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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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七十六話 木々深き国

 眼前に広がるのは深い緑の壁であった。


 右から左まで、一体どれほど続いているのか。


 もしかしたらこの先の土地はこの緑に飲み込まれてしまっているのでは。そう思わされる光景である。


 北の大陸において東の果てに位置する樹海の国。その国土が、というよりも一帯の樹海の地域を国土としている。


 農商国家と比べたら広さそのものはそれほど大きくはなく、なんとか中堅といったところ。もっとも樹海が国というそもそもの在り方が異なっており、規模などはあまり注視されない地だ。


「なんていうか……凄いというよりやばいな、これ」


 そして初めての来訪であるエルナは、大抵の来訪者が抱く感想を口にするのだった。


 緑の壁が近づくにつれ、その木々の高さも明確になってくる。そう範囲もさることながら、縦にも長いのがここの特徴である。


 そしてその姿を見て行き着く思考は大体同じで、エルナが戦慄したように遭難のイメージが頭を埋め尽くしていた。


「実際のところ、外から来る者でそういうのはよくある。今はうちの有翼種の兵士が駐在して遭難者の探索任務を請け負っているよ」

「やっぱり多発するんだ」

「正直、俺も飛べなかったら仲間入りしているな」

「魔王が遭難……」

「外から見てこれだぞ。立ち入ったら……そういう事だ」


 クレインが苦々しい表情を作る。


 なんて事はない。ただの一度とは言え、樹海の国の中で空を飛ぶのを禁じてみたのだ。


 その結果は散々なものであったようで、それをクレインの様子が克明に物語っている。


 彼をもってしても二度とこんなマネはするまい、と決意させるほどの事であった。


「それにしても、この国って生活は不便じゃないのか?」

「慣れれば都とは言うが……」

「言わない。あ、いや北じゃ言うのか……?」

「かなり人を選ぶだろうな。俺は悪くないとは思うが、進んでここを選択するかと言われると……」


 言葉を濁した、というよりはどちらであるかを決めあぐねているといった様子。


 しかし、それほど微妙なラインというのも、魅力的な土地ではないと明言しているようなものである。


「迷うんだ」

「この国迷うし……」

「遭難を迷うと言うのはマイルドに言いすぎじゃないか?」


 そんな談笑を続けていると周囲がふっと暗くなる。樹海の国の領域に足を踏み入れたようだ。


 外から見たとおり、日の光はあっという間に木々に遮られ、だが周囲こそ鬱蒼とした森のような薄暗さであるものの、多少は整備されている道の周りはそれなりの明るさが保たれている。木々にしても相応の手入れがされているのだろう。


 逆に言えば道を外れてその闇を進もうものなら、めでたく命知らずの勲章を与えられ、農商国家の兵士にお世話になるのだ。なんとも紙一重な国である。


「そういえば兵士を派遣しているとか言っていたな。なにか見返りがあるのか?」

「一応な。この森に生息するある生物を無償で貸し出ししてもらっている」

「……なんか凄い穏やかじゃない話題な気がする」

「その生き物自体は平和なものだ。いや、我々に平和をもたらす存在だ。毎年、寄越してもらった彼らを崇めている」


 一体どんな冗談なのやら。


 しかしその声音は真面目そのもので、本心からの言葉であるのを疑わせない雰囲気をかもし出している。


 果たしてこれ以上触れていいものか。


 なにか底知れない恐ろしさを内包している気がして、エルナは話題を逸らそうと試みる。


「ここにはどれぐらい滞在するんだ?」

「いや、中を通って北に向かうというだけで、あまりのんびりはしないつもりだ」

「あたしは構わないけども、なんか珍しいな」

「どうせ飽きるさ。観光にしてもこうして馬車で移動するだけで十分だ。これ以上はよほど深くまで行かないとならないしな」


 つまりは間違いなく遭難するという事であった。無論、クレインがいるのだからそれほど危険はないのだが、行くのを避けるというのなら奥地にはそれほど見る価値もないのかもしれない。


 娯楽も観光名所も乏しい。そもそもなにを国外に輸出しているのだろうか。


 件の生物がその一つなのだろうが、エルナの中にある国というものの姿のイメージがガラガラと崩れる思いである。


「……なんていうか凄い国だな」

「実際のところは誰も手をつけていないし、誰からも欲されず、という事から建国を宣言してとおった感じだな」

「へえ……この木々だけでも利用価値はあったんじゃないか?」

「少なくともその当時はそれほど魅力的ではなかったんだろうな。いや、わざわざこんなところから木材を調達したいほど困っている国は今でもないか」

「……なんとなく見た目から感じてはいたけども、本当に僻地の国なんだな」


 樹海の入り口も随分と遠くなった。


 依然として、ある程度の明るさは保たれており、目が慣れた事もあってそれほどの薄暗く感じる事はない。だが、外の明るさを思い出してみると、これから先ずっとこの調子というのは、どこか未開の地のようなイメージを抱いてしまう。


