七十二話 再会は赤い色
「う、うわああ……」
エルナが呻く様に声を絞り出す。
あまり使われる事のない寂しい街道の真ん中。
エルナ達が乗って来た馬車が一台、ポツリとあるだけだ。
その中に勇者であるエルナ・フェッセルが一人。馬車を降りている側近ことカイン・エアーヴンが一人。そして頭から血を流し地面に倒れている彼の主君、荒ぶる魔王ことクレイン・エンダーが一人。
カインの手には無数の突起物により殺傷能力が高められた鈍器が握られており、真新しい赤い血が滴っている。
ほんの一瞬の出来事だった。
あまりにも素早く、なんと言っているのかも分からない詠唱を口にして馬車を飛び出すカイン。気づいた時にはその手に凶器があり、慌てふためくクレインの側頭部を捕らえたフルスイングが放たれたのだ。
遠心力を乗せた渾身の一撃は回避する暇も与えもせず。その結果がこの惨状である。
側近という、部下の立場でありながらの王への一撃。
話としては理解していたが、『稀によくある』日常を初めて見たエルナは、ただただ引いていた。
しかしそれは責められるような事でもなく、いたって当たり前の話。これまでどれほどの人々を同じ気持ちにしてきたか。
大半の目撃者が通った道を、今ようやく彼女も通っただけに過ぎなかった。
(どうなっているんだ……?)
重要そうな書物の整理がつくと、今度は日記のようなものを漁り始めたクレイン。
それ自体は特に問題ない。
問題なのはそれらの文章も写本ほどでないにしろ読めないものが多いのだ。
不思議に思い、かつて読み込んだ図鑑やサバイバルの手引き書を見れば、そちらはそちらで一部読めずにいる。
(……前後の文章から解釈したのか、あるいは絵からか。確かに全ては読めなかった覚えはあるが……こういう読めなさだっただろうか?)
先日と同じく古い文字や言葉が使われているのが原因だ。しかし現状の解読の状況を思うと、幼少であったあの当時、今読めない部分を何故把握できたのか、というほどには虫食いである。
むしろ難しい言葉があって分からない、という記憶だったはずだが、とクレインは首を傾げた。
(この植物の実の説明……確か毒について書かれていたはず。だが今の俺にはそれを文章として理解する事ができない。だけど確かにこの実には毒があると本で知った、はず。もしかしてクレアに教わった……? いや、だったら彼女に会う前に毒死していたな)
自身の事なのにまるで理解できない事態に、化かされでもしているのだろうかと疑わしく思う。
だがきっと違うのだろう。というよりもこれもまた自分に関わる秘密に繋がる。そんな確信めいた予感があるのだ。
それがなんであるのかは未だ欠片ほどにも分からないが。
(焦っても仕方がないな。今ある手札を読み解いて整理する事だけに集中するか)
改めて日記群を読み直す。分からない部分があるとは言え、全く読めないのではない。それに図鑑の内容よりかは前後から予想し易くもある。
だが核心に近づく為の情報はあまりにも乏しいものであった。正確には書物の量に対して得られる情報量がだ。
日々の日記であれば記録に近いものが多くもしやこれは、と思しき文章の羅列は読めず。情報収集も遅々として進まない状況である。
(この辺りのまるまる読めない文章は、恐らく魔法の研究に関する内容なのだろうな。文字を使い分けているのは、新しい文字にしっくりくる同義語ないからとかか? 専門的なものだし島全体に描くほどの代物。しかもこんなところで長々と研究していたんだ。この魔法自体一般的ではなかったのかもな)
亀の歩みながらも作業を進め、数日と経ちようやく集まった情報はと言えば幾ばくもなかった。本当に一握り、いや一つまみといったところ。
なんらかの事件を経て、部下達と共にこの島に隠れ住むようになった。それも事件の中核にいたのが著者本人であるという。
たったこれだけだ。
かけた時間の割にはあまりにも収穫が少ない。しかしこれとて、日記の中で時折挟まれる懺悔から当時の背景の破片を集め欠片にし、ようやく一つのピースとなるこの情報になったのだ。
クレインの求める真実まであと何手必要だというのだろうか。気の遠くなる話である。
(まあ、その分未読の本が減ったと思えばこそ、だな)
憂えても嘆いても仕方がない。一歩、あるいは半歩、はたまたつま先を少し出しただけの前進でも、良しとして前を向かざるを得ないのだ。
