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艦長の権限

 開闢歴二五九三年六月一一日 オタハイト島西方洋上ディスカバリー艦長室


「諸君、我々は命令通り無事に観測任務を終えることが出来た。感謝する」


 ディスカバリーに戻ってきたカイルは士官全員を艦長室に集めて感謝の言葉を述べた。


「だが、本国に帰るまでが任務だ。観測結果を届けなければ意味が無い」


 カイル達の任務は観測は太陽と地球までの距離を出すための観測だ。多数の観測地点から得られるデータを元にするため、本国に届けなければ意味が無い。

 特にオタハイト島は絶好の観測地点とされており、ここでの観測データは帝国学会のみならず世界の科学界から期待されている。

 これを本国に届けなければ任務完了とはならない。


「その前に海軍本部よりの命令を遂行する必要がある」


 カイルの言葉に、士官達は絶句した。苦労してオタハイト島までやって来て、観測を成功させたのに、まだ続くのか、何をやらせるのか、という疑問だった。


「では、封緘命令書を読み上げる」


 封の開いた封筒をカイルは取りだす。内容をカイルとカークは知っていたが、改めて読み上げる。

 新領土、特に南方大陸の発見に努めるように、との命令を伝える。


「以上だ」


 命じられた士官達は不満顔だ。特にレナは露骨に顔をしかめている。


「これ以上、更に航海を続けろと」


 途中幾度も戦闘があって疲れている。これ以上の探索は危険だとレナは考えている。


「食料は半年程しかない。水は確保したが何時まで持つか」


 主計長を務めるエドモントは呆れたように言う。

 ディスカバリーは帆船なので風があれば航行できるが、操る乗員は食料が無いと動けない。


「しかし海軍本部は新大陸探索を命じております。これを無視するのは」


 反対したのはカークだった。

 ウィリアムの護衛だが生真面目な性格で、言われたこととを絶対に遂行しようとする彼にしてみれば、命令は完遂すべき事なのだろう。


「だが、食料が少ない。それに度重なる戦闘で弾薬も尽きかけている」


 反論したのは物資を管理するエドモントだ。補給のあてが無いのに航行する無謀さを説いている


「しかし、命令は遂行すべき事でしょう」


「物資がないのに行動できるか」


「ですが明確に命令を遂行しなければ海軍本部が後から追求するでしょう。最悪の場合、軍法会議のおそれもあります」


 軍人は命令遂行を求められる。遂行しなかった場合、処罰の対象になり得ることが軍法に定められている。

 真っ向から拒絶してカイルが軍法会議にかけられることを恐れて、カークは遂行を提案していた。

 そのことはエドモントも分かっていたが、だからこそ柔らかい口調でハッキリと伝えた。


「だが、実行不能だ。実行した場合、我々は食糧不足で漂流、餓死してしまう」


「途上の島で食料の補給は可能では」


「確実に補給できる場所が予定航路上にない。補給可能な港までの日数を考えれば、命令は実行不能と判断する」


 カークの反論をエドモントは主計長として物資の観点から反対する。更にバンクス氏も発言に加わる。


「帝国学会としては必要な観測が終了しました。新領土の探索は結構なのですが、あえて危険を犯してやる程の事ではなく、観測結果を無事に持ち帰ることが最大の目標です。どうかその観点からご判断を」


 バンクス氏は、安全を求めて帰国を希望しているようだ。

 これまでの寄港地で各所の動植物についての報告書を書くことが出来て十分な成果を上げられた事もあるだろう。

 新領土の発見も魅力的だが、生きて帰らなければ無意味だ。


「しかし、海軍本部の命令では探査とあります。遂行しなければ」


「では学会の代表として正式に要請しましょう」


「海軍においては上位者の命令のみに従うだけです。要請は命令の範囲で遂行します」


「我々を蔑ろにするのかね?」


「海軍は帝国学会の要請を受けて行動しています。しかし、それは海軍が命令を受けている範囲のことです。艦長も海軍本部からの命令を受けて行動しています。反する行動をすれば処罰の対象になります」


