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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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七十七話 変わりもの

「無事、遭難する事無く樹海の国の首都に着いた事を祝いまして、乾杯!」

「乾杯」


 クレインとエルナの二人がゴツン、と杯を少し鈍い音で鳴らす。


 深緑の魔王とは一頻り雑談をしてから別れ、今は樹海の国特有の木造の店の一角で向かい合って座っていた。


 手にしている杯も木製で、満たされた透明な液体と氷が木目を揺らめかせている。


「遭難する恐れがあったのかよ」


 杯に口をつけるよりも先に、クレインの音頭に半眼を差し向ける。


 完全とまでは行かなくてもそれなりに整備された道だったのだ。エルナから見ても流石に馬車で道を外れるようには思えない。


「確かに木々の伐採とかはしているが、苔にせよ草花にせよ急速に育つ事があるからな。ぱっと見、どちらが道なのか分からない、という事も少なくない」


 道草を食わなければ大丈夫。


 というわけではないようだ。なにせ、他国である農商国家の兵士が救助の為に常駐しているのだから、相応の件数が発生しているわけである。


 その中には馬車で遭難というケースも、決して珍しいものではないからこその音頭だったのだろう。


 ではこんなところに馬車で来る人物達は誰かと言えば、その多くは商人の類である事が想像される。そんな彼らがこんな場所で無謀や無茶をするだろうか。


 なにかの商機があればするかもしれないが、果たしてこの国でその機会が多いだろうか。


 要するところ、普通に遭難するというわけである。


 クレインの補足により、その辺りまで想像が及んだらしいエルナが、僅かに表情を強張らせて器の中身を今更募る不安と一緒に呷った。


 すると、どうだろうか。


 見る間にその表情が溶けるように柔らかいものへと変わっていった。


 杯の中の氷こそ変わらぬ中、先ほどまでの影など微塵もないエルナが目を瞬かせる。


「な、なんだこれ……」


 中身は間違いなく酒であるのだが、エルナが今まで味わった事のないものだった。というよりも、果たして今後自分が飲む機会があるのだろうか、というほどに上品さを感じる代物である。


 クレインはと言えば驚いた様子だが、これを知っているようで感心をしていた。


「『朝霧の一滴』か……相変わらず見事としか言いようがないな」


 仄かな甘みとすっきりとした味わい。くどさなども一切なく、このような酒が存在するのか、と唸ってしまうほどだ。


 そしてクレインが飲むまで気づいていないとおり、これは注文して出されたものではないのだから、エルナをより一層驚かしている。


「……なあ、この国の話を聞いた時に、なんでこれがいの一番に上がらなかったんだ?」

「そうは言っても生産量も少なく、大して出回っていないものだからな。俺も飲むのはこれで二度目だ。金を積んだからといって口にできるものではない」

「え? でもこれサービスで出されたんだよな? おかしくないか?」

「……そういえばそうだな」


 エルナの疑問にクレインも顔をしかめた。思いがけず美酒を味わえた喜びと驚きからか、すっかり失念していたようだ。


 もしや深緑の魔王が裏で手を回したのだろうか、とクレインが疑い始めた頃、皿を持ってきた店員が笑いながら説明をする。


「製造法が確立されつつあるんですよ。もう何年かすれば流通させられるんだそうで、今は広める為に他国から来られた方々に一杯サービスしているんです。まだ注文は受けられないんですけどね」

「へえ。ていうかあたし達が国外の人ってそんな簡単に分かるものなんだ……関所もなかったし、そういう身分証があるわけでもないし」

「手続きとかはないが、ある程度この樹海地帯に出入りできそうな場所は監視されているからな。ただまあここの店に関しては……」


 クレインがチラリと店員に視線を移すと、満面の笑みが向けられていた。


「いやはや、まさか他国の魔王である荒ぶる魔王様にご贔屓頂けるとは幸せな事ですよ」

「……顔を覚えられているのならまだしも、魔王である事まで知られてるってどうしたらそうなるんだ」

「いや、別に触れて回ったりしていないはずなんだが……」

「農商国家の土産を持ってミシャ様のところに訪ねられたりしていますからね。何度か見た事がある人は気づいていると思いますよ」

「何度もやっているのか……」

「いつも手ぶらの無断で来るのは失礼だからな」

「話の焦点はそこじゃないんだけど。ああでもそれでなんか納得できたのが憎い」


 情報としてのみ得ていたクレインの行動が眼前で実証されていく。


 そしてその事態への理解が早くなっている状況に、エルナは苦悶の表情を浮かべるのだった。無論、彼女の言葉通りの感情もあるのだが、この気持ちや環境を一身に受け続けている人物を偲ぶ気持ちが大きいのだ。


