降伏交渉
開闢歴二五九三年三月二〇日 ブーゲンビリア島
レナの部隊がブーゲンビリア島の砲台を占領した事で戦いは終結した。
砲台の大砲は町へも向けることが出来るため、住民を人質に取られた、と思い込んだラ・ペルーズは被害を最小限に抑えるために休戦旗を掲げ降伏を申し込んできた。
「降伏を申し込みたい。受け入れられれば抵抗はしない。ただ町への攻撃、略奪は行わないで貰いたい。受け入れられなければ、本艦は死闘の限りを尽くして貴艦を攻撃する」
ラ・ペルーズの艦長は断固たる決意でカイルに要求する。
無条件降伏という言葉に慣れた日本人にしてみれば、虫の良い話だが、第二次大戦以前の戦争における降伏は敗者が勝者へ条件を要求する交渉、あるいは手段として使われていた。
降伏して捕虜になるか、武装したまま本国に帰国するか。それさえ交渉次第で決める事が出来た。
これは勝敗が分かりにくい、あるいは勝敗の差が僅差だったためという事もある。
勝利しても敗者が再戦の決意を固め、もう一戦されて今度は敗北するかもしれない。
何より、迅速に勝利を確定させなければ他の勢力の介入を招きかねない。他勢力の介入は諸勢力が入り乱れるエウロパ周辺では重大な事態であり、各国が短期決戦、早期決着を望むのは他勢力の介入を避けるためだ。
そのため降伏の際の交渉は戦いの延長線上にあり、ある種逆転の切っ掛けとなる話し合い、いや戦いと言っても良い。
ラ・ペルーズの艦長はそれを理解しており、カイル達の兵力が少ない事、特に使える船がディスカバリーしかない事を理解して条件を提示していた。
もしここでラ・ペルーズが相打ち覚悟で攻撃しディスカバリーを使用不能にすれば、カイル達はこのブーゲンビリア島に閉じ込められることになる。制圧したとはいえ、ブーゲンビリア島はガリア人の住民が多く、アルビオン側を圧倒している。
アルビオンが優勢なのは砲台を制圧しているからに過ぎない。
長期戦になれば奪回の機会も掴める。
また、ガリア本国からの連絡船や救援部隊が来る希望も無くはない。アルビオンの増援部隊が来る可能性もあるが、そこは賭だ、とラ・ペルーズの艦長は割り切っていた。
カイルもそれを判った上で降伏を要求した。
「町への攻撃はしません。我々は先日から言っているとおり、ただオタハイト島での観測任務の途中、補給の為にブーゲンビリア島に来ただけです。補給が終わったら直ちに出港します」
「町の破壊、住民の殺傷はしないだろうな」
「約束します!」
カイルが強く断言するとラ・ペルーズの艦長はディスカバリーにやって来てカイルにサーベルを捧げた。
降伏交渉が終わるとカイルは直ぐさまブーゲンビリア島の当局に補給要請を行った。
ただでさえ足りない食料品を補充したり索具を交換する必要があり、そのために攻略することになったのだから当然だった。
そしてここは平和洋におけるガリアの拠点であり、十分にあると思っていたが甘かった。
「十分な食料が無い?」
レナからの報告を受けたカイルは、呆然として尋ねた。
一足先に砲台を占領したレナは早々に町にある庁舎に行き、カイルの要求を伝えていた。そして命令通り倉庫を真っ先に制圧して中を確認していた。
「ええ、自給しているみたいだけど、分けられる食料は少ないみたいね」
ブーゲンビリア島では狭いながらも平地に畑が作られており生鮮食料品の生産や家畜の飼育が行われていたが、住民も多く、分けられる食料は少なかった。
「港の食料庫は?」
「ほぼ空だったわ。いくらか残っているけどね」
そう言ってレナが倉庫へカイルを案内するとレナの言うとおり食料は殆ど無かった。
「雨が降る量が少なくて貯水も出来ないから生産できないと言っているけど、家の中に隠していそうね。家宅捜索をする?」
「いや止しておこう」
公共の倉庫からならともかく家屋の食料を奪っていくのは止めておきたい。
ブーゲンビリア島の人々は戦争が続いている、と考えているが戦争が終結していることをカイル達は知っている。
本国の誰かがしくじったか予想外の展開が起きて再戦している可能性はある。だが明確な開戦の通知が来ない限り戦闘行為は最小限に抑えるべきだ。民間家屋へ侵入しての略奪などもってのほかだ。
「倉庫に残っている食料だけ積み込もう」
「大した量は無いわよ」
「無いよりマシだ」
「そうね。本国に帰れる分だけでも残っていれば十分ね」
笑顔でレナが言うが、封緘命令書とその内容を知っているカイルには到底十分な量出ないことを知っており、前途は多難である事を内心で抱え込まなくてはならない。
「レナは気楽で良いな」
思わずカイルが小声で出してしまう程、レナの気楽さが羨ましかった。
それから数日間、カイル達はブーゲンビリア島の人々に要請してディスカバリーへの補給活動を行った。
ただ住民も協力的ではなかったし、監視の為の兵士も必要だったため作業効率は悪く、数日を要した。あのまま航行していた方がマシでは無いかとカイルが何度も思ったくらいだ。
一週間以上掛かってようやく全ての作業が終わり、ディスカバリーは出港することになった。
「これよりディスカバリーは本来の任務へ復帰しますので貴方方に統治権をお返しします」
