新年
開闢歴二五九三年一月一日 スホーテン海峡付近ディスカバリー艦上
「新年おめでとう」
『おめでとうございます』
新年が明けて最初の日、カイル達士官と帝国学会の便乗者達は艦長室でダウナー艦長主催で新年を祝った。
「諸君、大いに飲み食いをしてくれ給え」
そう言って参加者に食事を勧めるが、全員それどころではない。
いち早くカイルはテーブルの上の皿に手を掛けて固定する。直後に突然テーブル、いや艦全体が左舷に傾く。テーブルの上が急勾配の滑り台と化して食器が左舷へ滑って行く。
「……相変わらず海が荒れるが今日ばかりは楽しんで欲しい」
ダウナー艦長が言うが、テーブルの上にある食器を抑えるのに忙しい。幸いというか、皆手慣れており、テーブルから落ちた食器はない
既にひと月以上、このような状況が続いていれば、慣れてしまう。
原因は狂える五〇度――スホーテン海峡の激しい西風のためだ。
南緯四〇度より南は地球の自転の影響により西の卓越風が吹いている。
通常なら大陸などにぶつかり風の威力が低下するのだが、南緯四〇度付近には大陸が少ないため遮る物がない。
そのため風の威力は減衰せず、強烈な風が吹く。
ロアリング・フォーディーズ――咆える四〇度と呼ばれ、風が咆えるように吹き続けることから船乗りはそう呼んでいる。
風と波が絶えず吹き寄せるので航行は困難だ。
そしてカイル達が今居るのは更に南の南緯五〇度、フューリアス・フィフティーズ――狂える五〇度と呼ばれる海域だ。
咆える四〇度より更に激しい波風が打ち寄せ船を揺らす海域として恐れられている。
しかし、ここを東から西へ通過しなければ平和洋へ入る事は出来ない。
このため西風に対してタッキング、ジグザグに航行して風上へ出て行く航法を続けている。だが、風が強すぎて常に押し返されてしまい殆ど進めていない。
西に向かってタッキングしても風によって同じ分だけ押し返されるのだ。
「期日までに目的地に行けるのでしょうか」
従者に引き留めさせた皿から肉を受け取ったバンクス氏が艦長に尋ねる。
「海軍の命令は絶対です。遂行いたします」
ダウナーは断言したが、それが根拠のないものだと誰もが知っていた。
「やはり何処かに避泊して嵐が止まるのを待つべきじゃないか」
出席していたウォリス氏が口を出す。
「嵐の時に船を出すのは危険だ。乗員の疲れているし、何処かに入港して休むべきだ」
「確かに」
バンクス氏もウォリス氏に賛同する。
「近くにストロン諸島という島がある。そこで調査を兼ねて少し休まないか」
ストロン諸島とは転生前の世界ではフォークランド諸島にあたる場所だ。かつてアルビオンのストロンという船乗りが発見して以来、彼の名前が付いている。
平和洋への入り口に当たるが大陸から少し離れている上、荒涼とした場所のため寄港する船は少ない。そのため調査は手付かずだ。
科学者としては何としても上陸して調査研究したい場所だ。
そのためバンクス氏から寄港要請が出されていた。
しかし航海日数が増えるのでカイルもダウナー艦長も拒否していた。改めて出された要請にダウナーは再び拒否の言葉を伝える。
「優秀なる航海長が尽力しています。ところが普段より大言壮語を吐きながら彼でもどうにも出来ない様です」
ダウナーの言葉にカイルは少し傷ついた。
通常、南半球は北半球と季節が逆で新年は夏であり、海が穏やかな時期だ。なのに西風がこれほど大きいのは予想外だ。
どうしようもないことを非難されてカイルは少しムッとして答える。
「残念ながらこのような異常気象を予測できませんでした」
「海の事はお任せでは無かったのか? 気象条件も加味して航海計画を立てたのでは?」
「異常気象まで予想できません」
気象には必ず周期性がある。夏は暑く、冬は寒い、のはいつも変わらない。
問題はその変動の幅で例年より平均気温が五度低くても夏は冬より暑いし、冬は勿論寒い。夏の中でも数日か数週間、寒い時期や時たま雹が降ることがあっても全体を見れば暑いのと変わらない。
