漂着
開闢歴二五九三年一月二一日 南緯五三度、東経七三度付近
帆装が破れながらも何とか島へ到達したディスカバリー。
いや、漂着と言った方が正しいだろう。帆装を有効に使えず、息も絶え絶えで帰着できたと言った方が良い。
カイルは修理を命じるが、嵐に遭遇したとき最小限の帆しか展開していなかったおかげで、被害は最小限で済んだ。
幸い晴れ間が出たため、天測が出来て現在位置を確定した。
判ったのは南緯五三度、東経七三度付近にあるエウロパ諸国未発見の島。転生前の記憶が正しければ、世界遺産に認定されたオーストラリア領ハード島だ。
オーストラリア領だが一番近いパースからでも南西に四一〇〇キロもあり、南極大陸の方が真南へ一五〇〇キロと近い。
南極収束線の内側にある島で、二七〇〇メートル級の高い山と岩、雪と氷に閉ざされた島だ。
六分儀を使った観測と測量の結果、島の中心にある山は標高二〇〇〇メートル以上と分かっており、間違いないだろう。
「予想よりずっと東だったわね」
カイルの観測結果を見てレナは呟いた。
「航海が得意じゃなかったの? キチンと観測して記録していたの?」
「していたよ」
レナに言われるまでもなく、カイルは天測が出来なくても速力の計測と針路の確認は怠っていない。
「じゃあどうしてこんなにズレているの」
「海流に流された分を入れていなかった」
船を進ませるのは風だけで無く海流もそうだ。海流があるかないかで速力が違う。
問題なのは海流で流された分を計測する方法が現状では限定されていることだ。
転生前なら海流計やGPSで現在位置と速力方位からの推定位置との誤差で計測することが可能だが、この世界にはない。ログラインで計測できるのは海面と船体の速度差だけであり、海流の速度は測れない。船もログラインの板も同じ速度で海流に流されるからだ。
狂える五〇度は猛烈な西風が吹くが、その風によって海流も毎時十数キロで流れている。
その分の計算を入れておらず、予想よりずっと遠くへ流されてしまった。
ストロン諸島からここまで約四〇〇〇海里。二週間、三三六時間で改めて計算すると一一から一二ノットで航行していた。
ディスカバリーの最高速力が八から九ノットだから四割増し。
大幅に乖離していて当然だ。
カイルの予想以上に海流が速かったようだ。航海期間が短くなるのは歓迎だが、狂える五〇度を少し舐めていたのは否めない。転生前、外洋航路にいたとは言え中東やアメリカ本土、ヨーロッパが殆どで、南はブラジルかニューカレドニア、オーストラリア程度しか行っていない。
南緯五〇度を航行した経験がカイルにも航平にも無かった。
それに寒さで思考力が低下して海流の影響まで考慮していなかった。
しかし、済んでしまったことはしょうがない。この後、どうやって任務を達成するか考えなければならない。
「上陸して補給を行う」
修理と共に補給の為に上陸をカイルは命じたが、望み薄だ。
南極収束線の南側にある事から、自然環境が非常に厳しく、島の大半が氷河に覆われている。樹木は育たず、僅かな草と苔類しか生息していない。
「どうするのですか」
スペンサー海尉が問い詰めるように尋ねてきた。
「有る物で補給するしかないか」
そう言ってカイルは沿岸部に生息しているアザラシ、アシカ、ペンギン、アホウドリを見て言った。
南極収束線は潮目があり、栄養分豊富で餌、特にオキアミが豊富に獲れる。
つまり野生動物の楽園となっている。そのためアザラシ、アシカ、ペンギン、アホウドリが豊富にいる。
それを使わない手は無い。
「すごく簡単に捕まえる事が出来るわね」
レナが捕まえたアホウドリを手に持って答えた。
人間と接触したことのない彼らは簡単に捕まえる事が出来た。
「他にも獣が居たから銃で仕留めているけど」
アザラシは抵抗してきたが、銃があるので簡単に捕獲する事が出来る。
「皮を剥いで乾燥させるんだ。良い防寒着になる。羽も羽布団になるから捨てないで。肉は勿論食うから残しておいて。食い切れない分は干し肉にして保存しておいてくれ」
「分かったわ」
食料は十分にあるが、是非とも補充するべきだ。
何より、上陸したことで新鮮な肉を焼いて食べることが出来るので、下がりがちだった乗員の士気が上がっているのは有り難い。
「あと氷を溶かして水を作っておくから」
問題だったのは水をどうやって確保するかだ。
氷と雪で液体の水がない。
氷と雪を直接食べたら、低体温症になって死ぬ危険も有るからやってはならない。
溶かして貯めるというレナの提案は妥当だがカイルは許可しなかった。
「薪が足りない。ここで薪を補充することは出来ないからね」
艦内に薪が大量にあるが、今後の事を考えると出来る限り使用は控えたい。
勿論氷を溶かすことにも使いたいが、乗員の暖を取ったり食事の用意に使いたい。
