二年ぶりの帰宅
開闢歴二五九二年三月二〇日 アルビオン帝国ポート・インペリアル
「さて、どうするかな」
連絡船から降りてポート・インペリアルの埠頭に立ったカイルは思わず呟いた。
何しろ一緒に着任する予定の仲間が多数いる。彼らの寝床を確保しないといけない。
ガリア戦争終結で士官クラブも町の安宿も復員兵で一杯であり泊まれそうにない。
帝都に家のあるウィリアムとカーク、レナはともかく、エドモントやステファン、マイルズ、ウィルマの泊まれる場所を上官としてカイルが確保しなければならない。
一応観測航海の責任者として艦に向かうことも出来るが、海軍本部発行の命令書がなく今のカイルに権限はない。それまではカイル個人で何とかする必要がある。
「しゃあない。僕の家に泊めるか」
カイルはクロフォード公爵家の出身であり帝都にも屋敷を持っている。使っていない部屋が多いので問題無いはずだ。
だがカイルの言葉にマイルズは震え上がって、早口で遠慮の言葉を言う。
「いや、我々は何処か宿を見つけますのでお構いなく!」
「えー、この状況だと結局野宿でしょう。公爵家の屋敷の方が快適ですし泊まりた、うぐっ」
「いえ! 大丈夫です!」
文句を言うステファンの口をマイルズが塞いだ。
「私はミスタ・クロフォードの好意に甘えます」
それまで喋らなかったウィルマが強い口調で断言した。
「いや、ウィルマも我々で預かります。ミスタ・クロフォードの元にお泊めするなんて畏れ多い」
「泊まります」
ステファンと違い口元を抑えられておらずウィルマは強い口調で主張する。
「本人もこう言っているから大丈夫だろう」
カイルもウィルマを泊める事にした。幾らなんでも自分より年下の少女を町中に放り出すのは気が引ける。マイルズが居るので変な事はされないだろうが自分の家の方が安全だと思って勧める。
二人の言葉を聞いたマイルズは溜息を吐きながら答えた。
「……分かりました。おい、ウィルマ。ミスタ・クロフォードの家では大人しくしていろ。そうすれば命の危険は無いからな。下手に動き回るな」
ステファンは強くウィルマに言い含めたが彼女は疑問符を浮かべるだけだった。
「あ、あたしも良いかな?」
隣にいたレナが怖ず怖ずと尋ねた。
「え? 自分の家があるんじゃ」
レナの家は陸軍の将軍であり帝都に家がある。カイルの家に泊まる必要は無い。
「いや、今は社交の季節だから」
社交は一種のお見合いでもある。
見合いの年頃なのに海軍士官への道を歩んだレナには実家といえど少し居心地が悪いのだろうか。だからカイルの家に泊めて欲しいと言ってきているのだろう、とカイルは勝手に合点して受け入れた。
「分かったよ。部屋は余っているだろうし」
そう言ってカイルは請け負った。
ウィルマが行くのに自分が行かないのは出遅れる危険がある。と焦ってレナはカイルの家に泊まろうとした。何よりカイルの姉を名乗る変態がカイルに何かするのではないかと心配だった。そう自分に言い聞かせてカイルの家に泊まろうとする。
マイルズはレナの考えを察し、その考えがどれほど無知で恐ろしいか知っていた。だが娘のような歳のレナでも階級は上の上官であり口出しは憚られる。そのため黙るしかなかった。
士官候補生のウィリアムも同じで幼馴染みだけに、昔からクロフォード家の恐ろしさは知っている。だが今は上官である上、レナの気持ちも分かるので口出ししないことにした。
こうして方針が纏まりウィリアムとカークは実家、帝城へ。カイルとクレア、ウィルマ、エドモント、レナはカイルの家に、マイルズとステファンは何処か泊まれる場所に行くとのことだ。
「何かあったら私の家に来てくれ。皆場所は分かるだろう」
別行動を取るウィリアムとマイルズにカイルは尋ねて確認する。それぞれがバラバラに行動する時、連絡先がないのは問題だ。
流石に皇太子の身分を隠しているウィリアムの家を連絡先に指定する訳にはいかない。
「宿が決まったら直ぐに連絡します」
「見つからなかったら、遠慮無く来てくれ。歓迎するぞ」
「とんでもない! 橋の下でも見つけて寝床にします!」
そう言うなりマイルズはステファンを引きずって復員兵の雑踏の中に消えていった。
「僕の家は橋の下以下か」
慌てているためか非常に失礼な言葉を口にしたマイルズだが、カイルには普段沈着冷静なマイルズがあれほど慌てふためくのが珍しくて呆然としてしまった。
「まあ、退役海軍提督の家というのは現役下士官には畏れ多いか」
カイルの父親でありクロフォード公爵家当主ケネス・クロフォードは十年以上前に海軍中将で退役している。だが現役時代の武勲は有名で年配の士官や下士官はその逸話を知っていたり、実際に見てきた者もいる。
中には配下として共に戦った者も居て半ば伝説になっている。
もしかしたらマイルズも父の元で戦ったのかもしれない。
そんな人物の家に泊まるのは気が引けるのだろう。
「ねえカイル。私たちもホテルか下宿を借りて泊まらない?」
姉であるクレアが抱きかかえるように後ろから手を伸ばし、耳元で囁いて提案してきた。