カイルもそれを見越して航海計画を立てた。
だが、このような事態、ひと月以上も激しい西風が吹くなど異常だ。
ここ数年異常気象が続いているとカイルは感じているが、ここまで酷いとは思わなかった。
「だが君の計画ではこの時期に海峡を通過する予定ではなかったのか?」
「そうですが」
確かにカイルの計画では年明け前後に海峡を通過する予定だった。
平年であれば海峡が穏やかな時期であり、簡単に移動できると予想したからだ。実際、クックの第一回航海ではこの時期にマゼラン海峡――こちらの世界で言うスホーテン海峡を通過している。
この時期にこんな嵐が吹くことなどカイルにも想定外だ。
だが、起きたことは仕方ない。その状況でカイルは問題解決、海峡突破のために日夜奮闘していた。
「しかし、艦長の命令では迅速に移動する予定だったのでは? 赤道で無風にあわなければ、余計な時間を食うこともなかったのでは?」
連日寒風吹きすさぶ甲板で指揮を取り疲れとストレスが溜まっていたカイルは思わず悪態をついてしまった。
しまったと思った時には、既に言葉は口から出ていた。
「私に含むところがあるのかね」
ダウナーが冷徹な声でカイルに話しかける。
「いいえ、そのような事はありません」
カイルはそう言って両手で敵意がないことを示す。直後、艦が右に大きく傾きカイルが抑えていた食器が滑り出しダウナー艦長にぶつかり、鶏の丸焼きのソースが制服に掛かる。
「……私に敵意があるようだね」
「決してそのような事はありません」
「ならば何故、このような事を」
「それは」
「ミスタ・クロフォード!」
その時、当直に出ていた士官候補生のカークが飛び込んできた。
「天候が悪化しています。来て貰えませんか」
「わかった」
これ幸いとばかりにカイルはカークの後に付いて行く。航海長として操艦に責任があるからだ。
先ほどから風が乱れていてトリム調整を頻繁に行っている。
風もさらに強くなっている。オマケに艦長が乗員にも辛い航海の中でも楽しみを作ろうと新年を祝わえるよう休息を命じている。ラム酒の特配付きでだ。
そのため半分近い乗員が酔っ払っている。この状態で帆を操ることなど不可能だ。
「畳帆しろ! 帆の操作など無理だ。シーアンカーを出してライツー――海中凧をだして漂泊――させる」
全てのマストを畳み海中凧を落とし常に艦首が風上に向かうようにしておく。風雨の影響を最小限にして揺れを少なく出来る。洋上で嵐に遭遇したときの基本的な操船だ。
「何をしている!」
その時、カイルを追いかけてきたダウナー艦長が出てきた。
「ミスタ・クロフォード! 何をしている! 状況を説明し給え!」
「はい、嵐が激しくなったため、畳帆し漂泊するよう指示を出しました」
「馬鹿者! ただでさえ遅れているんだぞ! 走らせろ!」
「お言葉ですが、この状況で艦を走らせるのは危険です。帆に必要以上の風を受けてマストが折れるか、波の揺れが加わり艦が転覆する恐れが」
「黙れ!」
ダウナーは大声で叫んだ。
そもそもクロフォードが艦長である自分の言う事を訊かないのが悪い、とダウナーは思っていた。
自分の立てた計画を、艦長である自分の命令を聞いていれば良い。
下は上に立つ人間の言う事を聞いて実行すれば良い。
達成するために全力を尽くすべきだ。
なのにこのクロフォード海尉は、歯向かってくる。時には命令に反することを勝手に行っている。状況変化を言い訳にしてだ。しかも腹が立つことに良い方向へ動いている。
任務達成のために最速で出港しようとしたとき、こいつは反対した。
結果、赤道周辺で無風に出会って立ち往生だ。
ガリアとの関係を維持するために穏やかに対応しようとしたが、こいつは礼砲とは言え大砲を発射した。
結果、海賊と判明した。
