指揮権継承
開闢歴二五九三年一月一日 スホーテン海峡付近ディスカバリー艦上
「待って下さい。ミスタ・スペンサー」
海兵隊員がカイル拘束に動き出そうとした時、ウィリアムがスペンサー海尉に尋ねた。
「本当にダウナー艦長がクロフォード副長を解任すると仰ったのですか? それをスペンサー海尉は聞いたのですか?」
「そうだ。君も聞いただろう」
ウィリアムの問いにスペンサー海尉は自信を持って言い返した。
「私は雨風波の音が酷くて聞き取れませんでした」
「私も聞こえませんでした」
「聞こえなかったな」
「聞こえなかったわね」
ウィリアムに続いてカーク、エドモント、レナも口々に否定する。
「そういう訳だ。スペンサー海尉」
「しかしミスタ・クロフォード。貴方は聞いたでしょう」
「仮に宣告されたとしてどうなると言うのか?」
「それは貴方が解任されたので私が最高指揮官に」
「それには前艦長が私を正式に解任しておく必要がある。私が解任されたという明確な証拠はあるのかね?」
「それは……そうだ航海日誌が」
「では、航海日誌を確認するとしよう」
そうしてカイルはスペンサー達を連れて艦長室に行く。
航海日誌には、艦内の全記録、航路や速力、現在位置、気象などを書く。艦内の状況や人員への正式な命令も勿論書いている。全て艦長若しくは書記が書き記すため、法的拘束力がある。
収納してあった航海日誌を取りだし、机の上に広げて全員で読む。だがカイルへの低い評価や愚痴が書かれてあっても解任を正式に命じた記述は勿論なかった。
「読んだ限り、私が解任された事を証明する証拠も根拠も無い」
「ですが、貴方の評価は限り無く低い」
「それは前艦長のことだ。軍法に従い序列を元に私が指揮権を継承する」
「反対です」
「分かった。では、私の指揮権継承に反対すると言うのだな」
「はい」
「ならば、士官会議で決を取り給え。幸い、全士官が揃っている」
「どういう事ですか?」
「軍法では乗艦する全士官の三分の二をもって解任を発議できるとある。君は私に対して不適格というのなら十分に解任を発議できる。だが他の士官の三分の二が賛成すればの話だ」
そう言ってカイルは全員を見渡した。
「私の解任に賛成の士官は手を上げてくれ」
そう言うとスペンサーのみが手を上げて他の士官は手を下げたままだった。
「反対多数。否決されたね。では私が艦長に就任することに賛成するか」
カイルが尋ねると、今度はスペンサー以外の士官が手を上げた。
「賛成多数。これより私が艦長となる」
「貴方の仲間じゃないですか!」
「だが全員アルビオン帝国海軍の士官だ。今の多数決は法的拘束力を持つ」
「しかし、貴方の子飼いではないですか」
「だが彼らは軍法に定めてある要件を満たした士官であり、彼らの議決は法的拘束力を持つ」
「反対します」
「構わないよ。航海日誌にも書いておく。だが、これ以上の反抗は許されない」
「どうしてです」
「私はこの艦の最高指揮官となった。私の命令には従って貰う。文句があるのなら君を海尉から解任し拘束する。不服なら帰国後、軍法会議に申し立てるんだ。だが、先ほどの決定を軍法に反するというのなら、容赦はしない」
「……分かりました」
渋々スペンサーは従った。
こうしてカイルはディスカバリーの指揮権を掌握した。
開闢歴二五九三年一二月一〇日 ポート・インペリアル海軍軍法会議議場
「数の暴力で艦長に就任したということか?」
「軍法に則ってのことです。指揮継承の手順に従い。副長として継承しました」
「しかし、君は艦長に解任されているではないか」
「確かに口頭で言い渡されましたが、正式な手続きは踏まれておりません。私はあの時点ではまだ副長でした。私が解任するとの辞令も出ていませんし、航海日誌にも書かれていません」
「だが、君が反抗的なことは航海日誌を見ても明らかだ」
「しかし副長は解任されておりません。その旨の記載もありません。よって手続き上、私は解任されておらず指揮権を継承しました」
「ダウナー艦長から解任を言い渡されたのだろう。その時点で有効ではないか」
「手続きが無く無効です」
「口頭での命令も有効だ」
基本的に命令は口頭で行われる。逐一命令書を書いて出していては一刻を争う甲板作業に支障が出る。そのため重要な事項以外は口頭で行うのが普通だ。
よって口頭で言い渡されたときに既にカイルは解任されているというのがジャギエルカの主張だ。
「ですが人事に関する命令です。正式な辞令と航海日誌への記載によって効力を発します」
だが人事などは別だ。
配置や階級は重要な事案であり、正式に書き記すことが必要だ。
その時点で初めて効力を持つというのがカイルの主張だ。
「それでは君は違法状態にあったと言えるだろう」
「その点に関してはは開催した士官会議において違法性は無いと確認されました」
「しかし士官会議のメンバーの大半は君と同じ艦にいた者達ではないか」
「彼らは海軍本部の命令で着任した正式な士官です。恣意的に私が集めてきた訳ではありません。また、彼らが忖度して私を艦長にしたという事実はありません」
「怪しいが」
「決してそのような事はないと証明できます」
そう言ってカイルは証拠として提出された航海日誌を指して断言した。
「このように私が副長を解任されていないと士官会議で決議されています。問題ありません」
「だがこの士官会議には疑問がある」
「参加者は全員、海軍本部の士官名簿に記載された正規の士官です。軍法による資格は十分に満たしております。よってこの士官会議の議決は法的効力を持ちます」
「だが」
「彼らがアルビオン海軍士官ではないと仰るのですか。それとも法的な問題があるという事ですか。ならばそれを述べて下さい。合理性を持つものであれば私は受け入れます。しかし軍法にもよらず、何ら証拠の無いものであれば抗議させて貰います。それとも軍法会議は軍法を守る立場でありながら軍法を蔑ろにするのですか」
カイルの問いに再びジャギエルカは沈黙した。
法的な問題もクリアしているし証拠もある。
艦長殺害の疑惑と告発文はあるが証明する手立てがない。
何より軍法を曲げたとなれば、海軍の秩序が保てない。今現在その軍法を元に動いている海軍将兵が違法状態に置かれることになり罪に問わねばならなくなる。
そうなればアルビオン海軍は違反者多数という事で行動不能に。戦わずして崩壊することになる。
それは何としても避けなければならない。
だからこそジャギエルカ提督は、それ以上の追求を避けた。
「……わかった、この話は一旦置いておこう。次に君が艦長代理を始めて以降の指揮について検証しようと思う」




