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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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八十話 一歩

「はー……これだけでも来た甲斐があるなぁ」


 吹き抜ける風に髪を揺らしながらエルナはそう言葉を漏らす。


 山岳都市の中心地。魔王城とその城下町があるところ。


 文字にすれば大仰なものだが、二日前に滞在した町から見えていたとおり、町も城も壁がない作りをしている。


 言わばこの周囲の土地そのものが要塞の壁を担っており、わざわざ建設する必要がないのだ。むしろ攻められるとしたら空路のほうがよほど警戒すべきで、防衛におけるコストの多くはここにかけられていた。


 そんな一見無防備な町も城も斜面を利用した作りで、段々の構造となっている。


 壁もなく段階的にせり上がるような町並み。つまるところとても見晴らしがいいというわけだ。


 町の入り口近辺の広場から振り返ると中々に絶景なものである。


 南部は丘陵が続いていた事もあり美しい丘が続き、東部や北部は雄々しさもある景色が広がっているのだ。


 町の周囲は傾斜が強いのもあって、道中で振り返ったところでここまでの景色は見る事はできない。


 辿り着いた者だけの特権である。ここに向かう道半ばで力尽きる者などそうはいないが。


「……」

「で、お前はどうしたんだ」


 うきうきとはしゃぐエルナとは対照的に、クレインは神妙に来た道を眺めていた。


「今朝からここまで道なんだが……ある程度は舗装されていたんだ」

「え?」


 クレインの言葉にエルナがざっと記憶を振り返る。


 ここまでの道中に比べて急に傾斜がきつくなり、また馬車が大きく揺れる回数も多くなった。後者は道に転がる石の大きさや量が増したからだろう。


 とてもではないが、快適とは言えないものである。


 しかし、それとてマシになったほうだと言うのだ。


「……以前を知らないからなんとも言えないんだけどもさ。それはそれで当たり前の事じゃないのか?」

「言ったと思うが、商人の行き来も少ないほうだからな。あまり陸路を重要視してもいないから予算も微々たるもの。俺の知る限り過去にこれだけの手が入ったのは片手で数えるほどだ」

「あのレベルでか……」


 南の大陸とて山道ぐらいあるもので。それも馬車が通れる道とならばそれなりの整備はされている。よほどのど田舎でもなければ、あれほどの道も遭遇する事は稀である。


 しかもここは国の中心地、という前提がついている。


「何時頃やったのかは知らないが、今はここの魔王に見つからないほうがいいかもしれないな」

「なんだそりゃ。因果関係が全く見えないんだけど」

「予算が少ないと言っただろう。あんなところに金をかけられたという事は、なんとか分捕れたってわけで……そういう国外の人に向けた部分に金をかけないといけない、と危機感を持っているのがほぼ魔王だけなんだ」

「……いやしいか後先を考えられない国民性と見てしまっていいのか?」


 短絡的に見れば自分達の為だけに使いたい、という主張が見える。


 しかしエルナがわざわざ確認しているとおり、ここまでの話だとそれでは少しおかしいのだ。


 外の道の整備。確かに他所からの客の利便性を大きく向上させるだろう。だが国民が誰一人外に出ないはずもない。つまりは一部だとしても山岳都市の人々にもプラスになる。


 そもそも商人の行き来が活発になる事そのものがプラスと言っても差支えがない。


 だとしたら一体何故か、と言うと、


「いや、例のてきとーな国民性だ。全く使えないほどの状態じゃないし、別に直したりしなくてもいいだろ、という主張だそうだ。正直に言って、城下町や魔王城も大部分での改修が必要だが、それすらまだ使えるとかぬかしているらしい……」


 まだ平気だからよくね?


