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観測航海

 開闢歴二五九二年二月二日 新大陸アルビオン領チャールズタウン


 ヴィーナス、明星。

 金星の異名であり、明け方若しくは夕方に見える一際明るい星として有名だ。

 この世界ではヴィーナスか明星と呼ばれている。


「来年六月三日に起きる太陽面通過を知っているか?」


「勿論であります」


 サクリングの問いにカイルは堂々と答えた。

 金星の太陽面通過は珍しい。軌道の関係により太陽の真ん前を通過するタイミングがなかなかやってこない。

 ちなみに転生前の世界における次の金星の太陽面通過は西暦二一一七年一二月一〇日。

 非常にレアなイベントである。


「帝国学会が観測支援の要請を出してきた。なんでも多数の箇所で観測を行えば地球と太陽間の距離が判り、他の天体との距離も分かるとのことだ」


「はい! 太陽―地球を基準にした三角測量が出来ますから距離の測定が可能になります」


 カイルは身を乗り出して答えた。例えば地球の軌道面から鉛直方向に星があるとする。秋と春に対象の星を観測して角度の差を求めれば、太陽までの距離を基準にして距離を測ることが出来る。

 天文学などで天文単位という距離が約一億五〇〇〇万キロとなっているのは、太陽と地球の距離であり、観測を基に三角法を用いて距離を出しやすいからだ。


「よ、よく知っているな」


 カイルが興奮して答える姿にサクリングは少しひいた。

 その非常にレアなイベントをカイルが何故知っているかというと、転生前航平が非常に影響を受けた大航海に関係するからだ。

 一七六九年の太陽面通過を観測するためにジェームズ・クックがタヒチに派遣され成功させた。のちにクックの第一回航海にあたる科学的航海であり、本としても残されており航平の暗黒時代を乗り越える原動力となった。

 だからこそ詳しい。


「それで海軍から観測のための艦艇を出すことになったのだが、その艦長を君に務めて貰いたい」


「……え?」


 カイルは思わず聞き返した。

 意味は理解出来る。その責任の重大さも、意義の深さも。

 そのような重大な航海の責任者に艦長として参加できる。


「私が観測航海の艦長に?」


 アルビオン語を話すようになって十年以上になるが意味の取り違えがないか確認する。


「そうだ。それ以外の事を話したつもりはない」


 サクリング海佐が呆れたように認めると、カイルは歓喜を爆発させた。

 あのジェームズ・クックと同じような冒険航海が、科学的航海が、自分の手で最高責任者として出来るというのが嬉しい。


「良いのですか」


「あ、ああ、この前の講和交渉が成立したことを示すためにガリアと共同で観測することが決定した。海軍もこの計画に全面協力することとなり、私は君を推薦した。前々から計画されていたが戦争中という事もあり絶望視されたが、講和により何ら心配がなくなり実行されることになった。そして急遽人材を集める事になった」


「私で宜しいのですか?」


 カイルは尋ね返した。

 失礼ながら、サクリング海佐は現在昇進停止処分中の上、戦隊の指揮官でしかない。

 科学者の立場が低いご時世とはいえ、帝国を代表する学会への協力者を推薦できるような立場にあるとはカイルには思えなかった。


「海軍本部の中に君が優秀な士官だと知っている者がいたようだ。それに君は航海の報告や海図の作成などで有名だからね。この前の測量図を学会と海軍天文台に送ったら手放しで喜んでいたよ。それにリドリー提督の推薦でもある」


 リドリー提督はカイルが入隊した時、受け入れてくれた艦の艦長を務めてくれた人で恩人である。エルフ蔑視が強い帝国では、入隊が認められなくて焦ったが、リドリー提督のお陰で入る事が出来た。

 再び恩を受けてカイルは感謝感激だった。


「という訳だ。で、君の返事は?」


「勿論、お受けします!」


 断言したところでカイルは動きを止めた。この命令を受けるという事はサクリングの元を離れるという事である。ある意味、上官の下で働きたくないという意思表示になってしまう。

 その上官の前で離れる喜びを表現してしまい、カイルの表情は固まり首筋に冷や汗が流れた。


「気にするな。君が受ける事は分かっていたし、君以外に出来る士官を知らんよ。行ってきたまえ。私も間もなく本国に帰国予定だ。残務処理のために半月ほど遅れて行くことになるだろうが君の出港には間に合うだろう。楽しみにしているぞ」


