八十六話 コンタクト
「こ、これは……」
剣の国の魔王城。その一室にいるクレインとエルナ。
二人の前には、光輝かんばかりの料理の数々が置かれている。
大きなスペアリブ。並のインゴットよりも分厚く広いステーキ。美しく飾られた白身魚の切り身。綺麗に彩られたサラダ。甘い香りが鼻孔をくすぐる黄色いスープ。
他にも数皿あるが、どれもこれもソースがかけられており、見るからに高級感を迸っている。
なにより美しいのだ。言わば一品一品が、宝飾された美術品であるかのよう。
南の大陸では、相応の地位の人に招かれた事もあり、決してこういう場が珍しいものではなかったエルナ。しかし目の前にあるものは、遥かに繊細であり、この洗練された美しさたるや、同じ時間の上にある世界なのかとすら疑わせるほどだ。
要するところ、そんな別次元なクオリティの料理を前に、完全にうろたえているわけである。
「どうしたんだ?」
そんなエルナの横では、既に料理に手をつけているクレインがいた。
上品さなど地平の彼方にも存在しない性格のくせに、ここで物怖じしないというのは、大物であるのに違いない。
別に羨ましかったり、憧れたりするものでもないが。
「お前、よく堂々としていられるな」
「人払いはされているし、多少のマナーのなさなど気にする必要もない。ならば気取らず、普段どおりに、そしてありがたーく頂くべきだろう」
「……とりあえず、ある程度は身についているあたしを、仲間にしないでほしいんだけど」
そうした階級の生まれでもないエルナ。勇者という役目を負い、こういった場に出るようになり、必要最低限は学びはしたのである。ただ苦手なだけだ。
むしろ無縁でないのなら、普通は体裁を気にして作法を身につけようとする話で、クレインが異常なだけであった。
「荒ぶる魔王はもう少し、意識を持ったほうがいいぞ。仮にも魔王だろう」
上品にスープを飲む断ち切る魔王が、呆れた様子でそれを指摘した。
クレインの食事そのものの様子は、特別に悪い点こそないのである。例えばこぼしたり、あるいは皿を舐めたりといったやらかしだ。ただその所作が普通の食事と変わらない。
言うなれれば、城のパーティに招かれたが緊張などしていない庶民といった様子。料理が魔法かなにかで幻として豪勢なものになっている、そんな違和感を覚える光景だ。
「死の島育ちだ。許せ」
「公言などできない内容だが、全てを納得させる魔法の言葉だな……」
一般的な認識など、文明の存在しない島、であるのだ。事実、大した違いはないが、これを引き合いに出されると、もうなにも言えなくなってしまう。
中々酷いワルイドカードだ。
「それにしても……なんていうか意外だなぁ」
ようやく食事を始めたエルナが、一口食べては感嘆する合間にそう呟く。
はて? といった様子で二人の魔王がエルナを注目する。
少しの間をおいて、自分の独り言を聞かれた事に気づいたエルナは、慌てふためいた様子で口を開いた。
「あ、い、いえ! 悪い意味とかではなくてですね!」
「構わんさ。率直な意見を聞かせてほしい」
「……え、えと。ここの国は、体を鍛える事に精通し、多くの武具を消費している、と聞いていました。なのでその、こういった食文化や芸術性の文化も高い事に、驚きを感じてしまいまして」
「一位を争う大国というのも話しただろうに……」
「あれ? あたしがおかしい?」
焦る様子のエルナに、断ち切る魔王がクスリと笑うと、すぐにクレインを睨みつけるのであった。
「荒ぶる魔王、戦乱に関わる話ばかり吹き込んでくれたな」
「恋愛観もな」
「武道一色ではないか……。それではその疑問も当然か。過去に犯した惨事もあり、この国は他国との協力関係というものを、長く築けない状況が続いたのだ。その結果、自分達でどうにかする、という舵を切るようになった経緯がある」
「今でこそ足りない物必要な物の取引とかは普通にあるが、国として親密と呼べるところはないよな」
「残念ながらな」
断ち切る魔王がそう肩をすくめる。
過去あってこその今ではあるが、先祖の行いを快くは思っていなさそうだ。