「もうやめろミスタ・シーン」


 カイルはカーク・シーンを黙らせた。言っている事は正しいが、何の成果も上げない演説だ。下手に長引かせるより途中で切った方が良い。

 お陰で全員の注目がカイルに集まることになった。


「よし、帰国しよう」


 注目が集まる中、カイルはそれぞれの主張を勘案し決断した。最初に異議を唱えたのは予想通り、カークだった。


「命令を遂行せずに帰国して宜しいのですか?」


「エドモントが言うとおり、物資、特に食料が足りない。途中で尽きるだろう。途上の島に補給できるだけの食糧がある保証はない」


 補給可能な島を探すこともこの探索で求めているのだろうが、自分たちの食料が確保出来ていない現状では無理だ。


「それにディスカバリーもかなり損傷している。戦闘や座礁などで板の継ぎ目が緩んできていて浸水も多くなっている。これ以上の航海は危険だ」


 十分計算し安全に座礁させたとはいえ、オタハイト島での座礁はディスカバリーの船体に負担を掛けてしまった。

 索具やロープはブーゲンビリア島で補充しているが、彼らの工作精度はお世辞にも高いとは言えない。

 無いよりマシだが、何年も使い続けるには信頼性が足りない。


「それに度重なる戦闘で乗員は疲れている。これ以上の航海は無理だ」


「しかし、海軍本部の命令は?」


 だが、カークはなおも命令を遂行すべきという立場だった。


「遂行不可能な命令を実行するなどやってはならない。何より命令によって艦を失うのは避けなくてはならない。確実な補給、補充の手はずがない中、長期の航海は危険だ。よって私は帰国を選択する。これは艦長の決定だ」


「……分かりました」


 カークは頭を下げて命令を受け容れた。

 自説を曲げるつもりはないが、自分の立場、見識から意見を述べたまでだ。意見具申も任務の一つであり、その遂行にあたっての重要点は自分の持つ能力を最大限に使って出した意見を述べることだ。

 だが意見を述べた後は責任者たる命令権者の下した決断に従わなければならない。

 それが士官の役割だ。

 後は命令に従って下士官兵に命令を出していくだけだ。


「これより帰国する。最適な航路を算出し針路を伝える」


「また大変な航海になるんじゃないでしょうね」


 レナが疑わしげに尋ねる。


「出来る限りの努力はするよ。よし、みんな解散だ」


 そう言って全員を解散させた。ただカークだけは残した。


「艦長に歯向かった廉で解任ですか?」


 緊張気味にカークは話した。先ほど艦長の判断と違う意見を言ったので処罰されると考えていた。

 予想通り、生真面目に悩んでいたカークを見てカイルは切り出した。


「そんな事はない。寧ろありがとうと言いたい」


「……皮肉ですか?」


「素直に感謝の言葉を述べているんだが。命令を受けても実際の行動に移すときどんなメリットデメリットがあるか検討するのは大事だ。君は士官として行うべき行動を艦長である私に提案した。任務に忠実に従ってのことだろう」


「私は士官として必要な事を述べただけです」


「それで良いんだ。士官は自身の経験、見識を元に進言する義務がある」


 士官が高い教養を求められるのは現実に行動する際の良否を判断する材料を提出することだ。勿論実際の指揮も行うが現場監督は下士官の領分で、士官は彼らに何をやらせるか判断し命令するのが役目だ。特に判断能力が求められる。


「判断のための材料を提出することが士官の役目だ。君は必要と判断したことを伝えた。それで十分だ。賞賛こそすれ、処罰の対象にはしない」


 ただ、同い年でも上位者である艦長へ意見を言うのは勇気が必要だ。まして反対意見を述べたらどんな処罰が下るか不安になるのが普通だ。

 転生前の商船学校や実習航海で進言した時は、評価が下がらないかと航平はビクビクしたものだ。だからこそカークを安心させたい。


「これからも君からの進言に期待している。どのような事でも進言すべきと判断したら進言してくれ」


「……」


「良いな?」


「アイアイ・サー」


 ようやく返答を貰ったカイルは頷いた。


「では、これから航路を策定する。手伝ってくれ」




 命令が下った後は、それに従って行動するだけ。具体的には、航海長を兼ねるカイルが航路を設定して、針路を掌帆長をはじめとする乗員に伝え艦を動かす。

 そしてカイルが策定した航路は再び南緯五〇度の海域を航行するコースだ。

 西に向かいつつ、風向きに合わせて徐々に反時計回りに南へ針路を変更して最終的に南緯五五度付近から東に向かう航路だ。

 偏西風を最大限に受けて迅速に航行できる上、スホーテン海峡をストレートに通過できる。

 欠点とすればスホーテン海峡の北端南緯五五度より南に位置しないと新大陸の北端に激突するため、来たときより更に南、より厳しい海象の海域を航行する事だ。

 しかも南半球は、これから厳冬期に入るため更に荒れる。

 ディスカバリーの乗員は、寒さに震え、日々マストや索具の着氷をたたき落とす作業に日々追われることになった。だが二回目ということもあり、耐えきることが出来た。

 カイルの操艦によって無事にスホーテン海峡を突破。その後は、ストロン諸島で補給と休養を行い大蒼洋を北上。赤道付近で風待ちをした以外は順調に航行し、一二月にはアルビオン帝国本土に到着した。

