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赤道祭

 開闢歴二五九二年八月二〇日 赤道上ディスカバリー艦上


「海の神ネプチューンよ。我らを南の海へ通し給え」


 カイルがマストの前に立つ海の神――に扮するマイルズに許しを請うている。


「宜しい。我に供物を与え新参者に我への忠誠を誓わせよ」


「はっ」


 そう言ってカイルは供物、上等なラム酒の入った瓶を差し出す。


「宜しい。では新参者に忠誠を誓わせよ」


「はい」


 そう言ってカイルを始め数十人の乗組員が前に出てきてラム酒の瓶を差し出した。


「うむ、宜しい。だが信心の無き者がおる。眷属達よ引っ捕らえてこい」


『ははあああああっっ』


 ネプチューンの周りにいた眷属――ステファン達古参水兵が乗員を引き立てる。ほつれたロープにタールを浸けたものを頭に被っただけの扮装だが、まるでファンタジー小説に出てくるギルマンのようだ。引き立てられなかったのは数人のみ。

 引き立てられた中にはカイルも居り、全員がネプチューンの前に跪かされた。


「我を謀る愚か者め! 神罰を受けるが良い!」


 ネプチューンが大声で叫ぶと眷属達は掴んだバケツの中身、海水を愚か者達に浴びせた。


「神罰は下った。試練を乗り越えた新参者達よ。南の海に入ることを許そう」


「ありがとうございます」


 ずぶ濡れになったカイルが感謝の言葉を唱える。


「宜しい。では新参者を迎えての宴会じゃ」


 ネプチューンの宣言と共にディスカバリーの乗員は歓声を上げた。


『赤道越えおめでとう!』


 この日、ディスカバリーは初めて赤道を越える事が出来た。

 先ほどのネプチューンは赤道祭の出し物と通過儀礼だ。ネプチューンに供物を捧げ、赤道を越えた事を証明できない乗員はラム酒を一瓶差し出すか海水を頭から被らなくてはならない。