「なのである程度は自給自足で事足りるようになっている。無論、様々な物や事が多様化した今、自国だけで賄うとなると、民に我慢を強いる事になるが」
「それでもここまで、独立してやっていける国はないだろうな。長期的に国を閉ざすとなると、うちのところでも必ず破綻するだろうし」
「農商国家は食べ物で溢れているイメージだけど、あれでもダメなのか……」
クレインの言葉に、エルナが目を皿のように丸くする。
実態はどうあれ、あれだけ農業ばかりの国もそうないように思えるが、そこの魔王のクレインにしてこの発言だ。
剣の国とはどれほど国として強く凄いのか。抽象的であるものの、ひしひしと伝わってくる。
「豊富ではあるが、種類も豊か。ではないからなぁ。ゆくゆくは自国だけで、栄養バランスが完結でき、様々な食材で食事できるぐらいにはしたいと考えている」
「殊勝ではあるが、本来魔王が考えるべき事柄ではないからな?」
「あたしより先につっこまれたっ」
正に近い内容を口にしようとした矢先、断ち切る魔王の問答無用な言葉がクレインに投げつけられる。
「つかぬ事を窺いますが、クレイン……荒ぶる魔王とは出会って日が浅いんですよね?」
「というよりも、直接会ったのは去年の一度きりだな」
「一度っ!?」
断ち切る魔王の優秀さ、有望さといったものは、一目見た時から感じるものがあった。むしろそういったオーラをまとっている、と言っても過言ではない。
しかし、ただの一度きりで、これほど荒ぶる魔王という奇人に対応できるとは。
人の壁を越えてしまっている、とエルナに思わせるには十分である。
「話してもいいか?」
唖然とするエルナを見かねて、クレインがそう断ち切る魔王に問いかける。
特に不都合な様子もなく、表情を変えずに首肯して、
「外で吹聴するわけでもなければ困る話題でもない。だが、私から話したほうがいいかもしれないな」
そう自ら語り部へと立った。
「ふむ、一先ずはこんなものか。午後は予定通り、兵舎を視察する」
「かしこまりました」
書類の山を片付けて立ち上がった断ち切る魔王。
日は天辺よりも少し西に傾いている。
視察の予定は取り消しかもしれん、などと思っていたようだが、どうやら行う事はできそうだ。
側近の男が外套を手に、断ち切る魔王へと近づく。
遅れた分、昼食も取らずに出るのだろう。
そこへ突如、部屋の扉を大きく開けて、家臣の一人が入ってきた。
「無礼者! なにを考えてそのような……!」
「し、しし失礼致しました! しかし、こちらを!!」
叱責した側近の前に一つの筒が差し出される。
蛇皮か鰐皮か。はたまた未成熟なドラゴンか。皮製であつらえたそれは、下品にならない程度に装飾が施されていた。
しかしその精巧さからして、高い技術力を持ったもの……つまりは職人技の代物であるのが窺える。
「一体どこから……」
恐る恐る手にする側近。
特に音もならず、重さもないそれは書簡なのだろう。
多少の交流はあっても、このような形で文を送る国や人物は少ない。故に見れば、どこから送られてきたかすぐに察しがつく。
しかしこれは分からないのだ。
金色の封蝋に押された印を見ても、すぐに記憶と繋がらない。
そう、飽くまですぐに、である。一呼吸か二呼吸か。その僅かな時を経て、側近は目をむいて、僅かに腕を伸ばして筒から身をひいた。
それは紛れもなく、農商国家の国印章であるのだ。
「馬鹿な……何故、彼の国からこのようなものがっ」
過去、それこそ歴史的に見ても、特別に交流のある国ではない。おまけに先代荒ぶる魔王、ゴート・ヴァダーベンによって、国を閉ざしていたようなものである。
現荒ぶる魔王クレイン・エンダーなどその名と、二つ名に劣らぬ所業が広く知れ渡っている人物だ。しかも最近は、ここ北の大陸における最大のタブー、南への渡来をも踏み抜いた。マイナスイメージの塊である。
そんな国からの書簡。怪しまないほうがおかしい。
「どこからだ?」
一人、黙り込んだまま盛り上がる側近に、断ち切る魔王が静かにそう問う。