「言ったとおり、今は復員兵が多くて泊まれる場所はないよ。屋敷に泊まるしかないよ」
「えー、嫌だなー」
確かに姉さんは勘当同然で家を出てきている。カイルと結婚したい、と騒いで帝国の国家機密をバラすと父を脅したため、秘密を守ろうとした父に殺されかけた。
そんなことをしては家に帰りたくないのも当然だろう。
「どうせ私とカイルの間を引き裂こうとするだろうし」
「そこ」
しがみつくクレアを振り払ったカイルは再び唖然とする。
家に行けば命を狙われるかもしれないのに、気が付いていないのか。クレアの言うとおり、ホテルの部屋を借りるべきか。だが、ホテルは満員だろうし適当な場所など見つかりそうにない。
レナの家はダメだ。一階級違いとはいえ、上官である自分が部下の家に押しかけるなど非常識だ。
「家に帰るよ。入隊してから顔を合わせていないから報告したい」
「どれくらい帰っていないの?」
歩き出したカイルにレナが尋ねた。
「入隊して以来だから二年ぐらいかな」
「去年ガリア戦の前に一度帰国して帝都に来たけどどうして帰らなかったの?」
「事情があってね」
流石にクレア姉さんが居る前で、家に帰ったらクレア姉さんに抱きつかれて逃げ出せないから、と真相を話す訳にはいかずカイルは誤魔化した。
開闢歴二五九二年三月二一日 アルビオン帝国帝都キャメロット
駅馬車を乗り継いで一日ほどでカイル達はキャメロットに到着した。
あいにくとどの宿も一杯であり馬車で一夜を過ごすことになったが、一日ぐらいは我慢出来る。何より揺れない大地というのは、陸に上がったばかりの船乗りには嬉しいご褒美だ。
たとえ数日で飽きるとしても。
それに今夜からは豪邸であるカイルの家に泊まれる。
帝都キャメロットは帝城アヴァロンを中心に作られており貴族は城の近くに屋敷を構えている。
カイルとクレアの実家であるクロフォード公爵家も帝城に近い場所にある。
そして公爵という事もあり、屋敷は大きい。
「凄い屋敷ね」
クロフォード公爵邸に着き、屋敷の門構えを見たレナが感嘆の言葉を上げる。
「これでもフォードの分家なんでね。本家と比べると小さいよ」
肩を竦めてカイルは話す。
帝国が海洋進出を行うようになってから勢力を広げたフォード家。その有力分家の一つであるクロフォード家は帝国有数の貴族だが本家には流石に劣る。
だがレナの実家、父親が将軍に取り立てられて位が上がったばかりのタウンゼント家に比べればデカい。
何というか、長年の伝統とか格式などのオーラが凄くてレナはたじろいでしまった。
だがカイルとクレアは気にすること無く近づいて行き、門番に話しかけた。
「久しぶりだね。父に会いたいんだけど」
そう言うと門番は一瞬不審な顔をしたが、笹のように突き出た耳を見て目を大きく見開いた。
「ぼ、坊ちゃん! お嬢様!」
驚いた門番は慌ててカイルを置いて屋敷の中に入ってしまった。
「……カイルって嫌われているの?」
「そんなことはないはず」
レナの言葉に直ぐさま応えたが内心では不安だった。本当に嫌われていたらどうしようかと思った。隔世遺伝のせいかエルフとして生まれたカイルは、古のエルフの伝説を思い起こすためか他人から避けられやすい。
だがそれは杞憂だった。
暫くして門が開くと玄関までの道に十数人の執事とメイドが並んで彼らを迎えた。
『ようこそお帰り下さいましたカイル様』
全員が一斉に頭を下げる姿は壮観の一言だ。
「お帰りなさいませ、カイル様。使用人一同、ご帰還の否を心よりお待ちしておりました」
「ありがとうスティーブ」
カイルは出迎えてくれた執事のスティーブにお礼を言う。
「こちらの方々は?」
「僕の部下で泊まれる場所が見つからないだろうから家に泊める事にした。出来るだろう」
「勿論でございます」
スティーブはカイルにニコリと笑った後、値踏みするような視線をレナ達に向ける。
視線を向けられたレナとウィルマは熟練下士官に見られるような気分になる。
「どうぞこちらへ」
それも一瞬で直ぐさま慇懃な態度で二人を建物に案内する。
「睨むように値踏みするのはやめて。一応彼らは家の客なんだけど」
「申し訳ございません。昔の血が騒ぎまして」
「家は海軍じゃないよ」
スティーブは元海軍軍人で父の元で艇長、従兵の様な役割を果たしていた。特に下士官兵への目配りは重要で、艦内の乗員の能力を把握し命令に対して誰に何を命じるか進言する役目だ。
故に相手の能力を一目で判断することがスティーブの習慣になっていた。
「済みませんでした。どうぞこちらへ」
そう言ってスティーブは家の中に案内する。
「こちらで御当主様がお待ちです」
そう言って応接室の扉を開けると、目の前には父ケネスが立っていた。銀髪の目つき鋭い人で退役しても身体は引き締まっている。
だが彼らが驚いたのは風貌ではなくケネスの右手に銃が握られていたことだ。それも銃身を何本も束ねた奴を。
ケネスはクレアを見つけると躊躇無く銃口を向けて引き金を引いた。