表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
82/185

七十五話 出発

 翌日。


 クレインの部屋では、相も変わらずしかめっ面で書類と格闘するクレイン。そして一風変わってエルナがカインの席で本を読んでいた。


「別に逃げ出したりしないぞ……?」

「念の為だってさ。今日はアニカさんも忙しいみたいだし、あたしも用はないからついででここにいるだけだ。気にせず勤労に励んでくれ」

「……というかカイン自身はどうしたんだ?」

「今後の事で色んな会議があるんだってさ」


 しばらくの間、完全にクレインの不在が決まったのだ。


 普段、それほど大した仕事をしていないとはいえ、空白期間をどうすべきかについて決める事も多く、いないならいないで非常に厄介なものである。


 しかし今日までならクレインがいるのだ。カインにせよその周囲にせよ、この日を逃す理由もなく、ひたすら分担と引継ぎについて朝から話し合っている。


「それにしてもアニカとも随分仲がいいようで」

「色々と気にかけてもらっているよ。申し訳ないぐらいだ。ってどうしたんだ?」


 先ほどまでの苦悶の表情はどこへやら、クレインが静かに微笑んでいるのだ。


 エルナにしてみれば、アニカとの関係についてそこまで嬉しがるものなのか、と不審にさえ思える。


「あいつも立場柄、男職場だからな。年齢差は……仕方ないにしても『若い』同性が身近で、親しく接してくれるのはアニカにとっても嬉しい事だろうと思ってな」

「……それだけ部下思いでカインさんにはなんであんななんだ」

「あいつは俺と地獄まで付き合うって言っちゃったからなぁ」


 似たニュアンスではあるが、果たして本質もそうであるのだろうか。


 随分と曲解された彼の意志が語られる。


「その割にはだいぶ納得されていないような……あと例えそうだとしても思いやりの有無は別だろ」

「なにはともあれ、お前も退屈しない生活が送れていたみたいだしなによりだ」

(こうやってカインさんは日々ストレスを溜め込んでいるんだろうなぁ)


 華麗なスルーっぷりに改めて不憫さを知る。


 心の中でさめざめと泣くエルナ。沸き起こる胸が締め付けられるような錯覚に、思わず手を当てるほどだ。


 そこで返すべきものの存在を思い出した。


「そうだ。あのペンダントを返さなくちゃな」

「別に高価なものでもないし、むしろ返されても困るんだが」

「そうぞんざいな言い方をされると、廃品を押し付けられた気分になるからやめて欲しいんだけど」


 飽くまで海の怪物避けの代物。しかし小洒落たペンダントという形をしているのだ。


 クレインなりにプレゼントの意思もあったのだろう。


 だが、それならそれで言葉を選んで欲しいものである。まるっきり不用品の物言いだ。


「とりあえずありがたく貰っておくよ」

「ああ、あの時の旅の記念にでもしてくれ」


 冗談交じりにそう言ったクレインは、はっとしたような顔をすると眉をひそめて何事か考えに耽り始める。


 しばしの長考をするも解決や納得には程遠いらしく、晴れぬ表情で恐る恐るといった様子でエルナに訊ねた。


「共に旅をした仲間達、というか友人がいただろう。一人で来たという事は……まさかあれを境に仲違いしたままなのか?」


 南の大陸での旅を思い返し、置き忘れてきた問題も思い出したのだろう。


 クレイン自身が起因しているだけに、非常にばつが悪そうな様子である。


「あー……その話か」

「……やはりそうなのか」


 悲しげに、そして困った様子のエルナにクレインもまた沈痛な面持ちをする。


 エルナの北の大陸への渡来。仲間二人の制止を振り切っての行動であったが、再会時にエルナを心配する二人の様子からして、その関係に深刻な傷が生じたとは到底思えない。


 ならばなにが影響したかと問えば、それはクレインの存在と言動に他ならないだろう。


 仲違いするほどの出来事が起こったとしたら、今のところ考えられる原因は十割クレインである。


 だが、そんなブルーな様子のクレインに、エルナは慌てて手を横に振って否定をした。


「ああいや、そういう事じゃないんだ。えっとだな、まず出会ったあとの事から説明すると、お前の読みどおり兵を借りていたみたいでさ。で、あたし達が上手くかわしてからはずっと二人で追っていたらしいんだ。どっかの町に寄っていたら追いつかれていたかもな」

「やはりそうだったか……」

「で、足取りも掴めないままあの森にある町まで到着して、そうしたら魔物の王は討たれた気配……魔物の姿は消えるし、しばらく周囲を捜索したけどもあたしは見つからないしで、国に戻ってみたらとっくに帰還しているし、と」

