大陸視認
開闢歴二五九三年一二月一〇日 ポート・インペリアル海軍軍法会議議場
「艦内では反乱の機運が高まっていたのかね?」
「そのような事はありません」
ジャギエルカ提督に問われてカイルは明確に否定した。
「君が下士官と反乱の謀議を行っていたという証言が出ているのだが」
「それはありません」
カイルは赤道祭での事を思い出して改めて否定した。
あの時話の内容を聞いていた人間はいない。精々近くに居たステファンとウィルマだが彼らが周りに目を光らせており、他の将兵に聞かれた恐れはない。
もし聞かれていたとして、ダウナー艦長の耳に入れば即座に処罰される。
一寸した微罪でも鞭打ち刑にする程の人間だ。
反乱謀議など直ぐに絞首刑だ。
「だが、その後君と親しい士官達と横の連帯、艦長を陥れる策略を深めていったのではないか?」
「それはありません」
「だが君自身、艦長への反抗的態度をとっていたのではないか? 職務を意識的にサボタージュしてはいないか」
「しておりません」
「では、大陸到達時のことはどう説明する?」
開闢歴二五九二年八月二三日 ディスカバリー艦上
正午の天測を終えてカイルは海図室に入り、現在位置の計算をした。
クロノメーターで南中時刻を確認。海軍天文台標準時との時間差を元に経度を算出。更に六分儀による太陽高度の観測結果を基にして緯度を出す。そうして現在位置を算出すると海図に記入する。
新大陸南方に近づいてるのが判る。速力は毎時六ノット程。風を考えれば悪くない速力だ。
そうして仕事を終え、当直をスペンサーと代わり、カイルは士官室に行く。
「あー、水が飲みたい」
サッサと当直を交代し、士官室でテーブルに俯せたレナが呟く。
「給水制限が入っているから無理だよ」
カイルはレナを宥めるが水は渡せない。
現在、水の供給は制限されている。
当直中の人間は水が供給されるが、非直にはコップ数杯のみだ。
「何で水がないのよ。船倉にたっぷりと詰まっていたはずでしょう」
「殆ど腐って飲めなくなっているよ」
水は腐りやすい。汲み置きしていても中に入っている微生物が繁殖して腐敗する。
艦の揺れがあれば、樽の中で攪拌されて多少は繁殖を抑えられると言われている。だが無風帯を通過するとき艦は一切揺れなかった。
そのため腐敗が進んだようだ。更に直上から降り注ぐ太陽により気温が上昇。船倉の気温も上がってしまったことが拍車をかけた。
結果、搭載していた水の殆どが腐敗していた。
腐敗した水を飲めば腹を壊してしまう。
だが水を飲まなければ人間は脱水症状を起こして死んでしまう。
雨でも降れば雨水を帆布で集めて補充できるが、カンカン照りの晴れが続いており補給できない。
だからギャレーのオーブンで水を沸騰させ蒸留させているが薪も潤沢ではない。そこでカイルの提案でガラス板を組み合わせて太陽熱で気化した水を冷やし集める装置を設置して補給している。
だが、九〇名近い乗員へ供給するには量が少なすぎる。
人は一日当たり食事を含めて二リットル近い水が必要だ。炎天下での作業なら更に必要になる。
飲み水と食事で一日四〇〇リットルくらい必要なのだが、供給できそうにない。
そのための給水制限だ。
「もう少しで陸地が見えるはずだよ。そうしたら補給できる」
「本当に辛いんだけど」
「無い物はないよ」
「辛くないの?」
「辛いよ」
乾きというのは本当に辛い。
幸い前世では船に乗っているときは真水製造機のお陰で水に困ることはなかったが、初夏の山登りの時、低山で水を切らしてしまった事がある。標高が低く地上と変わらない気温と湿度の中、足場が悪く傾斜のキツい場所をザック担いで歩いたために水を大量消費。水筒もペットボトルの水も水タンクも空にしてしまって山小屋まで水無しで歩く羽目に。
アレは本当にキツかった。
唾液さえ出なくなり、口の中はカラカラ。頬の内側と舌が擦れて不愉快だ。身体の中から水を求める欲求、いや本能が四六時中精神を蝕む。