 往路と違って順調に航行できたのはカイルがウェザールーティング――気象状況の分析や気象予報を元に、遭難の危険や時間のロスを減らす適切な航路の算出――を行い実行したからだ。

 気象予報はないが、転生前の知識を元に大気の循環法則や季節風を考慮して算定している。

 往路でもウェザールーティングを出していたが、ダウナー艦長が受け容れなかったためにゴミ箱行きとなった。

 計画は策定しても実行できなければ、そして成功させなければ意味が無い。

 今更ながら往路に採用されていればと思うが、過ぎた事は仕方ない。だからカイルは帰りに実行し成功させたことを純粋に喜ぶ事にした。

 そしてカイルは寄港する、と命令に従い乗員に箝口令を敷くと共にm航海日誌と報告書を提出しにポート・インペリアル鎮守府を訪れた。

 その時拘束され、そのまま海軍監獄に収容されて今に至る。




 開闢歴二五九三年一二月一〇日 ポート・インペリアル海軍軍法会議別室


「さて、答えて貰おうか。封緘命令書を実行しなかった理由を」


「報告書にも書いたとおり、食料をはじめとする物資の不足により遂行は困難だと判断し、観測結果報告のため帰国を選択しました」


 軍法会議が終わってから、別室でジャギエルカによる非公開の審問が行われている。

 審議の内容が封緘命令書に関することであるため、公開審議では秘密が守れないというの、別室で行われている理由だった。


「途上で補給を行いつつ探索を行うことは可能だろう」


「机上の空論です。食料を確保出来るあてがなければ航行できません」


「アルビオン海軍士官が直ぐに出来ませんというのか。軟弱者め」


 OKY――お前が、来て、やってみろ。

 カイルは心の中でジャギエルカに悪態を吐いた。

 海外駐在員が現地の事情を知らず、無茶な指示を連発することに対する不満を込めた言葉だ。転生前のカイル――航平も時折本社のオペレーションルームから出される無茶な指示に頭を悩まされた覚えがある。寄港先の駐在員と交流したとき、彼らも同じ悩みを抱えており、彼らが思わず呟いた単語で転生後も覚えている。

 この場合もそうだが、ジャギエルカ提督も一応洋上勤務を務めた経歴があったはず。

 海の事情を知っているはずのジャギエルカがこのような仕打ちをすることに、カイルの不信は募る。

 OKY――お前、ここに、おったやろ。

 現地に駐在して共に本社の無茶ぶりを愚痴ったくらい事情に詳しいはずなのに、異動で本社に戻ったら無茶な命令を下す、元上司、元同僚に対する悪態。

 これもカイルがそこで聞いて、転生後も覚えていた言葉だ。

 だがここで言っても意味が無いので論理的に反論してみた。


「命令書にはこうもあります。<この種の航海においては予想せざる緊急事態が発生する可能性があり、それに対して細かい命令を下すことが出来ない。そのような場合には士官達と協議の上、与えられた任務に最も利益あると判断する道を選ばれたし>。これは現地指揮官の裁量で命令の実行、中止を選べるという事ではないでしょうか」


 艦長や士官には命令に従う義務があるが独立行動、本体から離れて行動する場合、現地の状況が変ることで命令実行が不可能となる場合がある。

 その際、現場指揮官は命令実行可能か否かを判断し、任務を中止することが出来る。

 通信技術が発達していないこの世界で必要な慣習だった。


「創意工夫により任務を達成するのがアルビオン海軍士官というものだ。しかもこの任務は今後アルビオン海軍の未来を決める重要なものだ。それを途中で放棄するとは士官としての見識もないようだな」


「この任務が重要である事は理解しています。しかし、優先順位としては観測結果を持ち帰ることです。探索任務を実行した場合、観測結果を持ち帰れない恐れが高く、行うべきではないと判断しました」


「そう言って任務を放棄したという訳か」


「どうしてそうなるのですか!」


 無理矢理にでもカイルを悪者にしようとする言葉にカイルは頭にきた。だが海兵隊員に押さえつけられたため、ジャギエルカには何も出来ない。

 動けないカイルに向かってジャギエルカは傲然と言い放った。


「君が任務を明確に放棄した事は事実だ。そのことは私が君から確認した。これ以上の審議は必要ないな。監獄に戻り給え」


 そう言ってカイルを監獄に連行するようジャギエルカは海兵隊員に命じた。

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