 そう言ってサクリングは笑顔で辞令を出した。


「ありがとうございます!」


 カイルは感謝の言葉を述べると辞令を受け取り退室した。




 海軍士官たるもの急な異動や転属は日常茶飯事であり、直ぐに動けるように準備している。

 転生前の航海士時代も似たようなものだったので慣れたものだ。

 基本的に一年は同じ船に乗るのだが緊急事態というのはよく起こる。

 他の会社は分からなかったが航平の会社は二ヶ月乗船すると一月休みというサイクルでありほぼ守られていた。

 だが例外、アクシデントというものはある。

 入社して二年目、休暇に入って四日目の日に、出港直前の他の船に病人が出たので直ぐに乗船してくれと電話があった。趣味の登山中であったが直ぐさま家に戻り、海技士免許だけを握りしめると目的の船に向かった。目的地は直ぐ近く、精々オーストラリアだ、と思ったらメキシコで塩を積み込むと言われて太平洋を往復し二ヶ月も乗船する羽目に。

 まあ海に出られたので良かったが、このような事は多い。

 海軍はそれ以上に急な出撃や異動が多いので身軽に動けないとダメだ。だからカイルの部屋は家具とか家財用品は最小限に抑えており、所持品や家財道具は非常に少ない。

 だから辞令を受けた翌日には異動準備が完了してしまった。

もっとも本国行きの船は数日後の出港でそれまでは待機だったが。

 それに行くのはカイルだけではなかった。サクリング海佐の温情により観測航海のサポート役としてカイルに親しい仲間も付いてきてくれた。

 同期入隊してこれまでずっと昇進も一緒だった赤髪の女性士官レナ・タウンゼントと、海軍に四年長くいるがほぼ同時期に海尉心得へ昇進し仲が良いエドモント・ホーキングの海尉心得。

 真面目な下士官のマイルズに、一癖ある熟練水兵のステファン。

 年下ながらめきめきと頭角を現している上、カイルに心酔しカイルに<初めて>を捧げたウィルマ。

 どれもカイルとは仲が良く頼りになるメンバーだ。

 ただ、ウィリアム・アンソンとカーク・シーンの両候補生及び姉のクレア・クロフォードは押し付けられた感じが否めなかった。

 本人達の強い希望との事だったが、了承して良かったのか。

 クレア姉さんはともかく、ウィリアムは確かにカイルの幼馴染みであり友人だが、身分を隠して入隊しているアルビオン帝国の皇太子殿下でありカークはそのお付きだ。

 現皇帝が大公時代、領地が隣同士だったため家族で交流していた

 未知の海に出て行く探検航海に出て行かせるなど無謀きわまりない。

 勿論カイルは無事に帰ってくるつもりだが、海図が無く、どんな怪物が出てくるか分からない海に出て行かせるのは危険だ。

 生きて帰れない危険性が高いし、船の上では特別扱いなど無理だ。

 船に乗ったからには一蓮托生だ。

 だからカイルは帰国だけで参加しないように伝えたのだが、ウィリアムが猛烈に拒否し断固付いて行くと言ってしまった。

 こうなったウィリアムが翻意する事はない。

 仕方なく、乗船させることを決めた。

 本国行きの船を捕まえて乗船して出港。

 航海中は何ら問題は無かった。シーサーペントに襲撃されたが問題無い。戦列艦でようやく仕留める事の出来るモンスターなのだが。


「妻であるあたしと夫のカイルとの時間を邪魔するな!」


 と、叫んで魔法の一撃で姉であるクレアが仕留めた。

 クレアとカイルは姉弟なのだが、何故かクレアはカイルの嫁宣言を昔から続けている。しかもガチで。あまりにも好きすぎて家を飛び出してきてカイルの艦に勝手に乗艦するほどだ。

 しかもスキンシップを軽く超える行為に及んでいる。本番行為に行かないだけで四六時中抱きつくぐらいだ。しかしその勢いは執拗で、何時カイルの貞操を最初に奪うか分かったものではない。

 それでいて魔法の腕が凄いので誰も止められないし、カイルも逃れられない。

 今回のシーサーペントの襲撃もカイルにとっては福音だった。シーサーペントを攻撃するためにカイルから離れた隙を狙って逃げ出し、船倉に隠れることが出来たからだ。

 ほんの二日だけだったがカイルの安息の日が訪れた。


「……なんで逃げなきゃならないんだ?」


 カイルは疑問に思ったがそれも数日間の事で、クレアに捕まった後は考えることをやめてしまった。

 襲撃と船の修理のために予定より半月ほど遅れたが連絡船は本国に到着した。

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