「少し申し訳ない事をしたな……それはそれとして肉薄されていたとは、恐ろしい奴らだな」

「当然だ。自慢の親友達だからな」


 エルナが誇らしげに胸を張る。だがそれも束の間で、すぐに背を丸めて大きく息を吐き出した。


「その分、追求が激しかったけどなぁ」


 純粋に彼らの立場からしてみれば謎しかないのだ。


 その渦中の人物が、親友がよく分からない経緯を経て無事にいる。となればあとはひたすら尋問の時間が生じるのも想像に難くない。


 結局、クレインは何者なのか。どういった状況だったのか。どうやって国に戻ったのかなどなど。それこそ一から十まで全てであったのだろう。


「悪かったな……」

「あたしもいざとなったら二人を欺くと決めたんだ。お前だけの所為じゃない。けど、今にしてみれば、無理にでも話し合いに持ち込んで事情を説明すればよかったと思っているよ」

「それで信じてその場が収まるのであればな」

「……脅されてそう言わされてる、て思うかぁ」


 それこそ当初の話に戻る。


 疑心の種などそうは払拭できない。


 エルナにしてもクレインは倒すべきである存在、南の大陸の魔王改め魔物の王と繋がりがある存在。その認識はクレインが自らの正体を語るまで信じていたぐらいだ。


「結局どの様に説明したんだ?」

「お前が言っていた設定にぼかし入れつつってところかな。二人もお前が位のある人物だった場合も想定していたから、ある程度は納得してもらえたよ。て、だいぶ話が逸れたな」


 どこまで話したか。


 そんな様子でエルナがしばし考えこみ、ようやく思い出した様子で続きを語り始める。


「それからしばらくして戦が始まり、兵として使われると察した二人は、国を出る事を提案してきたんだ。でも、話したとおりあたしは残るほうを選んだ。……二人とはそれっきりだが、何度かあたしを連れ出そうとするような動きは感じられたよ。多分、色々と裏でやってくれてたいたんだろうな」

「それさえも蹴って今に至る、か」

「……本当に二人には合わせる顔がないよ」


 自嘲気味にエルナが笑う。


 張った意地も貫き通せず逃げ出したんだ。今度こそ二人に愛想を尽かされているのだろう。


 そう思うと胸が締め付けられるような苦しさが込み上げる。


「そう思うのなら、次に会った時に心底から謝れ。エルナが意固地になって失敗するのは二人も十分に学んだはずだ。今回も案外またか、で済むんじゃないか?」

「楽観しすぎだろ。というか謝れってどの口が言うんだ」

「カインの前では口が裂けても言えないが今はいない」

「最低な大人だ……」

「俺の事はいい。お前を戦場から無理やりでも引っ張り出そうしていたのなら、むしろ自らの意思で逃げ出してくれてほっとしているぐらいだろう」

「……」


 諭すように語るクレインの言葉だが、エルナの顔は一層険しさを増すのであった。


 さて、何故そうなるか。


 エルナの様子にクレインもなにかを察した様子で、まさかといった表情をする。


「誰一人と一切を知らせずに来た、のか?」

「……」


 視線が泳ぐエルナ。


 どこか救いを求めるようにも見える。


 しかしそんなもの、どこに見出せると言うのか。


「動きが感じられたのなら、エルナの行動に合わせて動いていた……つまりお前の動向は探っていたはずだ。それが突然の失踪……行方不明か蒸発か。下手をしたらエルナがした説明はやっぱり嘘で、今度こそ攫われたぐらいに思われているかもしれないぞ」

「うああぁぁ……」


 力なく机に突っ伏す。墓穴も墓穴。


 もしも今まで変わらぬ関係でいられるのならばいくらでも謝りたい。そんな思いも今はどこに飛んでいってしまったのか。


 きっと許してくれるだろう。だが前回の比ではない追及のあとに。


 そんな心の声が聞こえてくると、会いたくない気持ちが思考を埋めていく。


「俺が言うのもなんだが、一人で殴りこみをしてからなにも成長して……」

「言うなぁ!」


 エルナの悲痛な叫びが部屋に響き、外の廊下まで漏れる。


 農商国家、その魔王城の長閑な午前の事だった。



「それでは行って来るぞ」


 翌朝、カインやアニカ、他多数の兵士達に見送られる中、クレインとエルナが乗った馬車が城を出発する。


 今回はそれなりに長旅という事もあり、大きさも含めて多少は豪華になった馬車を使っている。もっとも国の長である魔王を乗せるには、随分と質素である事に変わりはない。


 しかし、そこらの商人の馬車とは違い、整備も行き届いた代物。部品一つとて丁寧に作られている。カインとエルナが乗った馬車と同じく、多少の揺れこそあれど快適な旅が約束されているのだ。


