七話 港町
停泊地から東、いくつもの丘が続く土地ではあるものの、穏やかなものである。唯一の難点はその土地柄故に街道もなく、平穏の時代でもなければ人の往来が殆どない事だろう。
勇者と魔王の二人きりの旅が始まり早三日。オートミールや小麦粉で作られた携帯食料を食しながらの旅路であった。エルナにとって携帯食料と言えば、燻製や乾燥させたものが多かった事もあり、クレインからこれらを渡された時は、酷く驚いたものである。
とても固めのクッキーのような物だが、どっしりとした食感で少量ながらも満足感がある。アーモンドやドライフルーツ等が混ざられていたり、生地そのものに果汁やチョコが練られた物があったりと、とても美味しい上に味のバリエーションも多いときたものだ。
この携帯食料との出会いは幸か不幸か、エルナが思わず間食してしまい、クレインに咎められる結果となった。
「まったく……こんなにも卑しい奴だとは。余裕があるとは言え、無駄に食して問題がないわけじゃないぞ。我慢できんのか」
「ま、まだ言うのか。悪かったって言っただろ」
「どうだかな。言う割には随分と取り出しやすい所に忍ばせているではないか」
流石に数が減れば誤魔化せない。これ以上の失態を重ねるつもりはないものの、つい手の届くところに仕舞っておいたエルナ。完全に本心を見透かされており、反論もできずに悔しそうにクレインを睨みつけるしかなかった。
「それで、最寄の町まではあとどのくらいなのだ?」
「……この丘を越えたらすぐだ」
「なに?」
やれやれといった様子だったクレインは、驚いた顔でエルナに振り返った。船の停泊した地点より丸二日といったところなのだから当然の事である。
「本当に大丈夫なのだろうな?」
「だからこんな所を歩いていく人はいないって。海岸沿いだって岩場が多いし」
「いや待て、あの近辺で漁をする船もいないのだろうな?」
「そんな事まであたしが知っているわけないだろ」
「あっ」
クレインは更に目を見開いて大口を開けて固まった。上陸に際して、エルナが平然と語った事で、熟知していると勘違いしていたのだ。
そんな様子にエルナは内心ほくそ笑んでいた。実際のところは、景観保護を目的に停泊した地点周辺での漁業を禁止されており、その事もエルナは知っているのだが、せめてもの意趣返しと知らぬ振りを決め込んでいる。
「祈るしか、ないのか」
眉間に連なる山脈を築くクレインは、呻くように苦渋の言葉を搾り出す。エルナからしてみれば、初めてクレインが弱る姿を見る事ができたのだ。思わず噴出しそうになるのを必死に堪えつつ、悟られまいと歩く速度を緩めて自身を死角へと隠すのだった。
丘を越えた先には、エルナの言うとおり港町が広がっていた。大小様々な家が立ち並び、港にはいくつもの船の姿を見受けられる。海上には港を出て行く船や戻ってくる船の姿もあり、活気に満ちた町である事が窺える。
いざ、町へと入ってみれば石畳の美しい通りは人々で賑わい、これから祭りでもあるのではないかと思わされるほどであった。
「これは……凄いな」
「そりゃそうさ。ここはこの国でも最大の港だからね。漁船は勿論、商船も多いから色んな物が集まるのさ」
素直にそう呟いたクレインに、エルナはしたり顔で説明を始める。特に彼女自身が関係している町ではないものの、敵とは言え自分達の住む世界が認められた事で自慢げになっているのだ。
「物流の中心地か。納得の活気というわけだ。国の中心地も近いのだろうか?」
「あー城は結構内陸だ。馬車を使ってもそこそこかかるから、美味しい魚が食べたかったら、やっぱり港まで来るしかないんだよね」
「これだけ栄えているのにか。いや別の土地で栄えたからこそ、ここも開発して規模を広げていったのだな」
自問自答をし、一人で納得するクレイン。エルナはクレインから顔を背け、悲しそうでいて、嫌悪に満ちた表情を小さく作る。
(お前のそういうところ、大嫌いだ)
それらの言動がエルナに大きな誤解を与えたのだ。彼を認めてしまいそうに、好ましく思ってしまいそうになったのだ。
「そういえば……エルナはこの町から海を渡ったのか?」
クレインが思い出したかのように振り向き、エルナは慌てて眠たそうに欠伸をしてみせる。
クレインは僅かに眉をひそめるが、特に気にする事もなくエルナの言葉を待っていた。
「あーいや、ここよりもっと西の港だ」
「だとするとそこを通るにしてもだいぶ後だな。大丈夫なのか?」
