密会
開闢歴二五九三年一二月一二日 帝都 裏路地の空き屋
海軍第一卿ブライアン・フォードは几帳面な性格だ。何事も予定通り、規律通り。全てが間違いなく進むようにする。
会話相手としては楽しくないが、世界最大最強と称されるアルビオン帝国海軍のトップとして、海軍という巨大組織を管理運営する人物として見ればと得がたい人物だ。
トップが何かを間違えれば、直ぐさま下が被害を受ける。それを防ぐことが出来るのは間違いを犯さない者だ。故にフォードが第一海軍卿、海軍のトップにいる。
プラン通り進めようとする性格故に、定刻に海軍本部に入り、定刻に退出するのが常であり、その行き来のルートが変わる事も無い。
だが、この日だけは違った。
貧民街の近くで馬車の事故があり、一時間の足止めを食らってしまった。
ただ、このような状況でもブライアン・フォードは慌てない。自ら予定に組み込んだこと、馬車の事故が起こるように自分で仕込んで慌てるようなバカではない。
事故で人だかりが出来て自分の馬車が囲まれると、ブライアン・フォードは馬車の床を開けて抜け出す。馬車の中で海軍の制服から職工の服装に着替え済み。お陰で直ぐに周囲の人だかりに紛れてしまう。
その人だかりの中をすり抜けてフォードは裏通りに入ると、一つの空き屋に入り、地下室に下りて行く。
「お前達はここで待っていろ」
地下室の入り口に護衛を兼ねる部下を待機させる。これから会おうとする人物は複数の人物に見られることを望まないし、フォード自身も望んでいない。だから人払いの意味も併せて、部下は地下室の外で待機させて見張りに。会合に立ち会うのはフォード一人のみ。フォードは単身で地下室に入って行く。
そして暫し待つと扉が開き、フードを深く被ったローブの女性らしき人物が現れた。
「よく来ましたね」
いささか年はとっているが思わず背筋が伸びる程に貴賓のある声が聞こえてきて、フォードは跪いて答えた。
「ご下命とあらばいずこでも」
本来ならこのような場所で会う必要などないのだが、今回の用件が重大すぎるため互いにアリバイが必要である。何より相手が下手に帝城から抜け出すことが出来ない人物のため、こうして抜け穴の中で会う事になった。
「エルフの件はどうなっています」
「軍法会議の関係者に有罪に持ち込むように命じております」
軍法会議でジャギエルカ執拗にカイルを責め立てるのはフォードに言われたからだ。
ジャギエルカが評価されているのは、海軍関係の法律知識が豊富なのは勿論、その法律を思うがままに利用あるいは無視できるほど習熟している点だ。
簡単に言えば被告に有利な法律の条項や判例があったとしても、知らぬように無視する。反対に不利な条文や判例は容赦なく適用する。
時に拡大解釈したり、前例がないと称して無視したり、ある時は判決を下さなければならないと言って、前例が無い事を良い事に条理――裁判官個人の判断で判決を下し好き勝手に処罰する。
海軍上層部にとって好ましい事実と判例を積み上げる意味で、ジャギエルカは有用だった。
だが、カイル・クロフォードも海軍の条例や規律を盾に自身の身を守ろうとしている。
ある意味完璧な海軍士官であり、家柄も良く腕も良い。エルフでなければ直ぐにでも海佐、運が良ければ提督もあり得る逸材である、とフォードは考えていた程。
それほどの逸材をこのような謀略で抹殺しなければ成らないのは残念であり、息子のゴードンと交換したいくらいだ。
「そもそも二度と帰って来るはずのない航海ではなかったのか?」
苛立たしく相手が訊いてきた。初めの計画ではカイルは航海に失敗して二度と帰れないはずだった。
「予想以上に能力が高かったようで、無事に任務を達成し帰投しました」
「役立たずが」
その言葉にフォードはカチンときた。
そもそも今回の依頼は、カイル・クロフォードを亡き者にするよう命じられたからだ。
だが、あからさまに殺すことが出来ないので任務中の公務死となるようフォードは計画した。
偶々帝国学会からヴィーナス太陽面通過の観測支援依頼が来たのを幸いに、測量で多少なりとも有名になりつつあったカイルを参加させることにした。
そして失敗するように、ついでに海軍のお荷物士官を処分するため、無能なダウナーを艦長に任命した。
本来ならフリゲート艦を改造した上で探査航海の経験のある人物を任命したかった。だが、この工作の為に他の観測任務に配属して他に人がいないように偽装した。
さらに、かねてから横領容疑のあるワッデルを入れて、食料が足りなくなるように工作した。
秩序と無謬を尊ぶブライアン・フォードにとってこれらの工作は不名誉でしかない。
「しかし皇后陛下」
皇后陛下の密命でなければ撥ね除けていた。
「みだりに我が名を口にするな!」
それまで冷静でいた声がはじめて動揺の色を見せた。
「失礼いたしました」
慌ててフォードは謝罪した。第三者に訊かれては不味い単語であり自ら失態を犯したのは痛恨だ。