「この国でそれを気にしている者はいないが、あまり口にするんじゃないぞ?」

「そりゃあ人前では言わないけどもさ。世界の端のほうでこの樹海そのものが国、か。北の大陸は変わっているなぁ」



「……変わっているなぁ」


 再度その言葉を発したのは幾度となく太陽と月が巡った後の事である。


 中継地点と言うべきか、あるいは村か、町と呼んでいいものか。そうした場所を巡りつつ、クレイン曰く樹海の国の中心地とやらにやってきた。


 そう、きたのはいいのだが道中と同じく木造の建物ばかりで、中には木の上に家があるのも珍しくない。立場的には樹海の国の都会だというのに。


 更に言えば当然ここにも魔王はいるのだが、当然ここには城なんてものはない。


 あるのは中々大きく立派な木造の屋敷である。


「……村の族長の屋敷」

「しっ! それは流石に気にしている奴がいるから止めてやれ!」


 エルナの中で頭を抱えて悩める人物の姿が浮かんでいく。


 きっとそれが樹海の国の魔王なのだろう。中々不憫な様子である。


 と考えるだけならばタダと言わんばかりに、失礼なイメージ像を作り上げた。


「とりあえずここで一泊して次に向かうからな。食事は例の鍋物の店にしようか」

「例の……ああ、うん。きっと美味しいんだろうね」


 馬車を止めるクレインの提案にどこか浮かない様子のエルナ。


 例のエルフが営むという店だが問題はそこではなく、もはやエルフという存在であるのだった。


「……なあ、エルフって店を持ちすぎじゃないか?」

「俺に言われても詳しくないんだがな。ただ人口比的にはそれほどおかしくないんじゃないか?」


 山菜やキノコ類の食料品店。ここでの鍋物の店に限らず、各地でエルフが営む料理屋。他にも弓など道具を扱う店。


 といった具合で、そこかしこでエルフ達は働いているのだった。


 だが、特別エルフばかり、というわけでもなく。一つの店に他の種族の者も勤めているところは珍しくもない。


 要するにエルナによる、エルフへの期待とそのフィルターによってだいぶ脚色されているのだ。そしてそれがカウンターとなって、彼女の幻想や思い描いた人物像ならぬ種族像を打ち砕きにくるのだから性質が悪い。


