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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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八十三話 夜が明けて

「おはよう」


 柔らかな日差しが窓から差し込む。


 光はかすかな温もりと共に部屋の中が明るく照らす。


 半身を起こしているクレインの姿もはっきりと見て取れた。青を通り越し真っ白い顔で、まどろんでいるエルナに声をかける。


「ふああ……おはよぉ」


 まだまだ眠い様子のエルナが、目をこすりながら体を起こす。


 二人は変わらず一つのベッドの上にいた。


 そこで微動だにしないクレインに、エルナが幸せそうに少し体を預ける。


「どうだ? 間違いだったか?」

「……どこかの風習に、己のケジメに自らの腹を裂き、他者にその首を落としてもらうというものがあるそうだ。首を頼む」

「わーストップ! ストップ!」


 思いつめた様子のクレインが、ふらふらと自分の剣のほうへと近づいていく。


 果たしてクレインの剣の長さで、自ら腹を裂けるかどうか。考えるまでもなさそうだが、それすらも気づかないほどに錯乱しているようだ。


 その伸ばそうと腕をエルナがしがみつくように止める。


「どうしてそうなるんだ!」

「意地でも我慢しようと……したのに」

「あのなぁ、あたしとしては凄い幸せなんだぞ」

「だが……意志の弱さが……」

「本当にお前は……」


 呆れつつもクスリと笑うエルナがクレインの肩に身を寄せた。


「そうぶつくさ言うな。あたしにとっては幸せだと言っただろう。これから先の事なんて、まだなにも決めてはいない。だからって無為に過ごしたくはないんだ」


 その言葉にクレインがエルナのほうを見る。


 未来。エルナにとってはあまりにも枝分かれをしており、恐ろしく環境に差があるものだ。


 当然、クレインとの関係性にも大きく関わる。


 もしかしたら、今からでは想像できないほど、この日々は短い有限であるかもしれない。


「悪かったな。ただ一つだけ言っておく。エルナがそう選択しない限り、俺はその手を放すつもりなどないからな」

「……」


 きょとんとエルナが顔を上げてクレインを見つめた。


 先ほどまでの蒼白とした表情とは違うそれに、ふっ、と鼻で笑う。


「さっきまで、うろたえていたやつの言葉じゃないなぁ」

「人が真面目に言っているのに……」

「大丈夫だよ。クレインがそういうのを冗談で言わないって分かってる。さ、そろそろ朝食にしようか。『流石に』腹ペコだ」


 含みのある言い方のエルナに、クレインは渋い顔をしながら身支度を整えだす。


 エルナもそれに倣い、着替えに手を伸ばすも動きが止まった。


 見れば、クレインが自身の周りに準備しているのは衣服のみ。昨日、散策した時と同じように、武具や荷物を持ち出す気配がない。


 停止しているエルナに気づいたクレインが、不思議そうな顔をして口を開く。


「なにをしているんだ? この宿では食事が出ないって話し……てはいなかったか。外で食べるしかないが、漁業関係の施設でこの時間からやっている食堂がある。朝はそこで食べるぞ」

「……えーと。朝食取ったらすぐ出発、じゃないのか?」

「そういえば宿を取った時はまだ放心していたか。二泊取ってあるから今日は観光だ」

「全然気づかなかった……」


 呆然と呟くエルナ。気づかなかったというより、そんな記憶はない、が正しそうだ。


 しかし今日も観光か、とエルナが腕組みをして思案に耽る。


 町の隅々とまではいかないが、昨日だけでも散策だけなら随分としたものだ。


 無論、まだまだ行っていない場所はいくらでもある。だが丸一日となると、ただ巡るだけというわけでもないのだろう。ならば一体なにをするのか。


 ふと視界の端にある窓に目がいく。そこから広がる広大な青い海。


 なるほど、と思えなくもないが、エルナは胸中の勇み足を止めた。


「最近さ、だいぶ冷えてきたよな?」

「これでも今年はかなり暖かいほうだ。普段ならもっと寒い」

「……確かに景観とか色々と見所はあるが、流石に海には入れないんだろ?」

「無理ではないぞ。かなり気合を……と思ったが今はどうなんだろうな」


 言い出した本人が酷く難色を示し始める。


 特に日付を気にする様子でもなく、気温や水温の問題ではなさそうだ。


「いや、このあたりの海は魔物がでるんだ。言ってしまえば海蛇の魔物だな」

「地味に嫌だな」

「それも巨大」

「やばい奴じゃないか。え、待って漁船とか襲われないの?」

「船は大丈夫だが海水浴している人の被害は後を絶たないと聞いている。討伐に参加した事があるが、連中は容赦なく海に引きずりこもうとするからな。結構な重傷を負わされた苦い思い出がある」