 と短くすればこれに尽きる話。


 他国の魔王であるクレインでさえ、そんな馬鹿な、と頭を抱えそうになる内容である。


「……じゃあここの魔王は」

「危機感を、と言っただろう。国の将来の為にも日々、周りを説得して色々と改善している、最中だ。道の整備は僅かながら進んだみたいだが、少し前に全く進まないと愚痴っていたからな。多分、相当ストレスを抱えた上での前進だと思う。だから会いたくない」

「けど、いくらむしゃくしゃしていたとして、会っただけで大事にはならないだろ」


 そう、いくら虫の居所が悪かろうと相手は魔王。そしてこちらも他国の魔王とくれば、どれほど親しい仲でも最低限の礼節は弁える筈だ。


 さも絶対に会いたくない、と顔に書いてあるクレインのように忌避すべきほどではないように思える。


 だがクレインが本当に避けたい事柄は別らしく、ゆっくりと首を横に振るのであった。


「間違いなく深緑の魔王とは比にならない絡まれ方をする」

「……別によくないか?」


 エルナからしてみれば深緑の魔王ミシャ・ブライトシャフトとは、ただ談笑しただけである。


 むしろ客人であるエルナを連れているからこそ、穏便に済む事のほうが多そうに思えた。


「俺の体力はごっそり削り取られるんだけどな」


 と、楽観していいのはエルナ本人のみ。一方的になじられたりするクレインが、深緑の魔王の言動を踏まえて、その未来を想像したのか深い溜息を吐き出した。


 やがてその背は丸み顔も俯きがちになっていく。


 だがいつまでもそんな事をしているわけにもいかず、一度しっかりと体を起こした。


 なにはともあれまずは宿屋の確保だ。近くに馬車を停めておける場所もあったはず。


 そうこれからの事を考えながら、前を向いたクレインにある視線がぶつかった。


 一人の男がこちらをじっと見ている。


 少し年配ではあるものの、中々に鍛え上げられた筋肉質の体に、厳格そうな目つきは衰えという言葉とは無縁そうだ。


 そんな人物と目が合ったクレインは僅かに、ほんの僅か、傍にいたエルナにしか聞こえない声で、あ……と漏らすのだった。


「協議前にぶらついているとはいい度胸だな」

「……本当に焦点は協議前だからか?」

「勿論ただの八つ当たりだ。協議前でなかったら別の理由になる」

「デスヨネ」


 そんな軽口を叩き合う中で、ようやくエルナがクレインの同伴者である事に気づいたのか、ぎょっとして半歩後ろに下がった。


「……まさかとは思うが念の為に聞くぞ。攫ってきたのではないんだな」

「俺への信頼や信用ってどうなってるんだ?」

「いざこうした場面に直面するとな。普段、まるで興味なさそうであると、どうにも疑ってしまうものだ」

「お前まさか……」

「違うからな? そっちの気があるとかじゃないからな?」

「冗談だよ。どうせ同伴者はあってもカインさん。他九割以上が土産とかだろ」

「ほう、お前の事をよく理解している娘ではないか」

「喜んでいいのか謎だけどな」


 あらぬ誤解を受けなかったのはよかったものの、これはこれで悩ましいところである。


 もはや取り繕う隙がない。正に評価がゼロより開始。誤魔化しなど一切通用しなさそうだ。


 むしろ下手な言動をすればするほど、要らぬ情報が他所から開示されそうなまである。


「因みに同伴者がいるところなど初めて見た、が正解だ。そもそも今の農商国家は彼がいなければだいぶ危ういだろう?」

「……確かにそうですね」


 クレイン捜索に出た時でさえ、綿密な準備をしていたほどである。


 大した用事も無しに長期的に城を出るなど、あってはならない立場と重要性の上にいるのだ。


「あー……なんか毎度毎度タイミングを逃すな。彼女は人間のエルナ・フェッセル。こっちが山岳都市の山の魔王、グレゴール・ファミステスだ」

「何者なのかと思えばそういう事だったか。しかし、そうか……人間か」


 ふうむ、と唸る山の魔王に、エルナが目が不安そうに揺れながらクレインに向けられる。


「もしかしてあたし、というか種族として嫌われていたりする?」

「いやぁ……? 現代において人間に禍根や確執もっている奴なんていないはずだが。そもそも一部じゃ人間は御伽噺の存在のような扱いをされているぐらいだぞ」


