八話 一つ屋根の下
問題。その言葉の中には厄介な事柄など、障害のような意味合いがある。その意味での問題は、それそのものが厄介なもので関わる人物によって扱いが変わってしまう。つまりはその者の立場や環境によって同一の内容であっても、問題としての存在すら問われる事もあるのだ。
そして正に今、ある者にとっては問題であり、ある者にとっては問題でないという事態が発生している。
前者であるエルナ・フェッセルと後者であるクレイン・エンダー。二人はベッドが二つある簡素な部屋にいるのだが、それこそが彼女を悩ます問題となっているのだ。
「お前、確か問題ないと言ったな」
「いきなりどうしたのだ?」
「お前は宿を取るのに問題ないと言ったな」
より一層、低い声で唸るようにエルナがクレインに訊ねる。そう、今宵眠る宿は二人部屋なのである。テントもない野営で、共に寝るのならばいざ知れず、何が悲しくて勇者と魔王が部屋も共にしようというのだろうか。
「シングル二部屋ならば、一部屋白銀貨五十枚、計百枚……金貨一枚だな。ツイン一部屋ならば白銀貨八十枚。どうするかなど一目瞭然だろう」
「デリカシーとかプライバシーを考慮しろよ!」
「今までの旅も全員個室だったのか?」
「そ、それは……」
女二人の男一人の旅路。時には三人で一部屋なんて事も珍しくなかったのだから、反論もできずに言葉を詰まらせた。もっとも、どうせ嘘がばれる事はないと、否定してもいいものだが、そこは彼女の性格と言える。
「襲ったりやましい事はせんよ。そう警戒せず寛いだらどうだ」
クレインの言葉は何処まで本当なのか、確かに彼は部屋に入って以降、自分の装備の手入れにかかりきりなのである。これが本心からの行動だと言うのであれば、それはそれでエルナにとってはショックというものだ。
(考えすぎなのか……自意識過剰なのか? い、いや落ち着け、やっぱり普通じゃないって)
一瞬、クレインに同調しかけたが僅かに残った常識がそれを打ち消した。やはりこの男はおかしいのだ。幼馴染と出会って半月と経っていない上に宿敵とを同列に語る方がどうかしている。
「ああ、くそ。部屋は自分で取ればよかった」
「そこまで嫌か。流石に傷つくなぁ」
「そうは見えないんだけど?」
おどけるクレインにじとりとした目で睨みつけるも、まるでそよ風だとでも言わんばかりに気にする様子もない。だが、何かを思い出したのかはっとした表情をすると、エルナに向き直って口を開く。
「話は変わるのだが、エルナは勇者という称号を持っているのだろう? やはり、そういう家系という事なのか?」
「どうだろうな。そもそもあたしは志願制だし、過去の勇者だってその場その場で重宝はするけども扱いは割と雑なんだよ。子孫がどうのっていうのも、その子供までぐらいだし」
「随分と杜撰な扱われ方だな……」
「功績があるとはいっても、特別な力を持っているとかじゃないからな。それに勇者って英雄に近い意味だし」
「なるほど……私としては意外な話だな」
頷きながら感心をすると、止まっていた手を再び動かすクレイン。
ふと、エルナはその脇の荷物の中にある、大きめの袋に視線が移る。今まで特に気にしてはいなかったが、開けられた事がなく中身は不明なままだ。
「なあ、その袋は一体何が入っているんだ?」
「そうだな……何れ必ず使うものだ。その時に開けてみてのお楽しみだな」
「ふーん……」
明確な答えがなかった事でどうせろくでもないのだろう、と大して期待もせずにエルナはベッドに身を投げ出した。自分の腕を額に置いて、部屋の光を遮るように両の目を覆う。
散々あれやこれやと悩んでいたものの、結局のところ路銀という点を考えたら、どの道この状況は避ける事ができない。その結論を理解しているからこそ、行き場のない怒りもあったものだが、ようやく諦めて現状を受け入れつつあった。
「はあ……」
「そんな様子で時間を無為にするぐらいなら早く眠って休め」