二度と経験したくない。
「水は直ぐそこにあるのに」
「海水は飲めないよ」
人間の体内、細胞の塩分濃度は一パーセントほど海水は三パーセント。
海水を飲めば細胞周りの塩分濃度が上昇し浸透圧が高すぎて細胞の中から水分が抜けてしまい、細胞が死んでしまい、最後には人間も死ぬ。
事実、渇きに耐えられず海水を飲んで死んだ人間はあとを絶たない。
先ほども渇きに耐えかねた水兵が一人海水を飲んでしまい水葬に付したところだ。
「ワインなら大丈夫?」
「もっと酷いことになるよ」
ワインなどの酒はアルコールにより腐敗していないが、アルコールの利尿作用によって更に脱水症状が早まる。
酒を飲み過ぎた後、猛烈に喉が渇くのはそのためだ。
しかも尿と一緒に塩分なども抜けてしまうのでスポーツ飲料を飲んだ方が良い。
「艦長や便乗者達は飲んでいるみたいだけど」
「止めるように言っているよ」
腐っていないワインを飲んで乾きを抑えようとしたのは艦長や帝国学会の人々だ。
もっとも乾きが酷くて結局水を飲むのだが、配給では足りず腐った水を飲み、腹を下して軍医のお世話になる。そして回復するとまたワインを飲むという無限ループを繰り返している。
「壊血病の前に渇きで死ぬわね」
現在の所、壊血病での死者はいない。カイルが支給するビタミンC保存食が効いているからだ。
古くからの慣習を重んじる船乗りに新しい物を受け容れさせるのは容易ではない。
海は危険であり、経験が物をいう。新しい物を使って致命的なミスを起こし命を失うことを避けたいからだ。
研究、実験手法どころか科学的な常識さえない、経験のみの世界では受け入れてくれる人間など殆ど無く、マイルズでさえ否定的だった。
そこでカイルは一計を案じた。
保存食を出すのを士官室のみとし、下士官兵に対しては希望制にした。
命令で強制しても食べようとしないが、上の階級が食べている物を食べたいと思うのが下の階級の欲求だ。
興味を持った一人が食べ、二人が食べ、三人、五人、七人、一一人と増えていって結局全員が食べるようになった。
これが功を奏して壊血病はなくなったが、他の死者、事故死や渇きによる死者が出ている。
そして今の状態が続けば渇きによる死者は更に増える。
「なんでこんな目に遭うのよ」
「そういう仕事だって」
カイルは半分はぐらかして言った。
実際には赤道無風帯での行動期間を出来る限り短くして突っ切り、このような事態を避けるべく八月頃の出港を進言していた。
しかし、艦長が拒否し出港を早めたお陰でこの有様だ。
そのことを本能的に察しているのだろうがレナは口にしない。
下手に口にすると反乱の疑いをかけられてしまう。少しは海軍士官としての自覚が出てきたのだろう、とカイルは思った。
「ねえ、カイル。もし貴方が反ら……」
そこまでレナが言ったときカイルは反射的にレナの口を平手で塞いだ。
「ちょ、痛いじゃないの!」
「それ以上言うな」
反乱の謀議など士官であっても死刑が適用される。これ以上の発言は危険だ。
そう思ってカイルはレナの口を強く押さえたが、レナは撥ね除けて更に大きな声で言う。
「あのねえ、これ以上状況が悪化したら」
「陸地が見えたぞ!」
だが見張りの声とその後に続く歓声でレナの不満は掻き消され、レナも口を閉ざし甲板に駆け上がる。カイルも安堵の溜息を吐いた後、甲板に上がり前方を注視する。
空と海、その境にある水平線にへばり付くように緑が見える。
確かに陸地だった。
「やった! これで水が補給できるわ」
隣でレナがはしゃぐが下士官兵も一緒に喜んでいるので止めなかった。
勿論、カイルも陸地を見る事が出来て喜んでいる。
間もなく大陸が見える位置にディスカバリーが来ていることは、海図で知っていた。だが自分の目で見つけた喜びはひとしおだ。
何より給水が出来る事に安堵していた。




