八十四話 剣の国
「さて、ここからは少し緊張するな」
馬車で草原を往くクレインが、珍しく神妙にそう呟いた。
遠くには大きな都市がその姿を現している。
潮風の国より西南西へ進み続けて辿り着く場所。
剣の国の魔王城とその城下町であった。
「なにかあるのか?」
「単純に過去二回しか行った事がないという、訪れ慣れていない点。あと流石に他国の、それも共存派の魔王である事が知られるのは非常に問題という点。遠くの町ならまだしも、城下ともなるとな」
「……おかしなところがある気もするがいいか。剣の国って征服派トップだもんな」
「うーん、それは少し違うな」
エルナの言葉にクレインがやんわりと否定をする。
詳しいわけではないものの、そういったニュアンスで認識していたエルナは、おや? と首を傾げた。
「そもそも征服派は、そういう立場を取っているだけで、結束や団結などしていないんだ」
「あー……そういえばそんな話、聞いた事があるかも」
「国の規模などを考えれば、確かに最大勢力というのも間違ってはいないがな」
「取り仕切ってるわけじゃない、と」
「剣の国を除けば、征服派の国々はお互いに出し抜こうと企んでさえいるからな。利害の一致を除けば、協力や協調といったものからは対極だ」
なるほどなぁ、と感心をする。
しかし他と一線を画する剣の国ならば、荒ぶる魔王である事がばれたところで問題になるだろうか?
そんな疑問が浮かんでいるのを悟ったのか、クレインが続きを話し始めた。
「で、問題のほうに話を戻そう。あそこの国は……いや実際のところは詳しくないんだが、今まで行って見てきた感じとしては、なにがなんでも征服したいという雰囲気はないんだ」
「どういう事だ?」
「国として長らくその立場であり、それなりの教育もされているのだろう。それが当たり前で自然な事である、という認識を持っているのでは、というのが俺の見解だな」
「うーん? ちょっと待て。それ、そもそもの征服派である理由ってどうなっているんだ?」
「それなんだが……まあ、エルナになら言ってもいいだろう」
クレインが随分とただならぬ言葉を発した。
普段、遠慮や配慮、礼節や品位など何一つ考慮しないクレイン・エンダーが、どこかの誰かにそれをしたのである。かなり杜撰な様子だが。
内容が気にならない、と言えば嘘のエルナ。しかしクレインの様子が様子だけに、果たして聞いて無事にいられる内容か。
なんなら聞いたら最後、巻き込まれる呪いの類さえも疑う始末である。
恐怖と好奇心が天秤を揺らし、拒否も催促もできない中、クレインは続きを語りだす。
「その発端なんだが簡潔に言うと、南の大陸への渡来禁止以前は、剣の国も頻繁に南と接触をとっていたらしくてな。その中に、魔物の王の討伐が含まれていたらしい」
「……はあ?!」
あまりに予想外な内容に、エルナが素っ頓狂な声を上げる。
南の大陸にしても、ここ北の大陸なんて地理的には存在しているはず、とされながらもはや御伽噺の扱いであったのだ。
そんな遥か昔、南北で交流があったという御伽噺の更に向こう側で、北の大陸の魔族に魔物の王を討伐してもらっていたとは。
そもそも魔物の王が、そんな昔からいたという事実も驚愕に値する。
「結果的に長らく放置状態で、色々と面倒だからこっちで統治をしてやろう、みたいな事なんだそうだ。いや、それが国としてのもともとの見解で、今の魔王はそう思っていないんだが」
「いや、なんていうか……今、その情報はそこまで大事じゃないな」
「だとは思うがそれ以外の話はないんだ。特に魔物の王に関してはまるっきりな」
特にクレインが悪いわけでもないが、どこかしゅんとした様子を見せる。
気にする事などないのに、とエルナが口を開こうとすると、だが、とクレインが付け加えた。
「あの時はお互い酔っていたし、これから行って向こうの魔王に会えずとも、協議では会えるだろう。もしかしたらもっと詳しい話も聞けるかもしれない」
「……凄い気になる事を言われたが、追々聞くとするよ」
ただでさえここまで情報量の多い話だったのだ。割とどうしようもないぶっ飛んだおかわりをされても、エルナとて困るもの。
深い溜息を吐いて、まずは目先の話題をと元々の話の続きを促した。
「別に征服派であるのを固執しているわけではない。が、今回、共存派に変わろうという事で、国としてもだいぶ混乱しているらしくてな。別に不都合などないはずだが、下手に刺激してもメリットはないだろう。だから気をつけなくちゃいけない、というわけだ」