「でも水を手に入れないとこの後の航海に支障が出るでしょう」
「それなら考えがあるよ」
そう言ってカイルは解体されたアザラシから脂身を受け取るとそれを持って雪原に向かった。
そして、平らな場所で溝を掘ると雪を薄く平らにした物を二つ、ダムのように溝を遮るように置く。溝の一端の上に薪を並べ火を付けた。
「結局、薪を使うじゃ無いの」
「いや、これ以上は使わないよ」
「何をする気?」
「こうするの」
そう言ってカイルは脂身を火の中に投じた。脂身はあっという間に燃えて無くなってしまう。
「脂身を燃やすなんて勿体ない。鍋で煮詰めれば油が取れるのに」
「それもいいね。でも水を得られるんだ。」
「そんなまさか」
そう言っていると、溝に黒い液体が流れてきた。
「これは?」
「水だよ」
実は脂肪を燃焼させると熱の発生と共に水が出来る。脂肪酸は炭素と水素の結合体であり、酸素と結合させて燃焼させると二酸化炭素と水になる。
脂肪が燃えたことにより副産物として水が下に溜まってきたのだ。
人間や動物の身体でも脂肪を燃焼させると水が出来るため、水が無くても数日生きることが出来る。実際、鯨の分厚い皮下脂肪は断熱材の為だけで無く、燃焼させることにより水の供給源となっている。
「でも、真っ黒で飲めそうにないわ」
「大丈夫。途中にある雪で作った濾過装置が濾してくれるよ」
黒い液体は先ほどカイルが作っておいた雪の壁に当たるが、徐々に浸透して少し澄んだ水となって出てくる。二枚目を通り過ぎたところで無色透明な水となった。
カイルは出てきた水をすくい取って飲んでみた。
「よし、キチンと水になっている。これなら大丈夫だ。念の為にもう一つ雪の壁を作っておくか」
エスキモーが伝統的に使う水の獲得方法であり、万が一のサバイバル術としてカイルは転生前から覚えていた。
学校では教えていないが個人的に調べていたのが役に立った。
「少し苦労するわね」
「まあ、溝を掘ってフィルターを作って、脂身を燃やして、水を掬い取るから手間は掛かるね」
レナの指摘をカイルは素直に認めた。その時、姉のクレアが呟いた。
「ねえカイル。簡単に氷と雪を水にしてあげるわ」
「どうやって?」
思わずカイルは尋ねたが、すぐさまその方法に思い至りカイルは固まった。
ブラコンだが卓越した魔術師、それも火炎魔法が得意なクレアのやることはただ一つだ。
「待って!」
カイルが叫ぶ前にクレアは呪文を唱え終わり、火炎魔法が炸裂した。
それも目の前の雪原、広範囲にだ。
クレアの作り出す火炎魔法は特大だ。全力で高温を出せば瞬時に氷を溶かすどころか蒸発させる事が出来る。そんな強烈な魔法が雪と氷で出来た大地で炸裂したら水が出来るどころか水蒸気爆発が起き、上陸した自分たちも吹き飛ばされてしまう。
だが、既に魔法は発動しており、止める手段は無かった。
氷と雪が勢いよく溶けてゆき、膨大な水蒸気の湯気が視界を遮る。
カイルはレナを庇おうと大地に倒して衝撃に備える。
しかし、思った程爆風は来なかった。
「何するのよ」
レナがカイルを振り払うように起き上がる。それに釣られてカイルも顔を上げて周りを見ると目の前に巨大な湖が出来上がっていた。
「どうカイル! これだけ水があれば十分でしょう」
会心のどや顔をレアはカイルに見せたが、放心状態のカイルにはそのような余裕はなく、何が起きたのか尋ねた。
「一気に溶かしたの?」
「まさか、一気に溶かしたら前に何もかも吹き飛ばしたから、徐々に熱を加えて溶かしたのよ」
一応周りに配慮できる程度の思慮はクレアにもあった。
そしてこれだけの魔力を精密に制御できる魔術師としての才能。
完璧なのだがブラコンという一点で台無しになっている残念なカイルの姉だ。
「ね、ね、役に立ったでしょう」
まるで愛玩犬がご主人に褒めて欲しいと訴えるような笑顔をカイルに向けている姉クレア。
「うん、ありがとう」
給水作業の手間が大幅に省けたのは事実であり、カイルは素直に感謝の言葉を述べた。
出来た湖から水を汲み上げるだけなので簡単に済むだろう。
ユネスコが見たら失神するであろう凶行だが。
転生前の世界では、ハード島はユネスコの世界自然遺産に認定されているので湖を作るなどと言う蛮行は許されない。
動植物の採取も御法度だが、かつて油と皮目当てのアザラシ猟が行われていたのだから大目に見て貰うことにしよう。
「わあい」
カイルに褒められた事を喜び、万歳をするクレア
「でも、実行する前に一言言ってね」
カイルは釘を刺したが、そのままハグされたのでクレアの耳には入っていない。
何か重大な問題を見落としているような気分にカイルは再び襲われたが、クレアが自分の胸にカイルを押し付けたためカイルは窒息死寸前となり、有耶無耶になってしまった。




