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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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七十八話 出発の朝

「お、よかった。まだ出発してなかったな」


 木々の隙間からいくつもの木漏れ日が差す朝。


 澄み切った空気に包まれ、クレイン達が出発に向けて準備をしているところを、深緑の魔王がやってきた。


 果たして見送りにでも来てくれたのだろうか。


 と、思うところだが、クレインはなんの用だ、と言わんばかりに嫌そうな顔をする。


「大概暇だな、お前も」

「ちょっと。同類扱い止めてくれない? 昨日はまさか会えるとは思っていなかったから聞きそびれた事があるのよ」


 クレインの嫌味に深緑の魔王が睨みつけて反論をした。


 言動こそ魔王にしては軽く、確かにクレインに近しいところはある。


 だが彼女は彼女なりに魔王としての職務を全うしてるのだ。決して誰かのように諸々を家臣に押し付けて出かけてしまう、なんて事はない。


「征服派の一部がどうにも不穏なのよね。なにか掴んでいないかと思ってさ」

「……間者なんか送っていたのか」

「最低限の情報収集よ。連中が本気だとしたら、勢力的にも地理的にもこっそりここを落としたほうが色々と都合がいいでしょ」

「いやぁ? お前達に喧嘩売るほど馬鹿なら、進路上にあるうちにまず喧嘩を吹っかけてくると思うぞ?」


 深緑の魔王、ミシャ・ブライトシャフト。能力上で言えば最強の種族である。


 樹海の国に暮らす種族の一つで本来の姿は菌糸類。ありとあらゆるものの上で発芽しその養分を吸い尽くす。また生育速度はあまりにも早く、事が起これば瞬く間に周囲を飲み込むと謳われている。


 彼女達が周囲を巻き込む事などの犠牲さえ目を瞑ってしまえば、大量の人手と策を用いられない限り止める事すら敵わないほどのその力が開放されてしまうのだ。


 もはや、本当にその分類でいいのだろうか、と言える生態である。聞く限り寄生か捕食行動にしか見えない。


 獰猛なバクテリアが周囲を食らい尽くすように、全ての命を根絶やしにしてしまえる力。それが彼女達の本来の姿が持つものである。


 無論、意識される事なく命を奪ってしまえば、この恐ろしき力も使えはしない。だが、その種族全てとなると不可能の領域と紙一重といったところ。


 その紙一重も国土全てを一瞬で消滅させるほどの手段が求められるわけで。不可能でこそないが、到底現実的ではない。


「直接の話は知らないが……なにかあってもこわーい征服派がどうにかしてくれるだろ」

「あたしには征服派みーんな怖いんだけど」


 純粋に種族としての能力だけを見れば、なにをほざくかと思われる発言である。


 だが、決して彼女の言い分全てが戯言というわけではない。


 飽くまで最強たらしめるのは、犠牲を無視した場合に限るのだ。逆にそれを捨てられなければ、その力そのものが禁忌となる。


 故に後者の立場である深緑の魔王は、戦いの事態を過剰に恐れているのだ。


「それって魔王間のプライベートとか言っていたやつか?」

「え……なにそれ。お前、どっかの国を強請ったの?」

「人聞きが悪すぎる」

「いやだって実績があるからなぁ。あ、前科というべきか?」


 農商国家と鉄の国の魔王二人を討ったという事実。それも二人とも殴りこみだ。かつては戦乱の時代もあった北の大陸と言えど、ここまでアクティブな者もそうはいない所業である。


 そんな人物が本気で脅しにかかれば震え上がる国も少なくないだろう。


「痛いところを突かれたな……」

「その急所、むき出しな気がするんだけど」

「むき出しというか、急所で作った灯台みたいなものよねぇ」

(嫌なタッグができたな……)