なによりこんなもの、ここでの暮らしの当初に比べたら序の口である。心が折れるにはまだまだ早い。
その意志を胸に本を抱え、奥の部屋へと向かい……膝を折った。
確かにこの数日、本の中身の確認は続けている。まだまだ本は残っている。つまりは情報が眠っている可能性は大いにあるのだ。
ただまだまだありすぎるのだ、本が。
それなりの数を調べたつもりのクレインだが、部屋の中にある本からすれば氷山の一角といったところだろう。途方もない量が手に取られるのを待っている。
(一人で探すのは止めたくなるな……)
この解読能力で今のペースなら何十日、何百日かかるだろうか。
それも読めない部分に真実が記されていたら、全部調べてなお辿りつけないのだ。
よほど分かる者を雇ったほうが、抽出できる情報も速度も段違いだろう。
「……」
本を片付けると外に出て、澄み渡る晴天の空を仰ぎ見る。
「俺が頑張る必要はないよな」
卑怯でもなんでもない。
戦略的撤退と適所適材。
王であった者として的確に冷静な判断をすると、これからの予定を頭の中で組み直していくのであった。
「一旦大陸に戻ってあの文字が読める人物でも探してくる」
「忙しないねぇ……」
来訪一番そう告げるクレインにクレアは呆れた様子である。
相談や話し合いではないただの報告であるあたり、クレインらしいと言えばそうであるが。
「折角戻ってきたんだし一ヶ月二ヶ月居たっていいじゃないか」
「今更ここで過ごしても、解読を除いたら大きな農園とか果樹園に挑戦したり、家を作ったりするぐらいしかやる事がないからな」
「規模を除いたら老後の内容じゃないの……」
「この島で若さのある活動そのものが困難だろうが。それに無闇に国から出ているのもまずいしな」
「……話を聞く限り既にだいぶまずいと思うし、穏便に国に戻れるようなやらかしに聞こえなかったんだけどもねぇ」
「いや職務とかじゃなくて、もしかすると客が来る可能性があって……まだすぐじゃないとは思うが」
「うーん、ツッコミどころが多い」
「それになにより……」
本題を話すようにクレインは一拍をおく。
その真面目な面持ちに、よほどの重大事かとクレアが佇まいを正すと、
「ここでの食事に飽きた……故郷の味だからと特に用意していなかったが、色々と調味料を持ってこなかったのは痛恨のミスだ……」
沈痛な面持ちに変わりそう語るのだった。
思わずクレアが冷たい視線を投げかける。
だがクレインにとってはあまりにも重要な事だ。
かつてここで暮らしていた時は一日を『生活する為の時間』に多く割いていた。道具の改造であったり食料の調達、調理法の研究などなど。多岐に渡るが生活の質の向上に励む日々であった。
今はどうだろうか。目的は本の解読。食料調達にかかる時間というコストは、成長した事で下がったものの、創意工夫をする時間はない。
結果、その当時に比べて食事の満足度は大きく下がっているのだ。おまけに今は少なからず舌が肥えたあと。受けるダメージはより一層深刻なものになっている。
「まー坊やがそう言うのなら止めないよ。だけどもう帰ってきたんだ。これからはちょくちょく顔を出すんだよ」
「目的は飽くまでここにあるからな。そのつもりだ」
「あと色々とお土産頂戴♪」
翼を動かし羽の先でお椀のような形を作りそのポーズを取る。
骨格的にそんな動きもできるのか、と相変わらずの器用さに感心しつつ、クレインは苦笑しながらも了承をした。
まずは、今の自分が欲している物でも持ってくるか。
既にそんな次の来訪を考えながら、クレインは本の簡単な写しを片手に空へと羽ばたいていく。
(とは言え、どの国から回ってみるか)
古代、と言うと大仰だが古い文字を専門とするなら何処に向かおうものか。
魔法陣も絡めた話であるならば当てがあるがまだその段階ではない。
というよりもあれを世に出していいものなのか。その判断がついていないのだ。
「カインに相談……嗚呼、ボコボコにされて監禁される未来しか浮かばん」
それ相応の行動を取ったのだ。不平は言うまい。
が、甘んじて受け入れたくもなく、むむむ……と唸り考える。
しかし他に良い案などあるだろうか? 自国を避けて情報収集をしたところで、きっとカインの耳にも自分の出没の話は届くだろう。
ならばいっそ、自分から出向いたほうが怒りは少ないか?