 ヒソヒソと耳打ちをし合う二人を尻目に、山の魔王はなにかを決めたのか、うむと頷くとクレインを見据えるのだった。


「大半の魔族に比べれば人間は随分と短命だと聞くが、お前自身が望んだ道だ。止める気はない。例え長命であろうと時間は有限だ。二人の時間を大切にするのだぞ」

「予想通りだがめちゃくちゃ遠回りした物言いをしやがって」

「なんだ? 正室にでもするのかと思ったが違うのか?」

「せいしつ?」

「色々と誤解と不信を生む発言は止めろ」

「なあ……せいしつってなんだ?」

「あとで説明するから待ってくれ。あとエルナが想像した内容とはかけ離れているから、そんな不安そうな目でこっちを見ないっ」


 ただ会話を少し聞き、何者かがただ騒いでいる様子として見たのならば果たしてどう映るだろうか。恐らくエルナの言動はそのまま、正室発言に繋がってしまいそうなものである。


 幸いな事に近くで傍観している者もいないが、クレインの胸中は落ち着くはずもない。


「正室というのはだな、何股も行う事を前提とした、見下げ果てた男が……」

「放火した挙句、油を注ぐような真似もするなっ。なんだ? 宣戦布告か? その喧嘩買うぞ?」

「ちょっとした冗談ではないか。実績がある奴がそういう言葉を軽々しく言うものではないだろう」

「悪意100%は冗談の域ではないからな?」

「……」

「ほら見ろ、凍りそうなほどの冷たい視線だぞ。くそ、これだからお前には会いたくなかったんだ」


 表情が乏しいわけではないのだが、如何せん山の魔王は厳つい顔立ちをしている為に、あまり冗談を言うようには見えないのだ。


 それによりこうして度々、虚実を真実として受け取る者が現れるのである。もっともこうした物言いをする相手も被害を被るのも、大抵の場合はクレインのみだが。


「冗談が冗談だと分かるだけ深緑の魔王のほうがよっぽどマシだ……」

「ほう? 協議までに周囲を回っていくのか?」

「剣の国まで行って水の都市に入るつもりだ」

「こちらの事を知ってもらう分には必要なのだろうが、果たして最後が剣の国でいいのだろうか……。いや、俺が口を挟むものでもないな。ここは煌びやかなものはないが、良いところだと自負している。ゆっくりしていってくれ」

「ああ、明日出発するけどな」

「本人を前によく身も蓋もない事が言えるな」


 先の信用や信頼に関わる話。こういうのが原因なのではないだろうか。


 しかし、言われた本人はさして気にする様子もなく、一言だけ別れの言葉を告げると背中を向けて行ってしまった。


「……というか魔王様、なにしにここへ」

「魔王城からも見晴らしがいいからな。俺が来たっていう報告を受けたんだろ」

「へえ、わざわざ向こうから顔を出してくれたのか? 渋っていた割には仲がいいんじゃないか」

「お互いあれだけ軽口を叩けるぐらいには、な」


 いいのやら悪いのやら、といった様子のクレイン。


 だがエルナにしてみれば、羨ましいものである。


 もしも南の大陸もこうであれば、ああはならないのだろう、と。抱える問題が全てなくなるわけではないにしても、あの現状に比べたらどれほど良いのだろうか。


 ぶつぶつと愚痴を漏らしながら宿屋に向かう背中を見つめ、そう思わずにはいられなかった。



「はあー……美味しかったなぁ」


 ベッドに腰をかけ、後ろに手をついているエルナがそう呟いた。


 満足のいく食事だったのか、随分と緩みきった表情で反芻している様子。ズリズリと腕は開いていき、もう間もなく背中からベッドに倒れ込みそうだ。


「それなりの量の漬物が四種類も出てきた時はどうなるかと思ったが……。それにしてもなんか意外だったな。あんなに肉が入っているとは思わなかったぞ」


 特にクレインが意図したわけでもなかったが、山岳都市の城下町での食事もまた鍋物であったのだ。場所が場所だけに、エルナは高原野菜を中心としたものをイメージしていたわけである。


 もっともそれ自体は間違いではなく、エルナの不安をさせたとおり菜食の文化が深く根付いていて漬物もその一環である。そして鍋自体も当然のようにたくさんの野菜が煮込まれた緑色の多いものであった。


