八十五話 断ち切る魔王
「なにをしに来た」
剣の国の魔王城、魔王の間。
王という立場の者との謁見。
内装こそ違えど、そこに漂う張り詰めた空気と緊張感は、エルナも南の大陸で体験してきたそれと変わらないものである。
否。かつて、これほどまでに重圧感のある謁見があっただろうか。
玉座に座る男性、断ち切る魔王の射抜くような視線がその身を穿つ。
一挙手一投足を見張られ、呼吸をするのさえ許しが必要と思わせる空気。
過去にあってたまるか、と叫びたくなるほどのものだ。
(なんで? なんでこんななんだ?! おい、なにをしでかしたんだ!)
エルナが視線を僅かに、クレインに向けて睨みつける。
だが当人にいたっては特に気にする様子もなく、ばっと手を挙げて万歳のポーズをとった。
「祝、魔王辞任慰安旅行っ」
「お前っ」
あまりにも場にそぐわぬ言動に、エルナが堪らず声にしてクレインを非難する。
果たして断ち切る魔王の顔色はどうなったか。
とてもではないが、エルナには確認する勇気は生まれず、クレインに視線を向けたまま身じろぎ一つ取れなくなる。
しかしその緊迫感を破ったのは、周囲の兵士や家臣達であった。それも当然で、他国の魔王が、しかもまだ伝えられてもいない辞任の話を、聞かさせられてしまったのだ。
今はまだ非常に扱いに困る情報である。例え冗談であったとしても、聞かされたほうは堪ったものではない。なにかの弾みにうっかり口にしてしまったらどうだろうか。
尾ひれのついた噂になるやもしれない。事が大きくなるかもしれない。なんらかの騒動へと繋がるやもしれない。
もしもそうなろうものならば、噂の大本を特定し、処罰が下される可能性だって無きにしも非ず。
そんな情報を軽々しく言ったのだ。彼らがざわつかないはずがない。
「祝うな……」
そんな喧騒の中、深い溜息と共に吐き出された言葉で、場は再び水を打ったような静寂に包まれる。
「用意はまだだろうか?」
自身に注目が集まる中、断ち切る魔王がそう側近に尋ねた。
多くの者が動揺していた時、呆れていた彼を除けば唯一騒ぐ事もなく、ただ顔をしかめていた男である。
しかし主君である断ち切る魔王の言葉に、眉間にしわを寄せて不甲斐なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。お部屋の準備ならできたのですが、他はまだ時間がかかります」
「構わん。どうせ暇が潰れる話もあるのだろう。私も向かうから、二人を先に通してやってくれ」
状況が分からないクレインとエルナ。全くもって置いてけぼりであるが、話は進んでいるらしく。
断ち切る魔王に一礼をした側近は、二人に近づき件の部屋へと案内をし始めた。
果たして応じていいものなのか。そんな不安に駆られるエルナだったが、ここの城の者がすぐそばにいて、ひそひそと耳打ちをする勇気などあるはずもない。
ただ勇気を無謀や無礼と履き違えていそうなクレインに倣い、側近のあとに続くしかなかった。
広い城内を進み、ようやく着いた部屋には長いテーブルが置かれている。権力者が晩餐をするあのイメージ通りだ。
「しばらくこちらでお待ち下さい」
「ああ、すまないな」
しかめっ面で対応する側近が部屋を出て行くと、エルナが膝に手をついて深く息を吐きだした。微かに体が震えていて、今にも崩れ落ちるように倒れ込むのを、すんでのところで耐えているようだ。
「な、なあ……あたし達、大丈夫なんだよな?」
「別に取って食われるわけではないぞ」
「流石にそうだろうどけも。ダメだ、なにから言うべきか分からなくなってきた」
「そうだなぁ。まあタイミング的にも別に歓迎、てわけにはいかないからあんな剣幕なだけだ。勿論立場の問題でな。本当に怒っちゃいないさ」
「……違ってたらカインさんに報告するからな」
「急に不安になってくる脅しはやめてくれ」
気持ちもだいぶ落ち着いたエルナが、最後に大きく息をすると、ゆっくりと部屋の中を見回した。