自らの言動に気づいたのか、側近は深く頭を下げ、それを主君に掲げて見せた。
「農商国家……」
封蝋を見て断ち切る魔王はそう呟く。
彼にしてみても、あまりに意外なところからの届け物のようで、僅かに目が開かれた。
(今は若い者に代替わりし、鉄の国の魔王を討った国、か)
あまりにも見えぬ思惑に、手にはしてみたそれを持て余す。
その様子が深刻そうに見えたのか、まるで処罰を待つ者のような態度で、持ってきた家臣が口を開いた。
「そ、それが……黒き鎧の姿に、同様の色の翼を持つ者が届けまして。つ、伝え聞く荒ぶる魔王様のお姿のように、思われます」
何一つこの家臣に非はない。だがそれでも、報告一つに多大な緊張感を持たざるを得ない内容であった。
その未来を予期していたのだろう。
側近の男の顔が険しくなる。
「馬鹿な……なにを考えてそのような……!」
確かに礼などありはしない。しかし例えそうだとしても、他国の魔王を相手に彼もそれ以上の言葉を続けるわけにはいかず、出かかる罵倒を飲み込んだ。
一触即発。というよりも既に爆発しているようなもの。
そんな穏やかならぬ空気の中、断ち切る魔王は筒を開けると、果たしてそこには一枚の紙が入っていた。
「……ほう」
感嘆のような言葉に、側近と家臣が息を飲む。
一体それはどういった意味なのか。
既にあまりにも突拍子のない事だ。更なる不興を買っての反応ではなかろうか、と不安になる。
「な、内容はどういったものなのでしょうか? ま、まさか宣戦布告など……」
悟れぬ主君の胸中に、側近もひりつくような緊張感を持ってそう訊ねた。
しかし断ち切る魔王は、表情が柔らかく、どこか楽しげな様子さえも感じ取れる。
そして言葉では示さず、書簡を二人に見えるように掲げた。
剣の国
代表 断ち切る魔王様
農商国家
代表 荒ぶる魔王
慰安旅行のご案内
拝啓 歳晩の侯 断ち切る魔王様におかれましては益々ご健勝のこととお
慶び申し上げます。平素より格別のご愛顧を承り、誠にありがとうございま
す。
さて、この度当国では、秘湯を発見した故に下記のとおり慰安旅行を行わ
せていただくことになりました。
つきましては、ご多忙中誠に恐縮ではございますが、是非ともご参加いた
だきたくお願い申し上げます。当日は、美酒や宴も予定しております。
何卒ご参加賜りたくお願い申し上げます。
敬具
記
・
・
・
その先は詳しい日時や場所が記されており、当然ながら農商国家の領内であった。
もっとも、他国の土地の事。この場にいる三人には分からないものの、かなり辺鄙な場所である。人里離れた場所の秘湯、というのは確かなようだ。
「な、なな、なんですか、これは」
「見てのとおりだ。なに、楽しい宴を催すお誘いだな」
「唐突にこのような書簡で……? なんとも……噂に違わぬ、いやそれ以上の!」
内容が内容だけに。それを運んできたであろう人物だけに。
もはや側近の顔は赤く染まってきていた。彼がここまで激昂するのも珍しかろう。
届けた家臣など、恐怖のあまり顔を白くさせている。そのうち泡を吹いて倒れそうだ。
「視察後の予定は……あとでも平気だな。全てキャンセルしておいてくれ」
「は! 直ちに!」
未だに柔らかい表情の断ち切る魔王。
逸る血気を見せる側近の男。
卒倒しそうな家臣。
三者三様で、かつてない事態に話は進んでいくのだった。
そして歳暮れ。
農商国家領内の辺境に、真新しい建物が建っていた。
とはいうものの、豪華さなどとは程遠く、どちらかと言えば質素な雰囲気を漂わす木造の建物だ。それもあまり大きくないものである。
周囲は雪が仄かに舞っていた。降り易い地域ではあるが、随分と時期が早い。
そんな中で、建物の前には一人の男が立っていた。
装飾の少ない黒い鎧を着込んでいる。ただし武器らしいものは何一つ携えておらず、どこかに仕込んでいないのであれば丸腰といった様子だ。
「荒ぶる魔王殿で間違いないか?」
そこへ近づきながら、断ち切る魔王がそう問うと、男は深々と頭を下げる。
「お待ちしておりました。如何にも私が荒ぶる魔王です。貴方が断ち切る魔王様ですね」
