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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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八十八話 希望はなくも光はありて

 今にも地面に落ちてきそうな鈍色の雲が空を覆う。


 青々とした色は僅かなもので、茶色い世界が寂しく広がるばかり。


 息を吐けば白く霞んでは風に流れていく。降れば雪になるやも知れない。


 そんな寒そうな景色を背にクレインが険しい目つきで立っていた。


 その肩は僅かに上下しているも、汗をかいている様子はない。


 ある建物の開け放たれた扉の前で、ただ真っ直ぐ前を見据えている。


 その先で対峙しているのは一人の女性、ハルピュイアと呼ばれる種族のクレアであった。


「その様子だと、ついに知ってしまったのかい?」

「お陰さまでな。これが、こんなものが真実なのか……」

「そう、しょうもなくて救いもなくて、それでも夢を見た。それが過去と今よ」


 問いかけたクレインのほうが、物悲しそうに顔を僅かに伏せる。


「これから、クレアはどうなるんだ?」

「坊やが生きている間はあたしも生きている」


「坊やが死ぬ時、あたしも死ぬ。それが、今ここにあたしが存在する理由。存在できる理由。『見た』でしょ?」


 ついにクレインの顔が大きく歪む。今にも涙が零れそうで、しかし耐えようと歯を食いしばっていた。肩を震わせ、血が出るのではなかろうか、という程に拳を握り締めて。


 それをクレアはただ寂しげに見つめ、されど決して言葉をかける事はなかった。



(死後……省略……蘇生……再構築……)


 高速で空を飛ぶクレインの頭の中に、解読された言葉がグルグルと駆け巡る。


 これだけならば、なんぞ妖しい所業に手を出した、程度の話であった。


 否、本来ならばこの時点でも十分に気づけたはずである。しかしクレインは見落としたのだ。もしかしたらそのまま、一体なんなんだろうか、で通り過ぎていたかもしれない。


 そこに断ち切る魔王が口にした内容が、一つのピースとしてクレインの思考に嵌ったのだ。零れていたものを完全に補完する形である。


 気づかないほうが幸せなのかもしれない。しかし気づいた今、無視する事など到底できまい。


 姿を消した初代魔王。そして同じく消えた翼を持つ種族の眷属達。


 そして……魔法陣の真ん中の位置で目覚めた自分。


(俺は……もしかしたらただの器、人形や寄り代なのかもしれない)


 ゾクリとした悪寒が走る。


 自分は何者なのだろうか。そんな悩みがなかったわけでもない。


 ただ、そのうち分かる日が来るだろうと楽観視していた。適当に探っていれば、生きていればやがて答えに辿り着くのだろう、と。


 それがまさか、何者どころかじゃないかもしれないとは、予想できるはずもなし。


 いっそ木の股から生まれていたほうが……。エルナの言った言葉をつくづくそう思う。


(とにかく本を探そう。やろうとした事が分かった以上、見ればもう少しヒントになるはずだ)


 何時まで自分が自分でいられるのか。


 そもそもクラウン・フェンリアランが、再びこの世に顕在する為の肉体。それが自分ではないか、という仮説自体合っているかも定かではない。


 あるいはそれすら生ぬるい未来が待っている可能性とてある。


(……もっと勉学にも励むべきだったな)


 仮に自国の初代魔王が関わっているとして、果たして彼はなにを思ってこれを行おうとしたのか。


 無論、情報などそう多くは残されていない。しかしクレインが知っているのは、有名な出来事ぐらいなものである。


 彼について理解があれば、探る手がかりにもなっただろうに。


(嘆くのも、後悔するのも今は後回しだな)


 目指す岩山を視界に捉えると、クレインは急降下をしていく。


 相変わらず口を開けたような姿で、中に入るのを躊躇させる雰囲気を醸し出していた。


 それとて見慣れたもので、躊躇もなく身を滑らせて入ると、手早く明かりをつけて奥へと進んでいく。


 本を手にしては、ばーっとページをめくる。その多くが魔法陣やら鳥の絵やらで、今は必要としていないものばかりである。


 それらしい絵がないか、と本をとっかえひっかえしていくと、珍しくも文章だらけのページに当たった。


(今見つけてもな。前回の時ならこれも写、して……)