「船は貰ったものだし、どの道こっちにないだろ」
「そうではない。共に旅をした仲間がまだその港にいるのではないのか?」
「えっ……」
一瞬、言葉に詰まる。何故その事をと動揺しかけたが、よくよく考えてみれば、話してはいるのだ。ただ、それを覚えていて、尚且つ魔王に配慮されるとは夢に思ってもみなかった。
「……魔王を連れて堂々と会いに行け、と?」
「素性を明かさなければいいだろう」
「お前についての言い訳を考える方がよっぽど面倒じゃないか……」
クレインは顎に手をやり、しばらく考える素振りをみせる。
魔王討伐に海を渡った者が、何者かと共に元の大陸に戻ってきている。それなりの日数もかかっている点を踏まえると、航海自体は成功したとすべきか。あるいは辿り着けず、合わす顔がなくて避けていたか。どちらにせよ、そこに辻褄が合うようにクレインの存在を差し込むとなると、エルナの言うとおり随分と厄介な話である。
「……いや、何て言ったらいいか……すまない」
これには自責の念があるのだろうか。大して暑くもないのだが、クレインの顔を汗が伝っていく。
「謝るくらいなら、って言いたいがそもそも負けたあたしが悪いんだ。お前に気にされるような事じゃない」
「だがそれでは……その時だけ別行動をするか?」
「その場で二人と別れる理由をどうするんだよ……」
どっちに転んでも厄介な話である。だからこそ、エルナは既に決めているのだ。
「だから二人とは会わない。というか不甲斐なくて合わす顔もないしなぁ……」
「まあ門番に負けたのだしな」
直前まで悪びれていたのに突如思わぬ追撃が放たれ、自嘲気味に半笑いをしたエルナの頬がピクリと震える。できるものなら今この場で切り伏せたい。そんな衝動が彼女の中を駆け巡る。
「……因みにその町はここに比べて規模はどのようなものだ」
「え? 規模って言われても、経済の事とかは知らないんだが……町の広さや活気って意味ならここよりはだいぶ小さいけども。それでも十分賑わっている場所だと思うぞ」
「それなりに人間もいるというのだな」
「そりゃまあ、隣の泉の国の領土だけど、その中でもそこそこ大きい港だし」
「であるにも関わらず、あのような船を提供するだけで、それ以上手を貸す者もいなかった、というわけか」
顎を上げて、嘲笑するかのように鼻で笑う。
「酷いものだな。その双肩に使命を背負った者だというのに。エルナは、本当にそんな者達を守りたいのか?」
まるで悪魔の囁きのように語りかけられたその言葉に、エルナは口角を僅かに上げ、真っ直ぐに見つめた。
「皆が皆、力を持っているわけじゃない。寧ろ、この時代を何とか生き抜くだけで精一杯の人の方が多い。確かに……余裕のあるところからも、ろくに支援をもらえない現状ではあるさ」
言葉とは裏腹にその瞳は悲壮や苦しみなど微塵も感じさせず、力強い輝きを放ちを放っている。
「それでも、守らなければいけない、守るべき人達が大勢いるのは変わらない。それに、形ばかりとは言えあたしは勇者だ。国では守りきれないからこそ、あたし達が必要とされている。その勇者が人々を守らずして誰が守るんだ」
「勇者、か……」
人々の希望であらん事を。胸を張り、誇らしげに語るエルナ。それは立派な事であり、見る者を勇気付ける姿であろう。だが、クレインの瞳にはそう映ってはいなかった。
(呪いの様な枷に見えるがな)
市場を見て回る頃には日も沈み始めており、今夜の寝床を探しに出た二人。場所が場所だけに美しい港が一望できる宿、にしたいところであったのだが、得てしてそういった場所に立つ宿屋は高いもの。路銀を節約する為にも建物が立ち並ぶ町の中にある、お世辞にも煌びやかとは言えない宿へと足を運ぶ事となった。
選んだ宿屋は食事のサービスこそないものの食堂を兼ねており、クレインはエルナに食堂の席を任せ、自分は部屋を取りにいこうとするのだから、エルナは露骨に不安げな表情をしたものである。
それに対して宿くらい問題なく取れると非難を受け、流石に見くびり過ぎた事を素直に反省したエルナ。だがすぐさま、魔王が宿屋に慣れているとまで誰が想定するんだ、と思い直して相変わらず不意打ちの多いクレインに、心ひそかにむくれるのだった。
そして今、二人の前に置かれた深めの大きな皿には、赤いスープに漬されたごろごろとした魚の身とじゃがいも、それにたまねぎやピーマンが入っている。一見辛そうにも見えるが、食欲をそそるその香りはトマト煮である事を確信させるものであった。