少しでも航海の遅れを取り戻そうと航行を続行しようとしたら、水の補給が必要だと言い、嵐が来ると嘘を吐いてまで給水上陸した。
結果、水を補給して乗組員の士気が上がった。
何故、こいつは自分より年下で階級も下なのに、歯向かい結果を出せるのだ、とダウナーは怒りでいっぱいだった。これでは自分が間抜けに見えるではないか。何故このクロフォード海尉は艦長の顔に泥を塗るような事ばかりするのだ。
貴族は、士官は部下に命じれば良いだけだ。
確かに自分も貴族だしクロフォードの方が爵位が高い。なのにどうしてこいつはこれほど能力があるのだ。
士官は威厳をもって武威を示し先頭に立てば良い。
それなのにどうしてクロフォードは航海術も出来るのだ。それも航海士の資格を得ている。
身分の低い連中や昇進の遅い連中が昇進あるいは身分向上のために取るような航海士資格をこいつはどうして得ることが出来る。
航海士は純粋に航海技術のみで審査され士官らしさを調べることはない。
確かに自分は十年戦争の折りに士官が不足して任官した。それでも戦場で先頭に立って戦った。戦後は艦艇数が少なくなり海軍本部に勤務するようになったがそれでも士官だと自負している。
航海などという分野は下々に任せておけばよいのであって士官は大局的な立場に立って命じるのみだ。
なのにエルフとはいえクロフォード公爵家の出身でありながら卓越した航海技術を身につけている。それも一三才でだ。
更に海尉に正式に任官している。自分は二十歳を過ぎてからだ。
皇帝陛下の引き立てもあったので、そこは気にしていない。
だが、どうしてクロフォードは自分より能力が、才能が、上なのだ。
どうしてそれほど適切的確な命令を指示を下せる。
下士官が有能なのではない。連れてきた下士官を見てきたがステファンは無頼者。マイルズは水兵を纏めるのが上手いがそれだけだ。懐いている不気味な少女水兵のウィルマは計算の能力こそあるが航海術を心得ている訳ではない。
士官候補生や海尉心得に関してはクロフォード自身が指導鞭撻を行ってる。
つまり航海技術はクロフォード自身が完全に身につけている。なぜこのような少年がこれほどまでの知識を手に入れられるのかクロフォードだからかエルフだからか。
自分が十数年をかけてようやく手に入れた地位をこのクロフォードは今一歩の所まで来ている。
確かに自分が無能なのは知っている。この航海でどちらが優れているか結果が証明している。
だが、ダウナーは艦長であり、海軍本部から任命された以上降りる事はできない。
それでも艦長であろうとした。足早に進みすぎて無風帯に捕まってしまったことは反省している。乗組員が楽しみにしていた赤道祭に出席しなかったので艦内の雰囲気が悪くなったので、新年の催しを企画して実施している。
なのにこのクロフォードは自分の努力を見向きもしないし敬意さえ表さない。あまつさえ批判してくる。人の成長を、努力を否定するのか。
それだけなら構わない。しかし、この異物、クロフォードは艦長である自分の権威までも奪おうとしている。
それが憎たらしく腹が怒りで煮えくりかえって来た。
クロフォードの命令で水兵が動いている事も神経を逆なでする。
波で洗われロープが散乱する甲板をダウナーは歩いてカイルの元にやって来て怒鳴った。
「ミスタ・クロフォード! 勝手な行動は止め給え!」
「しかし、このままでは艦が転覆します」
「黙れ! 私の命令に従え。君はいつも勝手な行動をする」
「しかし、艦の安全を」
「黙れ! 私に刃向かうな! 私は艦長でありその権威に歯向かうようなことはゆるさん」
ダウナーは更にカイルに詰め寄ろうとする。
「艦長! 待って下さい! そこは」
「私の行動まで規制するのか!」
カイルが制止した事に遂にダウナーは堪忍袋の緒が切れた。振り返ってダウナーの元に向かおうとしたカイルに向かってダウナーは叫んだ。
「君は解任だ!」
その瞬間、カイルはダウナーの元に飛びかかろうとした。