「その通りだ」
返された問いに首肯して返すと、改めて荒ぶる魔王をまじまじと見る。
確かに随分と若者だ。これがあの大男、ゴート・ヴァダーベンを討ったというのは信じがたい。
だが、話し合いで退く様な存在でないのも事実。ならば、本当に己の力でもって制したのだろう。
僅かに他国の介入が疑われもするが、それもありえない話。というよりも、これまでの噂に聞く言動からして、他国の息がかかっていたら相当な阿呆を極めている。この人物も、その国も。
ほんの幾ばくかの時間、お互いが見つめ合って探りあう。
そして動き出したのは断ち切る魔王のほうであった。
「さて……つまらない物ではあるが、我が国の秘蔵の酒、『大切断』をお納め頂きたい」
「!」
その先手が効いたのか、いやどう効くのかよく分からないが。荒ぶる魔王の目が大きく見開かれた。
「これはこれはご丁寧に……。こちらもお帰りの際にはお土産をご用意しております。ささ、どうぞこちらへ」
「ふう……中々いい湯ではないか」
二人の魔王は石で作られた露天風呂に入っていた。緑色の濁り湯は、少しでも浸かった先を見えなくするほどに濃く、それだけに効能も高そうだと思わせる。
中は檜で作られた浴場となっており、どちらとも絢爛さとはかけ離れていた。
様相からして設備は真新しい。書簡の内容を信じるならば、最近見つけ、このように作らされたという事。
だが、だからこそ良いのだ。
この落ち着いた空間。心身を清める空気。これこそ秘湯と、その一つの答えを示すかのようである。
思わずできる男だ、と呟きたくなるほどだ。
「この辺りの調査を行っていたところ偶然見つけまして。過去の記録も載っておらず、地震などにより湧き出すようになったのではないか、と。今の時代にある事もこうして見つけられた事も、幸運なものですよ」
「なるほど……良き場所への招待、まこと感謝する」
湯の中ではあるものの、断ち切る魔王は少し前に屈みながら頭を下げる。
いやいや、滅相もありません、などと手を振る荒ぶる魔王。
それに対して、断ち切る魔王が冷ややかな笑みを浮かべるのであった。
「いい加減、腹を割ったらどうだ。そのような振る舞いをする男でもあるまい。なにが目的だ」
淡々と、だが一瞬で間合い詰め、まるで剣先を喉に突き立てるように断ち切る魔王が問いただす。
しばしの沈黙の後、荒ぶる魔王の口が薄く開かれる。
「ふ、ふふ……」
「……なにが可笑しい」
「どこまでが演技だったかは分からないが、のこのこと土産を持ってやって来て、こうしてこの湯に入った時点で終わりなのだよっ!」
「ほう……?」
悪役面、とでも言うべきか。邪悪な笑みを浮かべる荒ぶる魔王だが、断ち切る魔王は静かに受け止めるだけであった。
仮にここまで茶番であったとしても、断ち切る魔王とてその心は臨戦態勢であり、この程度に動じる気配もない。
当たり前のような手強さを放つ相手に、荒ぶる魔王が二度手を叩く。
中の浴場との出入り口となる扉が開き、盆を持った侍女達が近づいてくる。
「さあ、喰らってもらおうか!」
受け取ったものを温泉に浮かべ、ご覧あれと言わんばかりに大袈裟に振る舞う。
「我が国の地酒、『鳥の涙』! そして特産の誇れるチーズ!」
「で作った、スモークチーズを!!」
「むぅっ……!」
二人の間に見えぬ攻撃が、乱舞のように繰り広げられる。
一気に攻勢へと転進する荒ぶる魔王。
戦慄するように眉にしわを寄せる断ち切る魔王。
そして、
冷めた様子の侍女達が、一礼と共にその場を後にした。
しかし二人はそんな事などお構いなし。
早速栓を開け、互いの器に注ぎ、軽く杯を当てて乾杯をし、一気にその身に流しこむ。
断ち切る魔王も気に入ったのか、わいのわいのとしつつ、酒を煽り、チーズを摘み、それらを堪能するのであった。
「風の噂で聞いてはいたが……」
しばらくすると、断ち切る魔王が独り言のように呟いた。
「やはり、道理の分かる奴だな」
感心するように目を細めて数度頷く。
一方で賞賛された荒ぶる魔王は、奇天烈なものを見たかのように顔を歪めるのであった。