 どうせ読めない、と次のページにかけた指が止まる。


 全く読めなかったはずの古い文字の羅列。


 だが、


「このような禁忌など……それでも私は……恐らくそれは……ない……」


 断片的ではあるが、理解できるのであった。


 恐ろしく不快な感覚である。


 本来、分からないはずの言葉なのに、翻訳された文章を読むように頭に入ってきてしまう。まるで、自分ではない誰かになってしまったかのような錯覚に陥る。


「身勝手だがそれでも託し……を見たいのだ。例え不幸な犠牲……」


 それでも尚、クレインは読み続けた。


 例え酷く不快でも、例え得られるのが断片でも、今は必要としている、欲しているものに他ならない。


 やがて、今関わるものの背景がおぼろげながらも、イメージとして見えてくる。なにがあってどんな思いで、なにを願ったのか。その光景が明確になっていくと、


「つっ……!」


 突如の腕の痛みに身を屈め、鎧と服を脱ぎ捨てた。


 腕にはみみず腫れのような黒い痣が走っている。まだ小さいが、まるで体を絡め取ろうとしているかのようだ。


「なんだ、これは……痛みも更に……」


 ズキリ、と刃物で刺されるような痛みが増すと、クレインは目を見開いて顔を上げた。


 驚ききった表情で虚空を、だが確かにあるなにかを見つめる。


 動きは止まり、食い入るようにただ静観し、やがて、


「これが……? 答え、だと?」


 そう呟き静かに腰を落とした。


 決して誰の瞳に映る事のないものを前に、頭を抱えて大きな息を吐き出す。


 しばしの沈黙のあと、不意にクレインが立ち上がった。


 如何なる絶望を突きつけられたか。如何なる絶望を突きつけられようとも。


 時間は止まる事はなく。


 嘆く暇もない。


「……会いに行かなくちゃ、な」


 本を投げ捨てるように放ると、緩慢な足取りで外へ出ていく。


 空は相変わらず重苦しい雲に覆われている。まるで今のクレインの心境のようだ。あるいは空模様がその心に映ったか。


 嬉しくない時に限ってこんな天気だ。それとも雨でないだけまだ良いものか。


 そんな事を自嘲しながら考えると、薄暗い世界に向けて、翼を広げて飛び立った。


「全く酷い話だ」


 そして今。


 ようやく落ち着きを取り戻したクレインは大きな溜息と共に言葉を吐き出す。


 初めから問う必要などなかったのだ。ここまで来てクレアが、全てを受け入れ覚悟していないわけがない。


 むしろ足掻く意思があるのならば、あれらの書物をとっくに処分しているはずだ。


 例えそれが一種の諦めであったとしても、この未来を選択した事に変わりはない。


「……ごめんなさい」


 目尻に貯まった涙を拭くクレインに、クレアが頭を下げる。


 どんな思いで、どんな顔でそうしたのかは窺う事はできない。


「気休めが欲しいわけじゃないし、お互い……いや、クレアこそが被害者だ。それに謝れる筋合いもない」

「え?」

「むしろ感謝しているぐらいだよ」


 驚いて顔を上げるクレアに、クレインは照れ隠しをするように笑みを浮かべる。


 走馬灯ではないけれど、これまでの事がふっと流れるように脳裏を過ぎった。


 楽しかった事、辛かった事、苦しかった事。しかしただの一度として恨んだ事などない。そんなものはありえないのだ。


 戸惑う様子のクレアにゆっくり近づき、その瞳を見つめて柔らかく微笑む。


「あの時、共に過ごせた日々がどれほど幸福であったか。今でもはっきりと覚えている。俺が悲しかったのは、貴女が背負っていたものやその覚悟を、結局理解できないまま今日に至ってしまった事。そして与えられてばかりで、何一つ返せなかった事なんだよ」

「そんな事はない! あたしは、あたしこそずっと貰ってきた! 知らぬ存ぜぬで偽っておきながら……享受していたのは、あたしのほうなんだ」

「じゃあおあいこだな。一つ、胸の支えが取れた」

「……」

「本当に欲しい言葉は、俺のなんかじゃないんだろうけども……。今まで本当にありがとう。貴女のお陰で、俺はここまで生き、そして今の自分になれた」


 そう言うとクレインはクレアの身を引き寄せて抱きしめた。


 もっともっと言葉にしたい事がある。伝えたい事もある。話しきれていないこれまでの事がある。


 けれども、残された時間がどれほどあるのかも分からない。


 もう全く時間がない、という可能性もある。


 だから全てを伝えるなど到底叶わないのだ。


 ただ想いをこめた抱擁で、叶わぬそれを果たそうとする。


 身勝手なものだが、確かになにかを受け取ったのだろう。クレアは器用に翼を、クレインの胴に回してそれに応える。


「一つだけ教えてほしい。クレアはこれからどうなるんだ」

「あたしの魂は貴方達の魂に束縛されている。坊やが生きている限り、あたしも在り続ける。その代償、ではないけども、坊やと違って成長もなにもしない。時間が止まっているのよ」

「そうか……全く酷い話だ。誰も浮かばれはしないし、それはもはや呪いだ」

「かもしれないわね。それでもあたしはこれを選択したのさ」


 軽く言ってのける言葉に、かつてどれほどの覚悟を持っていたのか。クレインには到底、知り得る事のできないものである。


 言葉が途切れると、しばし無言のままそれが続く。やがて、ぱっとクレアのほうから身を引いた。


「やれやれ、生真面目な坊やなんて似合わないよ。一体どこで学んできたのやらねぇ」

「酷い言い草だな」

「そりゃそうよ。あたしにとって坊やは坊やだもの」


 在りし日の見慣れた笑顔で、クレアは楽しそうに語る。


「でも、あたしも共に過ごす時間はかけがえのない幸せなものだったよ。あたしからも本当にありがとう」


 互いに救われ、互いに負い目があった。そして今、ようやく互いに感謝を伝えられた。


 おあいこだ。と言わんばかりに、二人はにかっと笑う。


 次に表情を変えた時には、二人とも憑き物が落ちたように、晴れ晴れとした様子である。


「それじゃあ俺はもう行くよ」

「ええ、そうしなさいな」

「『また』会おう。さようなら」

「……そうだねぇ。その時までさようなら」

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