金銀財宝で彩られ、という事はないが、細かい装飾が施された家具や部屋飾り。部屋中にとまでいかずとも、当然貴金属を用いられた品々。
なんだかんだと言っても、そうした豪華さとは縁のない生活だったエルナ。いくら今までの旅で、そうした場所に招かれたとは言え、やはり慣れぬもので表情は強張ったままだ。
それもこれからあるのは、恐らく断ち切る魔王との会食の類である。今までのフレンドリーな魔王陣との談笑とは訳が違う。
「そう固くならなくてもいいと思うぞ。わざわざ側近も引き下がった、というより引き下がるよう元々指示されていたんだろう。周囲に魔王としての姿を見せずに話したいという意味だ」
「そう言われてもあたしは相手の事を知らないし」
「なら初めのうちは適当に会釈して、必要最低限の受け答えだけしていればいい」
「それはそれで、無礼と思われそうで胃が痛くなりそうだな……」
既にキリキリと痛む気配すらあるのか、エルナが胸部を押さえて顔を歪める。
さてどう話してやれば緊張が解けるものやら。とクレインが腕組みをして考え始めたところで、ギィと音を立てて部屋の扉が開いた。
「なんだ? 適当に掛けていればいいものを、ずっと立っていたのか」
先ほどの剣幕が嘘のように、平然とした様子の断ち切る魔王が部屋に入ってくる。
「せめて来るなら来るで一報をよこせ。しかも町で宿を取るつもりであっただろう。迷惑だからやめろ」
「ちゃんとポケットマネーで払うぞ?」
「そういう問題ではない」
表情を変える事無く、断ち切る魔王がそうピシャリと言い切った。
それほど親しいわけではないという話であったが、随分と扱いに手馴れた様子である。
そんな光景を、エルナが呆然と眺めていると、断ち切る魔王がこちらを向いた。
「先ほどは怖がらせてしまった事だと思う。申しわけなかった」
謁見とも入室した時とも違う柔らかい表情で、だが済まなそうに頭を下げた。
まさか自分を気遣われるなどと、露にも思わぬエルナ。わたわたと手を振りながら、少し裏返った声で応える。
「い、いえ、滅相もありません!」
「だから言っただろう。怒っているわけではないと……」
言っても理解してもらえなかったからか、クレインがそう肩をすくめる。
それを反論の意思を込めて、エルナが睨みつけた。
「クレインの話を、1から10まで信じる勇気、あたしにはないからな」
「……割と真面目に傷つくんだが」
「とりあえず何時までも立ち話でなく、座ったらどうだ?」
そう言いながら断ち切る魔王が席に着く。
「しかし……あの時は怖くてよく見れてなかったけども、断ち切る魔王様ってめちゃくちゃイケメンだな」
「見れば口にするまでもなく分かる上に、交際相手として不安になる事を発言するのやめてくれないか?」
緊張もだいぶ解れたのか、エルナが座りながらそう感嘆して零した。
クレインとて、疑う余地などないほどに容姿端麗なのは理解している。
なにより、国内外問わずして、そうした話題で彼が上がらない事はないほどだ。むしろ女性達の中で知らなければ、よほどの田舎者と指を指されるほどである。
もっとも、絵であれなんであれ。国外で姿を見た事がない者はそこまで珍しくはないのだが。
「それで? 今日はどうしたというのだ?」
「とりあえず先ずは紹介だな。断ち切る魔王のヴィクト・アインクランだ。こっちは人間のエルナ・フェッセル」
「お、お初お目にかかります」
「噂はかねがね。しかし、荒ぶる魔王。聞く噂の割りに随分と手が早いではないか」
「人聞き悪いにも程がある」
感心までしていそうな断ち切る魔王に、クレインが舌打ちで応じる。
傍から見ればとんでもない無礼も無礼。
横にいるエルナはヒヤリとしたものの、断ち切る魔王は特に気にする様子はなかった。
(もしかして、実は仲がいいんじゃないか?)
一人であれこれ緊張したり冷や冷やしてきたが、とんだ見当違いだったのか?