「なにが不服か。その道理に全力投球をしたのは、他ならぬお前であろう」
「おぉ……心が読まれてる」
「是非とも絵に残したいぐらいに顔に書いてあったぞ」
はて、そんな顔をしていたのだろうか、と荒ぶる魔王が顔の筋肉をほぐすように揉み始めた。
「まあなんだ。こっちの協議に顔を出す事なんて滅多にない、ていうか一度だけ災害関係であったんだっけか」
「あの時はお前が欠席していたな」
「一番被害が大きくてそれどころじゃなったからな。で、こっちも風の噂で聞いてはいたが、どうにも征服派を推し進めるような人柄には思えなかったんだ」
「だからこうして対面する機会を設けて、直球でぶつかればいい、と」
「……真面目に聞くけど、本当は読心能力とかお持ちでなくて?」
「日頃の行いの賜物だな。無論、荒ぶる魔王の事だぞ」
プライバシーとは一体、と荒ぶる魔王が呟いた。
むしろ日頃が他国に伝わるほどの事をしているのが原因である。
「しかし、風呂で語るにはのぼせてしまうな。それにだいぶ時間も経っている。話は……」
「卓球に致しますか? マッサージに致しますか? それとも」
「宴だ」
恭しく訊ねてきた荒ぶる魔王に、皆まで言わす必要などない、と断ち切る魔王が言い放つ。
なんと潔いものなのか。
そんな様子に荒ぶる魔王は、
「それを即答できる魔王……俺意外にもいるもんなんだなぁ」
ただただ感心するのであった。
湯から上がり、ちょっとした広間に移る。
とはいえ、秘湯に建てられた簡素な建物。そこは大き目の机6台ほど置かれた、休憩できるスペースであった。もっとも立地を考えたら、随分と広い部屋とも言えるが。
そこで食事を取りつつ改まった話をするのかと思いきや。
しかし二人が改まったのは、乾杯の音頭ぐらいなもので。
早速ぐいっとアルコールを胃に注ぎ、出てくる料理に舌鼓を打ちながら、談笑が続くのであった。
「流石は農商国家だ。素晴らしい料理の数々」
「お褒め頂き光栄に存じます」
「おっと杯が空いているではないか」
「いやはやかたじけない、おっとっと……」
すっかりできあがったおっさんの絵面とどれほど違おうものか。
しかも片方は他国の魔王ときたものだ。
周囲の侍女や警備の兵士達は、なにも見てないなにも聞いていない、といった様子で、ただただ己の務めに没頭している。
主君の荒ぶる魔王クレイン・エンダーだけならばいざ知れず、断ち切る魔王ヴィクト・アインクランもこの言動。とてもではないが、記憶に留める事すら危険を感じる光景だ。
「さあて……そろそろ本題に入るか?」
だいぶ緩み、朗らかな様子の断ち切る魔王。だが、その話を避ける様子はなかった。
一方クレインはクレインで、へらへらとした上機嫌の顔についた眉がハの字になる。
「いやぁ……はっはっ。だいぶ呑んだ後に真面目に話すとかー。……もうよくない?」
例えば明日改めて。なんなら日を改めて。
もはややっぱり面倒くせえなぁ、とそんな気持ちでいっぱいになっている。
しかしそこは酔っ払い。
断ち切る魔王は立ち上がると、空の酒瓶の底を荒ぶる魔王に突きつけるのだった。
「貴様の言う事など聞く耳持たぬわ! とっとと聞くがいい」
「うわぁー全然酔ってらっしゃるぞこの人ー」
話題を切り替えたものだから、意外と酔っていないのか? などと思ったのだろう。だが、見た目どおりに酔ってる様で、荒ぶる魔王は手を叩いて囃し立てた。
演説でも始まりそうな気配の中、断ち切る魔王が酒瓶を置いて座り直す。
あのテンションのままいくのだろうか、と恐々としていた周囲の者達の、安堵の息が聞こえてきそうだ。
「そもそもだな。我が国は征服というより、こちら側で統治したいと考えている」
「ほう、面倒を見てやる、とな?」
「もっとも、それとて遥か昔の話であるがな。それと言うのもお前が勝手やらかして出した報告書。あれに書かれた人間を襲う魔物の王が関わってくる」
「……は?」
先ほどまでの上機嫌な声音は何処に行ったのか。ガクンと低くなった声が、荒ぶる魔王の口から漏れる。