 だが肉もまた惜しみなく使われており、非常に豪華で店一番高いのではないかと疑いもするほどである。


 そこでメニューを見てみれば飽くまで中価格帯だというのだから、少なくともその店では敷き詰められた肉の量は一般的であるというわけだ。


「山岳都市は農業や畜産に力を入れているからな。高原でのびのびと育てられた肉は美味いし数もいる」

「なるほどなー……」


 気の抜けた声を出しながら、心密かに大地の育みに感謝するエルナ。


 よほどここでの料理が気に入ったようである。


 食後の一時。ゆったりとした時間が流れていく。


 そんな中で幸せそうな様子であったエルナだが、次第に神妙な顔になっていく。


 やがて視線はクレインへと向けられてしばらく。ようやくエルナの視線に気づいたクレインが不思議そうに訊ねた。


「どうかしたか?」

「いや……ちょっと気になってな」

「らしくもないな。今更なにかを聞こうとして言葉を濁すような事もないだろう?」

「……お前は、あたしの事をどう思っているんだ?」

「どう……?」

「……いや、無し。今の無し! 忘れろ!」


 ばっ、と翻るようにエルナが背を向けた。


 まるで、自分から出したこの話題を一切触れないようにするかのように。


「……二年前、こちらの大陸に戻ってから少なからず後悔をした」

「……」


 しかし構わずに語りだしたクレインの言葉に、エルナの背中が小さく揺れた。


「エルナが勇者であるからと言って多くを背負おうとする姿は、正直に言って痛々しく思えていた。だからあの時、北の大陸に来ないかと言った」

「……うん」


 小さく、だが確かな返事。エルナとてあの時の、あの言葉の意味が分からないわけがなかった。


「エルナを勇者と言う、呪縛のような責務から解放してやれなかった、と。傲慢ではあるがそう後悔をした。だがそんなものはすぐに薄れていったよ」

「……」

「引き換えにするように喪失感を感じるようになっていった。決して長くはなかったが、エルナと共に旅をした時間が、あまりにも輝かしく同時に恋しく思ったものだ」


 約半年ほど寝食を共にした日々。それを思い返しているのか、クレインが懐かしそうに目を細める。


 いつの間にか体ごと向き直ったエルナが、その表情を、その一言一句を受け止める。


「こうして再び旅をして確信したよ。どうしようもなくエルナに惹かれているのだと。いつまでも傍にいたい。共に生きたい。そう心から思っている」


 過去を見ていた目が、しっかりと目前のエルナを捉え、


「エルナは俺をどう思う?」


 同じ問いを返すと、しどろもどろになりながらも口を開いた。


「あ、あたしは……」


 そこで言葉を区切ると一呼吸を置き、その先を続ける。


「あたしも好きなんだと思う。正直に言えば分からないが……それでも、お前の傍にいる事を望み、こうしていられる事を喜んでいるあたしはきっと、いや間違いなくお前の事を好きになってしまったんだろうな」


 そうエルナが微笑んだ。


 互いに見つめあい、静かな時間が流れていく。


 通わせた心は確かな熱をもっている。


 そんな中で耳に響くのは時を刻む音だけ。



 果たしてそうだろうか。


 先に動いたのはクレインであった。


 ふっと軽く目を伏せて顔を逸らすと、


「さて、明日もあるしそろそろ寝るか」


 と寝支度を調え始めた。


 夕食を取ってからまだそれほど時間も経っていない。


 野宿ならまだしも、宿屋でこれはかなり早い。


 背中を向け、いそいそと動くクレインに、エルナはジトリと一つの疑惑の視線で射抜く。そしてそっと近づき、その肩に手を置いた。


「こっちを向いて」


 動きが止まるクレイン。振り返る気配はない。


 短く切りそろえられた髪からは真っ赤な耳が見える。


「今更照れくさくなった?」


 ビクリ、とクレインが身を震わす。


 きっと先ほどから今も、その耳には早鐘を打つような鼓動の音を感じているのだろう。


「……ぷっ」


 そんな様子にとうとうエルナが噴き出すと、堰を切ったように大笑いをし始めた。


 他の客や宿屋自体から文句の一つも来そうな大声で。


 幸運にもそうした苦情はなく、不幸にもエルナを止める者もなく。


 先ほどまでの空気も一変、クレインはただ身を震わせて耐え忍ぶのであった。

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