 大抵はラム酒を差し出すだけだが、大多数はラム酒を差し出した上、海水を被った。

 それが終われば、捧げ物を使って大宴会が行われる。


「派手に騒げよ!」


 この日は乗員も便乗者も含めて甲板に繰り出して大騒ぎとなった。

 特に騒ぎ好きのステファンがラム酒を大量にあおっている。


「飲み過ぎるんじゃないぞ!」


 扮装を解いたマイルズが叱るが、ステファンは口では止めるというと言うが騒ぐことを止めない。

 一方のマイルズも強く止めようとはしなかった。


「強く止めないんだな」


「まあ、息抜きと言う事もありますし、騒げば風がやってくると信じている連中も多いですから」


 ディスカバリーは無風帯に捕まり、直上から降り注ぐ太陽にここ二ヶ月乗員は悩まされている。

 襲撃を受けた後、ディスカバリーは修理しつつ南下を続けた。初めの一月は風があり順調に航行できたが、ここ数週間は無風帯に入ったために進めず、太陽に焼かれている。

 先ほど海水を被ることを乗組員が希望したのは、暑さを少しでも和らげたいからだ。

 たまに風が吹いても艦長がディスカバリーを直ぐに南下させてしまうため、再び無風帯の中に入ってしまって動けなくなってしまう。

 赤道祭はこのように風が吹かない状況を神様に何とかして貰おうと祈りを捧げたのが始まりだ。

 またマイルズが言うように風が吹かない状況に不安を感じる乗員の息抜きという側面もあり、派手に行っている。


「しかし、艦長にも困ったものだ」


 今回、艦長は赤道祭に参加していない。


「艦長が参加する必要は無いだろう。責任者である自分が海水を被らなければならない理由は無い」


 と言って出てくる事さえ拒否した。

 プライドが高いと言うか、艦長は乗員を上から押さえつけるものという意識が強いのか、あるいは水兵達と交わるのを避けている。

 艦長を始めとする士官は良家の出身だ。稀に水兵からのたたき上げもいるが、滅多に居らず、この艦には一人も居ない。


「もう少し、協力してくれても良いのだけれど」


 確かに赤道祭は気晴らしのための行事だ。だが上と下が交流できる数少ない機会だ。

 一方的に命令するだけでは船は動かない。

 水兵の士気を知ってこそ適切な命令を下すことが出来る。馴れ合いはダメだが交流せずに士気を把握出来ない。

 艦長はそのことを知っているのだろうか、とカイルは不安になる。


「しかし、気を付けて下さいよ副長」


「そうだな気を付けるよ」


 マイルズが話しかけるとカイルは頷いた。エルフは邪悪と言われており、その迷信を信じる乗員が風が吹かないのはカイルのせいだと騒ぐ乗組員も多い。


「まあ実力行使を行う連中は早々居ないでしょうから御安心を。今のところ壊血病の患者はいませんし」


「ありがとう」


 マカロネシアを出港して二ヶ月余り。

 通常なら壊血病患者が出てきてもおかしくないが、軽傷者しかいない。

 カイルが積み込んだビタミンCたっぷりの保存食やタマネギのお陰で予防できている。

 今、宴会の肴に出ているのも酢漬けのキャベツやタマネギなど積み込んだ保存食が多い。

 はじめは乗員の多くが食べなかったが、カイル達士官が食べているのを見て徐々に保存食を食べる者が出てきて最終的にほぼ全員が食べるようになった。

 希望制にして上のクラスが食べるのを見ていて食べたいと思うようになったからだ

 船乗りは不思議なものでこれまでにない慣習を強制しても受け入れないが、士官クラスがしている事を真似しようとする習性がある。

 それを利用させて貰った。


「しかし、代わりに艦長への不満が溜まっています。副長が頑張っているのに艦長は艦長室に留まって滅多に外に出てきません」


 今まで洋上勤務が殆ど無かったので、何をすれば良いのか、しなければならないか、理解していないようだ。

 知らなければ、分からなければ聞きに行けば良いのに、士官、海佐という立場と良くない意味でのプライドが邪魔して聞けないのだろうか。

 風が吹いている間にマカロネシアへ戻って待機するという選択肢もあったのに、それを頑なに拒否していた。

 だが最高責任者の決定にはカイルも逆らえず、こうして無為に洋上で時を過ごすしか打つ手は無かった。


「しかし、何時まで待機すれば良いんですか」


「風が出るまでだ。早ければ明日、遅くても一週間以内に吹くはずだ。その風に乗れば少なくとも新大陸南方に到達できる。陸で水の補給ぐらいは出来るハズだ」


「憶測を話して期待させるのは良いことでは無いと思いますが」


 そこへ割り込んできたのはスペンサー海尉だった。


「それにマイルズの言葉は行きすぎでは?」


 言われたマイルズは無表情を装ったが身体が強ばっていた。艦長に対する侮辱は懲罰の対象だ。士官は大目に見られるが下士官兵に対しては厳格に適応される。

 先日も怠けていたジョージと当直中艦長へ悪態を吐いた海兵が二四回のむち打ち刑に処せられ海兵の背中はチェック柄のシャツ――鞭で叩かれた跡が格子状に残った。

 九尾の猫と呼ばれる、端が九本の紐に分かれた鞭で叩く為、一回でも広範囲を叩き痛みが背中全体に走る。

 出来れば喰らいたくない刑罰だ。


「今日は赤道祭、無礼講だ。宴に水を差すこともあるまい。どうだ海尉も」


 カイルはそう言ってスペンサーにラム酒の瓶を勧める。


「結構です。しかし、下士官を甘やかしすぎるのは良くないかと」


「だからといって痛めつけるばかりが士官の仕事では無い。彼らが良く動くように命令するのが士官の役目だ」


「下士官におもねろ、と」


「違う、彼らが働きやすいように、動きやすいように命令するということだ。ずっと仕事をさせ続けるより時折休ませながらの方が疲れが酷くならず、結果的に効率的だ」


「士官は威厳をもって厳しく当たるべきです」


「士官の存在意義は任務の達成だ。いたずらに下士官兵を痛めつけても命令を達成できる訳では無い」


「話しになりませんね。失礼します」


 そう言い残すとスペンサーはカイルの元から離れていった。


「済みません、ミスタ・クロフォード」


「気にするな。ただ私も慈善事業で副長をやっている訳では無い。君らにしっかり働いて貰わないと困る」


「はい、肝に銘じます」


「ああ、風が出たら忙しくなるぞ。陸に着いたら水を補給する。今のうちに人選を頼む」


「アイアイ・サー」


「今日は無礼講だ。敬礼はいい」


「へへへ、済みませんね。ですがミスタ・クロフォード。上に立ってばかりで下積みが殆ど無いので貴方はあまり良い部下ではありませんね」


「? どういうことだ。私はキチンと任務を全うしているぞ」


「ですがミスタ・クロフォードは殆ど人の下に付いたことがないでしょう」


「リドリー艦長やサクリング艦長の下で真っ当に職務に当たっていたぞ」


「そりゃ、あの人達の器がデカかったからでさあ。ミスタ・クロフォードの能力を認め自由にさせる事が出来る人でしたから。でもダウナー艦長は違う。器は小さいし、能力も無い」


「あまり艦長批判をするな」


「一寸した上申でさあ。もう少しミスタ・クロフォードが正しいと思う方向へ動いて行けば良いんでさあ。その方があなたにとっても艦にとっても良いはずです。間違った命令に対して愚直に実行する必要もありません。上手く行けば、状況が変化したと言って事後承諾を求めれば良いんですよ」


「明確な抗命だな。それと失敗したらどうするんだ」


「失敗なんかしないでしょう?」


「俺だって失敗するぞ」


「けど、ダウナー艦長よりマシでしょう。酒場でスッカラカンになるのは厭ですが、その上借金やツケの支払いを求められるよりましでさあ」


「確かにな」


 カイルはそう言ってラム酒を飲んだ。辛い航海の日々を送る乗組員には年齢にかかわらず飲酒の権利が与えられている。

 共に地獄を乗り越える仲間を排斥することなど出来ない。この世界では子供の飲酒による成長阻害どころか労働に供することによる悪影響さえ理解されていない。そのため子供の飲酒許されている。少なくともアルビオン帝国海軍艦艇の上では連帯意識を強めるため、不満解消の為にも許されている。

 それほど洋上生活は過酷という事だ。だからといって過酷な生活を改善してはならない理由にはならない。

 虐められていた中学時代、傷つけられるのを避けるために不登校になって良かったと思う。そのまま我慢していたら思考力もなくなり高専への入学さえ思いつかず、もっと悪い状態で家の中に引きこもったままになっただろう。

 何も出来ない教室の一室で、意味のない、必要性が理解出来ない授業を受けて縮こまっていては、商船高校へ行くことさえ、いやその道があることさえ見つけられなかっただろう。

 非常時には緊急避難として、社会的な常識や法律もある程度は破ることが出来るし、許容されるべきだ、とカイルは考えた。


「少し、マシになるよう動いてみるか」


 三日後、カイルの予想通り風が吹き始め、ディスカバリーは再び動き始めた。

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