エピローグ
開闢歴二五九三年一二月一四日 帝都に向かう馬車の中
「カイル・クロフォード海尉を無罪とする」
軍法会議でジャギエルカ提督が判決を言い渡す。
その時、ジャギエルカ提督の非常に苦渋に満ちた表情を被告席でカイルは笑いかけた。だが、流石に高笑いするのは不謹慎なので意志の力で抑え込む。とは言うものの、二日間休まず帝都とポート・インペリアルを往復した疲労で笑う力もないのが現実だったが。
「わざわざ監獄に戻るバカなんて初めて見ましたぜ」
帝都での用事を済ませた後ステファンが苦笑しながら言っていたが、それでもカイルを独房に戻してくれた。
そして軍法会議でジャギエルカに勝利した後、カイルは建物を出て、てディスカバリーでの拘束を解かれた仲間と合流。帝都に向かって馬車に乗っていた。
「で、今回はどんな魔法を使ったんだ?」
揺れる馬車の中でエドモントが尋ねた。
「簡単に言うと世間を味方に付けたんだ。戦争が終わった後、これといった話題が無いから人々は刺激を求めいた。未知の遠洋での出来事なんて好奇心をくすぐるからね」
「でもどうやって報告書を持ち出したの。帝国学会の分も海軍が押さえていたはずよ。乗組員の分も海軍が封印していたはずなのに」
カイルの話を聞いていたレナが疑問に思って尋ねた。
「ああ、あれはウィルマの私的な文書だよ。文章の練習に報告書を書き写させていたんだ。それを持ち出したんだよ」
「命令違反じゃないの? 私的な日記も封印するように命令されていたでしょう」
「いや、命令には反していないよ」
「でも命令では記録は封印しろと」
「士官及び下士官はね。けど水兵はその対象だとは書かれていない。そしてウィルマは上官の見る目が無いので水兵のままだった」
「あ」
カイルの元で航海の補佐や計算を行っているだけにウィルマは下士官に昇進していたと思っている者も多いが彼女は水兵のままだ。
一応は熟練水兵に昇進しているが、水兵だ。
アルビオン海軍の一般的常識では水兵は読み書きの出来ない人間とされている。下士官への昇進条件の一つが読み書きが出来る事であり、下士官と水兵の違いとして認識されている。
そのため水兵が個人的に、それも学会の報告書の要約を持っているとは上層部も予想外だった。
水兵は世間の最底辺の人間であり、刑務所の囚人と変わらない、というのがこの世界の人々の一般常識と言って良い。
水兵が自らの意志で文章を書き写し、そして持ち出すなど、検査にあたった海兵隊も想像の外だ。
ウィルマもウィルマで、自分が持っていた書類をステファンから教えて貰った隠匿術で隠していた事もあり、乗り込んできた海兵隊の目を逃れ、陸地に運び込む事が出来た。
「あとは写しを学会に渡して、印刷し販売して貰っただけ」
バンクス氏は名声を求めていたため、直ぐに知り合いの印刷業者に頼み一晩で本にしてしまった。
ダリンプル博士の耳打ちや後押しもあって即座に販売会を開いた訳だ。
「よく海軍の圧力が掛からなかったわね」
「ああ、そこだけど、父に頼んだ」
「え?」
意外な人物の名前にレナは驚いた。
カイルの父親は親の七光りを嫌うような人柄だ。いくら我が子がピンチでも皇帝陛下や海軍上層部に話を付けるような事はしないので意外だった。
「ピンチになってね。流石に手が施せないから助けを頼んだ」
カイルも断られることは覚悟の上だったが、何故かすんなりと承諾してくれた。しかも脱獄したことにさえ何も言わず、計画を手伝うと言ってくれた。
「まあ、海軍上層部が学会に圧力を掛けないよう依頼したぐらいさ。それと印刷業者に印刷を行って貰うように頼んだよ。何しろ緒言とはいえ何十ページもある報告書を一晩で何百部も印刷して作り上げなければならないからね。帝都中の印刷業者を動員する必要があった。印刷業者は警視庁の目があるから大っぴらに出来ないから、監視が緩むように根回しを頼み込んだ」
プリンターなどないアルビオンでは、印刷は印刷業者に頼むしかない。
出版が盛んなキャメロットでも、印刷業者の数には限りがある。その上、警察――キャメロット警視庁の監視の目がある。
共和主義者の宣伝文を印刷されるのを警戒してのことだ。印刷業者の数が少ないので監視も楽であり、言論統制に一役買っていた。
印刷するには警察から妨害を受けないようにすることが必要だった。
幸いにも警視庁と海軍では管轄争い、帝都内の海軍将兵への捜査権、警察権がどちらにあるかで揉めていた。そのため海軍の失点になるという思惑もあり、今回の印刷を警視庁は黙認してくれた。
依頼者である父、クロフォード公爵への恩着せでもあるだろうが
「あとは報告書が皇帝陛下のお耳に入るように頼んで貰った」