ここまで城から離れた町ではそういった様子はなかった。
しかし次は城下町。魔王のお膝元ともなれば、そうした話題に敏感にもなろう。
「……そんな状況の中、わざわざ行くお前もお前だよ。落ち着いてから行くんじゃダメなのか?」
「できれば本の内容を早く知りたいし」
「こ、こいつ……」
当初の向かう目的からすれば当然なのだが、あまりにも自己中心的な内容にエルナが呻く。
とは言え、エルナも気にならないわけでもなく、それ以上はなにも言えないのであった。
けれどもなにもそんな渦中に飛び込む事も、などと考えていると、ふと国の名前が脳裏を過ぎる。
「なあ、剣の国の中心地ってどういうところなんだ? 今までの町とかは、別に普通だったけども……物騒な名前をしている理由はあるんだろ?」
「各国が勝手にそう名乗り始めただけ、のところもあるが……確かに剣の国は『そういう』意味で名乗りだしたんだったか」
「え、そんな国の混乱中とか怖い」
「今でも名は体を表す国ではあるが、形はだいぶ違うな」
飽くまで象徴としての事だろうか。
剣呑なものではなさそうだ、とエルナがほっとして、
「超武力国家で、この大陸において最大の兵力を誇る国だ」
「物騒」
「更には王家が代々、受け継がれてきた剣術を磨いている。それ故に異性の魅力の一つが、戦う上での強さという価値観を持つ」
「町人まで物騒」
「兵士以上に民による武具の消耗が半端なくてな。そうした生産量も世界一というわけだ」
「おい、どこのなんの形が違うって?」
安堵の息を全て飲み込んだ。
一から十まで争いや血のイメージが張り付く話である。
「飽くまで試合や手合わせが盛んなだけで、流血沙汰の事件が多いわけでもないし、血気盛んというわけじゃないんだ」
「い、イメージがつかない」
どこをどうに切ってみても、出てくる絵面は皆、巨大な剣や斧を持った筋肉隆々の人物が闊歩する世界である。
しかしやはりそうではないらしく、クレインが苦笑いをしながら首を横に振った。
「無理やりでいいから、アニカあたりをイメージしておくといい。さっき強さが魅力と言ったが、女性においては美しさも加味されるんだ」
「ああ、なるほど」
「いや動きが、とかだからな?」
妙な納得をされた、と思ったクレインが訂正を入れる。
改めてエルナはアニカの姿を思い浮かべながら納得をした。
普段の立ち振る舞いもさる事ながら、その構えや剣筋、どれ一つをとっても目を見張るものなのだ。
堂に入るとは正にこの事、と見る者に言わしめる美しさを持っている。
「勿論、純粋な力強さも魅力とされるが、やはり女性だと弓などが人気らしいな」
「そんな価値観だと、特に姿勢を気をつけるもののほうが、同じ練習量でも剣とかよりよっぽど良く見えるだろうからなぁ」
「お陰で男性にとって弓使いの女性は飽食気味だとか」
「数少ない訪問でなにをリサーチしているんだよ」
「だからエルナが抱いた野蛮なものではなく、所謂の騎士みたいな礼節や上品さが印象的、といった感じだな」
「クレインに足りないものばかりだな」
「そういう境遇で育ったんだ……仕方がないんだよ」
クレインが寂しげな笑みで目を伏せ、物悲しそうに呟く。
「おい、矯正する時間はいくらでもあっただろ。魔王になってから30年はあるの、知っているんだからな」
「く……人間の寿命と見た目で考えれば、許されると思ったんだが」
「そうだな、知らなければちょっと信じていたかも。けど、普段が普段だからどうせ嘘だろ、て気づくと思うぞ」
一事が万事この調子である。
境遇や品格など気に留めもしないだろう。というよりも、していないのを隠す様子さえない。
前提の段階で発言内容と矛盾しているのだ。
騙せる可能性を探すのも苦労しそうである。
「……とまあ、そんな感じなのが剣の国だ。征服派で一番常識的な国だよ。今は」
「強引に話を戻した上に、不穏な言葉をつけるな」
「戦乱の世の時代は、というよりその時代を作った原因が剣の国だからな」
「原因……」
「次々に侵略していったから、水の国と本気の戦争にまで発展」
当たり前のように言われた言葉に、エルナは身震いをして戦慄する。
その当時の北の大陸の人口や、平均的な能力がどれほどかなど全くの無知だ。しかし、クレイン・エンダーという名の魔族はよく知っている。