 一瞬でエルナの顔が青ざめる。


 地の利があるとはいえ、この荒ぶる魔王クレイン・エンダーに深手を負わすなど、よほどの強さがあるという証拠に他ならない。


 そんなものが生息している海など、とてもではないが入る気にはなれなかった。


「じゃあ今日はどうするつもりなんだ……」

「エルナの言ったとおり見所はまだまだある。それに剣の国には土産ぐらい持っていかないとまずい。魚介類の保存食も多いし、色々と買い物もするつもりだ」

「なんなんだ、その土産を必要とする基準。て、そういえばここの国の魔王様とは会わなかったな」


 ここまでの二国。樹海の国と山岳都市では出会った、というより遭遇した。


 それを思えばただの運、とも言えるが、山岳都市は向こうから会いに来たのだ。普通の魔王同士の交流がどういったものかは分からないが、こうまで気配もなくクレインも気にしていないのは珍しい。


「ある程度、気心が知れているかどうかだな。あとここの魔王、大抵漁に出ていて会う事がない」

「さらっと言われたけども、なんか情報量が多いぞ……なんだ? 魔王様が漁?」

「俺を前にしてよく驚いたな……」


 自分の行動に自覚だけならあるクレインが呆れた口調をする。本当によく言えたものだ。


 しかしエルナはエルナで不思議そうにしてみせる。


「いや、それはクレインだし。世界の水準にお前はいないだろ」

「もの凄い辛辣な……えっとだな、この国が特殊だと言っただろう?」

「あ、なんとなく分かった。一応の潮風の国の魔王ではあるが、みたいなもんだろ」

「察しがよくて助かるよ。ぶっちゃけここの魔王城って役場だし」

「役場……」

「あと漁業の組合みたいなのが入っている」

「組合……」

「でもこれで国なんだぞ?」

「そうは思えない……」


 人によっては、ここを水の都市の地方にある都市部、という見方をしたりもするという。むしろ国として説明するよりも、そっちで説明するほうが分かり易いと言ってもいいぐらいである。


 そのぐらい、ある意味でいい加減な国なのだ。


「ここの説明をしていたら日が暮れる。さ、早く食べに出るぞ」

「あ、ああ。そうだな」


 クレインに促されると、荷物を手放し、昨日買った衣服に着替えてその背を追うのだった。



「あんなものを食べるのか……」


 時間は経ちもうすぐ昼食という頃合。


 補給や土産をと立ち寄った店の品々に、エルナは軽いカルチャーショックを受けている様子である。


 それというのも、なんともおぞましい姿の魚介類を目にしてしまったのが原因だ。


「なんだ……なんだあの化け物の手のような貝? は」

「一応あれでも甲殻類だからエビやカニの仲間なんだがな」

「……例え高級食材だけど安く食べられる、と聞いても口に入れる勇気はないな」


 亀の手のようだが、不揃いの爪が密集する先と蛇皮のような見た目の胴体。


 そもそもそう見えるだけで、本当にそれらが先と胴体かすらエルナには検討もつかない見た目の生物。


 いっそ魔物であってくれ、とさえ願うそれは、ごく普通に食材として売られていたのだ。


「確かにそれほど食べたわけではないが、中々いい出汁がでて美味いんだぞ?」

「あたしには悪食の類にしか見えない……」

「海岸だったらどこでも生息しているようなものだから、南の大陸にだっていると思うが。地域によっては食べているんじゃないか?」

「侵略されたみたいに聞こえるからやめてくれ」

「そこまで言うか……」


 精神的に気分を悪くしたエルナが、一身に潮風を浴びて気を落ち着かせようとする。


 エルナの気持ちも相まってか、空と海の青さが一等輝いて見えるようだ。


「綺麗だなぁ……泳いだらさぞかし気持ちがいいんだろうなぁ」


 ふふふ、と乾いた笑みを浮かべるエルナ。完全なる現実逃避である。


 浜辺ではないものの、海は目の前にあるから尚更のようだ。


「諦めろ。さっき大きな影が揺らめいていたのを見たし、全域で遊泳禁止だそうだ」


 つまりはそう言う事である。


 クレインが危惧したとおり、件の魔物が大量に、もしくは強力な個体がいるようだ。


 波は穏やかだが、海水浴をするにはだいぶ寒くはある。


 しかし海水温は気温と比例するわけではなく、誤差を持って変化していく。決して入れない、というほどではない。


 ただ魔物という環境がそれを許してはくれないのだ。


「……あたしの水着姿とか見たくない?」

「討伐に行け、と……?」


 遠まわしでもない提案にクレインが顔を歪ませる。


 彼にしても、海中に引き摺りこまれたのは一種のトラウマらしく、明らかな難色を示していた。


「泳げはしないが入り江なら比較的安全だ。しかし全域禁止という事はそこも……」


 今は魔物達に占領されているのだろう。


「不条理だ……彼女の為に一肌脱ごうとか思わないのか?」

「言っておくが以前の時は討伐隊が組まれていて、彼らの助けがなかったら俺は奴らの餌になっていたからな?」

「さ、次は何処に行くんだ?」


 クレインを戦慄させ、今もこうして戦わずして退ける存在である魔物。


 大海の魔物すらも萎縮させるクレインがだ。


 そんな話を聞かされたエルナにもはや未練はなかった。むしろ、海岸が近いこの場所さえも怖くなる。


 一変して急き立てるようにクレインを促すと、エルナは足早にそこから離れていく。


 途中、背後の海から水が跳ねるような音を聞いたが、必死に波の音だと胸中で呟き、振り返ることはなかった。

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