しかし、その原因は多大なストレスを皇后から受けていたためでもある。
「よいか! あのエルフを必ず殺しなさい。決して謀殺だと分からないように。事故か処刑を装って殺しなさい」
「はい。しかし、どうしてあのエルフをそこまで気にするのですか。幾らクロフォードの嫡子とはいえ一海軍士官に過ぎません。気にする必要はないのでは」
まして殺す必要などフォードは思いつかなかった。
「貴方が知る必要はありません」
「失礼いたしました」
皇后の逆鱗に触れたフォードは慌てて頭を下げた。
内心では権力者というのは本当に傲慢だと、不満が渦巻いている。今日も帝城内の隠し場所、通された控え室の絵の裏にあった手紙を受け取った。開いて見ると、今日会いたいと書いてあり強引に準備を行った。手紙は直ぐに暖炉に入れて燃やしたが、指定時間も退庁時刻と殆ど変わらず、馬車が事故に巻き込まれるよう無理を押して準備をしなければならなかった。
本来なら自宅からユックリと来たかったが、時間が無かっため事故に巻き込まれた途中で馬車を降りるように擬装していた。
それなのに、皇后は更に無理難題を吹っ掛けてくる。フォードは苛立ちで拳を強く握りしめる。
「兎に角、帝国の名誉にかけてあのエルフを殺しなさい」
皇后はそれだけ言うとフォードの返事も待たず隠し扉は閉じられた。
「……全く、簡単に言ってくれる」
不満タラタラでフォードは空き屋を後にした。
「出て行きました」
フォードが空き屋を出て行くのを確認したステファンが入れ替わりに入り、地下室の隠し扉をノックして中に伝える。
「分かった、今開ける」
すると扉の中には先ほどのローブ姿の女性、に見せかけたビスク・ドール――マネキンのご先祖様が置いてあった。
「バレませんでしたか?」
「多分大丈夫だ。暗いし、皇后かどうか確認しようとする人間はいないよ」
人形の後ろに隠れていたカイルが答える。
隠し扉を開閉していたウィルマも出てきて合流する。
「しかし、まさか皇后陛下が第一海軍卿に命じて艦長を殺そうとしているなんて」
「なんとなく予想はしていたからね」
第一海軍卿と皇后陛下の結びつき、権力的な関係が強いのは、宮中にいたカイルもよく知っていた。そして手紙のやりとりの方法もカイルが宮中に仕えていたとき偶然見ていた。
同じ方法を今でも使っているとは思わなかったが、驚いたことに絵の裏から手紙を見つけた。手紙を見つけ出すとカイルは自分の書いた偽物にすり替えて、フォードを自分たちが指定した時間におびき出すことに成功した。
そもそも先年の暗殺未遂事件は帝城の上位者の協力がなければ、共和主義者達が入り込める場所ではない。だから皇后陛下あたりが手を引いているとカイルは考えていた。
図らずも今回、犯人のあてを見つける事が出来た。
「しかし、よくバレませんでしたね」
「近くで聞いていたからな」
帝城で仕えていたとき、エルフが帝国の汚点であり排除しなければならない、と言う皇后の声をカイルは間近で聞いていた。
今回は妖精魔法である声色を使って皇后の声を真似した。どうやらフォードにはバレなかったようだ。
「で、どうしますか?」
「兎に角、黒幕は分かった。あとは上手く行動するだけだ」
「何をします」
「とりあえず、この人形を空き屋の方へ移してくれ」
「どうして?」
「直ぐに高貴なお客様が来るから迎えないと」
「え?」
「僕がやったのは海軍卿に、会合時刻を早める、と書いた偽の手紙を出しただけだ。時間通りに皇后様が来て海軍卿が居なかったら辻褄が合わない」
合点のいったステファンは人形を動かすのを手伝った。
「だが人形では難しいのではないのかね」
見届け人として彼らを見ていたダリンプル博士が言う。
確かに人形だと頭を下げたり動揺する仕草は難しい。上位者である皇后なら殆ど動きがないため人形でも事足りる。多少不自然な動きをしても、あるいは動きが無くても下位のフォードが疑問を口にするとはない。
だが命令を受ける立場のフォードを人形が演じるのは難しい。少しでも受け答え方がぎこちなかったり、動揺のそぶりを見せなければ怪しまれてしまう。
「そうですね。ではお願いできますか?」
「え?」
かくしてダリンプル博士がフォード第一海軍卿に変装して会うことになった。
互いに第三者に見られないように顔を隠しているので顔は似ていなくても問題はない。それでもステファンは太り気味だし、カイルでは小さすぎる。ウィルマはカイルより更に小さいので問題外だ。
そのため体格的に近いダリンプル博士がフォード役をする事になった。
ただ、貴婦人は遅れてやって来る、というアルビオンの格言通り、二時間程待たされることとなったが。
変装のために演技の訓練も受けているダリンプル博士は見事フォードを演じきり、皇后に会ってフォードと会談をした辻褄を合わせることにカイル達は成功した。
ダリンプル博士は寿命が地事務思いであった事は言うまでもない。




