オタハイト島北方の海戦
開闢歴二五九三年五月二六日 オタハイト島北方洋上 ラ・ブードゥーズ甲板
「ディスカバリーを再確認! 洋上に出ています」
「艦長了解!」
見張りの報告にブーゲンビリア提督は答えた。
夜が明けて視界が開けたためラ・ブードゥーズはディスカバリーを再発見した。
暗闇の中、南洋の沿岸近くを航行するのは珊瑚礁に座礁する危険があり、洋上で待機していた。
風は東風。空は晴れており、天候が悪化する気配は無い。
「まさか戦う事になるとは」
先日ディスカバリーと出会った際に、ガリアとアルビオンが交戦状態に入り一年近く戦っていたことを聞かされた時は驚いた。三年以上、本国との連絡がとれず、世情に疎いブーゲンビリア自身は驚かざるを得ない。
実際に戦った訳ではないので相手への敵意はない。国家と自分の栄誉を守るために舌戦は行したが、エルフとはいえエウロパから遠く離れた海域に来た船乗りをブーゲンビリア自身としては歓迎したい。何万海里もの波濤を超えてきた人物はそれだけで傑出していると探検家のブーゲンビリアは信じている。
しかし、状況が更に変わった。
先日ル・エトワールと合流したとき、アルビオンとガリアが再び交戦状態に入ったと知らされた。
そしてガリア本国から交戦命令が下ったとなれば国家に仕える海軍軍人として命令を実行しなければならない。
アルビオン国籍艦船を捕獲ないし攻撃せよ。
受けた命令はこれだけ。ならば近くにいるアルビオン艦船、ディスカバリーを捕獲もしくは攻撃しなければならない。
探査任務に就いているとはいえ、ラ・ブードゥーズは元フリゲート艦。
積載量と容積を確保するため多数の大砲を下ろしているが、海獣や海賊から身を守るため十二門の一二ポンド砲と多数の旋回砲を装備している。
一方、先日招待されたディスカバリーの搭載砲は合計で二〇門。最大でも六ポンドまでの大砲しか積み込んでいない。
船の性能、戦闘能力は海戦の結果に直結する。
ラ・ブードゥーズだけでも勝てる。
更に今風下側に味方のル・エトワールが展開し逃げ道を塞いでいる。危険ではないか、とブーゲンビリア提督が思う程島に接近していたが夜明けと共に洋上へ出て行く。
これで作戦通りだ。
「ディスカバリーからの応答は無いか?」
「マストに旗が揚がっています! 戦闘旗です!」
見張りの報告と一緒にディスカバリーから発砲があった。
砲弾はラ・ブードゥーズの離れた海面に着弾。ディスカバリーは元より命中させる気はなかったのだろう。今のは所属を明らかにして戦闘を行う明確な意志をラ・ブードゥーズ、そしてブーゲンビリアに示したのだ。
「こちらも戦闘旗開け! 作戦通りに行動する!」
ラ・ブードゥーズも予めマストに上げ、紐で縛っていた旗を解いて戦闘旗をはためかせる。
ブーゲンビリア提督の立てた作戦は簡単だ。
ディスカバリーが交戦の意志を示した場合、風上と風下から徐々に接近して挟み撃ちにする。
出来れば接舷して捕獲したいが、最悪の場合、島に追い詰めて座礁させることも手段として考えている。
船体に穴が開き、捕獲しても曳航できなくなるので避けたいが仕方ない、とブーゲンビリア提督は考えていた。
少なくとも負けはしない。
艦の性能は上回っており、数の優位もある。
取り逃がす危険と反撃されて艦が損傷する危険、ラ・ブードゥーズが座礁することも考えていたが、負ける要素は無いとブーゲンビリア提督は考えている。
「向こうは風下だ! 遠距離で撃ってくるぞ!」
風上側の甲板が空を向くのを利用して、仰角を付けて砲撃を行うと砲弾は放物線を描いて遠くまで飛ぶ。
そのため風下側の艦船は戦闘の際、威嚇や牽制のために遠距離砲撃を行う事が多い。
ブーゲンビリア提督も海軍軍人でありその常識は身についている。
予想通り、ディスカバリーは遠距離砲戦を行い、ラ・ブードゥーズを接近させまいとする。
ラ・ブードゥーズの周辺に水柱が上がるが、被害はない。
「慌てるな! 連中は威嚇しているだけだ!」
接近されればラ・ブードゥーズも砲撃可能になり、攻撃できる。
それまでディスカバリーから放たれる砲弾の雨に耐えなければならないが、長くは続けられない。
「始まったな」
ディスカバリーの周辺に水柱が上がった。ディスカバリーより風下にいるル・エトワールからの砲撃だ。
風下側からの発砲は風上より射程が長い。それを利用しての牽制砲撃だ。
遠距離では命中は期待できないので、ディスカバリーの前方海面に砲撃を集中させ針路を妨害する。
女性艦長と思って侮っていたが、なかなか堅実な戦術を展開する、とブーゲンビリアは心の中で賞賛を送る。
風下から砲撃を受けたディスカバリーは下手回しで引き返すように逃走する。
「よし」
外洋への逃走を防げた事にブーゲンビリアは安堵した。