そんな揺れ動く議論を脳内で展開していると、クレインの目に一台の馬車が映る。
考え事をしながら飛び続け、気づいてみれば既に海を越えて陸地の上空を飛んでいたようだ。
しかし大陸として見ても端のほうだ。それほど大きな町はない地域で、この辺りは草原と林と街道が殆どである。
しかも丁度真下を走る街道は最近ではあまり使われておらず、控え目に言っても寂しい道だ。端に向かうと港町が一つあるだけ、それもこの先に沼地が多く、ぼんやり走らせて落ちる事も珍しくない。それもあっての現状だ。
(珍しいな。島に一番近い港町、確かに東からは最短距離だが……。お節介かもしれないが伝えるだけ伝えるか)
旋回しながら進行方向を馬車に合わせると、滑空するように高度を下げていく。
個人の行商にしても少し小さいといった程度の大きさだ。ただ一人二人を運ぶのなら珍しくもない。
しかし行き先は端のほうの町。一体誰を送るというのか。
(まあ人それぞれだよな)
少し馬車を追い越し、中を覗き込みながら声をかける。
「そこの者、この先は沼地だから気をつけ……」
「え?」
「あ?」
「は?」
馬車の中には二人。クレインの言葉とその姿から生じた疑問符のついた声は、クレインにまで巡ってきた。
エルナ、カイン、クレイン。三人の時が止まる。全員が全員、虚を突かれる形となったのだ。
お互いにただ一つ、自分は今なにに出会っているんだ、という言葉が脳裏を過ぎる中、カインだけがはっと我に返る。
時間を取り戻してからは早かった。
すぐさま馬を止めるべく手綱を引くと同時に、すぐ横に備えておいた道具を掴む。
それは両端に石が取り付けられた紐で、長めに持つとヒュンヒュンと風を切る音を奏でさせながら振り回し、未だ呆気に取られるクレインへ勢いをつけて放ったのだ。
本来ならばもう少し短い紐を用いて相手を足を絡め取るもの。だが、紐は見事にクレインの翼に絡みついて地に落としたのだ。これがクレアのように腕が翼になっているような相手ならば、そう上手くはいかなかっただろう。クレイン用の捕縛用具だ。
地面に転がるクレインに停止する馬車。
エルナがクレインとの遭遇から、カインの突然の行動へと驚きの対象を変えつつ目を丸くする。しかし次の驚きの声は上がるより先に断ち切られた。
カインが凄まじい速度の詠唱を口にしながら、強く蹴って馬車から飛び降りクレインへと間合いを詰めていく。手が届くまであと数歩という勢い。
その瞬間、カインの右手が光に包まれる。それが消えると姿を現したのは鈍器だ。無数の突起物が取り付けられた紛れもない凶器。既にどす黒い染みがあり、一体なんの、と皆まで言う必要もない歴史を感じさせる代物である。
それを両手で握り締め、一歩二歩、と距離を調整し、大きく放り出した足を叩きつけるように地面を踏み締め、腰の利いたスイングがもがきながらも立ち上がろうとしたクレインの頭部を捕らえた。
跳ね上がる頭。しかしボールのように飛びはせず、そのまま重力に引かれ地面に叩きつけられる。
その一撃の光景のえぐさたるや。
幾度となく戦場で血が流れるのを見てきたエルナでも、思わず手で顔を覆い隠したくなるものであった。というよりも覆い隠そうとした。が、間に合わかったのだ。
不幸な事だが突然の事態に目をそむける事もできず、しっかりと記憶に焼きつける形となってしまった。
ガシャガシャと金属音を鳴らし倒れるクレイン。それを最後にようやく辺りに静寂が訪れる。
あとに残ったのは凄惨な現場だけだ。
「う、うわああ……」
エルナは呻く様に声を絞り出す。
この光景を前に今はただ戦慄するしかない。
かつて多くの人々は通った道を今、彼女も歩いているのだ。