 下手に口を開けば更に攻撃されると感じたか、クレインは心底嫌そうな顔で少しばかし身を引いた。


「ま、なにかしら手を打っているのならいいけどもね」

「あー、ちょっと訂正と言うか謝罪が必要だな。その不穏な空気は多分、俺が行動したからこそかもしれない」

「なに導火線に着火してんだよ」

「途中で途切れているからいいんだよ。繋がっていたとしても途中で切られる」

「……お前の言うこわーい征服派が?」

「だからこそ最後の抵抗みたいなもんだと思う。睨まれただけで鎮火するだろうけども」

「ふーん」

「なあ、一つ聞いてもいいか?」


 詳しい事情は不明のままであるものの、なにかを悟った深緑の魔王が納得したところで、エルナが話に加わってきた。


 どうやらタイミングをずっと窺っていた様で、今こそ好機と見計らったのだろう。


「お前の話を聞く限りだと……よほどの大物を脅迫したとしか思えないんだが」


 ポジティブに話を解釈するならば。


 征服派でよほど大きな力を持つ存在と手を組んだ。それが派閥を抜けるほどなのか、はたまた飽くまでそこ以外の部分で協力関係になったのか。


 しかし他の征服派が殺気立つというのであれば、前者よりの結果だと考えられる。


 なによりクレイン本人が魔王として果たすべき事はないと言ったのだ。むしろ前者そのものなのだろう。


 ここまでならば快挙を成し遂げた、と万歳三唱。宴の始まりである。


 問題はその手段だ。それほどの相手を心変わりさせるとなったら、難しいでは済まない話。それも国の立場を丸ごと変えてしまうのだ。


 それをカインも知らぬ間に、クレインが単独で果たしたのだから、必然的にその手段は脅迫に行き着くわけである。一撃必殺、譲歩もなにもなくたったの一手で即死……相手にとって絶対に取り戻さなければならない存在を盾にした、と。


「比喩でもなんでもなく平和的に話し合いをしただけだ! というかエルナまで俺の事をそういう目で見ていたのか……」

「だって農商国家とお前じゃまともなカードで、それだけの事を成し遂げられるものってないだろ」

「食を握られているような国でもなければ、ねぇ」

「く、人事っ」

「いやあ、うちは地味にカード持ってるし」


 深緑の魔王が口の横で手を立てて、オホホホと言わんばかりの笑みを浮かべる。


 全ての国ではないものの、多くが樹海の国と事を荒立てたくない、荒立てられない理由があるのだ。もっともそれとて外交で済む段階までの事だが。


「そんな凄い隠し球があるんですか」

「前に話した兵士派遣の御礼だ」

「……お前の国だけで重宝されているわけじゃないんだな」

「よほどの寒冷地以外では必要とされている。まあ折り合いつかなくて樹海の国の協力が得られない国もあるが」

「北は北で殺伐としているなぁ。いや、あたしが言えたもんじゃないけども」


 既に摩擦では済まず出火している上に、延焼に次ぐ延焼で南の大陸全土を燃やし尽くそうしている状況なのだ。唯一の救いは各国が拮抗しており、状況の割りにはそこまで深刻ではないという事だろうか。


 とは言えそれもエルナが大陸を後にする時までは確かで、今は果たしてどうなっているのやら。一つでも崩れた時、戦況は一気に変わっていくという、救いも危ういバランスの上にある。