とエルナが薄く開いた口から溜息を吐き出す。
「で、本題なんだがとある書物の解読をしてほしくてな。自分で探すつもりだったんだが、わざわざこうしてお呼ばれしたんだ。そっちの都合がつくのなら城の者でやってくれると助かる」
そう言って、クレインが取り出した本を断ち切る魔王へと放って渡した。
写しとは言え、出所を考えるとあまりにもぞんざいな扱いである。
「……随分と古い言葉だな。私でもかなり時間がかかりそうな代物とは」
「うん? え? 魔王様が解読?!」
「外見もよければ文武両道。その知識も学問も多岐に渡る。ある意味、完璧な超人なんだよ」
「そう評価されているが、できぬ事など山のようにある若造の一人だ。あまり過大評価はしてくれるな」
果たしてそれが謙遜なのか傲慢なのか。
しかし往々にしてこうした人物の場合、悪意のない後者なのだろう。と、エルナは口に出さずに一人、勝手に納得をする。
「それにしても一体どこで見つけてきたんだ」
「……断ち切る魔王になら話してもいいか」
「待て、一度本当にこのまま聞いてしまってよいものか、考えさせてくれ」
開いた手の平を突き出して、静止を求める断ち切る魔王。それ以上の言葉は続かなかったが、苦悶の表情をしているあたり、随分と考え込んでいるようだ。
そんな本気で悩む様子にクレインは、何故だ? と言わんばかりに不思議そうな顔をする。
一方、ある種のデジャヴであったエルナは、うんうんと一人頷いていた。
「……よし、話してくれ」
まるで決死の覚悟を決めたかのような断ち切る魔王に、クレインが再度不思議そうな顔をしながら話を続ける。
「故郷というか、俺は気づいたら死の島にいてな。親もいない中でなんとか暮らしていたんだが、そこで大量の本が置かれている場所を見つけたんだ。そのうちの一部の写しがそれだ」
断ち切る魔王が心底驚いた様子で目を見開く。が、それも束の間、すぐに安堵の様子で息を吐きながら、背もたれに体を預けた。
「なんだその反応」
「いや、よもや聞いたら、呪われるか巻き込まれるかする内容だと覚悟していたものでな」
「? そ、そうか……?」
あまりにも冗談の様子がなかったからか、クレインが釈然としない様子ではあるものの、言い返す事はなかった。
そしてその横ではエルナが一人頷き続けていた。
「とにかく事情は分かった。この件、責任もってこちらで対応しよう」
「自分で言い出してなんだが、そんなに安請け合いしてもらえるとは思わなかったな……」
「我々剣の国としても、死の島とは長い付き合いだ。関心が尽きた事もない。むしろ他所に頼むつもりであったのなら、金を積んででも請け負うところだ」
「そういえば死の島の調査って、剣の国が主体だったんだっけか」
「まともに成功した試しはないがな」
実際に人を送った事もあるが、生還できた者はいても、無事であった者はいない。それ故に如何なる調査結果も、その信憑性には疑問がつきまとい、事実上結果なしで終わってきた。
そんな挑戦も久しく、今となっては死の島を取り巻く魔力などの観測といった、近づかなくてもできる調査ばかりである。
それでも北の大陸において、現在でも死の島を調査している唯一の国なのだ。
「ただ、内容は死の島とは無縁だと思う。すまん」
「それはどうかな。何者かがなにかを成そうとした記録ではあるのだろう。それが理論であれなんであれ、死の島でなくては完成できぬものかもしれない。もしもそうであるのなら、これを読み解く事で新たな情報に繋がる可能性は非常に高い。それに……」
「なんだかんだと言っても、実際のところは我々も魔力が渦巻く危険な島、以外に分かってはいないからな」
断ち切る魔王の瞳が淀む。
実質無知だ、とそう嘆く姿は痛々しささえある。
遥か昔から調査してきたのだ。その結果がこれでは嘆きたくもなるのだろう。
「ところで荒ぶる魔王。辞任すると言ったが本気か?」
「今日の明日、てわけにはいかないだろうが、一応そのつもりだな」
「そうか。実際に辞任したら、一度顔を出せ。もてなそう」
「おお……? そりゃ嬉しいが……あ、やばい、言わなきゃよかった」
どこか不信そうなクレインであったが、断ち切る魔王の意図に気づいたのか、うげ、と潰れた声を漏らす。
「……どうしたんだよ?」
エルナが、黙りこくってしまったクレインにそう訊ねると、苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
「死の島について色々と聞かれる……しかも俺が分かるわけないだろう、という内容が大半の」
「安心しろ。何泊してもいいように、準備をしておいてやる」
断ち切る魔王が、今までに見せた事もない笑顔で、そう優しい声音でそう言った。内容も優しそうに聞こえる。間違いなく幻聴だが。
そんな宣告を受けて、青い顔をするクレインの肩を、エルナが無言で叩く。
言葉などなんの慰めにもならない。
むしろ彼女の心の内にある言葉は、その逆であった。
(遂に天罰が下ったか)
日頃の行いの。
この事を側近のカインに伝えたら、どんな反応をするのだろうか。
逃げたら連行もありえると、諦めさえしているクレインとは裏腹に、農商国家に戻ったら楽しみな話題が生まれた、とエルナは胸中で顔を綻ばすのであった。




