オタハイト島
開闢歴二五九三年五月一日 オタハイト島近海 ディスカバリー艦上
「前方に島が見えます!」
見張りの報告で甲板に乗員の歓声が上がった。
「何とか期日に間に合ったな」
その中でカイルはホッと安堵の溜息を付いた。
ブーゲンビリア島を出帆してから一月以上、期日である四月中旬に入り、最終リミットの五月に入りかけて内心焦っていたからだ。
最悪の場合、どこか針路上の島に上陸して観測することも考え始めていた。幸い風は順風で期日内に到着出来ることは判っていたが、風が止むのでは無いかと不安になる日々を送っており、無事に到着出来てようやく落ち着くことが出来たカイルだ。
「ミスタ・ウォリス!」
「はい、艦長」
かつて探検航海でオタハイト島に上陸したことのある案内人にして、現在臨時に海尉に任命しているウォリス氏に話しかけた。
「停泊するには何処が良いか。意見を求めたい。観測日に太陽は北の空を通過するから島の北側の空が望める場所が好ましい」
「そうですね。島の北側に穏やかな湾があります。そこに入港することをお勧めします」
「分かった。案内し給え」
オタハイト島は海から飛び出した大きな二つの山が陸続きになったような島だ。カイル達はウォリスの案内で北西側にある大きな山の麓にある北側の停泊地に向かった。
ウォリスの話によれば、友好的な現地人の集落にも近く、給水可能な泉もあるとの事だった。それが本当であれば素晴らしい場所だ。
早速、針路を目的地に向かって航行したところ、見張りから報告が入った。
「船影があります!」
「何処の船か分かるか!」
「ガリア国旗を掲げています!」
見張りの言葉にカイル達に緊張が走った。
先日のブーゲンビリア島での戦闘を思い出し、また戦闘になるのではないかと不安になる。
「戦闘配置に付け」
「待て」
乗員を配置に付けようとするレナを制止してカイルは命じる。
「信号旗を揚げる。K旗を揚げて相手に通信を求めろ」
K旗はKを表すと共に<本船は貴船に通信を求める>という意味がある。
国際共通信号旗のためガリア船にも通信が伝わるはずだ。
「返信がありました。回答旗が出されています」
「よし、接近するぞ」
「大丈夫か?」
エドモントが不安そうに尋ねてくる。
「通信をするフリをして接近したところをズドンと言うのはゴメンだぜ。目撃者なんて交流のない原住民だけだし」
「大丈夫だよ。相手は錨を降ろしていて直ぐに出港出来る状況にない。風上側からユックリと接近する。ああ、向こうもこちらの事を警戒しているだろうから、こちらの所属を伝えておいてくれ。海賊船と思われる事は避けたい」
「アイアイ・サー」
双方共に味方の支援の無い、遙か遠い海にいる。自力で何とかしなければならない上に、海賊船への警戒も怠ることは出来ず、互いに不安に思っているはず。
相互不信からの突発的な戦闘は避けたいカイルだ。
幸いにもガリア船はこちらの意図を理解してくれて艦名を答えた。
「相手はガリア海軍フリゲート艦ラ・ブードゥーズです」
「ラ・ブードゥーズだと!」
艦名を聞いてカイルは飛び上がった。
ラ・ブードゥーズはガリアの探検家ブーゲンビリア提督の船であり、世界的に有名な人物だった。
世界各地を探検し、多くの島や生物を見つけ、その名を残している。カイル達が先に寄ったブーゲンビリア島もその一つであり、当代の偉人だ。
こちらの世界に来てから知ったが、彼の書いた世界周航記をカイルは何度も読んでいる。
確かガリア戦争が始まる前に新たな探検航海に出ていると聞いていた。そのため提督が戦争継続中と認識ではないか、ディスカバリーを攻撃しないだろうか、と心配した。
しかし、カイルの心配は杞憂だった。
ラ・ブードゥーズの近くにディスカバリーが停泊すると、ラ・ブードゥーズからボートが出てきてディスカバリーへの乗艦を求めた。
しかも、ブーゲンビリア提督自身が単身でだ。
「乗艦許可を求む」
