ブーゲンビリア島
開闢歴二五九三年三月一五日 ブーゲンビリア島近海 ディスカバリー艦上
「おらおら! チンタラ動くんじゃない! 実戦だったらお前ら死んでいるぞ!」
甲板にレナの声が響き渡る。臨時に海兵隊長に就任してから、部下となった海兵隊員をしごいている。
前任者が処刑されて海兵隊の士気が下がっていることもあり、活を入れるべく毎日訓練している。レナの性格もあり、海兵隊員達と打ち解けて、今では完全にレナの子分だ。
「カイルも一緒に訓練をどう?」
などと話しかけてくるが、体育会系のノリはノーサンキューだ。剣術の訓練は厭だ
「止しておくよ」
身体を動かすことは好きだが、帆走作業以外は勘弁して貰いたいカイルだ。
「そう。けど身体を鈍らせないようにね。けど、どうして西に向かうの?」
現在位置は南緯二五度西経一三〇度付近。オタハイト島の南緯一七度西経一四九度からは東にズレすぎている。
「ブーゲンビリアで補給する予定があるからね。その島に向かっているんだ」
「けど、私たち東回りで来たのよね。それなのにどうして西に向かっているの? また現在位置を間違えて行きすぎたの?」
「今回はそんなヘマはしていないよ。ワザと東に来たんだ」
「何で?」
「ブーゲンビリアやオタハイト島周辺の海域は東風が吹いているし海流も東から流れる。東側から接近した方が入港しやすい。だから予め東側に来たんだ」
大気循環の理論に従えば、赤道と大陸に囲まれた海は、時計回りに海流が動く。大気も赤道での上昇気流とコリオリの力によって北西方向へ動く。
そのため、赤道近くでは東から西へ行くのは簡単だが、逆は難しい。
カイルはアプローチを容易にするため、あえて東からアプローチしている。
「少なくとも間違いではないから安心して。ここ数日太陽が出ているからクロノメーターを使って緯度も経度も正確に出せているよ」
「そう。なら安心ね」
レナはニッコリと笑った。
艦長と海尉の会話なのだが、いつも通りのあっけらかんとした口調で話しかけてくる。威厳を保つために叱った方が良いだろうか。だが艦長というのは孤独であり、レナのフレンドリーな言葉に救われているのも事実だ。個室がある程度で軽減されるようなつらさではない。
ひとまずカイルはレナに適当な返事をすると再び海図室に戻る。そして平和洋の海図の真ん中に記された島の名前を見た。
ブーゲンビリア島。
当代きってのガリアの探検家ブーゲンビリア提督が発見した島だ。
十年戦争直後から精力的に遠征航海を行い、数多の新領土や動植物を発見し持ち帰ったガリア、いや世界的な英雄だ。
ガリア人だがアルビオン国内の船乗りの間でも有名であり英雄視されている。
その彼が見つけた島の一つのがブーゲンビリア島だ。
転生前の世界ではピトケアン島と同じ位置にあり、ブーゲンビリア島も似たような場所だ。
火山性の島で、周囲は断崖絶壁に囲まれている。
通常なら植民しないが発見時、ブーゲンビリアの船団が嵐に遭って数隻の船が航行不能になった。
残った船では到底全ての人員を乗せられないので、残留人員を決め、要塞を建設して自給自足体制を整えた後、必ず戻るとブーゲンビリアは断言し出帆した。
二年後、ブーゲンビリアは再びブーゲンビリア島に戻って来て約束を果たした。
以来、彼はこの島を拠点にして平和洋の各地を探検している。
そのため補給基地や小さいながらも工廠施設があり、小型ながら防衛用の艦艇も配備されている。
「ブーゲンビリア島で補給を行う」
数日前にカイルはそう言っていた。
二ヶ月以上、南緯五〇度の海を走ってきたディスカバリーは、船体、乗員共に疲弊しており、休養が必要だった。
「期日に遅れそうだが何としても寄港する」
カイルは断固とした口調で言い切った。
ブーゲンビリアからオタハイト島まで一月程かかる。
今から直行しても期日にはギリギリといった感じだろう。
それでもカイル達はブーゲンビリア島に寄港しなければならない。
「食料が足りないからな」
エドモンドが吐き捨てるように同意する。
事の発端は、処刑後に行われた船倉の一斉点検だった。
主計長が反乱に加わったため処罰のために処刑せざるを得なかった。そのため主計長のポストが空席になったので、商家出身で帳簿に強いエドモントに主計長代理を命じていた。
そして船倉の物資の確認が行われたのだが、とんでもないことが発覚した。
食料、特に小麦やビスケットの大半が紛い物だった。
主計長が資金を横領して少量しか購入せず、予定量の半分しか積み込んでいない。
このままでは、帰国に必要な食料さえ危ぶまれる。
節約すれば何とか持つかもしれないが、食糧不足で情報の少ない海域を航行したくない。
何らかのアクシデントがあって遅延したとき補給可能な地点から離れていると食料が足りなくなる。
今までの借金とツケが巡り回ってきたという事か。
カイルは不運を嘆くが、どうしようもない。
何としても食料をブーゲンビリアで確保する必要がある。
「どれくらい補給が必要だ?」
「船倉満杯になるくらいは欲しいな。出来れば、新鮮な野菜や生きた家畜も欲しい」
カイルの問いにエドモントが答える。虫の良い話だが、食料はあればある程良い。それに言うだけならタダだ。カイルは手元の本を開いて情報を確認する。
「兵要海誌だと供給可能と書いてある。大丈夫だ」
アルビオンにおいて知られている限りの海洋情報を記載した兵要海誌にブーゲンビリア島も記載されている。断崖絶壁の島であるが野菜等を栽培しており、ディスカバリーの食料を賄える量は生産されている。
それに工廠が有ることから滑車や帆などの艤装を交換できる可能性が高い。
ディスカバリーにも長期航海を考慮して大量に予備の帆布やロープ、滑車を搭載しているが、南緯五〇度の海域を航海しているとき磨り減ってしまい大量に消費した。
減った分は補充したいのが人の性だ。
何としても入港して交渉し手に入れたい。
その時、見張りが大声で叫んで報告した。
「前方に島影が見えます!」
待ち望んでいた報告があった。カイルとエドモントは甲板に飛び出し、前方を注視した。
「何あの島、周りが崖だらけじゃないの!」
レナが呆れるように言う。
「あんな所に寄港するの? というより上陸できるの。町があるの?」
島の中腹まで切り立った崖に囲まれており、上陸できるような場所はない。
レナが疑問に思うのも仕方が無い。
「大丈夫だ。島の北側は比較的なだらかで町も港もある」
案内人のウォリス氏が説明する。先頃まで平和洋で探検航海をしていたため、この海域に詳しい。
カイルはウォリスの案内で艦を島の北側に向かわせた。
すると案内通り、港と防御用の砲台が見えてきた。
平和洋への進出を心良く思わないイスパニアとその意を汲んだ海賊から身を守るための設備だ。
「撃たれないでしょうね」
心配そうにレナが尋ねた。
「先日まで戦争していたのよ。怨まれて砲撃なんて事ないでしょうね」
「大丈夫だよ。一年以上前に停戦しているし、攻撃される理由は無い」
カイルが自信を持って言い放ったとき、ブーゲンビリア島の砲台が火を吹き、砲弾がディスカバリーの周辺に降り注いだ。