まだ赤みのある顔だが、先ほどまでの緩みきったそれもなく、酔いが急速に冷めている様だ。
「やつ等は幾度となく復活しては、その魔力で周囲の生き物を魔物化し、人間を襲っているらしい。お前の国の初代魔王、慈しむ魔王の騒動以前……南の大陸への渡来が禁止されるまでは、我が国で彼らを討伐していたのだ」
「本当か……それ」
何一つ心構えをしていなかった話題なだけに、軽く混乱を覚えている荒ぶる魔王。
話の整合性などを考える余裕もなく、どこか訝しげに、だがきっと真実なのだろう、といった様子でそう呟いた。
「昔々の話だがな。過去にその一部を読んだのだが、正直半信半疑であったぐらいだ。しかしあの報告書を見て事実なのだろう、と城中の書物を引っくり返して調べたところ、そこまで知れたのだ」
「はー……なんでそれを今言うかな。悪酔いしそうだ」
「後味の悪い話ではないはずだが? まあよい。そんなわけだから、逐一討伐するのも面倒だと、人間達の力で討伐できるようになるまで、統治してやろうという流れで征服派となったのだ」
例え支配が目的でないにしても、人間からして見れば、それは征服そのものである。そう、魔物の王討伐の体勢さえ築ければ、あとは放っておくつもりであっても。
「だが、今更そんな事に意味はない」
「こちら側から手を出さなくなって数百年、なんて話じゃないからな。それでも人間は生きている」
「まさかそれが確かめられる日が、私の代で訪れるとは思ってもみなかった。しかし、おかげでようやく一歩を踏み出せる」
「一歩?」
口角を上げて酒を呷る。
断ち切る魔王はただただ、子供の様な無邪気な笑みを浮かべるのであった。
「私も父も、今の今まで果たせなかった望みに手がかけられる。とうに我々の力など人間は必要としていない。ならば剣の国は征服派である必要もない。今日の明日というわけにはいかないが、我が剣の国は共存派となる事をここに宣言しよう」
「……」
それが当たり前のように、当然であるかのように、断ち切る魔王は確かな口調でそう告げる。
今この場で、宴が催され随分と酒を呑んではいるが、その瞳も言葉も酔いしれたものではなかった。
それを目の当たりにしている荒ぶる魔王は、目と口を大きく開き、呆然とするばかり。もはや、なにが起こったか理解もできていなさそうだ。
「どうした? お前の目的は『ここ』だろう?」
「あ、ああ……いや、そこはもう目的地だ。しかも、それなら今日のこれ、なんの意味もないし……」
「そんな事はない。今日がなければ、次の機会はいつかも見えぬ話であったんだ」
言葉どおりであるならば、既に断ち切る魔王はそれを決めていた事になる。
だが、魔王間で回された、南の大陸の報告書だけではだめなのだ。こうして共存派の接触という、分かり易いきっかけが必要であり、荒ぶる魔王の行動こそ最後のピースとして求めていたものである。
「えーと……なに? 元からこうしたかったのか?」
「現状の派閥による停滞。それも我が国が最大の原因だ。征服派である理由とて、意味をなさないと考えていた。とてもではないが、こんな環境など容認できるものではない。だが……確証もきっかけもなく、何代も昔からの事だから、と安易に鞍替えするわけにもいかず、ずるずるとここまで続いてしまった」
この断ち切る魔王と先代である父親。それ以前は分からないが、少なくとも二人がずっと抱えてきた苦悩である。
それに大きな進展を与える出来事が起こったのだ。
これがどれほど恋焦がれていた事か。
「ならばこそ、この時代に、そしてお前が与えてくれたきっかけに乗らぬ理由はない」
「……だいぶ予想外も多かったが、思いがけずお役に立てたようでなによりだ」
「と、いう事があったわけだ」
「え? 唐突に終わった!?」
お終いお終い、と言わんばかりの様子に、思わずエルナがそう声を上げた。
確かに話の主要部分は語った、と言って差し支えない。しかしあまりにも突然の完結である。
「そうは言っても、そのあとは普通に宴会しただけだしなぁ」
