予報
開闢歴二五九二年八月二三日 ディスカバリー艦長室
「艦長、新大陸南方を確認しました」
カイルは陸地を視認すると艦長室に行き、その旨を報告した。
先ほどの天測で陸地が視認できる所まで接近していることは確認していた。新大陸である事は間違いない。だから自信を持って報告できる。
「これで上陸しての給水が行えます」
「いや、このままコルコバードへ向かう。無風の影響で予定よりだいぶ遅れている」
「え?」
艦長の言葉にカイルは驚いた。
「しかし、水が足りません」
「コルコバードで補給すれば良い。それまでは我慢しろ。それに上陸してルシタニア当局者とトラブルを起こしたくない。それに命令では上陸地としてコルコバードが指定されている。」
勝手な上陸は国際法にも反する。勝手に上陸して現地人と交易したり略奪する事例があったためだ。
「しかし、水が足りない緊急事態です。緊急避難として上陸と給水は認められています」
だが、物資が不足したり沈没寸前という場合などは例外として上陸が認められており、事後承諾で上陸できる。
その場合、上陸された側から抗議されるが、緊急避難を確認する為の形式的な外交儀礼でしかない。
目くじらを立てる必要はない。
「ダメだ。トラブルを起こす訳にはいかない」
だがダウナーの立場では対アルビオン包囲網が敷かれつつある状況では帝国が不利になる状況は避けなければならない。そのため上陸に対して過剰に反応して反対せざるを得ない。
「艦長、上陸するのなら我々も上陸して調査させて欲しい。陸地が見えたのだ。上陸するのだろう」
その時帝国学会のバンクス氏が入って来た。科学的発見をして名声を高めるために上陸したいらしい。もっとも水を求める欲求が大きいことも理由の一つだがダウナー艦長によって却下される。
「申し訳ありませんが、航海に遅れが出ております。上陸している時間はありません」
「ま、まさか水なしで航行するつもりか」
顔面を蒼白にしてバンクス氏は尋ねた。間違いであってくれと頼むような顔だったが、現実は非情だった。
「次の寄港地コルコバードまでは持つはずです」
「不十分ではないのか」
「大丈夫です。十分に持ちます」
「おいおい、冗談は止してくれよ」
その時、案内人のウォリスが入って来た。
「これまで熱い太陽を浴びた上に水が腐っているんだぜ。ここは補給しないと不味いぜ」
「ミスタ・ウォリス。君は案内人として客分扱いをしている。ご意見として聞くが指揮権に口出しをしないで貰いたい」
「ならば帝国学会として正式に要請する。調査と給水のために上陸し給え」
バンクス氏が口を挟むが艦長の考えは変わらない。
「この艦は帝国学会ではなく海軍の所属であり指揮権は私にあります。口出ししないで下さい」
「我々に便宜を図るように命令されているはずだ。海軍はともかく我々は水を必要としている。上陸し給え」
「だから海軍の命令は貴方方を期日までに目的地に到着させる事です。これ以上遅延すれば間に合わなくなります」
三人のやりとりと、なおも頑なな艦長の言葉にカイルは絶句した。これでは給水できそうにない。下手をすれば反乱が起きてしまう。
何か上手い方法は無いかと周りを見回してみる。そして、チラリと外を見てから口を開いた。
「失礼。艦長、東より嵐の兆候があります」
「何?」
二人との口論を打ち切って艦長は部屋の窓から外を見た。他の二人も窓から外を覗く。
「それほど大きな雲ではないが」
「いえ、これから大きくなりそうです。その場合、東からの風、海から陸への風となります」
カイルはエルフだが魔法が使えない。エルフの妖精魔法は妖精へ頼み事をして現実に干渉する魔法だが、妖精が気まぐれなため扱うには長年の経験が必要だ。通常は親から子へ伝えられるのだが隔世遺伝のため両親が人間のカイルには使えない。そのためカイルは妖精魔法を大して使えず、近くで指向性の声を届かせたり変声させたり、精々遠くの空気の動きを妖精を通じて見る事が出来る程度だ。
それでも遠くの空気を見る能力は気象予報、特に気温や湿度、寒気暖気の位置を視認範囲で見る事が出来るので天候の影響を受けやすい帆船には非常に良いスキルだ。
「だからなんだ?」
「……風下に流されると大陸にぶつかる危険があります。嵐となると漂流して座礁し艦を失う危険が」
カイルが言うと艦長は顔面を蒼白にした。
妖精による気象観測で幾度もカイルが天気予報をして当ててきたことをダウナーは覚えていた。
カイルは予想みたいなもので絶対のものではない、と言っているが的中率はほぼ一〇〇パーセントだ。
嵐が来る、しかも陸に向かっての風が来るとダウナーは考えた。
艦を失えば軍法会議ものだ。それ以前に自分が帰国する術さえ失われることをダウナーは恐れた。
「……それでどうしろと?」