「そーだな……」
どの口がそう言うか、とも思ったが、何も間違っていないのもあり、大人しくその言葉を受け止めるエルナ。何かしら言い返されるのだろうと思っていたのか、クレインは少し驚いた表情で顔を上げる。
そんな様子に気づきもしないエルナは、腕の下で目を瞑ったまま口を開いた。
「で、明日は何時出発するんだ?」
「それを決めるのはエルナではないのか……。次の町まではどのくらいかかるだろうか?」
「んー……」
寝転がったまま近くの荷物を手繰り寄せ、中から折りたたまれた紙を取り出して広げる。そこには現在地の盾、そして風と石の国の土地が記されていた。エルナはそれを何度か指で辿り、今後のルートと次の町を選択していく。
「徒歩で天候が良ければ丸五日ぐらいかなぁ」
「ならば、遅くても昼までには出たいところだな」
「意外とのんびりだな」
「急ぐ旅でもないし、そもそも食料が足らんからな。朝一番に物資を揃えてから出発としよう」
「……また何時もの携帯食料に戻るのかぁ」
「エルナ……」
思わずこぼれた呟きに、クレインが何とも居た堪れないような目で見る。どれだけあの携帯食料を気に入ったのだ、と言わんばかり。完全に食い意地の張った人物として見なされている。
「待って、違う、そうじゃなくって!」
「いや、大丈夫だ分かっている。うむ、食欲は三大欲求。極限状態でもなく抗える者は異常をきたしているのだ。極めて健全な事だ」
遂に変な気遣いまでされるところにまで到る。これ以上、否定しても更に悪化しかしない事を悟ると、エルナは悔しさと恥ずかしさを噛み締めながら枕に顔を埋めた。まさかこんな誤解を受けようなどと。あの日の自分を呪わずにはいられない。
「まあ、北でなければ絶対に手に入らん物でもない。機会があれば作ってやろう」
「え? 作れるのか?」
「あれが魔法で作られた特殊な物に思えるのか?」
「いや、そういう意味で聞いたんじゃないんだけど」
「ああ、私で作れるのかという意味か。そこまで難しいものではないぞ」
枕に埋めた顔を少し上げて、今も尚、武具の手入れを行うその姿を見る。
逐一、人物像があやふやになる事ばかり言う奴だ、と胸中で悪態をついた。だが、そうさせているのはきっと、自分の中にある魔王というイメージがある所為なのだろう。だが理解していても、中々それを払拭して見れずにいるのだ。
「お前、何時もそうやって手入れしているのか」
「ここしばらくは野営続きだったからな。できる時にしっかりとやらねば、良い物も長くもたないだろう」
振り向きもせず、当然のように語る姿は誰なのだろうか。魔王なのか、兵士なのか、武人なのか。
ふと、懐かしい姿と声が浮かび上がってくる。
『いいかエルナ。武具はかかさず手入れをしろ。そうすれば、彼らも応えてくれる』
『何より、そうしてる奴は良い奴だ』
『暗殺者だって、自分の装備は大切にするんじゃないの?』
『そういう切り替えし方、爺さんに似てきたな……後でぶん殴らねえと』
大柄で無骨な父親。だが、その大きな背も手も大好きであった父親。もう二度と、触れる事のできない存在。
『善悪の問題じゃあない。そもそも、そいつの立場や環境によって善悪は変わっちまう。お前にとっての悪は、相手にとっては善なんて事は珍しくない。だから争いも起きる』
『俺が言ったのは何かしらの芯があるってこった。信念がある。例え生き残る為だけに、手入れしているのだとしても、それもまた一つの芯だ』
『勿論、それが自分にとって有益かどうかは別だが、もしも手を組む事があるとしたら、そいつは少しは信じても良い』
『少しなんだ』
『手放しの信頼はバカがする事だ。信じてもいいが、背中を預けっきりになるな』
(だとしたら……)
再び頭を枕に沈め、ゆっくりと目を瞑っていく。
(だとしたら、こいつは悪いけど良い奴なのか……それでもあたしは、まだ信じられないし、到底許せないよ)