「あの場では、今後について話し合う必要もなし。ならば職務などそこまで、となったわけだ」
「そうそう。魔王としての話も終わったし、改めてかーんぱい、と」
「何回乾杯してんだよ……」
乾杯の真似をするクレインにエルナが呆れた顔をする。
話を聞く限りでの酔い方をみるに、その後もふざけてやっていそうだ。
「久方ぶりに鯨飲したものだ。いやはや、あれだけ酒が美味いのも久しくて、ついつい節度など忘れてしまった」
「なにより家臣の目もなかったし? あの時一人だったもんな」
「うむ、一対一で望むが礼儀、と説得に説得を重ねて、誰もついて来させなかった。側近のみならず、武官にまでも猛反発されたものだ。これも荒ぶる魔王の行いあってだな」
面白そうに喉を鳴らして笑う断ち切る魔王。
当時、揉めてた人々からすれば堪ったものじゃなかっただろう。
なにせ魔王の座に就くのに一人、その後の騒動で更に一人と魔王を屠った男が相手だ。そんなところに、主君が単身で赴くなどどうして認められようか。
もっともそれも押し通してしまったわけだが。
「……全部の国がそうじゃないと思うんですが、魔王って大抵恐ろしく強い人がなられますよね? 付き人って必要なんですか?」
「状況次第であるから一概には言えんな。しかしあの時で言えば、もしも荒ぶる魔王に戦意があるとした場合、いっそ敵しかいないほうが動き易いぐらいだ」
答えにエルナが僅かに身を震わせた。
要するに全てを薙ぎ払い、存分に滅ぼせる。
そう断ち切る魔王は言ったのだ。
そしてきっと、この人ならばそれができる、それだけの力があるのだろう。
あの日の旅で見た、人外の者の想像を凌駕する力。それが放てる人物が、今この部屋に二人もいるという事実。
戦慄しないほうがおかしい。
「しかし荒ぶる魔王は……常に付けといたほうがいい気もするがな」
「いやいや、俺の独創性は個人だから発揮されるものなのだ」
「……」
「そこでノーコメントは、真面目にへこむ返しなんだが」
少し困った様子で口を閉ざす断ち切る魔王。
計算の上なのだろうが、中々に痛恨の反応である。
「これで会うのが二回目……」
「噂もあり、ファーストコンタクトもアレであったからな。体裁や遠慮、立場による気遣いも要らんから、こちらも肩を抜いて接する事ができる故の話だな」
「褒めてるのか貶しているのか」
「両方だ」
「これで断ち切る魔王様にはお土産必要って、他の魔王様が聞いたらひんしゅく買いそうだな」
勝手に領内で山菜採りなどされているあたり、深緑の魔王あたりは本気で怒りそうである。
「あ、しまった。これ土産だ。渡しそびれるところだった」
「え、忘れてたのか」
「なにやらわざわざ手荷物を持ってきたな、とは思ったがそれだったか」
受け取った断ち切る魔王が品をまじまじと眺める。
「ほほう潮風の国の干物か。気が利くな」
「あ、喜ばれた」
決して高級品、とまではいかないそれだが、断ち切る魔王は僅かに口角を上げた。
今食べている料理からしても、普段から相応の良い物を食べているだろうに、果たして喜ぶほどの事か。とエルナが首を傾げる。
それに気づいたのか、断ち切る魔王が少し気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
「我が国は水産資源が乏しいほうでな。この干物は好物の一つだが、大っぴらに買いに行かせるわけにもいかないのだよ」
「さっきの酒の席でそんな話を聞いていたからな」
「あ、知ってて選んだのか。けどその気配り、他にもしたほうがいいと思うぞ。他の魔王様とかカインさんとか」
エルナの忠告も耳に届く様子もなく。クレインは断ち切る魔王と談笑を続けていく。
その様子に一つの納得を得た。
とても似ても似つかない二人。環境も育ちも、正反対と言っても問題ないだろう。
だが間違いなくどこか近しいものを持つ似た者同士の二人。
この関係性はそれが故の事なのだ、と。
(少しでも断ち切る魔王様の成分があれば、もっと幸せになれる人も多いだろうに)
そして、荒ぶる魔王の迷惑を被る人々を偲ぶエルナなのであった。