「それでは、我々の旅の第一歩。最初となる町に到着した事を祝いまして、乾杯っ」
「か、乾杯」
今まで散々、クレインの言動に振り回されてきたエルナだが、これまた思いがけない行動を取られ、明らかに困惑している様子のまま杯を鳴らした。
「もう……何なんだよお前」
とはいえいい加減、クレインの行動に疲れてきたのか、エルナは弱々しく呟くのだった。
「祝って何が悪いというのだ」
「ああもう、お前はそういう奴だよなっ」
多少なりとも、返答が予想できていたエルナだが、結果がそれと大差なかった事で、魔王のどうでもいい点について着々と理解してきている証明となってしまった。そうして湧き起こった軽い苛立ちを、払うように髪を軽く掻き毟る。
一方で何に苛立っているのか理解していないクレインは、エルナが大きな溜息をつくだけで、それ以上の誹りが飛んでくる様子でないのを確認すると、早々と料理に手を付け始めた。
「おお、いい味じゃないか。流石は港町、素晴らしい魚料理だな」
そこには最早、身分も何も存在しない。ただただ、料理に舌鼓を打つクレインと、乾いた笑いで飽きれるエルナの姿があった。
「お前はさあ……何がしたいんだよ」
「味の良し悪しを堪能する事に何の疑問があるというのだ。大体、何をそんな顔をして食事をしている。楽しみ、味わったらどうだ。食とは生命活動の一端であり最高の娯楽よ。そうは思わんか?」
だいぶずれた返答に、エルナは頭痛さえも感じそうになる。更に言えば、満喫する事を阻害しているのは、クレイン本人の存在が大きく影響しているものの、本人が発した内容は自身を棚に上げてのものなのだから尚の事である。
だが、それさえ抜きにすればクレインの言い分は最もであり、素直に肯定を示した。
「それはまあ、そうだけども」
「ならばお前は今、損をしているのだ。これほどの料理を、そう不満そうに食べてどうするというのだ」
少しであるものの、語気が強まっていくクレイン。その内、拳を握りしめ、高々と掲げて力説しそうな勢いである。
流石に本題に触れたかったエルナは、続く軽い苛立ちに拳を握り軽くテーブル叩く。思わぬ行動にクレインは先ほどの勢いもどこへやら、身を竦ませるまでに到る。
「そういう事を聞いているんじゃない。ただ観光して料理を楽しんで。お前は本当に魔王なんだよな?」
「ああ……なんだ、そんな事の話であったか」
強張らせた体から、力を抜いていき背もたれに重心をかけて、手を組んだ魔王はゆっくりと口を開いた。
「エルナも聞いての通り、周りの者が言うように私が魔王だ。それとこの旅の真意も知りたいのだろうが、エルナが気にしているような意味はない」
「……」
「少しでも私の力を見ただろう。人間が抗えると思うか? 正直なところ、勇者を捕らえたと各地に宣伝して回る必要もないのだ」
「……じゃああたしの存在を口実に観光しているとでも?」
怠けたいが為の行動ならば魔王側に少しでも支障が出るのだろう。そうであってくれればエルナにとって僅かながらの救いにもなる。
「そうなるな。だがまあ、私が多少不在にしたところで問題ないようにはしてあるがな」
僅かの救いもなかった。
何度、希望を見ては砕かれてきただろう、とエルナは軽く俯きがちに自身の学習能力の無さを呪う。
「一応の立場としてエルナは私の奴隷であるわけだが、その事で何かを強要するつもりはない。そして私は観光を楽しむつもりしかない。ある程度、路銀の準備が整えば、タダ飯タダ宿だ。エルナも楽しむといい」
「よく言うよ。あたしがどんだけ悔しい思いをしていると思っているんだ」
「なら、この旅の中で隙を狙うがいい」
思いもしなかった言葉に、エルナは目を見開いて驚いた。まさか自ら命を狙えばいいと言われるとは。それだけの力の差が有るとは言え、こうもおおっぴろにする内容ではない。
既に話は終わったと言わんばかりに、クレインは食事を再開し始めている。ここまで言われ放題で終わらすのも、癪に障るとエルナは冷ややかな笑みを浮かべてみせた。
「……偉そうな奴。今はあたしの所持金を当てにしてるくせに。ジゴロのくせに」
「う、ぐ……そ、そういう事を言うんじゃない」
表に出さないだけで、そこに負い目もあってか少し狼狽えるクレイン。打倒という目的では何の役にも立たないものの、こうして嫌がらせ程度でも仕返しができるのなら、魔王を理解するのも悪くないのかもしれない。
そう思いなおしたエルナは先ほどの苛立ちを払拭し、悪戯っぽく笑うのだった。