 そろそろカインに対するエルナの気持ちは、不憫や哀れみ以外が消滅しそうである。


「なにもそこまで苦しそうな顔をしなくても。そら、料理が来たんだ。存分に味わえ」

「元凶がよくもまあそんな台詞を……ってなんだこれっ」


 テーブルに置かれた湯気を立ち昇らせる鍋にエルナが目を丸くした。


 見た事のない様々なキノコがところ狭しと敷き詰められている。それだけならばただの凄いキノコ鍋だが、やたら彩度の高いとても食用に見えないキノコがちらほら。というよりも毒キノコ鍋にしか見えない姿だ。


 おまけに鍋の汁は白濁としていて、浸かっている部分のキノコを視認する事もできない。具の種類もそうだがスープのほうにしても、エルナには酷く馴染みのない代物であった。


「これ、あたしが食べても平気なのか? 種族が違うの分かっているか?」

「問題なのか? あちらで見た図鑑ではエルナのところでも食用とされていたはずだが」

「図鑑……いつの間に。それなら安心、と言いたいけども別のキノコと混同してなければいいんだけどなぁ」


 南の大陸ではキノコの専門家でさえ間違える事があるのだ。多少の知識を持った程度では、山のキノコを食すのに一切の油断はできないもの。


 そして北の大陸とて間々ある話だった。


 しかしそれ自体はエルナにとってさして重要ではない。一番の問題はクレインには前科があるという事だからである。


 曰く、北では食すのになにも問題はないが、南においては生息地域の違いにより毒性を持っているのだろう、と結論づけた一件。体が痺れて一日をベッドの上で過ごしたあの事件だ。