それだけに、この北の大陸における闘争など、例え遠い過去だとしても地獄の様相しか思い浮かばなかった。
「なんにせよ全ては過去の事だ。未だに禍根を持つ者もいない遠い遠い歴史さ」
「ちょくちょく不穏な言葉を挟んでおいて……」
「途中の町程度だと、他の国とあからさまに違う様子、というのが乏しいからな。城下町だとちょっと滞在するだけで、『これが剣の国か』と理解や納得がいってしまう。剣の国のあれな逸話を語るなら今が一番良いというわけだ」
「……聞かされるあたしは、そこまで楽しい話じゃなかったけどな」
しかしそんな抗議もクレインには届かず、からからと笑われて流されていく。
気づけば町や城を囲う壁も目前と迫ってきている。
数名の兵士達が番をしており、向かってきたクレイン達を誘導し始めた。
「なんていうか、ちゃんとしているんだな」
「いや、最初に回った国々が悪すぎるだけだ」
農商国家然り、樹海の国、山岳都市、一応潮風の国。
どれも城下に入るのに、多少のチェックはあれど、厳密なものなどしていない。
控え目に言ってもガバガバである。
それも平和の証、と言えば聞こえはいい。
しかし実際は、いざ事が起これば強大な力でドンとぶつかり、周囲が薙ぎ払われる結末が待っているのだ。ちまちまとした工作が、功を奏する機会など稀なもの。
とは言え全くないわけでもなく、完全に遮断もできず。こうして警備を厚くし、目を光らせているからな、という意思表示を示しているわけである。
もっとも剣の国に、そこまで邪な思いを抱いてやってくる、命知らずなどそうそうにいないが。
「どうぞ、お通り下さい」
積み荷の検査などいくつかのやり取りを経て、中へと入っていくクレインとエルナ。
散々物騒な話を聞かされたものの、綺麗な町並みが広がっている。
ただ、『町』には少々不釣合いな光景が、度々視界に入るが。
「闘技場、ではないが試合が行える場や訓練施設を、一点に集中させて建てているんだ。あとは武具関係の店や鍛冶もな。店なんかは離れた場所にも、構えていたりするが」
「理解と納得……二重の意味でなるほどとは思ったよ」
外を眺めるエルナが軽く頭を下げた。
町の人々の多くは目が合うと会釈をしてきて、エルナも初めは釣られてそれを返すの繰り返しである。
だがまだ到着間もないものの、慣れてきたエルナも自然とできるようになってきた。
(これが当たり前か。確かに品があるな)
自国はおろか、今まで見てきた国でも、こういった様子は初めてのもの。
騎士道の類が広く浸透しているのがよく分かる。
しかしこれならこれで、クレインの言う混乱などどこにあるのやら。
今はまだ、なにかあると本当にまずい問題に発展しかねない、という認識でもあるのだろうか。ならばある意味、他国にとっては交流を重ねた方が不幸だな。
宿屋につき、必要最低限の荷物を降ろしながら、エルナはそうぼんやりと考える。
準備も終わり宿屋に入ろうとした矢先、一人の男性がさっと近づきクレインになにかを手渡すと、すぐに去って行った。
「な、なにを受け取ったんだ?」
突然の出来事に、少しばかし不安そうなエルナ。
まさか本当に危惧すべき事態でもあったのか、と先ほどまで楽観していた自分を恨めしく思う。
クレインも強張った表情をしており、手にした物を見せてきた。
一枚の紙には、今すぐに城に来るように、と書かれている。
「なんだこれ」
「……招待状だな」
「あれ? この国の魔王様とは、そんなに親しくないような話だよな?」
「会ったのも一回、ましてや文通をしているわけでも、国として大きな接点があるわけでもなし。ただ、気は合うだろう、という関係だな」
「それが本当なら、随分と気に入られているな」
警戒など不要そうな答えに、エルナが脱力する。
よく見れば馬車を停める場所まで記されていた。
宿を取らずに来いという事だろうか。
「あまり乗り気じゃなさそうだけど、土産だってあるんだし丁度よかったんじゃないか?」
「そうなんだが、城に招かれるとなると逃げ場がないからなぁ。小言は言われそうだ」
「カインさんに近いタイプなんだな。ていうか、もう小言を言われるのか……」
なにをしたか、まで聞く気がないエルナは呆れた様子で溜息を吐いた。
しかし馬車に乗り込み、城に向けて移動を始めるとその表情も固くなる。
なにせ北の大陸では初めてとなる他国の魔王城。
二人はそれぞれ別の緊張感を持ちつつ、歴史ある荘厳な佇まいのそこへと近づいていくのだった。