「なんだかんだ言って、カインさんもちゃんと送り出してくれるんだな」

「それなりの事はしているからな」

「……」


 クレインの言葉に疑い以外のなにものでもない眼差しが送られる。


「……まるで悪さをして要求を呑ませたみたいな顔をするな」

「いやだって普通に考えたら良い意味には聞こえないだろ」


 今までの前科があまりにも多い人物の発言であるのだ。


 それでいて今の言葉をそのままプラスに捉えたのなら、頭か耳の病気であるといわざるを得ない。


「全く、誰が根の葉もない話をエルナに吹き込んだのやら」

「そーだな。暴風にも負けない大樹に育てた誰かのお陰だなー」


 さもあらぬ噂を吹聴された被害者を装う。全ては己が撒いた種のはずだが、よくもそんな態度が取れるものだ。


 むしろ魔王たるもの、この程度の図太さは持って然るべきなのかもしれない。


 そんな他の名だたる魔王が聞いたら、待ったの声が上がりそうな解釈をエルナがする間も、馬車は小さく揺れながら前へ前へと進んでいく。


 目指すは東の方角らしく、エルナも遠目に見た事しかないその方角の門が迫ってくる。


 だが方角が分かったところで、行き先などエルナに分かるはずもなかった。なにせ北の大陸の地理など欠片ほどにしか知らないまま。当然と言えばそのとおりである。


 ともすればエルナの前にあるのは、知らずに向かい新鮮さを味わうか、今ある好奇心を優先させるか。その選択だ。


 どちらも旅の醍醐味である。故にしばし沈黙して悩み、その末に選んだのは、


「なあ……ク……」


 後者のようだが訊ねようとしたエルナの言葉が詰まる。


 それでもなんとか言葉を搾り出そうと苦悶の表情を浮かべた。


 一体なにを言われるのやら。


 チラリとエルナを見たクレインははらはらとした気持ちで、だが口を挟まずに待っていると、


「ク……ぅぅ~~クソッ!」


 ついぞ出た言葉は罵倒であった。


「……失礼を承知で言うが、腹でも下したか? 一旦戻るか?」

「おま、お前! ほんとそういうデリカシーがなあ!」

「どこまで理不尽なんだよ! そんな苦しそうに呻かれて、こっちに残された選択肢などセクハラ内容だぞ!?」


 女性特有のそれなのか、と。


 だが南の大陸で旅をしてきた時はこういった様子はなかったのだ。なにかしら薬を服用していたのか、所謂軽いほうなのか。


 その手の話題を口にする不適切さも考慮し、こうして腹部の体調不良を疑ったわけだが、見事にエルナの罵声で返されたのである。


「一体どうしたんだ」

「……お前が悪いんだからな」

「この数日ほんと冤罪まがいが多すぎないか……? 少なくとも今のエルナに対して心当たりもなにも、という状況なんだが本当に俺の所為なのか?」

「……八割ぐらい」

「ほお?」

「……六、割?」

「半分以上は俺、と?」

「……三割?」

「それ、絶対に俺が原因ではないだろ」


 語気が弱くなる中、下方修正がなされ続ける責任に、流石のクレインも眉をしかめてエルナを睨みつける。


 半ば言いがかりでもあるのか、当の本人は気まずそうに視線を逸らした。


「怒りはしないから正直に話してくれ。見当すらもつかない」

「……敵のように演じられてあたしもそれを信じて……散々、お前呼ばわりしてきたからその……今更名前を呼ぶのが、気後れして……」


 細々と語るエルナに、クレインは目を丸くして驚いた。


「意外と繊細な」

「悪かったな!」

「いや、可愛らしいじゃないか。だがそれなら姓のエンダーで呼べばいいだろう。それすら駄目か?」

「……それ、お前の周りにいないから言い辛いし」

「繊細でなく面倒臭いほうだったか」

「はぁっ?」


 エルナが目を見開いて、風をも切る速さで首をクレインのほうへと向ける。よほどその言葉に不服だったのろう。


 しかしクレインはエルナの反応を気に留める様子もなく、前を見据えて事も無げに口を開いた。


「今更呼び方一つでどうこう言う間じゃないだろう。好きに呼んだらいい」


 なんの他意もない。ただクレインの中にあるエルナへの信頼そのもの、それが言葉として形になっただけである。


 その関係とて、エルナは殺意を抱き続けて接してきた歪なものだった。


 だがそれでも尚、当たり前のように言われた言葉に、エルナは驚いた様子だが、次第に開いた口が閉じていく。


 ガタゴトと、馬車の小さな揺れに合わせてエルナの身体も左右に揺れる。体をその振動に預け、静かに目を伏せた。まるでなにかの余韻を楽しみように。


 幾度往復しただろうか。


 ゆっくりと目を開いたエルナは、チラリとクレインを見やった。


「それじゃあ職務放棄」

「よし、前言について訂正しようか。好きなようには呼ぶな」

「じゃあ怠慢」

「代案の割りに大差ないだろ」

「うーん……脱走者とか放蕩とか?」

「否定し辛いところを突くのはやめてくれ」

「自覚はあるのか」

「だけならな」

「最低な大人だ」


 ガタゴトと馬車が小さく揺れる。


 そこから漏れる談笑は、その後もしばらく途切れる事無く続いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