ただ、カイルは余計な工作だったと思っている。
あの小父さん、いや皇帝陛下なら、冒険航海の話を聞いて好奇心から宮中に呼び込むに決まっている。
宮中に呼ばれるような人間を海軍の軍法会議が引き留めているわけにはいかない。
結局カイルは双方の顔が立つ範囲で罪なしとされ、釈放された訳だ。
もっとも、一番活躍してくれたのはダリンプル博士の後ろにいるアルビオンの諜報組織だ。
カイルがここで潰れたら今後の諜報活動、特に隠れ蓑になり得る科学的調査航海が不可能になる。何としても悪しき前例を残さないようカイルをサポートした。勿論カイルの計画に勝算を見いだしてのことだ。
特に情報の流布に関しては彼らが得意とするところだ。吟遊詩人や作家などにも諜報員がおり、様々な噂を流すことを得意としている。
彼らのお陰で、急速に観測航海のニュースがアルビオン中に伝播していった。
「しかし、姑息な手ね。正面から自力で突破出来ないから、外にいる人に助けを求めるなんて」
話を聞いたレナが呆れるように言う。
「しょうが無いだろう。極秘命令を遂行したか否かで、傍聴人無しの非公開審問で有罪にされかけたんだ。他の罪状だって屁理屈こねられて有罪にされかけたんだ。こっちも搦め手から対応しないと負けるよ」
「別に非難してないわよ。良くやった、って褒めているのよ」
「全然褒めているように聞こえないけど」
「本当よ。じゃあ証拠を見せて上げるわ」
そう言うとレナは立ち上がってカイルの方へ向かって手を差し伸べた。
そしてカイルの頭を撫でた。
「良く出来ました」
「……こっちが上官なんだけどな」
不満そうにカイルは言うが、振り解く仕草をしないので、満更でも無いらしい。
「一寸! 何私のカイルに触れているのよ!」
同乗していた姉のクレアが文句を言う。
「こういうときは私がやるのよ」
そう言ってレナの横から両腕を伸ばして割り込もうとする。
「ちょ、何をするのよ」
「エロ士官からカイルを守るのよ」
「どさくさに抱きしめようとするんじゃない」
レナとクレアの間で小競り合いが始まったが、長くは続かなかった。馬車が急停止して二人ともよろけてカイルの元に倒れ込んだからだ。
「ちょ、カイル」
「大丈夫?」
倒れた二人はカイルに尋ねる
「大丈夫じゃない」
籠もった声でカイルは答えた。レナの胸で口が塞がれていたからだ。動こうとしてもクレアが腹の下に顔を突っ込んでいるので立ち上がれない。
「お待ちしておりましたカイル様!」
そこへ飛び込んできたのはオバリエアだった。
助かるためには君の踊りが必要だ、とカイルに言われて帝都中の劇場で踊りを披露していた。今日ようやく合流できてオバリエアは喜んでいた。
南国生まれの特質なのか、はたまたカイルが軽いからか、女性二人に埋まったカイルを引きずり出して抱きしめた。
「一寸、何をやっているのよ」
ようやく立ち直ったレナがオバリエアを問い詰めた。
「ああ、いけないはしたない真似を。マナヴァ!」
そう言うとオバリエアは両手で肩を抱きかかえる姿でお辞儀をした。
「……ところで前から気になっていたんだけどカイルの時だけ、貴方のポーズ違うわよね」
普通は両手を胸の上に触れるだけだが、カイルの時だけ抱きかかえるようなポーズだ。
「ああ、それは貴方を愛している、全てを捧げる、という意味ですよ」
事情を知るウォリスがサラッと言う。
「待て! マナヴァは挨拶じゃなかったのか。歓迎するとかそういう意味だろ」
「ええ、ですがポーズによって意味が変わるんです」
ニヤニヤと笑いながらウォリスが説明する。本当に油断ならない人物だとカイルは思う。そして頭の中で要注意人物として改めてマークする。
「カイル様、久しぶりに二人で温め合いましょう。ここはカイル様の生まれ故郷とは言え寒すぎます。温め合いましょう」
だが今はウォリスどころではない。迫ってくるオバリエアに対応しなければならない。だが、存外に押しが強く、カイルはしどろもどろになる。
そのカイルを救ったのはレナだった。オバリエアの首根っこを掴んで引き離す。
「破廉恥な行動をするなオバリエア。慎みを持て」
「そうよ。妻の前で淫らな行為をしないで」
「止めろと言っているんだ淫乱魔術師とエロガキ」
「僕は何もしていないぞ!」
抱きつこうとするクレアと逃げようとするカイル。双方をレナが叩いて止める。
その姿を見たエドモントはやれやれと肩を竦め、ウォリスは笑いを堪えきれず大爆笑した。
こうしてカイル達の観測航海は終了した。
この後、宮中に招待され、御前報告を行い紹介されたことでカイル達は時の人となる。
暫くして海軍本部より転属命令が出て、新たな任地に向かうことになるが、それはまた別の話である。