「だから言っただろう」

「現実はクソッたれだ……」

「女性がクソッたれとか言わない」


 ただでさえこれから食事だというのに。


 と言外ににおわす視線がエルナに突き刺さる。


 流石に口が悪かったと自覚があるのか、エルナがしゅんとしながらクレインの後をついて歩く。


「因みに店はあそこだ。あの赤い屋根の店が見えるか?」

「……遠っ」


 この時点でそれなりに歩いた気がするが、クレインが示す目的地は更に離れた場所にあった。


 流石は首都というべきか。そこは随分と広く作られているようだ。


「歩いていればすぐだ。ただでさえ馬車旅で体も鈍っているだろうし丁度いいだろ?」

「そういう事を言うのならあとで剣の手合わせを頼むからな」

「……そこまで自発的に稽古を求められるというのも新鮮だな」

「そうだろうけども認識を改めてくれ。あたしだって、何時までもお前を宿敵とする自分のままじゃない」


 色々と思うところのある過去。


 エルナは苦々しく、だがどこか楽しそうな表情をした。


 しかしそれも束の間ですぐ僅かに表情を曇らせた。


「エル……」

「お、なんだ来ていたのか」


 クレインの言葉を明るい声が遮る。


 活気のあるその音のほうへと二人が視線を送ると一人の女性が立っていた。


 茶や緑の色で染められた衣服を身につけ、その背には弓がその姿を覗かせている。


 手をひらひらと振りながらこちらに向かってきていたが、エルナと視線が合うとピタリと動きが止まった。


「……同行者?」

「ああ、見てのとおりだ」


 樹海の国の魔王。深緑の魔王ミシャ・ブライトシャフトが目を丸くして、深く息を吐きながら声を漏らす。


「驚いたな……お前が農産物や側近以外を連れているのは初めて見た」

「目を見開く事か」

「農産物を連れているってどういう事だよお前……」

「手土産だ」

「……だとしても普通、そう表現されはしないだろ」


 エルナとてクレインの所業の全てを知っているわけではない。


 だがその一部が必ずここにあるのだろう、と早くも呆れた眼差しをクレインに向けるのだった。


「ぷ、はははっ。随分と親しそうな子じゃない」

「あー……彼女は例の人間のエルナ・フェッセルだ。こっちはこの国の魔王こと深緑の魔王ミシャ・ブライトシャフト」

「え!? 魔王様!?」

「へー、この子があの?」


 妙なタイミングになってしまったからか、ばつが悪そうにクレインが紹介すると二人が同時に声を上げる。


「……ちょっと待て。魔王、様?」

「いやだって国の王だろ? あ、お前は別枠だからな」

「なんていうか、あんたの事をしっかり理解してるじゃん。人間でもちゃんと分かるっていうのは、ちょっと感動を覚えるなぁ」

「……俺一人で二人相手しているような状態だから、そういう不要な冷やかしはやめてくれ」

「じゃあ必要性があればいいのか。ふーん?」

「冷やかしにそんなものはねえ」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる深緑の魔王に、クレインが苦虫を噛み潰した顔で答える。


 だがそんなものなどお構いなし、といった様子で深緑の魔王は続けた。


「いやいやー、いくら色々と重要性のある子とはいえ、こうしてお忍びで旅行とはねえ……人間って結構短命って話だよね? 大丈夫? ダブルスコアじゃきかないんじゃない?」

「……うん? え? あたしそういう扱い?」

「お前も乗るな」


 わざとらしく口元を手で覆うエルナに、クレインの表情はより一層険しさを増した。さも、普段そんな仕草などしないだろうが、と言わんばかりに睨みつけて。


「こういう事を言われるだろうから、とっととこの国は抜けたかったんだ」

「じゃあなんでわざわざ来たんだよ」

「……ここの鍋が美味いし」


 僅かな間があったものの、目を逸らす事なくそう言い放った。


 言うのを躊躇ったわけではない。それを切り捨てられるかと自答したのだろう。


 そしてその決断がこれである。臆する様子もなく堂々としたものだ。


「エルナ、ちゃん? 見て、これが王の姿よ。信じられる?」

「あたしは魔王とか王とかでなく、『こいつ』というカテゴリーで見るようにしてます」

「凄い。賢人だ。賢者がここにいる」

「……内容はともかく、打ち解けたようでなによりだよ」


 味方のいない孤立無援なクレインは、濁った瞳で二人を祝福する。


 この先なにがあるにせよ、知り合いが多いに越した事はない。


 なによりクレイン自身の立場は魔王。そうした力を持つ者を紹介でき、こうして繋がりを持っていれば、いざという時どれほど頼りになるというだろうか。


「まあなんにせよゆっくりしていきなよ。というか協議の前に旅行とか本当に人生舐めてるよなぁお前」

「そこまで言うか?」

「そりゃそうさ。と言ってもその子を連れているって事は今後に向けて色々と考えがあるんだろ。期待しているからな」

「あれ、そういえばあたし、というか人間がここにいるのになにも驚かれなかったな。南の大陸への接触禁止とかって解かれたのか? ひっそりと自由に行き来している?」

「まだだよ。でもまあ荒ぶる魔王だし、破ってなんぼのところがあるからね。はっ! まさか南の大陸に行って抱きかかえて飛んで連れて来たとか!」


 クレインに代わって答える深緑の魔王が、エルナに倣ってわざとらしく口元を手で覆う。


 だが彼女が予想した反応とは裏腹に、目を逸らしたクレインをエルナが険しい目つきで睨みつけるのであった。


「なんかあったの?」

「気にしないでくれ」


 実際はどうであったかと言えば。


 ロマンチックなど明後日の方向どころか、闇の世界へと追い立てられていたようなもので。


 エルナは単身、船を用いて海を渡り迷子になりつつ農商国家へ。クレインはと言えばその頃絶賛蒸発中。


 相手に限らずとてもでないが公言できる内容ではない。特に後者。


「……そっか。エルナちゃん、頑張れ」

「なにについてかは分かりませんが、こいつの場合は力むより受け流すほうがいいとは学びました」


 再び二人が親睦を深める中、クレインは視線を逸らし槍玉に上げられ糾弾されるのを耐えるのであった。

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