 それとてエルナは単純に似たキノコというだけで、識別を誤ったのではと今でも疑っている。


「あ、種族によっては毒性を感じられる方もいらっしゃいますよ」

「おい、お前」

「いや待て俺も初耳だ。というかそんなものを平然とメニューしているとか思わないだろ」


 そこへ丁度やってきた店員の言葉に、クレインも顔をしかめて驚く。どうやら本当に知らなかったようだ。


 そして二つの視線が店員へと向けられるものの、特に申し訳なさそうなうにするでもなく、補足の説明を付け加える。


「ちゃんと解毒薬も加えて作られていますので、これで中毒症状を起こした方はいませんからね?」

「それは料理としてどうなんだろう」

「本末転倒な気はするな」

「ですがこちらの荒ぶる魔王様が絶賛して下さっているとおり、味には自信がありますので是非堪能していって下さい」

「……色んな意味で怖いなぁ」


 恐る恐るといった様子で一つのキノコを掬う。濃い茶色と地味なものである。


 無論、地味なキノコに毒はない、などという事はないが、それでも心理としてはそちらのほうが無難そうだと思うもの。


 そして意を決して口にしたエルナが目を見開いた。


「こ……」

「こ?」

「怖いぐらいに美味しい……」

「それはどっちの意味なんだろうなぁ」


 あまりに美味しいからか。はたまた逆に美味しいからこそ毒性の不安を思うからか。


「まあさっきは驚いたが、この店で食中毒があったとは聞いた事がないし、話のとおり対策はされているんだろう。そうビクビクしなくてもいい、と思う」

「そういう事を言うのなら、最後まで自信を持って言い切ってもらいたいな」

「どうにしているとか事情は知らないから無理だ」

「……だろうな」


 なんとも勝手なフォローに、エルナは顔をしかめながらも更に一口食べる。


 ああは言ったものの、肉厚で弾力のあるキノコは本当に美味なものであった。


 あまり香りが強くないものの、よく汁を吸った傘は噛む度に鍋とキノコの味が口の中に広がっていく。この二つの味がまたよく合うのだ。


「この味……豆乳、か?」

「こっちでは女性に人気だから頼んでみたが、あまり好みではなかったか?」

「いや、それは問題ないんだけども、こうしたものに使うのは珍しいから、初め下手物かと思った」

「分からないでもないが、流石にそんなものをすすめたりはしないだろ」

「それだけ衝撃的だったんだよ」


 その後はエルナの食べるペースが格段に上がっていき、少しずつキノコの山も減り始めた。一応は安全だと認識できたのだろう。


 その様子を見て、クレインは満足げに頷くと同じく鍋を突き始めた。


 少し早い時間なのもあって、まだまだ店内の客は少なく、静かでゆったりとした時間が流れている。


 しばしの間、二人は無言のまま舌鼓を打って鍋を堪能するのであった。



「はあ……食べたなぁ」


 食事のあと、あの来た道を戻るという軽い運動を経て、馬車を留めてある宿屋に戻ってきた。


 そして部屋に入るなり、ボフンとベッドに飛び込む始末である。


 ここしばらくで見慣れた懐かしい光景であった。


「エルナ、少しいいだろうか?」

「構わないけども、そう改まられると怖いな」

「別にきつい事を言うつもりは……いや、エルナにとってはそうかもしれないな」

「怖いなぁ……それで?」

「……まだ自分を責めているのだろう?」


 今までの談笑とは打って変わって、静かにそう問われた。


 それもまるでただ事実として確認するような雰囲気で。


「よくもまあそう目ざとく気づくもんだ」

「これでも数ヶ月を共に旅をしてきたからな。それにエルナは自分が思っているほどポーカーフェイスではない。深緑の魔王と遭遇する直前なんかは、かなり分かりやすかったと思うぞ」

「ご忠告どうも。それならそれでなんで聞くんだよ」

「一応な。決め付けだけで物事考えるわけにもいかないだろう」

「……手を差し伸べでもしてくれるつもりか?」

「それでは意味がない。違うか?」

「ああ。分かっているしそんなものを求めるつもりもないよ」


 ならば何故、踏み込もうとしたのか。ただの今後の気遣いの為か?


 もっとも、この荒ぶる魔王クレイン・エンダーにはそんな配慮があるとは思えない。


 いやあるのだろうが、きっと間違った方向性でされるのだろう。


 そんな考えを抱きながら、エルナはクレインの言葉を静かに待つ。


「南の大陸の事も立場の事も分かっている。そしてエルナが背負い続けようとしているものも。だが、それは必ずしもエルナが背負わなくてはいけないものではないし、誰かが背負わなければ終わってしまうというものでもない」

「……きっつい事を簡単に言ってくれるな」

「自責する気持ちが分からないわけではない。同じ、とまでは言わないが、近しいものは俺も背負っている。自覚していないだけで、きっとまだ降ろしてもいない」

「……」


 エルナの無言での返答。


 クレインが起こした数々の出来事。その動機などを含めて、まだまだ詳しく知らない事が多い。


 ただ、成そうとした、成したかったものがなんなのか。おぼろげならも、その形をエルナは感じ取る事ができた。クレインの言うとおり、互いに近しいのだろう。


「だからこそはっきりと言ってやる。もしも、本当に誰かがその役目を負わなければ、エルナがその立場であらねば崩れるような世界ならば……とうの昔に滅んでいるし、今頃その未来へ向けて一直線に様変わりしているだろう。それほど急速に事態が変わるほど切迫した状態だったか? 他にエルナと同じ方向を向いている者は誰もいなかったか?」

「……自分は降ろしもしないで、あたしにはそう言うんだな」

「俺はまだ背負うのに疲れていない。なにせ、重たいほうをカインに押し付けているからな」


 それは正しくない言葉であった。


 己に圧しかかり、潰そうとするそれを決してカインに渡した事などない。


 エルナでさえ既に気づいているほどに見れば分かるものだ。


「だからまあ……なんだという事もない。結局、どうありたいかはエルナが決める問題だから俺の希望を言ったところでな。ただそれならそれでここにいる間は、全て忘れて旅を楽しめ」

「……正直、そういう話になるとは思わなかったな。もう止めるんだ、ぐらいの事を言われるかと身構えたんだけど」

「それで降ろすぐらいだったら、お互い何時までも背負ってはいないさ」


 それに、と付け加え、


「一度、振り返ってみるのもいいんじゃないか。このまま進むにしても、どう進んでいくのか。方向はそのままでいいのか。一度も迷わず辿り着ける者なんていやしない。エルナも話として知っているとおりにな」


 彷徨い続けて今がある人物がそう告げるのだった。もしかしたら今でも迷っているのかもしれない。


 詳細はまだ知らないものの、その言葉の重みを感じ取るには十分である。


「……」


 無言のエルナだが、ふっと口元を緩ませた。


「そうだな……しばらくはそうするか」


 柔らかい笑みを浮かべてみせる。


 クレインの言葉になにを思ったのだろうか。


 どんな心境の変化を与えただろうか。


 少なくとも、エルナを縛るものが、その肩にあるものが和らいだ様に見えるのだった。

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