終えてゼンメルワイス医師はエリザベスの容体を見て診断を下した。
呼吸は安定しているし、顔色も良くなっている。
「飲んで直ぐに吐き出したのと処置が早かったのが幸いして体内へ吸収された量が少なかったようじゃ。身体を休め栄養のあるものを食べれば回復する」
ゼンメルワイス医師の言葉に全員がホッとした。
だが、直後に近衛の服を着た女性隊員が入って来てカイルを取り囲んだ。
「何ですか」
治療が終わって服を着替えていたカイルは彼女たちに尋ねた。
「不法侵入者の逮捕とエリザベス様殺害未遂容疑で拘束する」
「一寸待ってよ」
彼女らの言葉にレナが抗議の声を上げる。
「カイルはエリザベス様を助けたのよ。殺すつもりなら初めから見捨てるはずよ」
「皇族へ取り入るためにワザと行った可能性も有る。何よりエルフというのが怪しい」
「ちょ、それは偏見じゃないの!」
レナは文句を言うがこれが世界の状況である。エルフは邪悪な者という固定観念が強くエルフと言うだけで悪事と結びつけられてしまう。
カイルにはいつもの事だった。
「一寸待て」
そこに割り込んできたのはウィリアムだった。
「エルフだという以外に何か証拠でもあるのか」
「い、いいえ。きっと持っているに違いありません」
皇太子殿下から詰問されてしまったメイド達はたじろいでいた。普段は少し頼りなく見えるウィルだが、こういう時の表情、道理に合わない事を見た時の表情、特に視線は相手を射殺すかのように鋭い。
「何故だ」
「ひ、人を殺すなどという恐ろしい事を行うのはエルフの他に」
「バカを言うな!」
メイド達の言葉を聞いて激昂した。
「この前の戦争でアルビオンもガリアにも大勢の戦死者が出た。大半は、いや殆ど人間の手によってだ。エルフの手で殺された人間など殆どいないだろう。人間でも人間を殺せる。ならエリザベスに毒を盛ったのも人間の疑いが濃厚だ。この部屋にいた者全てが容疑者であり取り調べを受けるべきだ」
「そ、それでは」
メイドの一人一人が恐る恐るウィルを見た。
「勿論、私も容疑者の一人だ。身の潔白を証明するために進んで取り調べを受けよう。だがその前に」
ウィルは一人のメイドを睨み付けた。
「そこの君。僕たちに紅茶を持ってきた君」
「は、はい」
ウィルに名指しされたメイドは驚きの言葉を上げた。
「毒を入れるチャンスが一番あるのは君だ」
「そ、そんな」
「エリザベスが飲もうとしたのはカイルの紅茶だ。その紅茶を奪って飲むまでの間、毒を入れるチャンスはない。ならば君が持ってきたときに入れたと考えるのが自然だ」
「そんな。エリザベス様を殺すなんて」
「可能性が高いと言っているだけだ。調べて何ら証拠が無い事を確認させて欲しい。拒むというのなら」
厳しい口調でウィリアムが近づくと追い詰められたメイドは懐の小刀を引き抜き振り回した。
「うわっ」
「大丈夫か」
斬り付けられようとしたウィルにカイルは声を掛ける。
「大丈夫だ。それより彼女を」
そういったときにはもう遅かった。彼女にウィリアムを傷つけるつもりはなく、ただ小刀を振り回して周りから人を遠ざけて時間を稼ぎたかっただけだ。
毒入りの小瓶を取り出して自ら飲み干し喉を突くための時間が。
「ぐっ」
「なっ」
駆け寄ったときには既にメイドは事切れていた。
「何が起きたのです!」
部屋に入って来たのは先ほど出て言った皇后のメアリーだった。
「このメイドが紅茶に毒を仕掛けて、それをエリザベスが飲んでしまい負傷を。幸い治療の甲斐あり一命は取り留めました。ただ、実行犯は自害しました」
そう言って自殺したメイドを見るとメアリーは命じた。
「メイドは病死したのです。エリザベスは毒を飲んでおりません。少し体調を崩しただけです」
「ですが母上」
「皇后である母の言う事が聞けないのですか? それともメイドが病死したことを認められないのですか」
「……いいえ」
ウィリアムは母の強い押しに唯々従うしか無かった。
「では間もなく式典が始まります。エリザベスも準備をしなさい」
そう言ってメアリーは部屋から出て行った。
「まったく、母はいつも対面を気にしすぎる」
「まあ帝国の権威に関わる問題だからね」
大貴族の娘に産まれ、面子と見栄の固まりのような皇后である。幸い、自身と帝国とを同一視しており、私利私欲に走る事は無いが、帝国の名誉の為に働くよう自身は勿論他者にも強く求める人物だ。
「それならエリザベスも問題だ。メイドが病死なら誤魔化せるが、エリザベスまで式典を欠席となるといらぬ勘ぐりを行われる。特にエリザベスは言葉をかけることになっているからな」
「エリザベスは回復していない。式典に出席するのは無理だ」
立っているだけとはいえ式典は長時間に及ぶ。なにより回復に専念するべき時期に何らかの仕事をさせる訳には行かない。
特にエリザベスは長女という事もあり、自分の子息の嫁にしようと考えている貴族が多く注目の的であり、動向は直ぐに伝わる。
ここで欠席するのは不味い。
「ならば非常手段をとるしか無いな。カイル頼めるか」
ウィルが真剣な眼差しでカイルを見つめてきた。
「……あれをやるのか」
カイルが恐る恐る尋ねた。
「それしか方法は無い」
「欠席という事に出来ないか」
「今言った通り無理だ。頼む協力してくれ」
「……分かった」
真剣なウィルの言葉にカイルは笑って答える。
そして踵を返し全速力で疾走――逃走した。