洋上で追いかけっこをするのは骨が折れる。船は海の上を自由に航行できるので、何処に向かうか分からないからだ。
だが、船は陸地を走れない。
島の沿岸に抑え込んで拿捕できる。
「艦を近づけろ」
ブーゲンビリアは、艦をディスカバリーに近づけつつ、ル・エトワールと連携して包囲網を狭めて行く。
追い詰められたディスカバリーは島の沿岸付近で旋回を繰り返し、ル・エトワールとラ・ブードゥーズ二隻からの砲撃を躱そうとする。
しかし、沿岸付近でそのような航行をするのは危険だ。ディスカバリーは数回、上手回しを繰り返したが徐々に浜辺に近づいて行く。
そして、艦首を東に向けて航行していた時、突如その足を止めた。
「連中座礁しやがったぞ!」
ラ・ブードゥーズの甲板で歓声が上がった。これで船の最大の特徴、機動力を封止することが出来た。
あとは大砲の砲撃範囲外から攻撃するか降伏させるかだ。
「ディスカバリーに降伏勧告を行え」
ブーゲンビリアが命じるが、信号員が旗を揚げる前にディスカバリーからの回答――砲撃があり、戦闘継続が確認された。
戦闘とはいえ砲撃で傷つけるのはブーゲンビリアの本意では無い。だが戦闘の意志があるのならば、攻撃しなければ。
「ディスカバリーの艦首に向かえ」
船は船体の横に大砲を搭載している。大砲が並べやすいからだ。幅の狭い艦首と艦尾は砲の搭載が困難であり、載せたとしても数は少ない。
艦首は攻撃力が弱いか無い。そこを攻撃すればディスカバリーは降伏する筈だ。だが、ブーゲンビリアは引っかかることがあった。
「座礁前に裏帆を打っていたな」
通常、艦の後ろから風を受けるようマストに帆を張っている。逆側から帆を受ける事を裏帆と呼びマストに接触し損傷するのを防ぐ。通常とは逆の方向から風を受ける事を裏帆を打つと呼んでおり船乗り達は警戒している。
通常は風向きの変転に対応できず裏帆を打つことが多いが、減速のため後進を行う為に裏帆を打つことがある。
ディスカバリーが意図的に裏帆を打ったのではないか、という疑念がブーゲンビリアの脳裏に引っかかっていた。
座礁を恐れて減速ないし急停止、後進していた可能性もあり、断定できない。だが、先日会ったカイル・クロフォード海尉が下手な操艦をするようには見えない。
ブーゲンビリア提督はカイルの操艦を実際に見ている。躍動的だが何処までも計算されており、大胆に見えて隙の無い操艦だ。
勿論、通常の操艦と戦闘が違う事は、ブーゲンビリアも今、身を以て体験している。
しかし、ディスカバリーならばもっと上手く航行できたはずだ。それもこちらが包囲網を敷く前に悠々と外洋へ逃れる事が出来たくらいに。
ではどうして逃れなかったのか。作戦で島に引き返したのか。
ディスカバリーを追い詰めている筈の自分が誘い込まれているような感覚にブーゲンビリアは陥った。
ならばどうして座礁させたのか。
「座礁さえも作戦の内なのか」
だが座礁させて、その後どうしようと言うのだ。艦首に回られて砲撃を受けるだけだ。
「回り込む」
ブーゲンビリアはディスカバリーの位置と向きを確認した。
ディスカバリーはオタハイト島の北岸と並行に座礁している。艦首は北に艦尾は南を向いている。
そしてラ・ブードゥーズは北側に回り込もうとしている。つまり、陸地に近づいている。
「不味い! 取舵一杯! 島から離れろ!」
ブーゲンビリアが叫んだ瞬間、島から砲撃があった。
カイルがヴィーナスの太陽面通過を観測するために作り上げた砦からの砲撃だ。
「心配するな! 連中の大砲は小口径だ! 大した被害は無い!」
動揺する乗員に叫びパニックを抑えようとする。
しかし、艦の両舷に着弾した大きな水柱が立ち上る。その事実は張り詰めていた乗員の緊張を千切りさった。
六ポンドどころではない大型フリゲート艦か戦列艦が搭載する二四ポンド砲。
そんな大きな大砲をあの小さな観測艦が積んでいるはずがない。
だが、現実に砲弾は降り注いでいる。周囲を見渡すとオタハイト島、ディスカバリーが砦を築いた場所に白煙――砲煙が上がっている。
陸上から砲撃を受けている。
陸上からの砲撃は船にとっては不利だ。しかも大口径砲による砲撃はラ・ブードゥーズに致命的な損傷を与える危険が大きい。
甲板は動揺する乗員で混乱する。
ブーゲンビリアや部下である士官、下士官が落ち着かせようとするが、続けざまに襲いかかってくる第二の砲撃がマストや索具に命中して静索、動索を切断する。
「残った帆で退避しろ!」
「艦長! ディスカバリーが動きます」
「まさか、座礁して動けないはずだろう」
見張りの報告に驚いたブーゲンビリアが見るとディスカバリーが動き出し、ラ・ブードゥーズへ向かって突進を始めた光景だった。