庁舎に島の幹部を集めたカイルはそう宣言すると、彼らは驚きの表情を浮かべた。
「このままアルビオン領にするのではないのですか?」
ラ・ペルーズの艦長が尋ねてきた。
「前から言っているとおり、アルビオンとガリアの戦争は終わっています。今回は緊急避難的に行った事です。大事にする気はありません」
「……本当か?」
「そちらから攻撃されたと本国を通じて抗議しても良いのですよ」
カイルが脅し混じりに言い聞かせると彼らは黙った。
念の為、略奪や強制徴集でない事を証明するために代金を置いて行く。ガリア本国価格なので彼らにとっては少額過ぎるかもしれないが、遠隔地の相場など知ったことではないので一方的に支払う。未払いよりマシだとブーゲンビリア島の人達に思って貰う事にする。
こうしてカイルは出港準備を整えたが、警戒だけは怠らない。
ただ戦利品として砲台の大砲はバラスト代わりに数門程、砲弾と一緒に乗せた後、残りの大砲は火門を釘で塞いだ。
監視の海兵隊員を撤収させた後、出港するとき後ろから撃たれるのを防ぐ為だ。
専用の錐を使えば再び開けることは出来るが、一日や二日は掛かる。
その間にディスカバリーは大砲の射程外へ出て行くことが出来る。念の為に錐はディスカバリーで預かり、砲台の射程外に出てからラ・ペルーズに洋上で渡す。
勿論ラ・ペルーズの大砲も釘で火門を塞いでおく。
爆破して吹き飛ばす事も考えたが、海賊や海獣の襲撃を考えると彼らにも自衛手段が必要であり、ディスカバリーが出て行く間攻撃出来ない程度に済ませる必要があったからだ。
「では、皆さん失礼します」
そう言ってカイルは出帆し、オタハイト島に向かう。
途中でラ・ペルーズに錐を渡すと更に速力を上げて西に向かう。
ラ・ペルーズは途中まで付いてきたが、ディスカバリーが完全に西へ向かうことを確認するとブーゲンビリア島へ引き返していった。
数日後、ブーゲンビリア島に本物のガリアの観測艦ル・エトワールが入港。去年九月までの国際情勢や国際観測事業を説明すると島の幹部達は驚いて飛び上がった。
開闢歴二五九三年一二月一〇日 ポート・インペリアル海軍軍法会議議場
「つまり君は本国からの訓令にも拘わらず、ガリアと交戦状態に無い事を知りながらブーゲンビリア島と戦闘を行ったのだね」
ジャギエルカがカイルに尋ねてくる。
「認めます。ですが、これは正当防衛です。ブーゲンビリア側が先に攻撃を仕掛けてきました」
「しかし、戦闘を回避して通り過ぎる事も出来たのでは?」
「残念ながらディスカバリーは食料が不足していた上、艤装に損傷があり、修復のために索具の交換などを行う必要がありました。部品調達の為にブーゲンビリア島へ入港せざるを得なかったと判断しております」
「南緯五〇度の海域を航行したために損傷を受けたと思うのだが」
「損傷に関しては致し方なかったと考えます。期日までに到達するにはこれ以外に方法はありませんでした。それに艤装に関してはともかく、食料の不足は前任主計長の横領によるものです」
「艦内の全責任は艦長にある。早い段階で船倉の備品確認は実行すべきではなかったのか?」
理屈の上ではジャギエルカの言うとおりだが、前任者であるダウナー艦長がワッデルの不正を見抜けなかったのが最大の原因だ。
ただカイルも副長時代に艦長の補佐という点では失敗しているので強く言えない。
倉庫の確認を進言すべきだったが、航海や艦内作業の監督に時間を取られすぎた。
「認めます。しかし、補給が必要でした」
「ならば更に数日粘り強く交渉するべきでは無かったのかね? ガリアの観測艦が接近中だったのだから。ディスカバリーが出港した数日後には到着している」
「我々が入港した時点ではその情報はありませんでした。ガリア側の連絡が到着しない可能性が高く無駄に停泊していてはオタハイト島へ期日内に到着出来なかったでしょう。実際、我々もギリギリで到着しています。ブーゲンビリア島占領は任務遂行の為には必要な事だと判断しております。また戦闘状態に無いため自衛行動としての行動を念頭に置いて戦闘行為と双方の被害は最小限に抑えております」
カイルが主張しているとジャギエルカの元に係官が耳打ちした。
「ガリア側からも連絡があった。今回の件に関しては連絡の遅れがあったことを認めるとの事だ。また関係者への処罰は行わないよう要請があった」
その言葉にカイルは安堵した。
ガリア側も事を大きくしたくないので抗議はしなかったようだ。
対アルビオンの包囲網が作られつつあるが、ガリアの海軍戦力は回復途上のため劣勢であり、アルビオンと再び開戦しても一方的に攻撃されるだけだ。
同盟国の参戦はあるだろうが、参戦するまで時間が掛かりその間に蹂躙されてしまう。
それを避けるために開戦の口実とならないよう、ブーゲンビリア島の一件を早期に収めたいようだ。
様々な理由があるとはいえ、大元としてはガリアの連絡不手際があるのだから。
幸い死傷者も出なかったので丸く収めることが出来る。
「この件に関してはクロフォード海尉に問題が無かったと認める事にしよう。では次にオタハイト島におけるクロフォード海尉の行動について検証したい」