「幸い、陸地には少し深めの入り江があり風を防げます。そこに入り嵐が通過するのを待ちましょう」
「……分かった。直ぐに実行し給え」
「上陸だ!」
入り江に入ったディスカバリーは、周辺に錨を降ろし嵐に備えると共に、艦載艇を下ろして浜辺に上陸した。
幸か不幸か入り江には川が流れ込んでおり、直ぐに真水の補充が出来た。
川からの給水は微生物が多いので出来れば湧き水から汲み出したい。神戸の水が世界中の船乗りに愛されたのは微生物が少ない湧き水を使っているため腐りにくく、赤道まで航行しても飲用可能だったからだ。
川の水は微生物が多い為、衛生レベルが一段下がるが、飲用不可能な腐った水よりマシだ。
それに緊急非難として使うのだから問題無い。
「川の流れが急なところから補給しろ」
それでもカイルは安全を考慮して流れの急な所で水を採取するように命じた。
流れがある場所だと雑菌が入る危険を下げられる。
淀んでいる場所程、雑菌が繁殖しているからだ。
「ヒャッホー!」
ただ傾斜地での作業のため、川に落ちる乗員が多数出た。大半は故意だったが。
潮風に晒されてカサカサに乾いた身体にとって真水を浴びるのは何よりのご褒美だ。
身体に付いた塩を洗い流しサッパリする。
特に歓声を上げたステファンは岩場から思いっきりジャンプして泉に飛び込む。
「遊ぶな! 嵐が来るぞ! 急いで補給しろ!」
監督役のマイルズが叫ぶ。だが、カイルはそれを止めた。
「あまり目くじらを立てるな」
「しかし」
「どうも予測を外したようだ。嵐は来ない」
「え?」
一瞬呆けた顔をしたマイルズ。だが直ぐに合点がいってカイルに話を合わせた。
「海尉も外すことがあるのですね」
「ああ、仕方ない。済まないな」
二人は笑い合いながら話を続ける。
「いいえ、上陸の機会が出来たお陰でたっぷり休めますし、水が補給できます」
カイルが艦長に嵐が来ると言ったのは方便だった。
勿論来る可能性もあったが、一パーセント程度。直ちに影響はない程度だ。本当に嵐がくるのなら、もっと確実に荒れる前になってから進言する。それでも艦が十分に対処できる準備を整えられる時間的余裕を持って出すことが出来る。
嵐が来て座礁する、ごく僅かな危険を指摘して艦長を追い込み陸地に避難させる。そのついでに本命である水の補給を行ったのだ。
嘘も方便、とはこの為にあるような言う事だ。
「いやあ、外してしまって大変ですな」
「全くだ。今後間違わないよう注意しなければ」
互いに意図を相互理解したカイルとマイルズは、そのまま泉に飛び込んだ。
こうして思う存分水浴びを堪能した上陸隊だったが、一緒に来た帝国学会の科学者数人が奥地に入って迷子になった為に海兵を使って捜索せねばならず、予想以上に滞在してしまった。
「どういう事だ! 嵐が来るのではなかったのか!」
水の補給を終えてボートでディスカバリーに戻ったカイルはダウナー艦長に呼び出された。
「申し訳ありません。予測が外れたようです」
しれっとカイルは艦長に答えた。
嘘は吐いていないが給水のために上陸させるべく針小棒大に言ったことは間違いない。
「あれほど自身満々に話しておいて外すか」
「予報は外れるものです」
転生前、商船の航海士を務めていたとき何度低気圧と台風の進路予報が外れて嵐に悩まされたことか。
だからカイル――航平は予報をあまり信じていない。
自分の妖精による気象観測でさえも、出来る限り精度の高い情報しか採用していない。あるいは最悪の事態を避ける程度にしか使っていない。
常に最悪の事態を想定してはいるが、ダウナー艦長に言うと不安で情緒不安定になり間違った命令を下す恐れがあるので確定的な事しかカイルは言わなくなっている。
そのため結果としてカイルの進言は高い精度での予報とダウナー艦長に認識されていた。
それが崩れ、ダウナーによるカイルへの叱責は厳しかった。
「君は水が欲しいが為だけに上陸したくて私に誤った情報を出したのか」
「予測が外れたことはお詫びします」
カイルは深々と頭を下げた。
「もう良い! 直ちに出帆! コルコバードへ向かえ!」
「はい!」
カイルは直ぐに艦長室をあとにした。そして艦長室前で待っていたマイルズに耳元で囁かれた。
「たまには間違うのも良いでしょう?」
「ああ、全くだな」
カイルは、マイルズの意見に同意すると出帆準備にあたった。
「やあ、カイル君。君のお陰で満足の行く調査が出来たよ」
「それはよかった。無事に艦に戻れなければ死んでいましたが」
満足げに話すバンクス氏にカイルは嫌みの入った言葉で返した。迷子になった理由の一つに捕まえたり採取した動植物の標本が重すぎたため動けなくなったという理由があったからだ。
カイルの言葉にバツが悪くなったのかバンクス氏はそれ以上喋らず、その場を離れた。