 そんな場所からやってきたエルナでは、自身で言ったとおりとてもぼやけたものではなかった。


「エルナちゃんの事情は知らないけども、言ったところで誰かが苦しむわけでもないし、吐き出すのは良い事だと思うわよー?」

「軽く言ってくれるなぁ」


 事情を知るクレインがそう零すと、深緑の魔王はハンッと鼻で笑った。


「どう足掻いてもあんたには負けるけどもね」

「まだあまりそういう光景を直接見ていないはずなのに、イメージできるのが怖い」

「あまり俺の印象下げる発言は止めてくれないか?」

「過大評価が是正されているだけじゃない」


 あれやこれやとやらかしてきたクレイン。


 流石に諸々の出来事に対して反省こそいないものの自覚はしており、深緑の魔王の言葉に反論できずにどこか悔しそうに口を真一文字に結ぶ。


「じゃあ評価点をゼロから始めようか。分かりやすいし心配も要らないだろ?」

「上がっていく未来が見えないな……」

「上げようとする姿勢は?」

「……見えないな」

「見栄でもいいから努力ぐらいはしろよ。いい加減、あんたのところの側近、吐血して倒れるんじゃないの?」


 その言葉に驚きを見せたのはエルナであった。


 それほど心労を重ねていたのか。


 と、思ったわけではない。いやそれも間違ってはいない。だがそれ以上に、他国の魔王にすら周知されているほどであるという点だ。


 そこまで有名ならばカイン・エアーヴンの負担もひとしおであろう。


「まあいいや。引き止めて悪かったね」

「ああ、では協議でな」


 当初の目的も果たしたからか、来た時と同じく深緑の魔王は風のように去っていく。


 その背中を見送ると、ようやく一息つけるとばかりにクレインが大きく息を吐き出した。


「そういう態度はよくないと思うぞ?」

「色々と疲れるんだよ。ただでさえ出発するところだというのに」

「別に仲は良さそうだったじゃないか。もっと魔王間ってドライなものかと思ったぞ」

「そりゃまあ勝手に野草とか採取しても問題にならないが……」

「仲じゃなく寛大か諦めの線もあるな……」


 さらっと差し込まれた問題行動を普通に認める発言は、エルナに新たな視点を与えた。


 しかしそんな呟きもクレインには届いていないのか、その言葉の先を続ける。


「隙あらば古傷をえぐったり塩を塗ったり、陥れようとしてくるからなぁ」

「……後者については全く知らないから触れないでおくが、ここまでの会話で聞いたお前の古傷、全部自分に原因があるんじゃないのか?」

「だから困る」

「……ここまで開き直ると堂々とした姿に見えてくるもんなんだな」


 襲い掛かる幻覚に、頭を振って抵抗してみるもあまり効果は感じられず。


 随分と強力な幻惑魔法だ、などとエルナが現実逃避をし始めた。


「さ、とっとと準備を済まして行くぞ」

「ここからは北に向かうんだっけ」

「ああ、次の行き先は山岳都市という場所だ。少し道が険しいがいいところだ」

「食事が?」

「景色とかもだ。まあ都会のような豪華さや派手さはないがな」

「うん、まあその辺りをお前が注目しているとはあたしも思っていないから」

「……育ちからしてそういった場所とは縁がなかったから、と言い訳はしておこうか」


 正しいのだが含みのある手厳しい評価にクレインは、僅かな抵抗を試みる。


 しかし如何せん、既に自身が認めている事もあり、エルナはふーん、と淡白な反応を返すだけであった。


 そんな雑談をしつつ、ようやく出発したのは木々や葉の合間を抜ける日の角度が随分と変わってからだ。


 樹海の国は小さな村が点在しており、ある程度慣れた者ならその日のうちに次の地点へと渡れる距離である。


 しかし周囲を取り囲む木々は高く、暗くなるのも一等早い。外部の者にとっては、この樹海の中で野営をする事は珍しくも無い話だ。


「思いのほか時間を食ったが今日中に次の村に着けそうだな」

「あんまり暗くなると危なくないか?」

「今日の天気ならば時間的にも問題ない。これが次の村だったら間に合わないが」

「そんな気はしていたけども距離はバラバラなんだな」

「ただでさえこの地形だ。村として開拓し易い場所、で作られているんだろう」


 元々国が立ち入って開拓したわけではなく、元から居る人々によって成った樹海の国。


 そんなわけで外部から立ち入る者を見越した構造ではないのだ。


 更には改めてそのようにしようか、と言えば既にある村を移動させる事も無く今に至る。


「……エルナ」

「なんだ? 急に改まって」

「深緑の魔王に言われて少し気になってな。南には、溜め込んだものを吐き出せる場所がなかったのか? 少なくともあの友人二人ならば、きっと受け止めてくれるんじゃないか? いくら分かれたとは言え、望めばやり取りはできただろう」

「そう、だろうな」


 物心がついた時から傍にいた親友。そして魔王討伐の旅に同行し、蒸発したエルナを探し続け、クレイン達のあとを追い続けた二人、レオンとルーテ。


 深い絆のある間柄なのは一目瞭然。目にしたのは僅かであり、エルナ救出の襲撃を直接受けたわけではないクレインですら疑う余地がないほどだ。


 しかし、だからこそである。


「だけど今更、弱い自分を晒すのは気後れしてしまうんだ。二人ならそれさえも受け入れてくれる。いや、そもそもあたしがそんなに強くないって分かっている。……単純にあたしの勇気が足りないだけだ」

「難しいものだな……」

「ああ。だからお前がいてくれてよかったよ」

「今頃言うのもあれだが、俺ならいいんだな」

「お前には散々弱いところを見られた、いや引っ張り出された? 曝け出させられた?」

「さもその意図があったように言わないでもらいたいんだが」


 クレインがエルナと共に南に渡る中で打った小芝居。


 事情を知らないエルナにとっては再三、希望を持たされては失望に叩きのめされてきたのだ。


 仕方がなかったとはいえ、今でもその事に恨みはないかと聞かれたら……首を縦に振るかは怪しいところである。


「まあいい。辛い時、寄りかかれる支えがない苦しさは身に沁みている。エルナの支えになれるのならいくらでも応えてやる」

「はは、ありがと。遠慮なく寄りかかるどころか依存するよ」

「……信頼の証として受け取っておこうか」

「そう解釈してくれるのならあたしも嬉しい限りだ」


 からからと笑うエルナにクレインが心底驚いた様子で振り向いた。


 特に反応を予想していたわけではないクレインであったが、エルナの答えはあまりにも想定外なものだ。


 一方でエルナはそんなクレインの様子に、楽しそうな笑みを浮かべてみせる。


「それはなによりだ」


 そうしてクレインもまた楽しげに手綱を引き、樹海の外へと目指すのであった。

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