提督自ら求められてはカイルは了承しない訳にはいかず、提督に許可を出した。
「乗艦を許可します」
乗艦許可を得た提督は自ら軽々と梯子を登り、ディスカバリーの甲板に立った。
「乗艦許可を感謝します艦長。私はガリア王国海軍提督ブーゲンビリアです」
船乗りらしいガッチリとした身体とごつい顔で、目には力が入っているが目元と口元は柔らかく人当たりの良さそうな人だ。船乗りの腕と人徳で船を動かしている人だ、とカイルは思った。
「乗艦ありがとうございます。当艦はアルビオン帝国海軍観測艦ディスカバリー。私は艦長のカイル・クロフォード海尉であります」
「失礼だが、貴官はエルフか?」
「はい、先祖返りなのか。人間の両親から生まれました」
偏見に満ちた目で見られないかとカイルは不安になったが、ブーゲンビリア提督はカイルの不安を察して話しかけた。
「ああ、違う。確かにガリアはエルフ嫌いの人間が多いが、私も君も船乗りだ。船乗りは互いの技量を認め合うべきだ。ならば本国を遠く離れた場所まで艦を導いた技量を認めるべきだ」
「ありがとうございます」
カイルは感激した。エルフという事や技能未熟な連中に迷惑を掛けられて苦労したのだ。敵対状態に近い国の海軍提督とはいえ、認められるのは嬉しい。
有能な敵より無能な味方を殺したい、という悪態があるが、この一年近くでカイルも強く同意したいと感じるようになった言葉だ。
「ところでエウロパ諸国の状況はどうだね。何しろ三年以上、文明のある場所に帰っていない」
「……航海を続けておられたのですか?」
「ああ、平和洋北方探索を行っていたが途中で氷に囲まれて越冬したりしてね。ブーゲンビリア島に帰る予定だったが風に流されてこの島に来てしまった。状況交換を求めたいのだが」
その時、エドモントがカイルに耳打ちした。
「戦争の事とか話さない方が良いのではないか? 下手に戦闘になると困るぞ」
「いや、正直に話した方が良い。隠し事がバレる方が後々厄介だ。正直に話そう」
「じゃあ、ブーゲンビリア島の事も話すのか?」
「ああ、包み隠さずにね」
「大丈夫なのか?」
「見たところ提督は話の分かる人だ。偉大な航海者に嘘は吐きたくないよ」
「それは、お前の感傷だろう」
「そうだけど、信じるに値する人だよ。心配ない」
「艦長の御心のままに」
そう言ってエドモントとの打ち合わせを終えるとカイルはブーゲンビリアが出港した後の事を掻い摘まんで話した。
アルビオンとガリアの戦争と終結。ヴィーナス太陽面通過の国際的観測計画。ディスカバリーがその計画の一員であり観測の為にオタハイト島に来港したこと。
さらに途中でブーゲンビリア島での戦闘について伝えた。
「それは不幸だったな」
「まあ、幸運にも死傷者は出ませんでしたし」
「そうだな。我々は戦闘も無く平和に会うことが出来た事を喜ぼう」
「はい。あの、済みませんがそちらの情報も貰えると有り難いんですが」
「ああ、構わないとも」
「では、今すぐそちらの艦に向かい海図と航海日誌を見せて頂けませんか? こちらも情報として航海日誌を提供する用意がありますが」
カイルが積極的に情報を交換しようとしたのは海域の情報を得るためだ。三年以上探検航海を続けてきたブーゲンビリア提督の航海日誌は未知の海域の情報が詰まった宝の山だ。
何処に島があり、海流と風の吹き方、危険な暗礁の位置、現地人の情報、産物など、海に出ようとする全ての国々にとって垂涎の情報だ。
それらを持ち帰るだけでも功績になる。
個人的にカイルが欲しいという理由が九割を占めているが。
「ああ、良いとも」
朗らかにブーゲンビリア提督はカイルに伝えた。
すんなりと情報交換を認めたブーゲンビリア提督にカイルは少し肩すかしを受けたように思えた。
未知の海域における海図や航海の記録は国家機密に近く、おいそれと渡すようには思えなかった。
「ところで、この島はガリアが領有したことで良いかね?」