「よお、坊主。意外とやるな」
バンクス氏に代わって背中をバンと叩いたのは案内人のウォリス氏だった。
「ミスタ・ウォリス、貴方は客分ですが士官に対しては敬意を持って接して下さい。それに私は坊主ではなくクロフォード海尉です」
「だからこうして敬意を持って言っているんじゃないか。冒険者風ではダメかね」
いたずら小僧のような笑顔をウォリス氏に向けられてカイルは戸惑った。何というか、気に入られたというか、同士と思われているようで困る。何より行動は粗雑で不快だが好意が感じられるので強く抗議できずにいる。
「まあ坊主が船を動かしてくれるというのなら大丈夫だな」
「はあ」
なんとも言えない気の抜けた返事しか、カイルは答える事しか出来なかった。
ただウォリス氏はカイルの事を信頼し、これ以降、大陸沿岸の状況、特に暗礁の位置を伝えてくれるようになった。
かつて世界一周航海を果たしただけあって、一度航海した新大陸南方の事情に詳しく、カイルの仕事は幾分かやりやすくなった。
大陸による海陸風もあり、ディスカバリーは順調に新大陸南方を航行して次の寄港地へ向かって行く。
開闢歴二五九三年一二月一〇日 ポート・インペリアル海軍軍法会議議場
「上陸したいが為だけに艦長に誤った情報を与えたのかね?」
「いいえ私が出した予報が外れました。嵐になる危険があったので進言したまでです」
それは非常に小さい、一パーセント程度の危険であり、大概は嵐が来ない。もっと具体的に言えば、より確実な状況まで観察するものであり、晴れる確率が七〇パーセントぐらいあった。
誤った情報など渡していない、起こる確率が非常に小さい危険を知らせただけだ。
結果、予想通り嵐は起きず晴れただけだ。
上陸すべきだと確かにカイルは考えていた。だが誤った情報を渡してなどいない。
「何故、君は嵐になると考えたのかね?」
「東に雲が出ており、嵐の危険を考え進言しました」
「間違った情報を与えようとした意図があったのではないか?」
「私はアルビオン帝国海軍士官として己の能力を持って任務に忠実に遂行しています。私が誤った情報を述べている根拠はあるのですか?」
「いや」
ジャギエルカは黙り込んだ。
頭の中を調べることなど出来ない。しらばっくれれば人の意図など隠せる。
中学時代、何度いじめっ子の暴行を訴えても証拠が無いため、じゃれ合いと片付けられ、犯罪行為を教師によって闇に葬られたことか。何らかの明確な証拠を突きつけない限り、罰せられることはない。
本当に虐めは良くない、悪い知恵ばかり付いてしまうとカイルは思った。
そんなカイルの思惑を知らず、あるいは知っていても攻めあぐねたジャギエルカは別方向から尋ねてきた。
「しかし、君の進言は結局の所、外れではないか。報告を行わずに済ませれば良かったのでは?」
「失礼ながら。下からの報告が上がらないような状況こそ恐れるべきです」
「間違った情報が上がってきたとしてもか」
「はい、間違っているかいないか、危険があるか無いかを判断するのが士官の役割だと心得ております。また間違っていたとしても進言したことを褒めるべきであり、叱責するべきではありません」
転生前にも航海士時代に船長から甲板員や船員の話は普段から聞いておき、進言しやすいようにすべきだと言われてきた。
彼らは最も船と海に近い位置――実際の甲板作業にあたっており、船や海の状態を肌身で感じて居る。故に危険に真っ先に遭うので彼らの勘や不安、危険に対する警戒心は強い。
何より船が破滅するような危険が何処に潜んでいるか分からないし、危険は可能な限り除去するべきだからだ。
少しでも疑問があれば、暗礁の位置が分からなければ、あるいは小型船が航行しているのなら接触を避けるべく、慎重に操船し事故を避ける。
一寸した衝突事故でも、十数万トンのタンカー、コンテナ船となると修理費だけでも何億もする。一日当たりの経費も一〇〇〇万台になるため動けない分、多額の損失となる。
それに加えて相手がいると損害賠償請求で裁判沙汰になる事もあり得る。
だからこそカイルは、船は安全に航行するべきだ、と考えている。
「だが怯懦が過ぎないか。それは海軍軍人の考えではないが」
「失礼ながら海軍軍人として重要と考えています。戦闘においては危険を顧みず損害を恐れず進みますが、戦闘に参加するために。十全な状況で戦闘を行えるよう戦場以外の場所でおかす危険は最小限に抑えるべきと考えます。まして今回は観測任務。観測が基本であり、到達できなければ意味がありません」
「うぐっ」
カイルの反論にジャギエルカは不利を悟って話を変えた。
「なるほど、君の考えはよく分かった。危険を少なくすべき、摩擦を少なくするべきと考えるのだな」
「はい」
「では、コルコバードの件は何だ?」




